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「曲淵討たすな!」

2018年09月10日 21:09

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/10(月) 17:51:10.78 ID:EDTskGAK
(天正壬午の乱の時)

北条氏直4万余の大軍が梶ヶ原まで迫り乙骨の徳川諸将は撤退を決した。一番は酒井(忠次)、二番は
大須賀(康高)、三番は石川(康通)、四番は大久保(忠世)、五番は本多(広孝)、六番は穴山、

七番は岡部(正綱)と定まった。ちょうどその折に甲州侍の早川弥惣右衛門(弥惣左衛門尉幸豊か)が
見舞いに来た。岡部正綱が「よくぞ来た。一手立て頼む」と言うと、早川は心得て勝沼郷に10人,

20人ほどずつをもって竹槍を使い大勢の伏兵がいるように見せかけた。また衣類を解いて旗のように
見せ、鉄砲少々を用意して北条勢に向かってこれを放った。北条方は伏兵がいるのではと怪しんだ。

こちらは時刻良しと7隊が段々と陣屋を焼き払って引き取った。北条勢はそれ追い掛けよと大軍が雲霞
の如く嵩にかかって敵を見下し、先を遮らんと競い進んだ。

味方は少しも騒がずに敵を嵩に見て、7隊一度に立ち止まり旗を立てて踏み堪えたため、敵はあぐねて
進みかねているところを、足軽を出して鉄砲を射ち掛けながら引き退き、10町ほど引いてはまた敵に

攻め掛かる風情で旗を立て直し踏み堪えた。北条勢がこれを見て少し挫けたところへ神君(徳川家康
は状況を聞こし召し、石川伯耆守数正を加勢に遣わされた。板垣(信方)の旧臣・曲淵庄左衛門吉景が

案内者となり地形を見定めて数正に備を立てさせた。そのうえ曲淵は北条の使番・山上郷右衛門顕将と
言葉を交わして槍を合わせた。伯耆守は「曲淵討たすな!」と命じ、石川勢が打って掛かれば、

氏直はこれを見て「敵は新手なり! 人数を引き上げよ!」と命じ戦を収めて若神子の方へ廻ったため、
味方は難無く新府へと引き返した。今日、忠次は先に引き取ったが、岡部正綱は後殿し、敵は5万に

近い大軍で味方は3千の人数をまったく7里の間に敵を引き付け、1人も手を負わずに引き取ったこと
は古今あるまじきこととして、後々までもこの6手の将を賞美したということである。

(原注:原書(三河後風土記)では、乙骨において双方大合戦があったように記すが誤りである。いま
武徳大成記・三河物語・柏崎物語に拠って改正する)

――『改正三河後風土記』


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「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」

2011年09月28日 22:02

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:13:57.52 ID:dUleUS2Q
時は三方ヶ原の戦いの直前。
徳川家康の家臣が、軍勢を率いて織田家の加勢のため近江に向かっていた。
ダガシカシ、武田信玄が迫っているとの報が届き、慌てて引き返した。
「信玄が来襲するまでに、すぐに浜松に帰らねば!」
と急く家臣たち。だが、軍勢を率いている武将が
「このちかくに浅岡さんっていう弓矢の名人がいてさー、一度行ってみたかったんだよね。」
「との、まさか・・・。」
「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」
マイペースである。おまけにその武将がその弓の名手浅岡に教わったのは弓ではなかった。
射掛けという弓の手袋の緒の正式な結び方を教わったのである。
いや、結べたら何でもええやんという周りの家臣のツッコミに、当人は

「もし、今度の合戦で討ち死にした時、射掛けが正式じゃなかったら哂われるやん。」

と答えたとか。彼は三方ヶ原でまっさきに戦端を開いた。
その男とは、徳川家のナンバー・ツーといっても過言ではない人、
西三河衆を率いる石川数正だった。




819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:27:59.12 ID:IArBNC1c
そうか数正さんはマイペースな人だったんか
つーかこれは良い話なのかwww

雑談・石川数正の寝返りについて

2010年09月27日 00:01

250 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 19:15:41 ID:BEdTIvEM
家康公は秀吉に
「高価な茶器は持ってないが、
命を投げ打つ家臣を宝物と思っている」
って言ってやったからなぁ。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:19:00 ID:F0OTWzHV
秀吉から高価な茶器を貰って
石川数正はさっさと寝返り

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:33:46 ID:hbg7prsO
高価な茶器をもらうより 安くても忠義貫くほうが美しい
めんどくさすぎて 傷ついてる人もいるけど
さんざん我侭言ったあと 家康公への思いは変わらないけど
みえてる(秀吉の)優しさに 時折負けそうになる

ここにあなた(家康公)が いないのが寂しいのじゃなくて
ここにあなた(家康公)が いないと思うことが寂しい
WowWow

でも負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと
徳川家に仕官するなら それが一番大事

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:38:50 ID:yjOvcgUs
>>252
この糞暇人がw
この歌はおっさんしかわからんだろwww

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:47:54 ID:5OJRKoap
忠義(あい)は勝つ

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:48:30 ID:TZGgvw9J
>>253
ヒットしたのが20年前だもんな~

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 21:26:18 ID:BJxN1NEL
>>251
石川数正の寝返りって結局なんだったんだろうね?
別にそれで豊臣側が大して有利になったわけでもないし、寝返ったことから嫌われてそうな石川家は
徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
山岡荘八の小説の「豊臣と徳川の架け橋になるために上方へ走った。家康も事情を理解していた」説が
意外と本当じゃないかと思う。

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:00:40 ID:bgI0snSh
石川数正の出奔は、戦国最大の謎の一つになってるね

司馬さんなんかは、数正は姑息で冷徹な家康のやり方に嫌気が差した、という解釈をしてる
ただ、この件に関しては司馬史観はあまり広がってないように思う

山岡さんは、数正が本多作左衛門と共謀して、徳川方の強硬論を抑えるためにやったと言っている

以前見た映画では、秀吉が欲しかったのは数正よりも、以前数正の与力だった服部半蔵であり、
数正が半蔵を連れずに出奔してしまったので、秀吉は大層がっかりした、というお話だった

資料がない分、歴史作家としては話を膨らませやすいんだろう

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:05:17 ID:ZqTZrxR+
秀吉さんは、徳川家臣団のだれでもよかったんじゃね?

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:11:57 ID:49NCz2C3
秀吉の義弟の浅野長政が家康と親密だったあたり、世に言うほど家康は、打倒豊臣な
陰険タヌキ親父一辺倒でもなかったんじゃ?

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:30:14 ID:OS0IU9ND
>>259
だって司馬遼太郎は家康大嫌いだものw

出奔まで数正は股肱の重臣として大活躍してたんだから
>>260みたいな意見はいくらなんでもかわいそうだ。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:35:14 ID:6lsQRuHN
>>258
>寝返ったことから嫌われてそうな石川家は徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
家成の系統のことを言ってんの?

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 22:59:56 ID:hbg7prsO
>>263
> 数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
それは数正の出奔に関わる話ではなく、数正嫡男の石川康長、次男の康勝、三男康次も
関ヶ原では東軍について大名として所領安堵されている。

後に二人とも大久保長安事件に巻き込まれて改易されているが、これは必ずしも
数正の息子だからではなく、康長の娘が長安の嫡男の嫁という、長安にあまりに近いポジションに
いたためだと思うぞ。
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石川数正の合戦論

2009年08月23日 00:18

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 22:23:30 ID:g/3JFsqI
石川数正は合戦になると常に、兵に先立ち前線に進み出でて、前線から
備に下知を出していた。

ある人が数正に、「司令官であるあなたが、兵士達よりも先に前線に出て合戦に望むのは、
大変危険で、良い事には思えません。」と忠告した。

これに数正は

「戦の法則を知らない人は、そのような疑問をもたれるのでしょうね。

おおよそ、軍というのは不思議なもので、足軽の競り合いの段階で、いち早く先を取らないと、
最後に勝ちを収めることが難しいのです。
一段の備が破れてから、二段、三段の備で盛り返して勝ちを収めるという事は、
実際には殆どありえません。

それゆえに、一段の備の様子、敵に対して先を取る方策を見切った上で下知しなくては、
うかつに勝敗を決することは出来ないのです。

そういう判断をし下知を下す権限のある将官は、その軍がどれほど人が多くても、大将の下に
一人か二人ほどしかいません。そして私はそういう権限を預けられています。

私が常に先立って前線に出て、状況の見切りをし備に指令を出すのは、このような理由
からなのです。」


そんな、石川数正の合戦論のお話。





649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 22:36:56 ID:qbyvwts2
>>648
いままでそんなに数正のこと知らなかったから少し印象変わったわ