松姫と下山殿

2009年11月29日 00:26

松姫   
664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:35:41 ID:FItSXzGy
甲州を平定した徳川家康は徳川に武田の血を入れようと、信玄の娘で
美女と名高い松姫の所在を探した。これが武田旧臣には面白くない。
彼らは新羅三郎義光の血統を田舎武士などに渡したくなかったのだ。

しかし松姫が見つかるのは時間の問題である。彼らは考えた末に
思いついた。どうせ家康は姫の顔を知らない、替え玉を差し出せばよいと。
彼らが目をつけたのが穴山信邦の妻、於都摩であった。

この信邦という男は穴山梅雪の弟である。彼は武田への忠節から妻を
犠牲にすることに決めた。夫に説得された於都摩は松姫の身代わりとなり
家康のもとへ向かった。

家康は偽物とも知らず大いに喜んだ。そして信玄の息女に敬意を払って
下山殿と敬称をつけた。家康の側室で殿がつけられたのは彼女だけである。
その後、下山殿は家康との間に二子をもうけたが二十七の若さでこの世を去った。

その下山殿の碑を建てたのが水戸光圀だった。かつての水戸領主、武田信吉
は下山殿の子であり、下山殿の墓が荒れているのを見た光圀は信吉との縁
から下山殿を他人とは思えず、墓を改葬して石碑を建て、そこに下山殿の
履歴を残したのであった。




665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:47:53 ID:wkcg9Qmb
松姫は八王子にいたはずなんだが…

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:50:07 ID:rh202t+t
身代わり説、影武者説は珍しくないとは言うものの、
いつ誰から姫の身代わりだとバレたのか…

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 22:58:29 ID:IiICFUvM
まあ身代わりなんかしたところで、徳川家中には旧武田家臣が
何ぼでもいるから直ぐばれますけどねw

一種の伝説、説話の類なんでしょうね。


668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 01:00:45 ID:Hu8DeJ6L
既出の松姫話とはまたえらく毛色が違うなw
こういうのも面白いね

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松姫と武田家滅亡の、後

2009年09月11日 00:24

松姫   
171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 00:14:51 ID:nIYWrcHs
天正十年三月、織田信忠率いる軍勢の前に甲斐の武田軍団は崩れ
当主勝頼は妻や嫡男信勝と共に自害した

それから数日経った頃、八王子城の城主大石氏照のもとに
甲斐から高貴な身分と思われる美しい女性が逃げてきたという知らせが届いた
さては勝頼に嫁いだ妹が落ち延びることができたのかと
氏照は喜んでその一行を訪ねたのだが、そこに居たのは氏照の妹ではなく
勝頼の妹でかつては織田信忠の婚約者であった松姫であった

いかにも取るものもとりあえず、命からがら逃げてきた様子の松姫は
氏照に兄盛信の高遠の顛末と恐らくもう勝頼も北条夫人も
助からないであろうことを伝えると泣き崩れたという

既に頼れる人もいない哀れな姫の境遇に同情した氏照は
松姫を妹の代わりに思い匿うことを快く引き受けた

そうして身を隠していた松姫のもとへかつての家臣から
「信忠様があなたに会いたがっている」という知らせが届いた
意を決し、信忠に会いにゆくことを決めた松姫はそれを氏照に知らせた
知らせを聞いて我がことのように喜んだ氏照は
支度を整えたり万が一のため護衛を付けてやったりして送り出したのだった
松姫の一行は上野原という所で織田信忠の迎えを待った

ところが迎えはなかなかやってこない
やがて松姫の元には迎えの代わりに京から本能寺の変の知らせが届いたのだった

その後松姫は出家し氏照からの支援を受けて
勝頼の娘と盛信の娘と小山田信繁の娘を立派に育てた

しかしそんな平和もそう長くは続かなかった
秀吉の小田原征伐が起こり、北条家が滅んでしまったのだ
松姫たちを支援をしてくれた氏照も敗戦の後責を取って果ててしまった
混乱の中、松姫は今度は寺で読み書きを教え、蚕を育て織物をして暮らしたということだ





172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 00:35:42 ID:Pj3U0Sxg
>>171
波乱の人生か
松姫は何を思って、一生を終えたんだろうな

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 00:43:18 ID:FCbR3QDy
>171
いい話だけど悲しいな…

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 00:59:48 ID:dZF+e8nD
松姫は八王子の千人同心に大事にされたらしいね


おんな風林火山(会津擁護風)・いい話

2008年12月29日 00:06

松姫   
640 名前:おんな風林火山(会津擁護風)1/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:04:19 ID:MbNrSfYe
天正10年(1582)2月、武田勝頼の従兄である穴山梅雪(信君)が信長に黄金二千枚を贈り、
織田家に通じた。一門筆頭の裏切りにより国人衆が次々に離反。勝頼の弟・仁科盛信らの
奮戦も空しく、同年3月、織田信忠の軍勢の前に甲斐武田宗家は滅んだ。

これに先立ち、盛信は信忠の婚約者でもあった妹・松を、関東に脱出させた。
勝頼の娘・貞、盛信の娘・小督、小山田信茂の娘・香具を連れた松は、八王子に逃れる事に
成功。この地で兄たちの討死の報を聞くこととなる。

その後、松は奇妙な話を聞いた。武田を滅ぼした織田信忠だが、婚約を解消した松を未だ
求め、嫡子・三法師の生まれた今も正室の座を空けていると言うのだ。

「そこまで、この私を愛して下さるのなら・・・」松はわずかな供を連れて尾張まで行ったが、
そこで彼女が聞いたのは、本能寺の変で信忠が二条城に散ったという知らせだった。

八王子に戻った彼女は、出家して寺子屋や機織りで生計を立て、兄たちの遺児三人を
立派に育て、貞は鎌倉公方の子孫・宮原義久へ、香具は磐城平藩主・内藤忠興へ、
自分を慕って出家した小督の他は、しかるべき家に嫁がせている。

尼となった松の法号は『信松院』という。『信』の字は信玄からか、それとも信忠からか。

いっぽう、裏切った穴山家に見返りなどなかった。
一門筆頭でありながら真っ先に裏切り、長篠でもいち早く離脱した梅雪は「卑怯者」と
陰口を叩かれ、あげく本能寺の変後、家康を疑い別行動をとった結果、土民に討たれた。

追い討ちをかけるように嫡男・信治も早世し、穴山家は断絶。梅雪には信玄の次女が
嫁いでいたが、夫と息子に先立たれた彼女もまた出家。『見性院』と名乗り、家康の保護を
受け、のちに江戸城は田安門内・比丘尼屋敷に住まうことになる。

こうして亡国の姫君たちは、世をはばかり、細々と生きて行った。

641 名前:おんな風林火山(会津擁護風)2/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:05:34 ID:MbNrSfYe
南無氷川大明神
(中略)
ここにそれがし卑しき身として、太守の御想い者となり、御胤を宿して当四五月のころ
臨月たり。しかれども御台嫉妬の御心深く、営中に居ることを得ず。
今、信松禅尼のいたわりによって、身をこのほとりに忍ぶ。
(中略)
それがし胎内の御胤、男子にして安産守護したまい二人とも生を全うし、御運を開くことを
得、大願成就なさしめたまわば、心願のこと必ず違い奉るまじく候なり。

この哀しい誓願を立てた女性、お静は「大姥局」と呼ばれる徳川秀忠の乳母だった女性の
侍女だったが、それが縁で秀忠の目に止まって寵愛を受け、懐妊したと言われる。

だが、秀忠の正室・お江与はこれを許さなかった。秀忠は一生、正式な側室を持てなかった
ほどである。江戸城を追われることになったお静は、かつての上司・大姥局に泣きつき、
大姥局は同じ比丘尼屋敷に住む縁で、見性院を頼った。

見性院は八王子に住む妹・信松院にお静の保護を依頼。上記の誓願文は信松院とお静が
見性院の知行地である武蔵大牧村を訪れた時に奉納したと思われる。願いが届いたか、
慶長16年(1611)5月、お静は無事男子を出産。『幸松』と名づけられた。

しかし、やがてこれはお江与の知るところとなり、見性院のもとへ詰問の使者が訪れた。
秀忠が公的に幸松を認知していないのを良いことに、「素性の分からぬ子を預かるな」
というのである。 「そうですねえ…」 この難クセに、見性院は答えた。

「いかにも左様なり。さりながら、預りたる訳にてはなく、我ら子供にせよとの事にて
ふつともらい切たるなり。つつがなく成人の後は武田の名字に為し、我らに賜りし少しの
知行も譲り、跡をも弔われんとの心組みなり。たとえ御台所より如何なる難事申さるるとも
一度見性院が子になしたる人の事なれば、離さん事は思いも寄らざる!」

信玄の娘、戦国武将の妻の威に打たれた使者は、顔を真っ青にして引き上げた。

642 名前:おんな風林火山(会津擁護風)3/3[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:06:29 ID:MbNrSfYe
元和2年(1616)4月、信松院が幸松の行く末を案じつつ、死去した。享年56歳であった。
その魂は、信忠のもとへ行けたであろうか。

妹に先立たれた見性院は、いよいよ幸松の身を案じた。世情不安の折、姉・淀殿の説得に
当っていたお江与も、大阪の陣が終わった今となっては手空きとなっているはず。
あの詰問以来、何も行ってこないがそれだけに実力行使に出る恐れもある。

見性院は身を切る思いで、今日まで育てた幸松をしかるべき者に預けることに決めた。
自分への敬意を忘れず、御台所を敵に回す気骨を持ち、養子を受け入れてくれる者に。

『槍弾正』保科正俊の孫、保科正光は武田因縁の地・高遠2万5千石の大名で、実子がなく
盆暮れに見性院へのあいさつを未だ欠かさぬという、この話にうってつけの男だった。

翌元和3年早春に話を聞いた正光は、
「誠に恐れ多きこと。ならばせめて内々にても、上意をたまわれば謹んで承りまする。」

と言い、実際に秋にはどのように幕閣を動かしたか、秀忠のお墨付と幸松の養育費として
5千石をもぎ取っていたから、『表裏比興の者』 信州侍のしたたかさはあなどれない。
こうして11月、幸松は保科家に引き取られ、お江与の手の届かぬ信州高遠へと旅立った。

「父上、勝頼殿、盛信殿、松…私は…武田は勝ったのです…将軍御台所との女いくさに…」

折々の便りで幸松の成長を見届けた見性院は元和8年5月、波乱の生涯を閉じた。

生みの母と育ての母二人、三人の母の愛を受けし幸松こそ、幕藩体制の完成者、
会津松平家始祖・保科正之である。彼は家光より松平姓を授かったが、養父母の
恩義の大なるをもって、その一生を保科姓で通した。 (千載之松)

さいたま市緑区大牧・清泰寺。かつての自身の知行地に信玄の娘の墓所はあり、
毎年5月、旧会津藩士の子孫が、今も厳粛に彼女たちの法要を行っている。



643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:33:06 ID:FL487Q0X
いい話だけど長い

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:44:40 ID:joXbTheT
いい話だ。
信玄の娘たちは皆波乱万丈の生涯だね。
その中では景勝に嫁いだ菊姫が一番安定してたかな。人質生活は長いが…。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:45:51 ID:qCjVwgRK
こんぐらいで長いとか言うなよ。
どんだけ活字読みなれてないんだよだよ。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 11:46:33 ID:92ouJF0D
横書きだと読みづらいってのはあるかもね

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:01:18 ID:xqSVRLMC
長いけどいい話だ

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:08:08 ID:Qoev2pa3
いい話は長くてもイインダヨ

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 12:55:41 ID:Za75Dqjn
>>640-642
大 河 ド ラ マ 化 決 定
ていうか10年位前から会津と高遠でNHKに呼びかけてるが
未だ実現に至らず。宮下親子の力で何とかならんかな。

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 13:21:09 ID:xqSVRLMC
甲州武士は旗本の大勢力。信濃武士も譜代大名での一勢力
いい所に目を付けたのかもね

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 14:59:13 ID:yAhOZsng
松姫の物語は、昔大映がドラマ化してたな。
主題歌が洋楽の日本語カバーだった。

お江与は怖い女で通ってるが、茶々とどっちが恐ろしいだろうか。

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:13:34 ID:xv/zPGOg
>>653
茶々は怖いって話は、講談の類以外では伝わらないね。
どうも実態としては、どちらかと言えばおとなしい、まわりに流されるタイプの女性だったようで。

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:27:55 ID:m7/IHqh4
>>644
一応景勝は最初は菊姫を人質に出さずに甥を出してるから
人質生活してた期間より越後で結婚生活してた期間のほうがだいぶ長い、
最後も夫と弟が傍にいる状態で亡くなってるし他の姉妹よりかなりマシ…。

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:33:12 ID:z5VTXpja
>>654
義姫「私もね」
小松殿「私も」
甲斐姫「私も~」
市松の嫁「私もよ」

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 15:35:52 ID:/nAIdePD
>>656
あんたらが言うなw

658 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/28(日) 16:10:49 ID:MyyPcZhH
お江与って、別の秀忠落胤を灸をすえて殺したという風聞があったな…

そう考えると浄高院が一番まともなのかw

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:16:33 ID:N+T39Fya
「おんな風林火山」の松姫は鈴木保奈美だったな。
見性院は岡田奈々w

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/28(日) 16:35:03 ID:+Sg/7Pwo
>>655
その弟も、信玄の息子のなかでは、唯一天寿を全う出来た人なんだよね。

武田信玄の娘、松姫・いい話

2008年10月15日 14:54

松姫   
256 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/03/12(水) 06:20:08 ID:YAYrsoGu
武田信玄の娘・松姫は、織田信長の嫡男・信忠と幼い頃に婚約していた。
2人は、直接会うことはなかったが、互いに文のやりとりで思いを深めたという。
しかし、周知の通り、武田と織田はその後、敵対し、二人が結ばれることはなかった。

信玄の死後、武田攻めの大将を務めたのは、奇しくも信忠だった。
信忠の指揮により、武田は滅びたが、松姫は辛くも武州に落ち延びた。
その消息を知り、信忠は迎えの使者を出したが、松姫が出立せんという時に本能寺の報がもたらされたとの話も。

生家の滅亡、許嫁の死を背負い、松姫は誰にも嫁がぬまま、仏門に入った。
そして、武田家とともに、信忠の死を弔ったという。
さらにその傍ら自ら織物をするなどし、落ち延びる際に連れて行った兄・勝頼と盛信の幼い姫のみならず、
土壇場で武田家を裏切った小山田信茂の姫も、別け隔て無く育てたという。




261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/12(水) 19:58:57 ID:L8YVGVrd
>>256
女風林火山懐かしいな…