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佐瀬源兵衛と太田三楽斎の会合

2010年12月17日 00:11

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:21:14 ID:AdsW1wN4
元亀2年(1571)、会津蘆名家と常陸佐竹家は、陸奥南郷で対峙したが決着はつかず、和議を結んだ。
両者が帰国の準備を進める中、会津四天の佐瀬源兵衛のもとに、佐竹の客将・太田三楽斎より書状が届いた。

“このまま帰国すれば、今生の別れとなろう。互いにいつ果てるか分からぬ身である。老後の思い出に、
顔を合わせて旧交を温めたし。”

「さすがは三楽じゃ、よし、会おう!」
源兵衛は小躍りして喜び、すぐさま主君・蘆名盛氏の許しまで得てしまったが、同僚たちはこれを危ぶんだ。

「相手は謀将として名高い太田三楽だ。ノコノコ行けば、何が待っていることか。」
「いや、わしはヤツを良う知っておるが、そんな男ではない。」
心配する同僚をよそに、源兵衛は甲冑を脱ぎ捨て道服に着替えると、わずかな手勢を連れて佐竹陣へ向かった。


久しぶりに対面した源兵衛と三楽斎は、膝を突き合わせて来し方行く末を語り合い、名残を惜しみつつ別れた。

無事戻って来た源兵衛に、同僚たちが詰め寄った。
「いくら三楽と懇意と言えども、昨日までの敵のもとに、鎧も着けずに出かけるとは何事じゃ!
我ら、手に汗を握って待っておったのだぞ!?」

「何を言う。わしは昔、関東に武者修行に出向いた折、三楽の居城でやっかいになった。その時は武辺話に
花が咲き、毎日夜が更けるまで語りあったものだ。そのわしらの仲に、妙な謀略などあろうものかよ。」

「それでも万に一つ、という事もある。やはり危なかろう。」
「なぁに、万に一つなどという事があっても、顔と顔、眼と眼を合わせておれば、そうそう不意を打たれる
ことはないわ。向こうが動いた瞬間、こちらもお相手し、刺し違える。会津と佐竹、一人ずつ減るだけよ。」

「だ、だが帰るところを、後ろから襲われたらどうする?」
「わしの馬の名はご存知かな?」「……確か、『韋駄天』だったか。」

「そう!その名の通り、風のごとく逃げ去るのみよ。このようになっ!!」
そう言って笑みを浮かべると、源兵衛は愛馬に一鞭当て、懐かしき会津へ向けて駆け出した。





864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 18:13:23 ID:4+BgzHWc
>>858
佐瀬源兵衛って三忠碑に名前のある佐瀬種常、佐瀬常雄のどっち?

それとも全然関係ない人なのか

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/18(土) 10:49:15 ID:3ASRHVGE
>>864
どちらでもないけど関係なくはない


源兵衛(常教?)――種常―(養子)―常雄

の親子三代とされる
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彼気違男に伐たれんより

2010年03月09日 00:00

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 17:49:50 ID:pJiOy9PD
鬼小島こと、越後上杉家の小島弥太郎と言えば、指で兜をひしぎ砕くほどの大力の勇者として有名であった。
そんな彼ががある時牢人し、会津の蘆名盛氏の元に来たことがあった。

その頃丁度、蘆名家は仙道において合戦をしており、敵は取出し(前線陣地)を築きそこに軍勢を入れた。
小島の名声を知っていた盛氏は、彼に足軽100人を付け「あの取出しを蹴散らして来てもらいたい」と要請、
小島もこれに、自信満々に足軽を率いて出発したが、なんということか小島の部隊は、敵に散々に追い立てられ
逃げ帰ってきてしまった。

ここで盛氏に声をかけたのは、その頃蘆名家に帰参した会津の勇者、佐瀬源兵衛である。
「この上はどうか、私に仰せ付けていただきたい!」

源兵衛は盛氏の許可を受け、足軽を率いて出発すると言う時、小島に向かって言い捨てた。

「そなたは聞いたところによると、越後においては鬼小島と呼ばれているようだが、
この会津では”味噌小島”と名乗るが良かろう!この源兵衛の働きをいささかご覧候らえ!!」

そうして敵陣に向かうと、足軽達に向かい
「お前たち!命が惜しければ部隊の先に立て!もし後方に下ってくるような者がいたら躊躇わずに斬って捨てる!」
そして実際に遅れて後ろに下がってしまった足軽二人を斬り捨てた。

これには足軽達
「あんなキチガイ男に討たれるくらいなら、敵に向かって勝負した方がましだ!」
(いやいや彼気違男に伐たれんより、一向敵に逢ひて勝負を決せんと)

そんな破れかぶれの気持になって突進した。源兵衛もこれにますますテンションを上げて下知をする。
その勢いに飲まれたか、敵はもろくも追い払われ、源兵衛は見事主命を果たして帰陣した。

盛氏は源兵衛の武功を称賛し、その場で武者所に任じたとのことである。


いやまあ、最終的にはいい話なんですけど、ねえw




118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 17:55:20 ID:1L3+TCO2
>(いやいや彼気違男に伐たれんより、一向敵に逢ひて勝負を決せんと)

こ、これ原文、なんだよな……?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 17:57:36 ID:pJiOy9PD
>>118
Yes。原文ですw

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 18:03:00 ID:1L3+TCO2
原文なのかぁー……

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 18:40:34 ID:JvzBeNqi
会津武士と越後武士の対抗心みたいのを感じるね

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 20:19:01 ID:crouuRni
自分が強いからって部隊指揮がうまいとは限らんわな

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 20:26:18 ID:0jqgcBOc
むしろ100人率いるよりも鬼小島一人で攻めたほうがうまくいったんじゃね?

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 20:32:19 ID:/uca9tIc
丸目師範も戦の指揮やらせると壊滅的だったな

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:11:49 ID:2ieyfEHA
コーエーの三国志は、武将の個人武芸が強ければ、軍隊の攻撃力も高いけど

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:15:18 ID:bmxThH+g
稲富さんがログアウトしました

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:16:03 ID:1L3+TCO2
逃げんなww

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:25:01 ID:LLJxz4gJ
天翔の稲富さんは正直最強すぎて困るわ

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:28:22 ID:/uca9tIc
>>126
忠興「絶対に許さない、顔も見たくない」

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:30:18 ID:zy65xNwj
>>117
味噌小島ってひょっとして
「ウ〇コ小島」って意味?

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/08(月) 22:38:03 ID:Jq3K3sV3
>>129
庭師の首を刎ねる作業に戻るんだ

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 03:19:53 ID:Hon2NQGg
そんなの作業でやられたらたまったもんじゃねぇw

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 10:22:47 ID:cOeKzYUI
むくつけき表現は細川家にそぐわない。

さあ歌仙を三十六から四十八まで増やす作業に戻るんだ

佐瀬源兵衛、人質を奪い返す事

2010年03月04日 00:04

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/03(水) 19:51:13 ID:tQ79DWDb
鯖復活記念

佐瀬源兵衛と言えば蘆名家で並ぶものの無い勇者として有名であった。
彼が若い頃、武者修行と称し関八州を廻ったことがあった。
まず初めに小田原の北条氏のもとに行ったが、この北条氏は常に大軍を擁し、小敵を相手にする戦ばかりを
していた。これに源兵衛

「つまらぬ」

と小田原を辞し、下野の壬生綱房の元へと行った。その理由を尋ねられると

「壬生氏は小身でありながら、宇都宮、佐竹、那須とまで敵対している。ここなら面白いことがあるだろう。」

佐瀬源兵衛とはそんな男だった。

さて、この頃壬生氏は、大田原氏の嫡男を人質に取っていたのだが、ある時この子が病を患った。
その症状重く、大田原氏の方から「せめて生きている間に母親にも対面させたいのです。どうか暫くの間だけでも
わが方へお返し頂け無いでしょうか?」と言ってきたためこれも仕方がないと人質を返した。

ところがである、その子はその後病から回復したものの、壬生に返そうとしなかった。
壬生綱房は激怒し、どうすべきか家臣たちと相談をした。
源兵衛これを聞いて

「どうするかと言われても、大田原殿を討つかその子を取り返すか、そのどちらかしか無いでしょう?」

「そんな事はわかっている!」
壬生家の面々、新参者の出すぎた口に苛立ちながら

「しかしそのようなことそう簡単に出来るものではない!だからこうやって相談をしているのが解らぬか!?」

「そんな事なら…」
源兵衛、何でも無いと言う顔で
「それがしに思案が有ります。おまかせ頂けますかな?」

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/03(水) 19:52:13 ID:tQ79DWDb
その頃大田原の宿では、ひと月に6回市が開いた。
市の立つ初日には必ず風呂が炊かれ、その一番風呂には領主である大田原氏が入るのが習わしであった。
そんな市の立つ日、その日は風雨がある、酷く寒い日であった。

市の中にある風呂屋の前で、みすぼらしい身なりの男が倒れ、叫んだ

「私は今日の市に出る商人でありますが、風雨と寒さに当てられ、腹痛をおこしました。
ほんの少しでいいのでこちらの風呂の竈の火に、当たらせて頂けないでしょうか?」

風呂屋から亭主も出てきてこれを哀れに思い、「そんなものは容易いことです」と、温かい竈の前に
その商人を寝かせた。

『もう殆ど成功したようなものだ』

商人、見られないよう不敵に笑う。この男、もちろん源兵衛の化けたものである。
彼が腹痛を起こした商人のふりをしていると、やがて大田原が一番風呂に入りに来た。

今だ

源兵衛、やおら起き上がり猛然と走り寄ると脇差を引き抜き大田原の体にピタリと当てた。

「これは!?一体どういうことか!?」

何が起こったのか解らず驚く大田原に、源兵衛、刃を当てたまま

「近頃、壬生に対しての人質を返還なさらなかったこと、これは人でなしの所業であります。よって、このような事を
致しました。
さて、壬生に人質をお返しになるかどうか、応か否かでお答えください。否とおっしゃるならば仕方がない、
一刀参らすだけのことでござるが…」

「まてまて!そ、そなたの申すとおりだ。すぐにわが子を人質に出そうぞ!」

そこで源兵衛、嫡子をその場で受け取ると、抱えて壬生えと帰っていった、とのことである。





葦名四天王、佐瀬源兵衛のいでたち

2009年08月04日 00:14

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/03(月) 22:08:01 ID:iH9wCiXy
さてさて、大河ではヌルっとスルーされた、上杉景勝をあわやという所まで苦しめ、上杉家が
秀吉に臣従するきっかけにもなった、新発田重家の乱。
この乱のとき、景勝の攻勢の情報を聞いた新発田は、会津葦名氏に救援を要請、
葦名氏はこれに300余騎の援軍を出した。

その援軍の中に、後に葦名四天王にも数えられる佐瀬源兵衛がいたのだが、
そのいでたちがすごかった。

鎧の上に死装束地の経帷子を羽織り、旗指物は「荼毘のときの龍の首」、兜の前立てには
金箔で輝く「七本仏のひかくし」、刀・脇差は供に朱鞘、鞘の尻は銀製で逆鰐口。
柄は頭と元を赤銅で造り、柄の中程に入れてある飾りは位牌の形で、そこには自分の戒名が
金象眼されている始末。
歩くお葬式、一人大伽藍と言った趣である。

その姿を見た人々は

「なんと仰々しい格好だ。やたらと討ち死の覚悟を強調しているが、侍という程の者ならば、
合戦に及んで、誰しも生きて帰ろうなぞとは思いもしないであろうに。」

と、呆れあざ笑った。だが、武者奉行の沢井越中守という者は

「さては源兵衛は、若いだけあって思い切った姿であった。彼の父もひとかどの武者であったが、
流石にその子だ。
侍が戦に臨んで目立った格好をするということは、手柄を立てれば大勢の目に留まり、また、
危ない時には狙われるものなのだ。世の常として臆病者はごくありふれた格好をするものなのに、
こう言う心掛けと嗜みのよい侍がもう一人程いたならどれほど心強いことだろう、しかし、
今のところあいつしかいないなあ。」

と、苦笑いをしながら言った。

やがてこの話が広まり、また佐瀬源兵衛も戦場において流石の働きを見せたため、
彼のいでたちに対する悪口はたちまち消えた、との事である。