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斉藤妙椿、死去の反応

2013年02月23日 19:56

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 03:24:38.25 ID:bgqSXdkM
文明十二年(1480年)、斉藤妙椿死去。享年70。
東常縁と歌のやりとりで城を返したあのひとだ。

応仁の乱をきっかけに美濃の荘園を横領して所領にし、飛騨・近江を暴れまわって、
守護代家の舎弟でありながら守護も守護代もしのぐ勢力を持った。

その報を聞いて公家の大宮長興はこう書いている。
「応仁の乱のさなか、数々の行いを強行し、(そのせいで)いまだに東の騒乱が収まらない。
今出川大納言どのを擁立していまだに自国においている。(このころ、足利義視・義材親子は
入京できず美濃にいた)
この間死んだということで、世の中も平和になるだろう」
(「此者一乱中種々張行、于今東近国煩不休、今出川大納言殿奉扶持、于今御在国、
如此之間、於死去者、世間静謐之由有其沙汰者也」)

もちろん戦乱が終るどころか、全国的には荘園制の崩壊で戦国時代へと本格移行し
美濃国内では守護代家と妙椿の持是院家の争いが泥沼化してせっかく妙椿が建てた威勢も
衰えてしまうんだけどね。







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斉藤妙椿の頭巾

2009年09月14日 00:25

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 11:53:34 ID:D3rIz3S8
戦国初期の名将として有名な、美濃の斉藤妙椿。彼は常に頭巾をつけていたが、
頭巾の裏に、用心のためとして鉄を張っていた。

「頭巾と言うのは頭を暖めるためのものなのに、かえって冷やすとはどうなんだ?」

世の人々はこのように言い合い、これは妙椿の耳にも入ったが、それを聞いても、
妙椿は、ただほくそ笑むばかりであった。

さて、ある時の事。人々が集まり、
『兜の重さは何百目ほどが良いか?』と言う事について議論していた。
この時妙椿が

「何百目の鉢は、これこれの時間かぶり続けても疲れを覚えることは無い。
また、何百目の鉢であれば、これをかぶったままこれだけの距離の道を移動しても
大丈夫だ。」

と、実に仔細に解説した。

人々は「何故あなたはそのようなことを知っているのですか?」と尋ねると、

「いやとよ、頭巾に張る鉄の重さで、常日ごろからそれを計っているのさ。
『武士の物具は平日無事のときに身に適う如く作るべし』って、これは私の先祖、
鎮守府将軍藤原利仁の遺戒でね、それを実践しているのさ。」

斉藤妙椿、常在戦地の心がけであった。





366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 12:13:11 ID:dU817lbf
首が鍛えられて太くなってそうだな