885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 18:33:28 ID:HK4aalzW
いい話か悪い話か迷ったが、とりあえずこっちに。
織田の甲州攻めにおいて、小山田信茂が武田家を裏切り、このため武田勝頼が敗亡したのは
有名な話であろう。
しかし織田信忠は、この小山田の行為を憎み、堀尾茂助に命じて、小山田を殺す事にした。
茂助はその討手として家来の則武三太夫を呼び、彼に
「小山田に甲冑を贈れ。これに彼が一礼した時に、刺し殺せ」
そう命じた。
三太夫は小山田が滞在していた善光寺へと行き、命じられたとおりに甲冑を贈った。
この時小山田は一礼した。
が、三太夫は動かなかった。
それから少しして、三太夫は
「小山田殿、あなたは武田家の侍大将であり、重恩を受けた身でありながら、主君に背いた
不義ゆえに、私が討手としてここに参った。
さあ、尋常に立ち向かわれよ。」
そう、静かに言った。小山田はこれに驚き、大変に腹を立て
「信長め騙したか!ええい、この上はさっさと首をはねよ!」
そう叫んだ。が、それでも三太夫は動かなかった。
そこで小山田は、「これまでに候」とつぶやくと、刀に手をかけた。
その時三太夫は立ち上がり、小山田の頸をはねた。
三太夫は小山田が最後に、騙まし討ちではなく、武士らしく「戦って死んだ」、
そう言う事にしてやったのだろう。
そんな、則武三太夫の武士の情け、のお話。
886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 18:46:07 ID:hczdebl9
小山田も学習能力が無いよな
元朝倉家臣の処遇を見れば信長が不忠の敵将をどう裁くかわかるだろうに
最後まで武田の為に戦ってから「さあ首をはねよ」と言えば信長お気に入りの将となれたはず
887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:07:05 ID:ru9OIsQw
むしろ、穴山や木曾とかの様にかなり早い内に寝返って、
武田攻めに手柄を立てるおくべき。
信長相手には、中途半端が一番イケない。
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:34:52 ID:c34OokpY
則武三太夫自身も、騙まし討ちの下手人として後世に名を残したくなかったんだろうな
こういう名誉心が武士の武士たるところか
889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:35:55 ID:AQ59sVYD
かがみん「・・・」
891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:53:36 ID:475b/AIQ
最初に寝返った者は優遇され、最後に裏切った者は見せしめにされる
古今東西どこにもある話なのにな。
892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:58:32 ID:nqemPi3D
>>891
古今東西どこにでも有る話って事はつまり、それだけ学習しない人物が居た訳でして
893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 20:17:23 ID:ifqorgiE
小山田は武田の家臣という認識がなかったっていうじゃない
北条とも独自に領土を安堵してもらっていたそうだし
894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 20:40:25 ID:+OQlyM5L
最初に寝返った者 → 先見の明のある奴じゃのう
最後に裏切った者 → なんと汚い奴じゃ!腸が腐っとるわ!!
小山田とか穴山は武田家の家臣と言うか協力者
なので、分が悪くなると主君は代え申す。
だったんだっけ?
895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:30:04 ID:qz/ptvCW
>>894
本人はそう思っても周りはそんな風には見てくれてないって話だと思われ
896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:30:41 ID:D8R6fDqf
少し違う。戦いが始まる前に裏切った者、終わった後で降伏する者はそれなりに遇される。
もっとも軽蔑されるのは、戦いの途中で裏切る者。
897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:52:28 ID:qz/ptvCW
>>896
信長は返り忠(内通)に関してはどうなんだろうか。
898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 22:48:17 ID:DnBDwbwo
>>897
美濃攻めでは佐藤や三人衆など、三好義継討伐では若江三人衆を普通内通させている。
越前一向一揆討伐でも旧朝倉家臣には内通の手を伸ばしているし、伊勢攻略でも北畠他
各豪族の重臣レベルに寝返り内通を働かせている。
武田攻略だって、木曾氏や穴山氏などは領地安堵も含めて認めている。
まあ簡単に言うと、裏切り寝返りにもルール・マナーがあったということ。
ルールを守っているのなら、信長も時代の常識にそって受け入れてます。
899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 22:49:16 ID:edVVGFvu
勝頼を受け入れて共に岩殿で散っていたらそりゃもう
忠臣とか名将なんてレベルじゃねーぞ!ってくらい称えられたのにな
罷り間違って奇跡の大逆転とかかましたら軍神・武神の類だ
900 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/31(月) 22:56:16 ID:vGBp7HGL
その辺、徳川家に寝返っていたら、家は小さく温存できたのでは?
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:14:15 ID:gFCXaaY/
>>900
信ちゃんが許さんと思う。
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:16:05 ID:RTJtVzUH
両方に味方するっていう二股の保険は俺的には一番悪くみえるんだけど
これは謀略ってことで評価されるんだよなぁ、戦国時代の価値観はわからん。
903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:31:41 ID:6yW71D3s
>>891
朝倉攻めでは、一番最初に裏切った前波吉継を越前守護代に抜擢している。
一方で、土壇場で裏切った朝倉景鏡も本領安堵されている。
いい話か悪い話か迷ったが、とりあえずこっちに。
織田の甲州攻めにおいて、小山田信茂が武田家を裏切り、このため武田勝頼が敗亡したのは
有名な話であろう。
しかし織田信忠は、この小山田の行為を憎み、堀尾茂助に命じて、小山田を殺す事にした。
茂助はその討手として家来の則武三太夫を呼び、彼に
「小山田に甲冑を贈れ。これに彼が一礼した時に、刺し殺せ」
そう命じた。
三太夫は小山田が滞在していた善光寺へと行き、命じられたとおりに甲冑を贈った。
この時小山田は一礼した。
が、三太夫は動かなかった。
それから少しして、三太夫は
「小山田殿、あなたは武田家の侍大将であり、重恩を受けた身でありながら、主君に背いた
不義ゆえに、私が討手としてここに参った。
さあ、尋常に立ち向かわれよ。」
そう、静かに言った。小山田はこれに驚き、大変に腹を立て
「信長め騙したか!ええい、この上はさっさと首をはねよ!」
そう叫んだ。が、それでも三太夫は動かなかった。
そこで小山田は、「これまでに候」とつぶやくと、刀に手をかけた。
その時三太夫は立ち上がり、小山田の頸をはねた。
三太夫は小山田が最後に、騙まし討ちではなく、武士らしく「戦って死んだ」、
そう言う事にしてやったのだろう。
そんな、則武三太夫の武士の情け、のお話。
886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 18:46:07 ID:hczdebl9
小山田も学習能力が無いよな
元朝倉家臣の処遇を見れば信長が不忠の敵将をどう裁くかわかるだろうに
最後まで武田の為に戦ってから「さあ首をはねよ」と言えば信長お気に入りの将となれたはず
887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:07:05 ID:ru9OIsQw
むしろ、穴山や木曾とかの様にかなり早い内に寝返って、
武田攻めに手柄を立てるおくべき。
信長相手には、中途半端が一番イケない。
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:34:52 ID:c34OokpY
則武三太夫自身も、騙まし討ちの下手人として後世に名を残したくなかったんだろうな
こういう名誉心が武士の武士たるところか
889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:35:55 ID:AQ59sVYD
かがみん「・・・」
891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:53:36 ID:475b/AIQ
最初に寝返った者は優遇され、最後に裏切った者は見せしめにされる
古今東西どこにもある話なのにな。
892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 19:58:32 ID:nqemPi3D
>>891
古今東西どこにでも有る話って事はつまり、それだけ学習しない人物が居た訳でして
893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 20:17:23 ID:ifqorgiE
小山田は武田の家臣という認識がなかったっていうじゃない
北条とも独自に領土を安堵してもらっていたそうだし
894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 20:40:25 ID:+OQlyM5L
最初に寝返った者 → 先見の明のある奴じゃのう
最後に裏切った者 → なんと汚い奴じゃ!腸が腐っとるわ!!
小山田とか穴山は武田家の家臣と言うか協力者
なので、分が悪くなると主君は代え申す。
だったんだっけ?
895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:30:04 ID:qz/ptvCW
>>894
本人はそう思っても周りはそんな風には見てくれてないって話だと思われ
896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:30:41 ID:D8R6fDqf
少し違う。戦いが始まる前に裏切った者、終わった後で降伏する者はそれなりに遇される。
もっとも軽蔑されるのは、戦いの途中で裏切る者。
897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 21:52:28 ID:qz/ptvCW
>>896
信長は返り忠(内通)に関してはどうなんだろうか。
898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 22:48:17 ID:DnBDwbwo
>>897
美濃攻めでは佐藤や三人衆など、三好義継討伐では若江三人衆を普通内通させている。
越前一向一揆討伐でも旧朝倉家臣には内通の手を伸ばしているし、伊勢攻略でも北畠他
各豪族の重臣レベルに寝返り内通を働かせている。
武田攻略だって、木曾氏や穴山氏などは領地安堵も含めて認めている。
まあ簡単に言うと、裏切り寝返りにもルール・マナーがあったということ。
ルールを守っているのなら、信長も時代の常識にそって受け入れてます。
899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 22:49:16 ID:edVVGFvu
勝頼を受け入れて共に岩殿で散っていたらそりゃもう
忠臣とか名将なんてレベルじゃねーぞ!ってくらい称えられたのにな
罷り間違って奇跡の大逆転とかかましたら軍神・武神の類だ
900 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/31(月) 22:56:16 ID:vGBp7HGL
その辺、徳川家に寝返っていたら、家は小さく温存できたのでは?
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:14:15 ID:gFCXaaY/
>>900
信ちゃんが許さんと思う。
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:16:05 ID:RTJtVzUH
両方に味方するっていう二股の保険は俺的には一番悪くみえるんだけど
これは謀略ってことで評価されるんだよなぁ、戦国時代の価値観はわからん。
903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 23:31:41 ID:6yW71D3s
>>891
朝倉攻めでは、一番最初に裏切った前波吉継を越前守護代に抜擢している。
一方で、土壇場で裏切った朝倉景鏡も本領安堵されている。
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