元草野家家臣野崎隠岐守、島の守り神になる

2009年08月08日 04:42

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 01:50:13 ID:YS0ZLeST
俺の地元に伝わる話を投下。長文スマソ

元草野家家臣野崎隠岐守、島の守り神になる

元亀4年(1573年)のこと。肥前国唐津の沖合いにある高島という小さな島は
海賊の被害に毎年悩まされていた。

その年の12月、筑前国吉井を根城とする海賊、吉井荊娯が高島を襲った。

この男は筑前近海を荒らし回る海賊の元締・火山神九郎の配下であり、
手下30人あまりを連れて高島に上陸し暴行、略奪の限りを尽くした。

一仕事終えた荊娯たちが船に乗り込もうとしたその時、一人の武士が
走り寄ってきた。

この武士、名を野崎隠岐守綱吉といい元は肥前草野家の家臣であった。
天文21年(1554年)に信濃国で生まれた彼は、文武両道に優れ幼い頃から
神童との評判が高く、人々はまさしく偉丈夫であると噂したといわれる。

成長した綱吉は初め豊後の大友義鎮、のち肥前の草野鎮永に仕えた。

綱吉が高島へ来る半年前の元亀4年3月、龍造寺隆信率いる5400の軍勢が
鎮永の居城・草野城を攻めた時、彼は同僚の原瀬久太郎久国と共に自ら
矢面に立ち奮戦。
見事龍造寺軍を撃退したが、新参者である彼の活躍ぶりが草野家の老臣
たちの不興を買ってしまう。
老臣たちの嫌がらせに遭い、家中に居場所が無くなった綱吉は草野家を出奔。
わずかな供を連れて高島に移り住んだのである。
3ヶ月前の元亀4年9月の事であった。

さて、住人から海賊襲来の話を聞いた綱吉は海賊をこらしめるため海賊船が
停泊する浜へとやって来たのである。
彼はわき目もふらず船へ乗り込むと帆柱を引き抜いてそのまま振り回し、
海賊たちを薙ぎ倒した。
それでも怯まずに襲い掛かってきた連中を相手に綱吉は手傷を負いながらの
大立ち回り。一人で海賊のほとんどを倒してしまった。

ついに海賊たちの生き残り5人は全員奪った物を綱吉に差し出して命乞いを
した。綱吉は彼らの命まで取ろうとはせず懇々と諭してそのまま帰した。

これ以来、高島に海賊が来ることは二度と無かったという。

それから10年あまりが経過した天正13年(1586年)8月、綱吉は病に冒され
帰らぬ人となる。享年32歳であった。

島を救った英雄のあまりに早すぎる死を悼んだ住人たちは綱吉の墓の上に祠を
建て、島の守り神『大権現様』と呼んで祀った。

さらに時は流れて明治時代、高島が製塩業で多大な利益を上げた際に
「この繁栄があるのも綱吉様のお陰」であるとし、『当島の宝』という
意味で『大権現様』を『宝当神社』と改称した。

今や『宝くじの神様』として日本全国各地から参拝客が訪れるようになった、
高島の宝当神社。その始まりのお話。




138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 02:32:40 ID:SxaoaX4m
信濃生まれで豊後で職に付く…、名うての傭兵みたいな感じでw
ま、沼田祐光や河田長親みたいなもんか。

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 10:37:14 ID:LBnYY/ht
>>137
色々とスゲエなw
由緒とか関係無しに字面だけで宝くじの神様になっちゃったのか

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 10:42:42 ID:WcdZOJIS
>>137
海賊が何人いたのか判らないが多対一で勝つとか並の人間じゃねぇな
その後の祠の変容がいかにも日本らしいw

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 18:03:28 ID:YS0ZLeST
>>137の話を投稿した人がちょいとレスしますよw

>>148
宝くじ云々については最近になってから。
何でも15年ほど前に島の住人がこの神社にお参りしてから宝くじを
買ったところ当たってしまったとの事らしいw
いまや島おこしのネタにもなってる。

>>149
本文にも書いてあると思うが…30人ほどだった<海賊
それでも多対一で勝つとは人間技ではないなw

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 00:29:14 ID:GzyiF44Z
>>137>171
♪さあ行こう、夢に見た島へと 波をこえて、風に乗って 海へ出よう~


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