977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 13:02:27.66 ID:uaW899fi
鶴岡市ゆかりの戦国武将
加藤清正が身に着けたとみられるよろいが専門家の手で再現され、
24日、同市丸岡地区の天沢寺(庄司良圓住職)で披露された。
清正と嫡男忠広をしのぶ同日の清正公祭(せいしょうこうさい)に合わせて一般公開された。
調査を含め、8年かけて制作した名古屋市在住の甲冑(かっちゅう)師、熱田伸道さん(68)は
「武将としての誇りを感じる高価なよろい。再現できてうれしい」と語った。
基となったよろいは1949(昭和24)の発掘調査で、同寺境内に立つ「清正閣」の下から出土した。
熱田さんは2008年に庄内藩酒井家のよろいの調査と修復で鶴岡を訪れた際、清正のよろいがあると知り、同寺に立ち寄った。
生誕地が名古屋である清正に縁を感じ、再現を申し出た。
原形をとどめていなかったよろいの各部を手掛かりに、類似の甲冑(かっちゅう)を調べて全体像を推定。
試作を重ね、今年6月に完成させた。
鉄製で胴高32センチ、重さ6.5キロ。
熱田さんは「動きやすい作りで、縁の一部を金で塗装していた。量産できるよろいにはない」と話していた。
自費で制作し、足軽のよろい2体と陣羽織10着と共に同寺に奉納した。
清正公祭には関係者ら約170人が出席した。
祈とう後、よろいが披露され、熱田さんが特徴や制作工程などを説明した。
庄司住職は「時間と労力をかけ、立派に作ってもらった。感謝している」と話した。
よろいは同寺に展示し常時公開する。
写真:地元住民らにお披露目されたよろい。再現した熱田伸道さんがよろいの特徴や制作方法などを説明した

以下ソース:山形新聞 2016年07月25日 11:43
http://yamagata-np.jp/news/201607/25/kj_2016072500578.php
978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 13:23:44.59 ID:ubYqWaTL
意外とハイカラなんだなぁ
自費とはまた熱田さんも徳が高いなぁ
979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 19:28:14.08 ID:tUJJnSrs
>>977
足軽の南無妙法蓮華経具足も再現したのか
980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 19:45:21.33 ID:T9VmpO8Z
>>977
この色良いなぁ。
981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 20:30:51.65 ID:2i2W/QBL
現代でも甲冑師っているんだな。
名古屋住まいで熱田さんって、先祖が熱田神宮ゆかりなのかな?
982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/26(火) 07:05:59.64 ID:I4E7S5xh
重さ6.5キロでは軽過ぎる。
実戦よりも、装飾性重視の鎧なのだろう。色から見てもな。ブルーかよ。
983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/26(火) 07:20:30.43 ID:1WD3eRzi
ブロンズ聖闘士だなw
984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/26(火) 09:21:16.85 ID:QYRr2myg
熱田伸道は甲冑師名で本名は小川伸夫さん。
独学で先達に教えを受けながらここまで来た人ですね。
http://www.j-armor.com/http://ameblo.jp/j-armor1/復元に3年ほどかかったようだ。
色が青いのは、写真を拡大するとわかるけど、縅(糸)の色が青いだけで
甲冑そのものは漆塗りの黒だよ。
9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/29(金) 16:02:32.98 ID:Dc/KJL3l
前スレの清正の鎧の記事、河北新報(宮城県)の記事ではもう少し詳しく描いてあったので一応
こちらの記事の写真だと、先の記事ほど目立つ青色でなく、よくある甲冑画像の様なおとなしめの色合いに見えるね
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160725_75007.html
よろいは室町末期の形状で、清正が青年期に身に着けていたと伝えられる。熱田さんは
「武将の誇りを示そうと、あえて高価で伝統のあるよろいを選んだのではないか」と述べ、
天沢寺によろいを寄贈した。
再現したよろいは胴部分の高さが約35センチ、重さ6.5キロ。室町末期以降、鉄砲の
威力に対抗するため作られた当世具足(とうせいぐそく)の一種「最上胴丸」で、複数の胴板を
ちょうつがいで止めてある。
よろいをつなぐ糸の色は判別できなかったため、甲冑の色として当時流行したあさぎ色で再現した。
鶴岡市は清正の死後、長男で2代藩主忠広が配流された地で、忠広が天沢寺で清正の遺骨を葬ったとされる。
オリジナルのよろいは1949年、ばらばらになった状態で掘り起こされ、現在も境内に保管されている。
8年前、知人の紹介で訪ねた天沢寺でよろいの存在を知った熱田さんは約3年かけて再現作業に当たった。
欠損部位を同時代の甲冑などから推測し、2領の試作を経て完成に至った。
熱田さんは「作業を通じて清正が胴長体形だったと思われる証拠などの発見があった。よろいは加藤家に
繁栄をもたらした武具として忠広や清正の妻が埋めたのではないか」と語った。
10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/29(金) 16:41:55.25 ID:eC7NYJ1C
ぜんぜん発色ちがうねw
17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/30(土) 17:11:38.20 ID:7z8Vcp0+
>>9
鎧を埋めるって珍しいような気がする。遺骨と一緒に埋めたんだろうか。
19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/30(土) 21:01:58.56 ID:c+HJ+kvB
>>17
伊達政宗は墓所の発掘調査で副葬品に甲冑が発見されているし(政宗は例の弦月前立て黒漆の甲冑を同形式でいくつか作ってて、そのうちで一番お気に入りと考えられている)
武田信玄も上杉謙信も甲冑をまとって大甕に遺体を納めたとか、よくある話じゃないですか