成田甲斐姫、真書太閤記より

2011年01月27日 00:00

甲斐姫   
535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 14:51:44 ID:hfRjro5C
成田甲斐姫の活躍については
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-451.html
をみてくれい。

ともかく、甲斐姫は秀吉の側室となり、成田家は下野烏山に移封となった。
しかしそれについて真書太閤記には

『ひとりの妖女、一、二寝の間に三万石の地を進退す。
秀吉薨じて墳土乾かざるに、たちまちにして乱起これども、重恩の諸将これに死をいたすものなきゆえん』
とある。

つまり豊臣恩顧の諸将が「やってらんねーぜ」と、見切りをつけてしまったというのだ。
1行目-2行目のつながりが強引過ぎるとおもうが、真書太閤記の作者栗原柳庵は不快に思ったらしい。

あ、この本江戸後期のものか。




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成田の女の血

2010年05月14日 00:01

甲斐姫   
710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 16:45:30 ID:It/j1a14

上州で下克上を成し遂げた金山城主、由良成繁。
この成繁の妻もまた、剛毅な女丈夫であったと伝えられる。

「夫の死後、二人の息子が北条に監禁される中、由良軍を率いて徹底抗戦」
「その奮戦の前に佐野宗綱討死」
「関東仕置きで二人の息子が北条に従うのを尻目に孫を連れて上方軍に従軍」
「その功で息子達も助命」

とまぁ、既に紹介されているエピソードなので駆け足で。


そしてもう一人妙印尼の孫に、関東仕置きの際に天下に名を残した人物がいる。
その人物とは……
「18歳の時、ラスボスの関東仕置きの際に初陣。」
「東北の地で反乱平定に功があり、以後は京都、大阪で生活する。」
「大阪の陣では秀頼の娘を連れて敵中突破。無事に城外へ逃がすコトに成功。」
「夏の陣が終わった後、出家して余生を過ごした。」

皆さん、コレで誰の名前を思い浮かべただろう。
実はコレ、女性である。
そう、武州忍城主、成田氏長の娘、甲斐姫のコトだ。

氏長の最初の妻であった甲斐姫の実母は由良成繁と妙印尼の娘。
甲斐姫の武勇は妙印尼譲りだったのである。


そして更に、この系譜にはもう一人の烈女がいる。

実はあまり知られていない話であるが秀頼の娘、天秀尼の母親は成田一門の娘であ
る。
甲斐姫が侍女として大阪に連れて行った娘が秀頼のお手つきになったらしい。
その為か、甲斐姫は大阪の陣の際、そしてその後も、天秀尼やその母と行動を共に
している。

あまりに有名な、会津藩主加藤明成を改易に追い込んだ東慶寺の堀騒動。
豊臣の血筋という負い目を持ちながら、大大名相手に一歩も退かぬ天秀尼の剛毅さ
もまた、甲斐姫の薫陶の賜物だろうか。


……まぁ、何だ。坂東の男は鉄棒を持たせたらモンスターと化す。坂東の女は城や
寺に篭らせたらモンスターと化す。特に由良、成田系の女はヤバい。そーゆーお話。

あ、そーいや甲斐姫、養母からは太田家の薫陶を受けてるのか。
太田家の薫陶を受けた妙印尼の孫娘……そりゃモンスターにもなるわな。




711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 16:48:49 ID:UWlMUA86
>>710
すごいな。成田家の女は強いわー!

甲斐姫の本当の剛勇は

2010年03月01日 00:08

甲斐姫   
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 13:31:37 ID:MqoNSTqV
忍城篭城戦で大活躍したとか言われる成田氏長の娘、甲斐姫。
実の所、真田勢に破られた城門を取り戻すべく、援軍を率いて真田勢に横槍を入れ、自ら首級数個を手に入れた。
という程度(それでも十分スゴいかも知らんが)で、決して一人無双状態ではなかったようです。

この娘の本当の剛勇は忍城ではなく東北の地で発揮されていたのです。

関東仕置き後、蒲生再生工場に預けられ会津に居た成田氏長、一万石の好待遇で福井城という城を任された。
葛西一揆、九戸の乱など、落ち着かぬ情勢の中、工場長と共に転戦を重ねる毎日だった。
留守を預かるのは氏長の妻にして太田三楽斎の娘、太田氏。
前妻の娘である甲斐姫との関係も良好で、城内には何の問題もないかに思えた。

しかし、城主氏長の留守を狙って、ある時謀反が起きる。
兵を挙げたのは何と、目付けとして蒲生から福井城に出向していた浜田兄弟。
自分達が謀反を起こさないかと見張りにつけられた、その見張り番が謀反を起こしたのだ。そんなコトは想定外だ。
不意をつかれた太田氏は無残に殺されてしまう。

慌てた留守居の者達は逃げ惑い、甲斐姫を伴って城から落ち延びる。
浜田兄弟は氏長や蒲生の援軍が来るまでに十分な迎撃の用意をするつもりであったし、背後には伊達政宗の援助があったとも言う。
彼等に勝算はあったのである。
……ただ一つだけ、彼等兄弟に誤算があったとすれば、甲斐姫の存在であった。
甲斐姫は父の援軍など待ってはいなかった。
福井城を脱出した兵達をまとめ上げると、自らがその小勢を率い、敵の手に落ちた福井城にUターンを仕掛けたのである。

これは完全な奇襲だった。
勝手知ったる福井城。成田勢は縦横無尽に暴れ回り、甲斐姫自らの刀で義母の仇、浜田弟を討ち取り、首謀者である兄も
手傷を負って捕らえられたと言う。


浜田兄弟の謀反が成功していたら、一揆鎮圧の軍から蒲生勢が外れる事になり、更にまーくんとの挟み撃ち……
なんてコトにもなったかも。
東北情勢泥沼化の危機を救った甲斐姫の武勇のお話。




318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 14:10:33 ID:cjkn1Xj9
>>315
成田記だけはガチ

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 14:13:08 ID:0T5uYgAL
まぁ中国とかだととても人間がやったと思えないような逸話とか結構あるが、
その類だよなw>甲斐姫

個人的には師匠への持て成しに妻だか子供を料理して食わせたってあれが一番マジキチだと思ったw

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 14:18:05 ID:cjkn1Xj9
>>319
すごいといえば項羽本紀の項羽、リアル戦国無双そのもの
司馬遷はっちゃけすぎ

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 14:25:03 ID:iyENjrlt
漢王朝にチンコ切られたせいなのか知らんけど司馬遷は項羽大好きだからw

甲斐姫の(格好)いい話

2009年08月31日 00:08

甲斐姫   
869 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[] 投稿日:2009/08/30(日) 15:47:12 ID:nS0e7net
遅ればせながら甲斐姫が戦国無双に登場なさると伺ったので


 
秀吉の小田原城攻めに際し、武蔵・忍城で石田三成を相手に
籠城戦を繰りひろげ、
継母(成田氏長の夫人)の指揮で、水攻めを試みた三成軍を散々に
打ち負かした。

水攻めを断念した三成はとうとう力攻めに出た、
そこに現れたるは小桜縅の鎧に猩々緋の陣羽織、その姿はさながら「緋牡丹」
とも称えられる甲斐姫

名刀「波切」を手に寄手の真っ只中に飛び込み、多くの首級を上げた

そうして、忍城が奮戦している間に肝心の小田原城が開城の運びとなった。

ところが、甲斐姫や氏長夫人たちはこれを信じようとせず
なお頑強に抵抗を続けた。

そして先に秀吉に降っていた氏直が妻子を説得し、どうにか忍城を開城させた。


ついでに氏直はかわいそうな事に、この後、忍城の開城が遅れた責任を償うため
多額の黄金を秀吉に献ずる羽目になった。


既出でしたら、すみません。

甲斐姫の(格好)いい話 ということで





871 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 15:54:16 ID:A6JP8DqO
>>869
のぼうの城とは全然違う形の逸話なんだな
いろんな逸話が出来るぐらい忍城の篭城戦って凄かったんだろうな