【雑談】井伊直虎関連の話について

2016年12月16日 08:09

ニュースソース
「井伊直虎」別の男性が名乗った名前か 新たな見解
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161215/k10010807221000.html


418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 19:42:38.77 ID:ynzlC0ov
なんか来年の大河がもめてるそうだから、井伊直虎関連本から抜き出してみた

大石泰史「井伊氏サバイバル五○○年」
p146~(正徳元年(1711年)に井伊家の始祖の誕生した井戸の帰属を巡って正楽寺と井伊氏の菩提寺である龍潭寺が争った際、
龍潭寺の住職であった祖山が井伊氏と龍潭寺のつながりを証明しようと「井伊家伝記」を書くにあたって)

(中略)ここからは想像の域を出ないが、次郎法師登場の背景を探ってみよう。
祖山は龍潭寺で、位牌・過去帳等から「次郎」が中世井伊氏の家督も使用した仮名・通称であることを認識した。
そのため永禄八年の寄進状を書いた「次郎法師」は当主に近い人物と考えた。
しかし、中興開山である直盛は同三年に、後嗣直親も同五年に死没している。彼らよりも没年が遅い人物を探す必要がある。
そうしたとき、龍潭寺内に残されている位牌等に、天正十年に亡くなった人物がいた。
法名は「妙雲院殿月船祐円大姉」だが、没年は直盛・直親以降の人物であることは間違いない。
「大姉」とあるので女性である。しかし、その位牌等以外に確認できないのであるならば、次郎法師は妙雲院殿だった。祖山はこう考えたのではないだろうか。

その傍証となるかもしれないが、祖山は次郎法師=直盛息女=妙雲院殿と認識はしているものの、
次郎法師=直虎、もしくは直盛息女=直虎、という表現はまったくしていない。
つまり、女性であることは認識していても、男性名である「直虎」を名乗ったとはどこにも記載がないのだ。
このことから、直虎が次郎法師もしくは直盛息女と指摘したのは、後世の研究者たちであったとすることができる。

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 19:47:32.44 ID:ynzlC0ov
小和田哲男「井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史」
p101~
『寛政重修諸家譜』は「女子 直親に婚を約すといへども、直満害せられ、直親信濃国にはしり、
数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と簡単な記述で終わっている。
(中略)『寛政重修諸家譜』の記述だけだと、尼となったのに尼の名でよばず、なぜ「次郎法師」という名前なのかの説明がなく、わからない。
そのあたり、「井伊家伝記」を書いた祖山も注目したものと思われる。一つの解釈を披露している。(中略)
亀之丞が信濃に落ちていってしまったため、彼女は菩提の心深く、南渓和尚の弟子になって、剃髪し、出家してしまった。
両親は嘆き、「一度は亀之丞と夫婦にと思っていたのに、このようになってしまって」と、
尼の名はつけさせたくないと南渓に申し出た。
一方、彼女のほうは、「出家したのだから、是非、尼の名をつけてほしい」と、親子の意見が分かれてしまった。
そこで南渓和尚が考えたのが次郎法師という名前であった。
備中次郎という名は井伊家惣領の名である。次郎法師は女ではあるが、井伊家惣領に生まれたので、
相続の名をかねて次郎法師はふさわしい。南渓和尚がつけた名である。
この次郎法師は、井伊直親が誅殺されたあと、直政が幼年だったため、井伊家の家督となり、地頭職をつとめた。
(中略)
(父親の直盛の出生年から考えて判断力のあった年齢であるとするのは難しい、という野田浩子氏の説を紹介した後)
娘も自分の意志で行動できる年齢だったと見ている。(中略)ただ、野田氏の指摘のように、「彼女の私的な
感情により出家が認められるはずがない」というのはその通りで、あとでふれるが、亀之丞がもどってきたとき、
還俗すれば結婚が可能だったはずなのに還俗しなかったこととあわせ、このあたり謎が多いことはたしかである。

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 19:52:19.56 ID:ynzlC0ov
ニュースでは次郎法師は直盛の娘で、次郎直虎は別人、という主張が紹介されてたけど
単に龍潭寺に箔をつけるために祖山が次郎法師=直盛娘として南渓、次郎法師命名の話をでっち上げただけで
1812年に完成したの『寛政重修諸家譜』もその次郎法師=直盛娘説に乗っかっただけだったりして

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 19:55:32.03 ID:Da97V1+q
あのニュース、「発見」されたって『守安公書記』が新発見でも何でもない史料の上に、しかも編纂されたのが享保20年(1735)で、
享保15年成立の『井伊家伝記』より新しいものだからなあ。
『守安公書記』の史料評価もきちんとできてないみたいだし、あのニュースは正直勇み足過ぎる

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/16(金) 11:31:37.47 ID:C91lbPBf
現代では色々な武将が女体化してるから
井伊直虎の性別なんてどっちでもいい・・・って石田三成が言ってた

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/16(金) 13:11:17.64 ID:VCcNHMdd
武将名でイメージ検索するとひどい事になるのが最近は普通になってるな。あと刀も

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/16(金) 13:40:32.34 ID:3OMI3D+q
つか女でも法師てよばれるんだな

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/16(金) 21:09:51.60 ID:E3VsNxRe
とりあえずだが、井伊達夫氏は甲冑業界では名の知れた山師であることを指摘しておこう
井伊とは言っても、井伊家(越後与板藩主家)とは近年養子縁組したひとだしね

まあ個人攻撃ととられるかもしれないが、いわくつきの人だってことさ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/16(金) 22:41:19.20 ID:NI228Pl1
ところでその話の流れで、付箋がどうこうとネット上で一部の話題になってるの

例えば国宝「上杉家文書」の場合なんか、ボールペンの書き込みが残ってたりする
昔の地元の郷土史家の先生たちの仕業なんだけれど
今の修復技術で消すことも可能だが、後世の戒めとして残してあるそうな


ふと思い出した

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/17(土) 22:39:57.96 ID:PNeVf9DM
>>430
酷い山師だったのは事実だが、その古文書自体は捏造ってわけでもないだろう。検証と解釈は別として。
目立ちたがりなのは間違いない。

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雑談・井伊直虎の本が只今予約受付中

2012年10月06日 20:27

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 15:14:09.33 ID:QoY2PF4+
井伊直虎の本が只今予約受付中とか
ttp://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-16-381760-6&Sza_id=MM

戦国女性キャラ投票で見事5位にもランクインされ
人気急上昇中の直虎の一生を養子の直政が家康に語るという主旨らしいがどのように描かれているのか
おすすめコメント読んでみて更にwktk

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 17:18:10.91 ID:xC6kke6Q
>>741
めんどくさい家臣団が魅力なので徳川四天王あたりの大河やらないかなーと思ってたけど
直虎から大坂の陣くらいまでの井伊家の目を通した今川~徳川期の大河とかも結構面白そう
権現様主役の大河より静岡県知事や浜松市はこっちを推した方がいいんじゃないかw

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 17:21:50.79 ID:e9mpLpCm
本多忠勝を大河に、て記事がちょっと前に

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 17:55:54.97 ID:QoY2PF4+
>>747
目新しさがあるよね
父親である当主や婚約者である後継者が主家に殺されて
しかも婚約者は別の女性と結婚
そして虎松が生まれ、後に跡取りとして養子にするがその子も今川に命を狙われる
でも最後は名家没落からの華々しい復活劇で終わるという

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 18:15:16.54 ID:Thi7JGJa
でも直政はなんというか、本来ならもっと活躍できたのに若くして死んじゃったのがちと‥‥。
地味だが榊原康政のがいいな。いい加減天気のせいだった秀忠遅参の汚名を少しでも晴らしてやってくれ。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 18:46:31.77 ID:xC6kke6Q
>>750
でも康政だって4年後に死ぬんだしそれなら四天王の方がいいな
井伊家視点なら直孝の大坂の陣までやればいいし。
たまには大坂の陣も幸村じゃない方の使い古して色褪せた赤備えにスポットを宛てて欲しい
天下一の大手柄と言われる活躍したんだしな

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 19:49:48.36 ID:bGRJJcC+
大河ドラマ「赤備え」
飲富虎昌→山県昌景→井伊直政→井伊直孝
             →       →真田信繁

人気の武田、上杉&三英雄に絡ませられるしいけるぞ

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 19:51:52.10 ID:Liro16MX
大河ドラマってそれ本当に大きな河か?
って思うくらいのスケール多くなってきてるやないですか・・・

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 19:52:58.26 ID:5G/xRxxM
>>753
世界には対岸が見えない河もあるから

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 20:03:57.80 ID:XqY8T/pD
たまには北条綱高さんの事も思い出してあげてください

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 20:08:51.90 ID:wUcWyK27
江は大きな河でしょ、意味的に
平清盛もついでに大河兼任までやれば立派な大河になる

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 20:13:34.56 ID:bGRJJcC+
>>755
完全に別の流れやないですか

史実とか無視して小田原征伐で赤備え対決とかやるとか・・・

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 20:29:42.73 ID:5G/xRxxM
色を集めて戦隊ものってネタもあったよなぁ

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 20:57:49.82 ID:DCTFGEFv
北条綱成「呼びました?」
未来環境創造戦士エコマンダー「まさか我らの出番か!」

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 21:07:15.66 ID:QoY2PF4+
小幡赤備えも忘れないでね

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 21:17:47.12 ID:98c9WrNI
そして最後は第2次長州征伐、芸州口で

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 21:29:54.19 ID:Bf7sc19e
いや最後は広島カープ優勝だろ

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 22:12:18.53 ID:/G7bQlfd
北条で大河やるなら幻庵が語り手になるのは確定。

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 22:14:27.43 ID:wUcWyK27
北条早雲からはじまって滅亡直前まで語れるもんな

766 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/06(土) 23:03:48.40 ID:69NUsNlN
進行役は北条氏重じゃ駄目か?

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 08:40:48.04 ID:Mr3L9O4/
北条を大河にするなら家康を語り口にして欲しいな。
幻庵は当事者すぎるし滅亡まで見れない。まあそれがいいのかもしれんけど‥‥。

直虎と椿姫

2009年08月15日 06:54

402 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 17:42:49 ID:/Er+7Lu1
直虎と椿姫

遠江井伊家当主、井伊直盛の「娘」は、その名を次郎法師と言った。
直盛には男子が無く、彼はこの次郎法師と、従兄弟の井伊直親を許婚とした。
彼を婿養子として迎えるつもりであったのだ。

ところが、井伊家の家臣小野道高の讒言により、井伊直親の父直満は謀反の疑いをかけられ
今川義元により自害を命ぜられ、直親はこれにより信州へと逃亡した。

しかし2年後、井伊直親は小野道高の死により今川家に復帰した。
だが、ここで大変な事態が発覚する。この井伊直親、信州にいる間に、奥山親朝の娘を
正妻として迎えていたのだ。

次郎法師の身の上は、完全に宙に浮いた。

しかしこの人の身の上はさらに転変する。永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いにおいて、
父直盛が戦死した。結果、井伊直親が井伊家の家督を継いだのだが、ところが永禄5年(1562)、
今度は小野道好(道高の子)の讒言により、直親が今川氏真に殺されてしまったのだ。

これにより井伊家は、この次郎法師と、彼女の曽祖父である、井伊直平が支えることになった。


さて、もうひとつ。
同じく遠江に、「椿姫」と呼ばれる女性がいた。遠江曳馬城主、飯尾連竜の妻、
田鶴の方の事である。
彼女は非常に知恵に優れた女性だったそうだ。

永禄6年(1563)、今川氏の命で犬山上攻めに向かっていた井伊直平が、この
曳馬城に立ち寄った。

椿姫は夫に示唆する。「桶狭間以来遠江では、今川の権威が崩れ始めています。
ここで直平がいなくなれば、遠江での飯尾家のライバルである井伊家に残るのは、女である
次郎法師だけ。その勢力は大きく削られ、飯尾家こそが遠江の盟主ともなるでしょう。」

彼女は直平に毒茶を出し、これを殺した。

この事件にさすがの今川氏真も怒り、飯尾連龍を和睦の名目で駿府に呼びだし、
そのまま殺害した。
そして曳馬城も攻め滅ぼそうとしたが、氏真が当時寵愛していた女性が飯尾連龍の姪であり、
この取り成しにより、飯尾家自体は所領を安堵された。しかもその安堵状は、この「椿姫」宛てに
出されたのだ。彼女は正真正銘の女城主となった。


403 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 17:43:59 ID:/Er+7Lu1
ところで次郎法師である。彼女は曽祖父の謀殺への、徹底的な復讐を唱えたが、
氏真の処置は井伊家の側にも、飯尾家の側にも遺恨を残すものであった。
永禄8年(1565年)次郎法師は「直虎」と名を改め、井伊家の家督を継いだ。
彼女もまた、女城主となったのだ。

井伊家当主となった彼女は徳川家康と結び、家臣小野道好の専横を排除し、再び井伊家の主権を
取り戻した。その上で徳川家の力を借り、永禄11年(1568年)曽祖父の敵、椿姫のこもる曳馬城を
攻め立てた。

城を囲んだ徳川軍は、曳馬城に降伏勧告を出した。「徳川家に降伏なされ、城を引き渡せば、
飯尾家の幼子も寡婦(椿姫)も、丁重に養育いたすし、その家臣団も皆、召抱え
扶持いたしましょう。」

椿姫は、これを拒否し、自ら指揮をして酒井左衛門尉、石川伯耆守と交戦、一旦は寄せ手を
敗走させるほどの武威を見せ付けた。
その時の様子は『緋威の鎧に同じ毛の兜、同じ装いの侍女7,8人と長刀を取って
適中に切り込んだ』と有る。
しかし結局は衆寡敵せず、椿姫と曳馬城の者たちは、ことごとく討ち死にした。


さて、こうして遠江の主導権を握った井伊直虎であったが、南下してきた武田信玄の部将、山県昌景
に敗北し、本拠地である井伊谷城を放棄し、浜松城の家康の元へと逃れた。


そんな彼女は、かつての許婚、井伊直親と奥山親朝の娘の間に生まれた子、虎松を
養子として育てていた。天正3年(1575)、彼女はこの虎松を、家康の元に出仕させる。
そう、後の井伊直政である。


遠江で火花を散らした、二人の女城主の戦いの、お話。





404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 18:04:26 ID:9gGWtajw
ドラマチックな話だ
悪い話スレでもいけそうではあるが

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 18:14:27 ID:CAqJlJRU
井伊直政が世に出るまでにはこんな劇的な出来事があったのか

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 18:32:09 ID:iIVLPUSd
すげー女の戦いだな

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 21:57:43 ID:XvbHB3zo
次郎法師さんは、小野の専横に「Oh!No!」って怒り狂ったんだろうな。

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 22:15:58 ID:dvgst/dB
>>421
鬼武蔵がお前の家に向かってるぞ

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 22:19:53 ID:AZ1kOVOm
三成「太閤様、421がこのように申しております」