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私は子孫まで望みがあるから

2012年11月02日 20:00

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 17:28:11.90 ID:Nbg/F9/H

関白秀次は罪を蒙り、伏見の邸宅は前田利家に賜れた。
利家はその美麗な様を見て曰く、

「関白は大望のある人ではない。謀反は必ず偽りであろう。
私は子孫まで望みがあるから、このように美麗ではならない」

と言って、不要な所は取り払った。

――『名将言行録』




215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 17:54:07.01 ID:RfYzohGp
これって下手したら、
今は金を貯めておいて、豊臣の天下が危うくなったら
その金で戦力集めて謀叛する気だ、ととられないか?

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 17:57:34.12 ID:+ZFv7sUZ
>>215
いやコレははっきりと、俺は天下に野心があるって言ってるわけで

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 19:05:31.57 ID:Gr3+0d0y
逆に堂々と公言してるほうが偏に疑われなくてすむしな

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 19:49:32.15 ID:KAsmxqon
マキャベリストを自称する人間はマキャベリストではないという格言があって
マキャベリストなら自分がいかにも純朴で誠実な人間と偽るんだよなぁ

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 19:57:07.95 ID:RfYzohGp
そのころには異世界人もいそう

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 20:00:55.91 ID:RfYzohGp
間違った
マキャベリがでてきたから戦国スレとは思わなかった

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 20:06:39.44 ID:WYMSS6al
クロカン「わたしは小寺にも太閤様にも誠実に仕えていたぞ」

前田利家「だから追わなかったのだ」

2012年10月20日 19:59

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 12:44:03.97 ID:LeYLfUYG

末森城の戦いの時、前田利家は素早く末森城を後援したために佐々成政は敗軍した。
この戦いで本多正重は武者修行をして利家の備えを借りていたが、利家が士卒を
制して隊列を固めているのを見ると、馬を乗り寄せて声高に、

「恐れながら勝ちに乗るとは今ですぞ! 敵は崩れて一足も返しません!
御下知あるべき所なり!」と言った。しかし、利家は「お前に何が分かる!」と
大いに罵って城に入り兵を収めた。佐々軍が引いて後、利家は子息利長に話すべき
ことがあると、同道して七尾に帰った。

「私が正重の諌めを用いなかったのは思慮があったからだ。およそ武者修行の者は
自分の功を立てるのを目的とし本当の忠がない。あれは自分の一言で敵を追わせて
利を得たのだと他家の誉れにしようとしたのだ。もし私が負けたとしても正重の負け
にはならないし、仮合の徒である正重にとって損にもならない。

その上、道の往来を考えた時に後援の兵が三千から四千程度だと分かるところを、
その推測ができなかったのは成政の失敗だった。一旦は不意にあって敗れ去るとしても、
成政の志なら後援の兵が少ないと知れば、私が追わなくても兵を返してきたことだろう。
ましてや急に追ったなら総返しにされた。そうなれば味方の負けは必定であろう。
だから追わなかったのだ」

――『名将言行録』




6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:17:21.96 ID:8exgBFE5
金銀をケチって兵力が足りていなかったというオチが無ければ名将なのに

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:20:21.23 ID:g2VVUmd0
金銀をケチって譜代を増やしてなかったから
渡り奉公同然に主君を変えていく奴に
軍勢の一翼任せる羽目になってるんだろうな

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:40:39.84 ID:yebQoZPm
こ、これは南蛮渡りの「あうとそーしんぐ」と言ぅてだな…

金沢城にて、両名のわざのほど

2012年07月25日 20:51

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 00:37:13.42 ID:fw9TA9L3
金沢。前田家お抱えの甲冑師が作る鎧は堅剛無比と評判だったそうです。
ときに、ある刀鍛冶が金沢にやってきて評判になりました。
その鍛える刀は鉄石といえども泥のごとく両断せりと、言われたそうです。

ある人いわく「子の矛をもって、子の盾を突かば、いかに」

違うよ! 韓非子は『矛盾』の話じゃありません。
でも結局は似たようなことがあったんでしょう。甲冑師と刀鍛冶は互いに意識し、やがて公然とした不仲になりました。

さて、噂を聞いた加賀公…3代目前田利常ということですが…
( @π@)y─┛~~「「余が裁定してつかわす」

金沢城にて、両名のわざのほど、その対決を披露することになりました。
甲冑師、台の上に最高の出来の兜をすえ、刀鍛冶は同じく最高の出来の刀をもってそれに臨みます。

刀(;`д´)「ぬぅぅぅぅぅ……」
大上段に構え、一撃に全てを叩きつける思いで、気迫を込めてゆく刀鍛冶。

冑( ;゚Д゚)。。。(すげえ気迫だ。これは…負ける?)

刀(;;`д´)「てぇぇー」

冑( ;゚Д゚)「あいや! 兜が曲がっており申す。すえなおすので暫時お待ちを!」


刀(;;`д´)「えっ…?」

一時中断…兜をすえなおして…

刀( `д´)「てやー!」 ペチーン

渾身の気迫を削がれた刀鍛冶、とても兜を割ることはできず、弾かれてしまいました。

刀( `д´)「ふ、不覚…………ンヤーッ!」
憤りのままに、もう一度振り下ろした刀は、なんと、たまたまそばにあった青銅の大水盤を真っ二つに切り裂いてしまいました。

( @π@)y─┛~~「うむ。両名とも、見事である」

戦い暮れて…

冑(  ゚Д゚)「戦いには勝ったが・・・勝負には負けた!」

甲冑師はその夜逐電してしまったそうです。

やがて甲冑師は刀鍛冶に転身、修行を積みなおし、近江は長曽根村で
その名を後世に伝えることになる長曽根虎徹として再登場したということです。




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 01:07:25.43 ID:dsY+zEn4
Simple is best

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 04:13:51.97 ID:8GRbEXv0
平和になると甲冑師は失業するんだっけ
五月人形やフィギュア制作なんかでは生活に困るんだろうな

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 05:36:31.34 ID:dytNYmpf
利常がとんち利かせる話かと思ったら普通に真剣勝負だったでござる

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 07:40:39.84 ID:v3ikj57y
近藤勇の虎徹は偽物だったらしいね…

前田利家はある時、若い衆を集めて語った。

2011年08月11日 23:15

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/11(木) 03:55:55.20 ID:Ayx5XGqg
前田利家はある時、若い衆を集めて語った。

「昔、織田家と斎藤家が争っていたときの事だ。
 夏の夕暮れ時に両軍が睨み合って居ったのだが、
 織田家の佐久間久右衛門という剛の者が近くに居った者達に『田を結べ、田を結べ』と囁いたのだ。
 言われた連中も了解して敵に怪しまれぬように槍を持ったまま稲を結んで12間ほど引き下がった。
 間も無く、斎藤方の兵が突進してきたのだが稲に躓いて、たちまち15人ほど討ち取られてしまった。
 これに参った斎藤方はこれより50日は兵を出さなかったとさ。
 ・
 ・
 ・
 と、さて、ここまで語っておいて何だがな、お前達、こういう話はうっかり聞くようなもんじゃないぞ。」




69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/11(木) 08:16:27.84 ID:BdJKr394
間抜けな戦争w

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/11(木) 09:50:43.64 ID:2hBMj8Eh
間抜けだけど今から敵方をヒャッハーするぜってテンションあげている時にこんなのあったら普通に引っかかると思う

71 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/11(木) 16:34:24.91 ID:6ayPABIR
>>68
途中で脱落してたら
「大将の話最後まで聞けコラ。最近の若いもんはry」
とみせしめに串刺しだったとオモ

金比べ

2011年04月17日 00:10

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 22:59:46.63 ID:8WscTJVQ
前田利家が未だ若い頃。
彼は信長によって繰り返されていた美濃への侵入にいつも付き従っていたが、その身代は
わずか四百五十貫であった。

そんな利家がある時戯れに、家来の村井長八郎に「所持している金の額を比べよう!」
と言い出した。

利家が巾着をひらくと、その中には四両三分入っていた。
長八郎の巾着の中には、二両一分入っていた。

これを見て利家、「俺のと合わせれば、長八郎は金持ちになるな!」
と笑ったそうである。

ちなみにこの村井長八郎、後に村井豊後守長頼。
前田家の家老として利家、利長を支え、加賀藩の基礎を作り、前田家の年寄八家村井氏の
祖となった人物である。

利家は自身も、そして村井も大身となった後も、村井に

「あの時の二両一分、今も持っているか?俺もあの時の四両三分が運を引き寄せたと思い、
今も大切に取ってあるよ」と笑って言ったという。

そんな前田利家が若い者たちに常に言っていたことがある。その内容はこうである。

「とにかく金を持て。金さえあれば世の中も人も、恐ろしいとは思わない。
しかし金がなければ、世も人も恐ろしくなるものだ。」

織田家からの牢人中、金の切れ目が縁の切れ目を実体験した利家らしい言葉であろう。


まあ悪い話じゃないんだけど、だからといって特段いい話でもない気がするのでこっちにw





689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 06:30:17.96 ID:9DZhlpqw
>>685
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-543.html

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 09:18:12.17 ID:n4LHN4lD
>>689
おお…申し訳ない。し、下の方は未出のようなのでそこでなんとか許してほしいw;



関連
前田の両腕・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-543.html

前田利家、息子利長への不満

2011年04月17日 00:09

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 09:51:24.16 ID:W2diQyFL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1400.htmlのちょっと詳しい内容

文禄5年(1596)7月13月、伏見大地震が起る。
この混乱がやや落ち着くと、前田利長は父利家を自身の地震小屋(仮設の邸宅)に迎え
振る舞いをした。

…と、利家、その振る舞いから戻ってくると激しく機嫌が悪い。
利長の地震小屋の作事が殊の外見事だったのが全く気に入らなかったのだ。
利家は家臣たちにわめき散らし、さらに岡田長右衛門、斉藤刑部を利長に使いとして出した。
その内容はこうである

『地震小屋などというものは、いかにも軽々として、住むのに問題がなければそれでいいのだ!
そんな物に銀箔など、まるで必要のないものである!

金銀をそういいった意味のない事に浪費していれば、むやみに無理なことを言うようになり、
人のものさえ欲しがるようになる。

だいたい侍というものは、山が崩れようが海が埋まろうが驚かないものである。
ましてや孫四郎(利長)は一国の主である!であればどんな事であっても漏らさず
心にかけておくべきなのに、武具や馬などといった事には余り聞こえてくる話もなく、
毎日鷹狩、もしくは三味線ばかりで遊び呆けておる。沙汰の限りである!

いいか、日本で孫四郎は一国の主なのだから、選ばれた66人のうちの一人であるのだぞ!
そうであるのに全ての行いが沙汰の限りだ!』

と、その後にもこのような叱責が延々続いたそうである。

前田利家が息子利長への不満をついにぶちまけた、というおはなし。




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 10:29:50.78 ID:JavazDM2
バカな息子を持つ親の嘆き、おおいに共感するところあり。

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 11:03:35.62 ID:K2oPa+8Z
利家はドケチで始終金金言ってるのに、何となく爽やかというかカラッとしたイメージ

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 11:07:44.80 ID:m82IQcHd
まつ「あなた様も武具や馬などといった事には余り聞こえてくる話もなく銭を溜め込み、沙汰の限りです!」

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 11:35:23.13 ID:qeU4idAi
どっかのすっから缶総理やらルーピーにも聞かせてやりたいぜ

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 12:41:47.40 ID:rqKyf6uD
>>692
まあ弟も死んでるしね

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 16:25:50.07 ID:Bn0JPJwe
>>692
選ばれた66人のうちの一人ってのが意味わからん。六十余州の主の一人って意味かな?それだと文面おかしくなるか。
後65人は誰よってツッコミたい。

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 16:28:18.36 ID:n1/0oyMG
>>698
(数多の人間の中から国主として)選ばれた66人のうちの一人
文面的にもおかしくないと思うが

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 17:50:40.07 ID:h71lnLn3
日本のベスト64に選出
後6回戦勝てば天下人だ

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 19:14:47.99 ID:dfo/Vp/w
66人もいれば、今日ではダメ殿とか言われてる人も含まれるんだろうなぁ

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 20:00:22.83 ID:ZsEg1pkr
徳川や毛利みたく一人で複数の国を持ってるのもいるのは、どうすれば

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 20:22:18.02 ID:kCaHpqny
八百万の神みたいなものだ
象徴的表現

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 22:12:48.81 ID:Bw2jC31F
正式な○○守なら66人なんじゃないか。

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 22:35:31.36 ID:oAAYGlqM
慣例として○○守を置かない国もあった気がする。

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 22:36:43.90 ID:Ejk+rjHk
親王任国というのがあってだな・・・

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 22:47:09.68 ID:gahcSTK3
上総守を名乗って大笑いされた田舎者が尾張におってな…

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 22:48:02.02 ID:nDifYmxj
琉球守を名乗った大名がいてだな・・・

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 23:00:36.79 ID:h71lnLn3
宇宙大将軍…

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 01:10:18.49 ID:DrzFzizQ
>>708
その人、秀吉からもらった「琉求守」の扇を奪われ、さらに台州守を名乗ったあと普通に武蔵守になったんだぜ……。

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 01:15:21.81 ID:F2tjR59w
幕府成立以降に武蔵守名乗ってよかったんだっけ

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 01:37:30.10 ID:cOLETlDf
幕府に喧嘩売りたいならok、治部少輔もおすすめ

ただ任官は朝廷から直接されるのではなく幕府を通してされるので
自称しか出来ないけど

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 01:49:27.08 ID:jPXs1/xz
たまたま今よんでた井沢元彦「忠臣蔵元禄十五年の反逆」だと
古事類苑官位部の三 類例略要集 関東諸大名方今被憚分
武蔵:松平武蔵守利隆以後相止 だそうです
みんな自重したんだねえ

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 03:05:18.14 ID:0Q/3XfOC
武蔵介はいるんかね?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 11:34:59.00 ID:4TahnbNO
三河守も結城秀康親子くらいしか名乗らなかったと思っていたが、
ヤフー知恵袋にいろいろ詳しく書いてあった。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 12:22:46.41 ID:v3PUarFD
仕方ないことだけど、戦国ではやんちゃしてた連中が統一が進むにつれ自重しまくるんだよな
暴走族がだんだんサラリーマン化してくるというか



関連
前田利家『睾丸の銀薄』・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1400.html

前田親子・宇治川の堤防普請で

2011年02月27日 00:00

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 17:11:16.96 ID:y+WGegrb
武将親子シリーズ、前田利家と利長


前田利家・利長親子が豊臣秀吉により、伏見城下、宇治川の堤防の普請を命ぜられたときの
ことである。前田利家は『この宇治川の堤防普請は末代までの聞こえとなる!』と大いに満足し
張り切っていたそうだ。

さて、前田家は堤防作りのため土俵を積むのだが、この時利家の方の家中では
あらかじめ集めておいた土俵が少なく、必要最低限しかなかったらしい。
利家のところだけにその辺もケチッたか?w

と、その日の暮方、急に川の水位が上がり始めた。
このままでは土俵を越えて水が溢れ、それまで二日間の工事を台無しにしてしまう!
利家は土俵を次々と積ませた。が、用意していた土俵が少なかったためたちまち底を付き
しかたなく利長のところの土俵まで取って行こうとした。

だがここに利長の家臣たちが立ちふさがる。
「この土俵は我らの方で使う物!勝手に取っていかれては困る!」

考えて見れば利家のところで水位が上がっているということは、利長の担当箇所でも
当然水位は上がっており、土俵が緊急に必要となっているのだ。たとえ利家のところより
余裕があったにしても、簡単に渡せるものではないのである。

が、これに前田利家は激怒。
「お前たちが邪魔をするか!コラー!」と
持っていた杖を振り回しながら土俵の引渡しを拒否した利長の家臣たちを追い回したという。

この事件により利家と利長は何かにつけ対立し合うように成り、両者の家臣たちも
甚だ困り果て、最終的にこのことを聞いた秀吉が出向いて両者を和解させる、という
事にまでなった。


利家利長親子、土俵で喧嘩する、と言うお話。

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 17:17:47.63 ID:PZ0gVOte
末代までの聞こえになるってんなら、状況に対応できるように多めに用意しとけばいいのに、ホントケチだなあ。

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 19:03:11.76 ID:6nNecO4J
ここぞで金使う人だったらと思うと…
もったいない

7 名前: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/02/26(土) 19:08:05.94 ID:1ebSlbHp
太っ腹な戦国武将って派手にばらまいた秀吉くらいじゃないか?

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:05:56.86 ID:KAK0TCIo
いたとしても、秀吉以外は滅びちゃったんだろうな・・・

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:16:28.85 ID:9WtKwsl3
秀吉が太っ腹になったのは天下とってからだな。
織田の武将やってたころは、下の連中から知行が少ないとストライキ未遂まで
起こされてる

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:17:27.08 ID:qd3bTeLU
土俵が足りなかったのもケチったからだなw

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 20:25:21.31 ID:6nNecO4J
いや、使うべき時に必要な分だけ(不測の事態も考慮した分)使えれば的な意味で言っただけで大盤振る舞いとは言ってないよ。もちろん金があればの話ね
実際金はあった訳だし

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 21:18:57.53 ID:3388sTKJ
>>4
ttp://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771449/104

↑が元ネタだと思うけど、「史籍集覧」所蔵版には「土俵は少なく寄せ候内に」の一文はなく、
「…御満足にて御家中に當土俵集候へば其日暮方に水出来明日は此体に候はば二日の普請を流候…」
となってる。
(もちろん、「利家のところだけにその辺もケチッたか?」なんて↑にも書いてない。)

だいたい、そのすぐ後に書かれてる利家が自分でもっこ担いで土俵運んだ話や、秀吉の仲裁の内容とか
同じ「利家夜話」にある伏見川の普請で大釜をいくつも置いて粥を炊いて人足がいつでも腹の足しに
できるようにした話を紹介しないとか

利家ファンからすると、安易にケチネタで貶めたり揶揄したりしてるように感じる。

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 21:27:16.76 ID:Xj1CSWd5
半端じゃないケチだからこそ、悪名とは言え後世に名を残せたんだと思うべきかもしれない

前田利家、妨害される

2011年01月19日 00:00

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/18(火) 00:54:44 ID:lClk80Z4
ええ、毎度おなじみ『利家夜話』より、他の資料には見えない秀次処分の後のちょっとした騒動。

文禄4年(1595)の秀次事件。この処分に一応の決着が見られると、豊臣秀吉は近習たちに
こんな事を言い出した

「秀次がいなくなった以上、この上は大納言(前田利家)が秀頼の御守りであり、わしに何かあれば
秀頼のことは彼に頼らねばならぬ。そこで、秀次の領地であった美濃、尾張、伊勢を、大納言に
任せようと考えている!」

この言葉に驚いたのは秀吉の奉行、石田三成増田長盛である。彼らはこのころ、前田利家とは関係が
非常に悪かった。そのためこの土頭ども(罵倒の言葉であろう。『頭に土が詰まっている連中』とでもいう意味か?)
が言うには(此土頭共申上候は)

「御意、誠にごもっともだと思います。
ですが、大納言殿は現在の武将の中でも無双の武辺者であり、なおかつ、しばしば腹を立てられる人でも
あります。
万一、大納言殿が上様に対しなにか気に入らないことがあった場合、その様な要地を手にしていれば、
その日のうちにも謀反をすることでしょう。

時に秀次様の伏見の御屋形は現在、番人を置いてそのままにしてあります。
大納言殿にはこの御屋形と、越中新川郡をご加増することで、上様のお気持ちは充分に伝わると思います。」

そう言われて秀吉も考えを変え、石田、増田の二人が言う通りにした。


さて、屋形拝領と加増のことを使者が伝えると、前田利家は忝くこれを受け、早速秀次の旧伏見屋形へと入った。
前田家の者たち、内部を見て大いに驚いた、座敷からトイレにいたるまで、黄金でで覆いつくされているのだ。
これに利家は

「この屋形の様子を見るに、さても関白(秀次)殿には、大それた望みなど無かったと思われる。謀反などというのは
どうやら嘘偽りであったのだろう。
わしらは子孫までも望みを持つ。このような座敷は必要ない!」

と、豪華な黄金の間を取り壊させた。これはすなわち、利家は天下に望みを持っているということであり、
石田、増田の警戒は正しかったんじゃないか?とも思うが、ともかくそんな事をしていると、秀吉が大国を
利家に与えようとしたのを石田、増田が邪魔をした、という情報が入り前田家中大いに怒る。
これにより利家と石田三成増田長盛との関係は一層冷却化した。

そして利家と奉行の関係悪化は、この後またややこしい事態を起こすのだが、その話はまた後日。

前田利家、美濃尾張伊勢所有を妨害される、と言うお話。




433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/18(火) 01:48:25 ID:jM64WJZi
天下を取るには金がかかる、蓄財に励まなかったとは、天下を望んでいなかった証拠だ!
という論法ですね。

うん、それは正しい。でもさ、使うべき所には使わなきゃ、天下なんて取れないんだよ、
又左さん。(^^;

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/18(火) 06:20:18 ID:ka5sZIIR
死ぬときの「貸した金は催促するな」って遺言を考えると、貯めた金を貸し付けることでいろんな人に恩を売ってたんじゃないかと思うんだがな。
石田とかが借金の口利きして、金貸しからリベート受け取ったせいで金借りた奴から恨まれたのを考えるとスマートな人心掌握だと思う。

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/18(火) 18:34:14 ID:3bu63EbZ
小野和泉「べ、べつに、あんたのためにお金を貯めたんじゃないんだからね。
     天下を取りたかっただけだよ。勘違いしないでよね。」

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/18(火) 18:56:57 ID:BIGOX6KN
小野さんはいい人だよね



後日談
増田長盛、三成に怒る

前田利家、同名字政策に

2011年01月14日 00:00

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/13(木) 18:31:12 ID:weg6o8aZ
最近評判の芳しくない前田利家公のいい話

ある時、蒲生氏郷浅野長政がその家来17、8人を一度に同名(同じ名字)に
したことがあった。
これを聞いた前田利家

「人というものが、手柄を立てたい、よく奉公し身代を増やしたいと思うのは、
ひとえに『我が名字を打ち立てたい!』と念願する故なのだ。

それなのにあの者たちは、家中のものを多く同名にした。
天下を取られた秀吉公の真似をしているのだろうが、これは全く無用のことだ。

総じて一家一類というものは格別、大切なものである。
仮に我が家において同名にするとすれば、村井豊後、高畠石見、青山佐渡、
奥村伊代、篠原出羽…、といった面々であろうか。彼らは多くの忠節もあり縁も深い
者たちである。

だがわしは彼ら自身の為をもって、そのように同名字にするような事は決して無い。」


『量産型蒲生』などで有名な同名字政策ですが、その当時既にこういった批判も
あったことが伺える、前田利家による同名字否定のおはなし。




前田利家『陰にて御笑ひなされ候』

2011年01月06日 00:00

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/04(火) 21:22:26 ID:bdiAfRl+
ではそんな利家さん関係で

前田利家豊臣秀吉の関東征伐の時、秀吉の機嫌を甚だ損ね(秀吉に無断で
無血開城したことが原因らしい)、大変立場が悪くなった。

こうなると利家が日ごろ出入りを許し目をかけていた者たちも一気に敵となり
利家を非難しはじめ、秀吉の前であからさまに利家の悪口をいうものも多かった。
利家の軍勢は1万を超えていたのに

「前田殿のご人数は4,5千といったところだそうです」

などと過小に伝えたりもされたそうだ。(つまり軍役をきちんと果たしていない、ということか)

木村常陸介重茲などは利家と兄弟のように親しくしていたのに、そんな彼でさえ
八王子城攻めの頃は利家のことを秀吉に悪し様に報告していたそうだ。
こんな中でも蒲生氏郷浅野長政などは秀吉に向かって利家を弁護したと言う。


さて、そんな利家が秀吉との関係を修復し、再び重用されるようになると、
利家の京伏見の屋敷には、利家と関係を結びたい人々により門前市をなすという活況となった。
このころ利家は、前に自分に対して悪し様に言った連中を陰で笑っていたそうである。

(ホントにそう書いてある。『前廉支へ口を仕候衆を、陰にて御笑ひなされ候』(村井勘十郎覚書))

利家さんの生涯に何度かあったうち、最後の方の浮沈のお話。




120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/04(火) 21:24:21 ID:KCzVLr07
ありなんありなん

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/04(火) 22:32:45 ID:dquYRhtL
日本一の藩の祖のわりに大物という気が全くしない犬千代さんだけど
幕末まで大藩を保った前田家はもっと評価されていいと思う。
内ゲバ起こして潰れた家もごろごろあるわけだし。

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/04(火) 23:20:38 ID:1TsHjgBe
関ヶ原と幕末は何をしてたんだ…って感じだけどなw
逆に、そう家だからこそ100万石を保てたんだろうけど~

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/05(水) 00:46:00 ID:TNPjoUr9
幕末の加賀藩だってこんな活躍してるんだぞ
・現在の東大赤門を建てる
・禁門の変で負ける
・アップルジャムをつくる


124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/05(水) 01:53:53 ID:FeY8/ESH
>>121
母親を徳川の人質に送ったり、鼻毛伸ばしてバカ殿装ったりいろいろ苦労してます

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/05(水) 07:56:17 ID:ocM7vvGm
前田家の家訓は「絶対服従」だからな

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/05(水) 08:18:57 ID:OwE9n3On
前田家の家訓「一番よりもナンバー2」

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/05(水) 08:45:11 ID:U+fECar9
>>122
幕末は勤王派の跡継ぎと重臣を粛清して、佐幕派で藩内を統一したと思ったら、第二次長州征伐で幕軍が負けて、
勤王派に鞍替えしなきゃと大慌て。
藩内政治に右往左往している間にいろいろ乗り遅れた。
対外的には何もしてないけど、藩内は大流血してる。

前田利家流、新入社員への心得(?)

2011年01月04日 00:00

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/03(月) 16:23:35 ID:YjbfaFUK
前田利家は新たに近習として出仕した者に対しては必ず、このようなことを話したそうだ

「わしが信長公にご奉公に出たのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿の跡目を継ぐこととなり、
合計で1450貫となった。

その後越前府中3万3千3百石を下され、能登一国を下され、
さらにその後秀吉公から加賀の石川郡、河北郡を下され、さらに越中も我らが手により
切り取りにした。

このようにわしは若い頃から色々と骨を折り、主君から引き上げていただき、今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」

前田利家流新入社員への心得(?)というような逸話である。





99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/03(月) 18:38:32 ID:IVtnMDmk
利家の場合は全て自慢だからな

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/03(月) 23:28:45 ID:SOr+bBPG
爺臭くて親しみのあるいい話しだと思うけどなあ
[ 続きを読む ]

若き日の前田利家

2010年12月18日 00:01

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 15:08:42 ID:pq4m/SiT
前田利家は又左衛門と呼ばれた若い頃、非常に気が強く軽率であり、又大変な喧嘩好きであったため、
人々は恐れ、関わり合いを避けていたらしい。

彼の持槍は「又左衛門槍」と呼ばれ、人々は遠くにその槍の頭を見つけると

「ここに又左衛門が来るぞーーーーー!!!」

と叫んで皆家の中に駆け込むほど、彼を恐れたのだそうだ。
この事は後年、利家自身が家臣たちに(多分自慢気に)語ったことだそうである。


質の悪い不良以外の何者でもない、前田利家の若い頃のおはなし。




66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 15:33:48 ID:XRQ7rnC9
>>65
現代に生まれてたらヤクザか暴走族だったかもしれんね

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 15:45:15 ID:fjyTEnM6
戦国時代がヤクザの抗争みたいなものだよね

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 15:54:26 ID:SfPGvf3M
どっかの河原者みたいな奴だな

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 18:33:20 ID:zkcF8vy5
ヤクザや暴走族なんて、戦国時代ならただの足軽だろ。

前田利家はその地を支配する織田家に仕える身(ついでに穴を貸す間柄)だ。
現代なら中国共産党幹部のドラ息子の取り巻きに相当する。
共産党から睨まれない限りは、人を殺そうが小学校の女子児童を丸ごと奴隷にしてもお咎めなしだ。

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 19:21:22 ID:e0Lb+jer
>人を殺そうが小学校の女子児童を丸ごと奴隷にしてもお咎めなし
人を殺して浪人してますがな
女子児童と結婚したりはしてるけどw

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 22:50:56 ID:703RqAdj
>>69
ヤクザってのは要するに広域暴力団桜田門組にもなれないような半端物が落ちぶれる場所のことだしな。

前田利家、呪詛を語る

2010年12月06日 00:02

643 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/04(土) 22:30:27 ID:KGfwYQp6
前田利家は常々、「呪詛とかしないほうがいいぞ。意味ないから。」と言っていたそうだ。
その理由はこうである。

利家が織田信長からの命で前田の家督を継ぎ、荒子の所領を兄である蔵人から
引き渡されたとき、兄の内室は大変に怒り憤り、屋敷の中に様々な呪いごとをして、
さらにそれが外に逃げないよう障子屏風まで完全に封じさせた上で、屋敷より出たのだそうだ。

ところが

「わしはその兄嫁の呪いのかかった屋敷に入ってから吉事ばかりが起こり、
大いに出世もした。
これから考えるにつまり、人を呪うという事は全く効果がない、やっても意味のない行為
だと言うことだ。」

前田利家、その実体験から来る呪詛否定のお話。




644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 22:39:50 ID:bNPXX6Xd
八王子城の亡霊たち「この恨みはらさでおくべきか~」
なるほど、マイナスかけるマイナスで加賀百万石が生まれたのか

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 22:56:50 ID:vwG03Fzt
>>643
うわ、戦国時代にはありえないぐらいの合理的考えの持ち主なんだな。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 22:56:55 ID:uBcVPQAM
最終的には呪いが効かないって事かもしれんけど、
一度は小姓斬って出奔してるんだから効いてることは効いてるんじゃないの
幸運の神様、超時空太閤大明神の御加護かもしれんけどさ

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:00:04 ID:EHSEBM/L
小姓斬って出奔したのは家督を継ぐよりも結構前のことだぞ

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:01:42 ID:hO55I8B1
まあ恩人を裏切っても攻め殺しても、上司の覚えのために必要以上の虐殺しても
高いびきかいて寝られるくらいの神経の持ち主じゃないと戦国時代渡っていけないよね。

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:04:01 ID:bNPXX6Xd
前田慶次「呪いより水風呂のほうが効いたみたいだな」

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:09:28 ID:RI3Pno6G
くたばる時に、「現世での殺劫をさんざん犯してるんですから、せめて経帷子でも着てください」と言われて
「儂は恥じるようなことは何一つしておらん。それでも閻魔が咎めるんなら一戦するまでだ」と断った人だからなー。
ある意味、信長以上の自分本位・合理主義者だよね。

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:17:57 ID:4tyj8BWl
俺もネットで散々しねと言われたけど現に生きてるしなあ
あと神社から「あなたの呪い人形が境内から見つかったんですけど…」とか連絡あったけどなにも起きなかったしなあ

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/04(土) 23:50:15 ID:EvSV1/mR
>>651
そんなん教えられても困るwww>呪い人形
まあ呪いの舞台になるって、その神社が身近な人からすると相当頭来ることらしいから
名前がわかった>>651に犯人をどうにかしろよって言いたかったのかもねw
丑の刻参りとか、冷静に考えると「呪いとか信じてる変な格好した人が釘とトンカチ持って
夜中にウチ(の近く)に来る」って状況なわけで、普通に怖いわー

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 00:43:45 ID:3VWj0m99
ネットでもリアルでも呪われる>>651と知り合いになりたくはないがな

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 05:49:09 ID:saMqIsOh
利家「いや、呪詛するには験者を雇わなくちゃならんから金かかるし」

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 07:28:52 ID:faWDD5c8
>>648
そんな人が論語を愛読してたのね・・・

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 07:42:25 ID:7qRpPDRb
むしろ利家以外の連中が大金をつぎこんで
験者読んで呪詛とか盛大にしてたかと思うと…

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 07:47:08 ID:+KewGARF
「わざと呪わせるようにして
修験者から税金とれば儲かるな」

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 08:00:51 ID:Nzo3QupK
>>651はきっと各地を荒らしまわった鬼武蔵に違いない。

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 11:20:34 ID:SH1J2ONJ
>>651
安心するのは早いな
呪い人形は儀式期間中に誰かに知られた時点で無効になる
だから何も起きないのは当然
呪い人形が牛の刻参りと呼ばれる由縁は
人に見つかりにくい時間帯に儀式を行わざるえなかったから
とりあえず>>651は酒癖の悪さをなおそうな

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 12:51:18 ID:PxGNlk6p
651「大仏焼いてもバチあたらなかったよ」
651「妊娠した同級生と別れようとして100万回くらいしねと言われたけどいきてるよ」

662 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/05(日) 12:52:47 ID:oKbsD39j
>>660
なーんだ、>>651は自称将来人間国宝になる人間か

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/05(日) 12:57:30 ID:wI9n7Cvn
大仏焼いたといえば、松永久秀が奈良の大仏殿を焼いたとき

『大仏も焼けた 狂えただ 遊べただ 浮世に不定の身を以て』

という、実に刹那的で末世的な小唄が流行ったそうな。

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 15:49:49 ID:YdtZNPb+
呪いというのは効くのがのろいもんだ

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 15:59:25 ID:eM2psqAH
戦国時代でもゲン担ぎは結構やってたと思うんだけど都合の悪いことはスルーってことなのかな?
女性の陰毛をお守りにするのってこの時代にはまだなかったんだろうか
情を通じた相手じゃなきゃダメとか処女じゃなきゃ効かないとかいろんな話を聞くけど


669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:15:48 ID:bgzH12Ex
オレもノロイルスに感染したようだ

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:25:56 ID:b45c+zNm
>>667
日露戦争に際して、ロシアのギリシア正教会は全土の教会で
日本へ神罰が下るよう、全力で神に祈った。
しかし何も起こることなくロシアは敗北。
18年後、関東大震災が発生。
このことから、ロシアの物理学者カピッツァはこう結論した。
「神は、我々から9光年以内にいる」

お祈りして神に届くのに約9年、
神の怒りが地球に到着するのに約9年。
神の御意志も光速は越えられないらしい


672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:32:14 ID:dbhZkW9k
>>667
田中啓文「蹴りたい田中」という本でまんまそのネタが(スサノオの呪いが光速を越える、というSF)
>>671
爆弾正が大仏を焼き討ち?したのが永禄10年(1567年)10月10日
自爆したのが天正5年(1577年)10月10日
「仏は、我々から5光年以内にいる」

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:33:07 ID:FSD/GZSR
>>664
ちなみに利家もその歌大好きだったらしいぞ

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:38:46 ID:5/cEH2xX
>>671
人の祈りと神の力を同じ速度と考えるとは、なんという不信心者

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:49:07 ID:Fa/WUKp1
>>674
関東大震災の時は既にソヴィエト成立後だからな。
むしろ無神論者が滑稽ジョークとして言ったんだろう。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 20:57:56 ID:V8xgvBwI
高野山のルーズベルト呪殺の方が効果顕れるのが早かったなw

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 21:14:41 ID:k6DezwAU
朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと効きまくりじゃなかよ・・。

そろそろ呪縛解いておかんとやばいぞ・・。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 22:14:30 ID:QmaC/P0W
>>667
>>669

 ONMSS殿ではなくニューカマー富田長繁どのがそちらへ向かっておりますぞ

前田利家、頬被りの侍に

2010年12月04日 00:00

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 19:42:07 ID:gsiYezwB
ある時、大納言前田利家が20日ばかり大阪城に詰め、太閤秀吉よりようやくお暇をいただき、
日暮れの道を伏見へと向かっていた。

この時利家は大変機嫌が良く、乗り物の輿の両側を開き、またお供の者たちも全員馬から降り、
色々と物語しながら道を進んだ。そのうちに森口と牧方の中間くらいに至った頃である。

前の方から騎馬の侍が来た。
年の頃四十ばかり、鹿毛の馬に乗り槍一本持ち、供の者を4,5人連れて顔には頬被りをしていた。
そんな一団が利家たちとすれ違おうとした。それを見た利家、突然

「頬被りはご法度ではないか!あいつを馬から引きずり下ろせ!」

と言い放った。
これに前田家のお供の者たち、すぐさまその頬被りの侍に一斉に飛びかかり、相手を馬から引きずり下ろした上
頬被りを取り上げた。頬被りをしていた男はこの突然の乱暴におおいに驚いたが、相手が大納言前田利家と知ると
何もすることも出来ず、ただただ迷惑の体であったという。
後で解ったことには、この時の侍は安芸毛利家の家中の者であったそうだ。

伏見に帰った利家からこの事を聞いた近習や家老の面々は大いに面白がり

「殿もまだまだ気持ちがお若いですなあ」

などと物語したそうである。


前田利家、頬被りの侍にお仕置きする。というお話。




848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 20:27:19 ID:/Mk2wI8x
大谷吉継だったらどうすんだ

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 20:34:48 ID:6LCsIKdn
吉継なら馬じゃなく輿に乗ってるんじゃね

大野治長らによる前田利家と徳川家康の比較

2010年12月03日 00:00

598 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/01(水) 23:46:38 ID:W8jMBJ/G
ある時、大野治長蒔田広定などが、大納言前田利家の前に出て色々と物語をしているとき、
こんなことを言った。

「大納言様は内府様(徳川家康)に対して、その官位も支配する国の数も劣っております。
ですが御城(大阪城か?)において人々の言うことには、『利家様は内府様より五層倍は強い』と
されています。

その理由は第一に、利家様ご本人が無双の武辺者であること。
次に利家様が、太閤殿下の覚えが大変めでたいこと。
さらに浅野幸長、有馬法印、徳山五兵衛、斉藤刑部、村井豊後、奥村伊代といった、有力な
与力大名や有能な家臣を持たれていることです。

我々のようなものでも登城するとき、内府様と同行するのと大納言様と同行するのでは、
気持ちのあり方が全く違います。
利家様のお供をするときは気分も良く、我々まで心が清められたかのようになります。」


以上『利家夜話』より、大野治長らによる前田利家徳川家康の比較。

利家がこの歯の浮くようなおべんちゃらをどう聞いたのかは書かれておらず、
想像するより他にない。
だが前田家としては、記録するに価する出来事だった模様であるw




620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 00:14:52 ID:6qh5rOk3
>>598むしろ悪い話スレむきなんじゃw

無双かどうかは兎も角、内府だって相当の武辺者だからなー
刀も槍も、馬術に水練・・・ 算盤はとっしーのが上で間違いないだろけど

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 01:05:33 ID:MtOgbT0w
>>620
そもそも利家夜話以外で利家を家康より上だとか天下無双だとか褒めてるのってあるのか?
槍の又左ってのは聞くけどその武篇話は聞いたことないな~。忠興とかの方が……

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 01:19:12 ID:/hgrEFV6
病的な家康嫌いが徳川家や家康を貶めるために前田をヨイショする例は昔からあるな
最近だとゴミみたいな新書沢山出してる八幡和郎なんか典型
史料は・・・前田家のものしかないと思うがw

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 01:30:08 ID:/YE+SeQC
>>620

集めて使いどころ無し、まつにまで罵られるあり様の利家より
莫大な金を集めつつもそれをいざとい言うときに使える家康の方が・・・
やっぱり利家って小物臭が漂うなw

626 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/03(金) 07:08:51 ID:oY+hcrgD
>>624
小物と言うより周りが大物過ぎて「名脇役」にしかなれなかった
と思う。
社長が信長、同僚に秀吉と光秀、ライバル企業の社長が家康って…
これで抜きん出た業績上げろって言われても常人なら無理ゲーの域。
しかも一度クビになった社員だぜ?生え抜きのエリート社員から脱落
して、ニートから這い上がった偉人だよ。


628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/03(金) 16:48:36 ID:BurMyOpx
まあ大納言に成ったってのは凄いことだな

豊臣秀次、前田利家の褒め言葉に歓喜

2010年12月02日 00:00

572 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/01(水) 00:31:38 ID:W8jMBJ/G
伏見において、太閤秀吉、関白秀次、内大臣徳川家康、大納言前田利家といった錚々たる面々の立ち会う
能が催された。
この時関白秀次が、楽屋にて腰のものを差したまま見物をしていた。

これを見た前田利家
「常に刀を差して油断をしていない。実に若い人に似合いの振る舞いである!
太閤殿下の躾が宜しいのであろうから、このことお伝え致そう。」
などと、大いに褒めた。

この言葉は直ぐに秀次の耳に入り、家臣の猪子内匠に

『大納言が、私の意図に気が付いてくれた!何と喜ばしいことだろうか。
今日本中の大名に気付かれるよりも、大納言一人に気付かれる方がずっと嬉しい。」

と話した。この発言は後で猪子内匠が前田利長と共に利家の元へと参り、伝えられた。
これを聞いた利家、大いに機嫌を良くしたそうだ。

秀次がこのように喜んだのは、当時武道において前田利家に肩を並べるほどのものは
天下にいなかったためだ、とのことである。

以上『利家夜話』より、豊臣秀次前田利家の褒め言葉に歓喜する、と言うお話。


…まあ『利家夜話』は全編にわたって恥ずかしげもなくこんな話ばっかり収録されている、胸焼けがするほどの
前田利家賞賛冊子なんですけどねw





575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/01(水) 00:39:32 ID:AOLyrRpX
>>572
武道というか、利家程の権勢を誇る人間は少ないからじゃないかなぁとは思わないでもないなw

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/01(水) 00:42:22 ID:KcDCf50K
犬千代って小物臭がすごいんだけどどうしてだろう?

家康と互角といわれてもぜんぜんピンとこない・・・



577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/01(水) 00:43:14 ID:lcp+Cgnq
マタザえもんは槍働きのひとですからねい

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/01(水) 01:21:32 ID:oMSjmJX/
その槍働きってのも内実がかなりショボいっていうか・・・
まあ数名の首を取っただけで大名まで出生し、自分は爺さんになるまで生きてたのだからすごい勝ち組だよね。
これほど運がよかった人も珍しいな。他には一豊くらいか?

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/01(水) 01:46:12 ID:H3JfxBaP
>>578
利家は算盤を使いこなすインテリだったりと内政の方もすごい

前田利家、子供の教育について

2010年11月20日 00:01

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 21:55:14 ID:tFJEiQGt
前田玄以の嫡男は前田左近将監秀以といったが、この秀以の素行甚だ悪く、
親子は仲違いをした上、秀以は出奔し伊勢の朝熊山にて頭を剃って流浪した。

色々とこの親子の和解をさせようとした動きはあったものの。前田玄以がそれらを全く受け付けず、
ついにはこの親子不仲の事、豊臣秀吉の耳にまで入ってしまった。

これを聞いた前田利家は、このように評した。

「徳善院(玄以)は今の世の中に置いて分別者であると褒め讃えられているが、
彼の分別は間違ったものだ。

わしの息子である肥前守(利長)は若い頃、諸事素行について、それはもうわしの気に入らぬことが
多かったものさ。

しかしあいつを安土に置いた頃、わしは越前府中にあったが、そこから村井豊後、
近藤善右衛門、木村三蔵、小塚藤右衛門といった者達をみんな安土の肥前守の元に遣わし
行儀などを大いに教育させた。
また肥前守の語る言葉も、きちんとしたことを語るよういちいち気を使わせた。

そのため世間の評判も高くなり、信長様の婿として選ばれるほどとなった。
これは全て、我らの教育の結果である。

父が子をそのように悪く育て、親子仲違いし主君の耳にも入る、などと言う恥ずべき事態に
至ったのは、これはひとえに徳善院が無分別であったためである。」

この利家の言葉に周りの者達、何れもご尤もな事だと感じ入ったそうである。


前田利家の、子供の教育についてのお話。




658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 22:20:02 ID:M5w3jjEn
教育の甲斐有ってティンコ丸出しできる漢になりました

659 名前:鬼武蔵[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 23:13:30 ID:VBtVPcfr
ヒャッハァーしないとな

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/18(木) 23:56:43 ID:TO1NLHvm
某「腰抜けが何をぬかすか」

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 01:30:53 ID:W229jPBS
>>660
宗茂はスバっときりますな

戦国ちょっとミステリー 前田家を覆う霧

2010年10月22日 00:00

905 名前:戦国ちょっとミステリー 1/2[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:23:14 ID:jyp+4LOp
前田家を覆う霧

太閤秀吉が方広寺の大仏を参拝した帰り道、直訴に及んだ男がいた。直訴状には、驚くべき事が書いてあった。

『 加賀大納言に、謀反の用意あり 』

確かに大納言・前田利家は、体調不良と称して今回の参拝への同行を辞退していた。
しかし訴状を見た秀吉は、
「この悪党め!わしが死ねば最も涙を流してくれるであろう大納言に、何を申す!?こやつを前田家に渡せ!!」
と言って訴えた男を捕らえさせ、前田家に引き渡した。

前田家では、男を厳しく尋問した。
「誰に言われて太閤様に、こんな嘘を申し上げたのじゃ?有り体に申せ!」
「う、嘘ではない。昨夜、五条の橋を通りかかったら、四、五人のお歴々が大納言謀反の話をしておったのじゃ・・・」
「フン!ならば、その『お歴々』とやらは誰だったのだ?『お歴々』と分かったからには、知った顔もあったのだろう?」
「・・・・・・」
「見よ!出まかせではないか。えぇい、本当のことを吐け!吐かぬか!!」男は沈黙を保ち、獄死した。

翌日、利家が登城すると秀吉は、
「すまぬ。お主に秀頼の傅役など頼んだために、こんな企みを起こす者も出る。よくよく事実を糾明されよ。」
と、涙ながらに語った。
これを受け、前田家は捜査の手を広げたが、事実は杳として掴めなかった。

906 名前:戦国ちょっとミステリー 2/2[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:25:19 ID:jyp+4LOp
その後めっきり体の衰えを感じた利家は、出羽最上家に出入りしているという鍼師の伊白を呼び寄せ、治療を受けた。
治療を受けたばかりの頃は「体調が良い」と感じたが、一ヶ月ほど過ぎると、薄墨色の小便(血尿?)が出た。

回復しているとは思えぬ症状について伊白に問い質したところ、
「それは寄生虫が下っておる証拠。あと百日も経てば、ご本復されましょう。」という話だった。

これを聞いて喜んだ前田家中だったが、利家が草津での湯治から帰る頃、再び伊白に使いを出した。
「おい、あれからかなり経つが、殿は未だ薄墨色の小便が出るそうだ。どういう事だ?」
「ふむ、何ともお答えしかねますな。」

たまりかねた前田家家老・村井長頼は、密かに調べた結果を利家に報告した。
伊白は、“素性の分からぬ者”にござる。これ以上お近づけになり治療を受けるのは、いかがな物かと・・・」
「!・・・そうか、心得た。」
長頼の報告を聞いた利家は以後、二度と伊白を招かなかった。


・秀吉に訴えた男の言う事は本当か、嘘か。嘘だとすると、何者が仕組んだ事なのか。
・“素性の分からぬ者”伊白が、最上家への出入りを騙ってまで利家に近づいた目的は、何だったのか。
・権力者の機嫌を損ねた医師が罰を受ける話など、いくらでもあるのに、百万石の大大名に対して、伊白が
 誤診(?)について人を食ったような嘘や回答を繰り返したのは、なぜか。

・・・あるいは、前田家の追及を避ける手段ないし、庇護者があったのか。
二つの事件の“黒幕”について『利家夜話』は言及せず、利家の病状はさらに悪化し、慶長4年(1599)3月、死去した。




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:35:32 ID:HPscaNPu
方広寺の件が、家康の言いがかりじゃなかった説だと、どうしようもないことになるんでしょうか?

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:42:16 ID:KvxHmPsB
韓非子を読んだばかりの俺の推理によると黒幕は家康

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:48:41 ID:kfqu//k7
>>908
家康が秀長公に毒を盛ったという説もあるね

910 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/21(木) 21:51:46 ID:9/7kLdz2
>>909
秀吉が家康に毒を盛ったらミスってそれを秀長が飲んだ、という話もある。


911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 21:54:33 ID:KvxHmPsB
>>910
www

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:01:43 ID:YZ/vyeFE
>>907
つーかあの鐘、現存してるし
家康が真剣に呪詛だと思ってたら間違いなく鋳潰すでしょ

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:03:21 ID:9/7kLdz2
つーか「利家夜話」って、大藩の藩祖の割に地味な戦歴しかない前田利家
「実ははすごかったんだよ!!超大物だったんだよ!!」って褒め讃えて権威付けるために
後世編纂された読み物だからなあ。
かなり書きたい放題に書いちゃってる印象があるw

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:06:07 ID:9/7kLdz2
>>912
×呪詛
○非礼

方広寺の鐘銘が徳川家への呪詛の文言というのは俗説。
実際に問題になったのは家康の諱の無断使用。
諱を勝手に使うのはこの時代超弩級の無礼。
鐘銘を残したのはその無礼の間違えようのない証拠だから。

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:30:06 ID:TuSFo9a3
方広寺の梵鐘の件はこれ↓で触れられているな。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4115.html

梵鐘の銘文を起草した文英清韓が銘文を事前に幕府へ報告して吟味を仰げば
(銘文の件に限っては)回避できたかもね。

清韓と同じ五山僧から避諱をしなかったことを激しく攻撃されていることから、
五山派内における権力闘争の一面も垣間見える。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:30:13 ID:m26mTQG+
しかし名前に使われている漢字が禁止するって、唐土の皇帝じゃねーか。
家康はいつからそんなに神格化されたんだって、当時の人間なら思ったんじゃね?
まあなんか批判しとかないと五山も不味かったんだろうけどさ

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:34:45 ID:q9hKCRQo
>>916
諱に対する禁忌は中国だけじゃなくて東洋全体で厳しいんだよ。
諱の間に字を入れるとかファッキューと中指立てるようなモンだぞ?

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:36:51 ID:1E/WkLFx
ちゅうか、諱呼びの禁忌がなければ通称の発達はなかったでしょう。

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 22:42:57 ID:fmG5AzbJ
>>916
当時の日本人にとって「諱」を読ぶのは朝廷と主君、親と「敵」。
敵対した場合相手を貶める意味でわざと諱を使った。

秀頼は先の二条城会見で、少なくとも世間的には家康に臣従しており、
にもかかわらず家康の諱を勝手に使うということは、家康への臣従を破棄した、
と取られて当然の行為であり、普通の想像力ならこれは戦のきっかけになると
容易に判断できるような文面が、あの鐘銘文。

前田利家「不遇な時にこそ本当の友情が」

2010年09月24日 00:01

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:43:55 ID:ACI8jSm/
前田利家

不遇な時にこそ本当の友情がわかるものなのです。
私が信長様に罰せられた時、今までの友人が3つに分かれました。
一つはいい気味だと笑いに来るもの。
一つは私が逆恨みして謀反を起こさないか疑りに来るもの。
そして、もう一つが私のことを本当に心配してくれるもの。





194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:54:17 ID:h7LG5a4c
>>193
 笑いに来る   佐々(ばっかじゃねーの。たかが茶坊主に刀使うなんて、男は拳で決めるんだよ)
 疑りに来る   権六親父(若い奴は切れやすいから心配だわ)
 心配してくれる 猿(ねねがお松さん貸した米と味噌の代金が回収でけんと困る)

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:07:38 ID:NkrS4jxp
その場で成敗されそうなのをかばってもらい、浪人時代の面倒を見てもらい
再仕の口添えまでしてくれたのに、賤ヶ岳で裏切った悪い話ですね

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:08:02 ID:0MNVPklp
笑いに来る   前田慶次
疑りに来る    佐脇良之
心配してくれる 織田信長

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:31:16 ID:Paj2O7dd
>>193
この人北条攻めで秀吉の不興を買った時も同じこと言ったエピがあったような
笑いに来たのが加藤光泰か嘉明だった覚えが


198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:46:56 ID:SYuyIJCM
わざわざ笑いに来るやつってすげーなw
当時のメンタリティでは、そのまま斬り合いになっても全くおかしくないし、
相手の屋敷の中で笑ったりしたら殺してくださいって言ってるようなものじゃないかw

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 20:48:36 ID:xQeGZTHo
北条攻めの時に、嘉明が利家さんを笑いにきたとなるとかなりのものだろw

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 00:29:52 ID:CttbYzmK
嘉明さんなら多分利家を笑いものにしてる連中の脇で居眠りしてると思う

208 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/24(金) 13:17:23 ID:6dfSR/VS
利家もバカだよな。

茶坊主ごとき無茶苦茶に殴りまくって
逆らわないようにトラウマ作ってやれば良いのに、、、

政治的?なお話(上)草津温泉湯治中の前田利家

2010年07月14日 00:01

839 名前:政治的?なお話(上)[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 00:04:06 ID:0n7hfMaE
慶長3年(1598)4月、上野国は草津温泉で湯治中の前田利家のもとに、佐竹義宣がやって来た。
「関東へお越しなら、この義宣に声をかけてくれれば良いものを…」
「いやはや、申し訳ない。」
義宣は利家につきあって五日ばかり滞在し、喜んだ利家は吉光の刀を義宣に贈り、二人は別れた。

「行ったか。さて、あとは一人でゆっくり湯に…」
「拙者、徳川内府よりの使者にて、神谷善右衛門と申します。上州はからっ風と言って、風荒き土地。
お風邪を召されては大変、これをお納め下さい。」
善右衛門は小袖三十枚・夜着二枚・布団二枚を持参し、礼として利家は、新しく造らせた大脇差と道服数枚を授けた。

「関東では、我ら徳川の者に何でもお申し付けいただきたい。それでは…」
「行ったか。やっと一人でゆっくり…」
「堀秀治よりの使者にござる。越後へ国替えのご挨拶に参りました。これからは隣国同士、よろしくお願い致します。」
「…よろしく……」
堀家への返礼として、利家は小袖十三枚を贈った。

「行ったか。やっと一人で…」
「蒲生秀行よりの使者にござる。お家騒動にて改易もやむ無きところ、宇都宮十二万石への減封で済んだのは、
ひとえに大納言様のお力添えあっての事。厚く御礼申し上げます。」
「ヨ、ヨカッタネ……」
これまた蒲生家への返礼として、利家は小袖十枚を贈った。その後も、各家から使者が続々と詰め掛けた。



利家「…わ、わし…湯治に来たんだけどなあ…… (´・ω・`) 」
奥村永福「ま、きれいサッパリあきらめて下さい。」