989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 21:46:29 ID:witJ6kT3
ちなみにいい話スレに出た毛屋主水に名前を譲らせた家臣の息子というのが
菅六之助の息子の菅主水ですな。
あれはああいう逸話になっていますが、黒田家でそれなりの立場だった家臣は
筑前に入ってから皆名前を変えてるし、菅六之助と毛屋主水は友人関係だった
というので、単純に友達の前の名前を息子にもらったのかもしれん。
↓二人の友情を後世に伝えた悪い話
毛屋主水は渡奉公人だった。
黒田家に仕える前はあちこち主君を変えながら日本各地を転々としてきた。
よって、元々は黒田家にも終身雇用してもらう気はさらさらなかったらしい。
朝鮮出兵を控えた慌ただしい時期、毛屋主水に蒲生氏郷から使者が来た。
主水に一万石を預けて家臣にしたいという。
かつて主水が山崎賢家に仕えていた頃、播州三木城で敗走する氏郷を助けた
事があった。
「あなたとわが主君は不仲ですが、救難を見捨てがたくお救いしました」
そう言って颯爽と去った姿に氏郷の人材センサーがびびっときていたらしい。
主水はこの申し出にひかれたが、今は渡海を前にして大変な時である。
こんな時に仕え始めたばかりの雇い主を見限るのは仁義に反すると考えた。
そこで、今はお仕えできないが、無事帰国出来たら御意に従いましょうと返事
をした。
さて、文禄三年、帰国した黒田家では朝鮮で武功のあった士に恩賞があることに
なった。毛屋主水にも三百石の加禄が与えられることになったが、主水は既に
黒田家を出て蒲生家に仕えるつもりであったので、暇をもらう人間が加増を受ける
のは不義であると考え、これを辞退した。
その後暇乞いをしたのだが、長政がこれを許さない。
ついには主水の友人の菅六之助や津田長右衛門などを請人にし、主水が他国に
走った時には友人一同切腹すると誓いをたてさせたのだった。
これでは主水も他家に仕えようがなかった。こうして蒲生行きは頓挫する。
毛屋主水こそ歴戦の勇士と呼ばれるにふさわしい武者である。
彼は関ヶ原でも長政に従い数々の武功をたてた。
しかし、その後加増の沙汰はなかった。
長政の父如水が何故主水に加増しないのかと尋ねたところ、長政はこう答えた。
「だってあいつ前に加増してやった時、嫌がって受けなかったじゃないですか!
すっげー恥かいたんですから!もうあいつには加増しません!」
如水が、昔のことを心底に残すのはよくない、武功があったら加増しなければ…
と諭したため、長政は渋々四百石を加増し七百石としたということである。
990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 21:54:03 ID:2PQFruK+
なんとなく家臣に軽く扱われる理由が分かる
だが>>985の又兵衛は自重しろというにw
991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 22:57:30 ID:nJtUrTfR
作左がしかる
市松がどじる
吉兵衛がたしなめられる
ちなみにいい話スレに出た毛屋主水に名前を譲らせた家臣の息子というのが
菅六之助の息子の菅主水ですな。
あれはああいう逸話になっていますが、黒田家でそれなりの立場だった家臣は
筑前に入ってから皆名前を変えてるし、菅六之助と毛屋主水は友人関係だった
というので、単純に友達の前の名前を息子にもらったのかもしれん。
↓二人の友情を後世に伝えた悪い話
毛屋主水は渡奉公人だった。
黒田家に仕える前はあちこち主君を変えながら日本各地を転々としてきた。
よって、元々は黒田家にも終身雇用してもらう気はさらさらなかったらしい。
朝鮮出兵を控えた慌ただしい時期、毛屋主水に蒲生氏郷から使者が来た。
主水に一万石を預けて家臣にしたいという。
かつて主水が山崎賢家に仕えていた頃、播州三木城で敗走する氏郷を助けた
事があった。
「あなたとわが主君は不仲ですが、救難を見捨てがたくお救いしました」
そう言って颯爽と去った姿に氏郷の人材センサーがびびっときていたらしい。
主水はこの申し出にひかれたが、今は渡海を前にして大変な時である。
こんな時に仕え始めたばかりの雇い主を見限るのは仁義に反すると考えた。
そこで、今はお仕えできないが、無事帰国出来たら御意に従いましょうと返事
をした。
さて、文禄三年、帰国した黒田家では朝鮮で武功のあった士に恩賞があることに
なった。毛屋主水にも三百石の加禄が与えられることになったが、主水は既に
黒田家を出て蒲生家に仕えるつもりであったので、暇をもらう人間が加増を受ける
のは不義であると考え、これを辞退した。
その後暇乞いをしたのだが、長政がこれを許さない。
ついには主水の友人の菅六之助や津田長右衛門などを請人にし、主水が他国に
走った時には友人一同切腹すると誓いをたてさせたのだった。
これでは主水も他家に仕えようがなかった。こうして蒲生行きは頓挫する。
毛屋主水こそ歴戦の勇士と呼ばれるにふさわしい武者である。
彼は関ヶ原でも長政に従い数々の武功をたてた。
しかし、その後加増の沙汰はなかった。
長政の父如水が何故主水に加増しないのかと尋ねたところ、長政はこう答えた。
「だってあいつ前に加増してやった時、嫌がって受けなかったじゃないですか!
すっげー恥かいたんですから!もうあいつには加増しません!」
如水が、昔のことを心底に残すのはよくない、武功があったら加増しなければ…
と諭したため、長政は渋々四百石を加増し七百石としたということである。
990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 21:54:03 ID:2PQFruK+
なんとなく家臣に軽く扱われる理由が分かる
だが>>985の又兵衛は自重しろというにw
991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 22:57:30 ID:nJtUrTfR
作左がしかる
市松がどじる
吉兵衛がたしなめられる
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