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伊達宗高、刈田岳の噴火に

2009年07月21日 00:12

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 12:43:14 ID:YliOVTsR
伊達宗高公
伊達政宗の七男として仙台の青葉城で生まれ、慶長18年(1613年)に
数え7歳で村田城主となり、柴田・刈田両郡で3万石を領有しました。
元和9年(1623年)の春に噴火した刈田岳は、郷土に大きな被害を及ぼし
人々を恐怖に陥れました。
そこで伊達政宗は中国人の易者・王翼に指示を仰ぎ
祈祷によって噴火を静めるように命じました。

宗高は寛永元年(1624年)10月5日、王翼と共に刈田岳に登り
火口近くに祭壇を設け、節の付いた青竹に自分の息を吹き込み
そこに埋めましたが、このことは宗高の生命を
捧げたことを意味するものでした。
この祈りが天に通じたのか、祈祷が終わる頃には噴火活動が
次第に鎮まり、夜には全く止んだといわれています。
この若き城主の崇高な行為は領民の心を打ち、やがて神のごとく
敬慕されるようになりました。
しかし、宗高公は寛永3年(1626年)京都二条の要法寺で
天然痘に罹り、惜しくも20歳の若さで客死。
存命してたら家督継げたかもしれない名君でした。




636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 12:54:39 ID:N/jSejvL
上手くオカルトを利用して民心を安定させたいい話だね。

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 13:00:21 ID:u0GfGF6x
これってグスコーブドリの元ネタかな?


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