蔚山城救援部隊、取り囲む明軍を見て

2009年07月22日 00:17

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 23:41:54 ID:xQs+Dh86

さてさて、朝鮮の役の有名な、蔚山城籠城戦(慶長2年(1597年)12月22日~
慶長3年(1598年)1月4日)
その蔚山城についに、黒田、毛利、蜂須賀などの、日本軍の救援部隊が駆けつけた!

駆けつけたのはいいが、蔚山城の周辺は、明軍が信じられないほどぎっちりと取り囲んでいた。
そのあまりの数にあきれた救援軍の将の一人、毛利勝信がつぶやく

「…なあ、あの唐人ども、どのくらいの数居ると思う?」

これに山口宗永

「じゅ…、十万くらい。かなあ…?」

すると勝信の家臣、竹中重利は

「いやいや、あの人数を正確に測るのはムリでしょ。
ものの例えに、数の多い事を、『蟻塚を崩したるような』なんて言いますが、
蟻塚崩したってあんなに湧いて出ませんよ。
私は生き物が、あんなに群がっているのを見たことがありません。
みんなも記念に、今のうちに見ておいたほうがいいよ!

大軍って言うと昔、織田常真殿がまだ信雄卿って呼ばれていた頃、徳川家康と組んで
小牧で太閤殿下と戦いましたよね。その時双方合わせて20万って言われてましたけど、
あの時の軍勢なんて、あそこに居る唐人の、十分の一も無かったですよ。」

これを聞いて勝永「ああ、そう言われればそうだ。小牧の軍勢は、確かにあそこの唐人の、
十分の一もいそうになかったなあ。

…ま、でも、例えあの倍いた所で」

山口「俺たちが」

竹中「打ち倒してやるんだけどねw」

ふえっへっへっへっへ

大軍を前にして、流石リアル戦闘民族なのである。
しかし明の大軍は、もはや軍隊と言うより、生き物の群れと言う
生物学的な概念で説明したほうが早かったらしい。と言うお話。





663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 23:55:10 ID:gXapK2kP
こういう闘争心を失うと生きていけない時代だったんだろなあ
サイヤ人みたいだ


671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 01:49:45 ID:MExwDSsD
>>662
あまり突っ込みばかりしてるのも無粋ってもんだが一応
小牧長久手は勝永6歳なので流石に勝信なんじゃないかなと思われる。
竹中重利も小倉1万3千石なので家臣というより与力なんじゃないかな

小倉毛利の石高が勝信の6万石~勝信10万+勝永4万まで説があるのは
与力も数えてるのかもしれないね
小大名クラスを複数小倉周辺に土地を与えてその筆頭として毛利だったとか妄想が広がるぜ

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 02:05:09 ID:zrRe11+V
>>671
むむ、原文に毛利壱州とあったのをつい勝永と書いてしまいましたが、
たしかにこれは勝信ですね。すいませんこちらのミスですorz
(※修正済)


673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 02:23:05 ID:0BrpSbHa
>>671
この時の攻城側兵力って5、6万だったよね?
厳重な包囲でそう見えたんだろうか。

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 04:22:23 ID:W+bpERSV
ふと思ったんだが現代日本で、最も多くの人間が集まるのを見れるのってなんだろう?
埼スタ?府中競馬場?明治神宮?

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 04:26:13 ID:jCSfpsIN
コミケとか

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 07:13:59 ID:1bcMfPg4
競馬ブームの頃は中山に15万集まった

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/21(火) 07:27:04 ID:Ao5f/fEx
コミケは1日で約20万人のときも。もう行きたくないわ

686 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/21(火) 11:49:22 ID:CA8DvHwn
>>677
あの怪物のラストランですか。


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