873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 00:30:33.54 ID:P1EoTL2m
淀川沿いの溝杭の目垣という地に佛照寺という立派な寺があった。本願寺蓮如が淀川を渡って
河内の光善寺に向かう途中、その佛照寺の近くを通るとそこの住職の教光の評判を耳にした。
佛照寺は蓮如の派閥とは異なる佛光寺派の大きな寺として当時有名であったが、佛照寺の
教光住職は和歌に好むあまり、肝心の念仏がおろそかになっていた。
ある日、蓮如は目垣の近くまでやってきて自作の三首の和歌を書いた紙をわざと落とした。
その紙を拾ったのは佛照寺の教光住職である。紙には以下の和歌が書かれていた。
ひとたびも 佛をたのむ心こそ まことの法(のり)に かなう道なれ
罪深く 如来をたのむ身になれば法(のり)の力に 西へこそ行く
法(のり)を聞く 道に心の定まれば 南無阿弥陀仏と唱えこそすれ
和歌に詳しいはずの教光住職であったが、この三首の和歌の意味が全然理解できなかった。
そこで教光住職は落とし主の本願寺蓮如に歌の意味を聞きに行った。蓮如はわざわざ聞きに
来てくれたことを喜び、丁寧に歌の意味を説明し、ついでに親鸞聖人の教えも説いた。
これがきっかけとなり、教光住職は本願寺蓮如の弟子となった。そして、佛照寺はこれ以後、
佛光寺派を離れて本願寺派へ鞍替えしてたのであった。
淀川沿いの溝杭の目垣という地に佛照寺という立派な寺があった。本願寺蓮如が淀川を渡って
河内の光善寺に向かう途中、その佛照寺の近くを通るとそこの住職の教光の評判を耳にした。
佛照寺は蓮如の派閥とは異なる佛光寺派の大きな寺として当時有名であったが、佛照寺の
教光住職は和歌に好むあまり、肝心の念仏がおろそかになっていた。
ある日、蓮如は目垣の近くまでやってきて自作の三首の和歌を書いた紙をわざと落とした。
その紙を拾ったのは佛照寺の教光住職である。紙には以下の和歌が書かれていた。
ひとたびも 佛をたのむ心こそ まことの法(のり)に かなう道なれ
罪深く 如来をたのむ身になれば法(のり)の力に 西へこそ行く
法(のり)を聞く 道に心の定まれば 南無阿弥陀仏と唱えこそすれ
和歌に詳しいはずの教光住職であったが、この三首の和歌の意味が全然理解できなかった。
そこで教光住職は落とし主の本願寺蓮如に歌の意味を聞きに行った。蓮如はわざわざ聞きに
来てくれたことを喜び、丁寧に歌の意味を説明し、ついでに親鸞聖人の教えも説いた。
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佛光寺派を離れて本願寺派へ鞍替えしてたのであった。
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