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戸次川合戦後の讃岐について

2017年11月10日 21:30

290 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/10(金) 11:19:14.92 ID:2QZmOQNt
戸次川合戦後の讃岐について

ある時十河猪兵衛に会い、豊州利光川の戦(戸次川合戦)
存保戦死について問うたところ
猪兵衛曰く、我は幼主千松丸に属せられ参陣せず
父の猪右衛門、十河但馬、松田宗閑などの忠臣は皆死をもって従った
存保の命を伝えて来る者もあり、死亡を逃れて来る者もあるゆえ
我が見ていない事を語っても益はないだろう、と前置きし語り始めた

存保筑紫にて戦死の日は十二月十二日である
その日の八つ時分に、兵卒三百人ばかりが旗十流ばかりを靡かせ
十河の城に入るのを田畝に耕す農人が見た
次の日、近境の者どもが還陣を賀そうとやって来たが
城中の者はそのような有様を知らず、不思議な事だと言い合った
そんなことがあった数日後に、豊州戸次川にて
存保が戦死を遂げられた報告が届いたそうである
家人どもは十河家息男千松丸に付き従い、十河の城に留まり
仙石秀久は豊州の敗軍を恥じて讃州に入らず
直に高野山に入ったと聞いている

(続く)

291 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/10(金) 11:20:29.39 ID:2QZmOQNt
また天正十五年正月、讃岐の国を尾藤甚右衛門尉賜いて入部し
兵卒を催し、筑紫陣(秀吉の九州平定)の用意をすることになった
去年の年貢は残っておらず、今年の収穫も先のため、手だてなければ
寺社領、神社仏閣の敷地まで検地を入れ、軍中の資用を宛て課した
国中の商家遊民に課役をかけて催促したが
はかばかしく財産も集まらなかった
仙石氏出陣の時と比べ、三分の一の形相にも及ばずして
九州へと赴いた事を思えば、高城の夜戦の際(根白坂の戦い)
尾藤氏が痩せたる兵をもって島津方の逞兵にあたり
固く守りて出なかったのは、己を知る者であったからである

神子田中左衛門は信長卿の御家にて
竹中半兵衛と両半と言われし弓矢巧者であり
この度、秀長卿の介添として日向の国に発向したが
高城の夜戦の際、善ヨウ坊を救わずをもって
改易されると言う人あるが、我はその実否を知らない

292 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/10(金) 11:21:17.92 ID:2QZmOQNt
それ小軍夜に紛れていくさを起こし挑む事は、大軍にとって大事である
総軍皆出でて戦う時は、彼我を分かたずして、同士いくさするものだからだ
各陣固くして夜の明くるを待ち、敵の退き口について朝合戦をなすべきで
これぞ大軍の手だてである
秀吉公は勇戦を好まれるがゆえに、その時勢を糾さずして
尾藤が落ち度として讃州を没収されたのである

(南海治乱記)




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戸次川合戦讃岐勢の最期

2017年08月26日 13:22

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 20:21:18.15 ID:7I3kQIYN
戸次川合戦讃岐勢の最期

ここにおいて仙石、いくさに敗れ、土佐讃岐の兵卒混一になって崩れた
桑名太郎左衛門、信親に使者を馳せて曰く
「今すぐお引き返しください、少しも遅れてはなりませぬぞ」

槍を入れる信親存保、撤退の下知をしたが及ばず、共に押し立てられ
存保が家人に言うには

「阿波の守護だった頃、信親と戦う事数度にして
 一度は長宗我部が首を見んと切望していたが
 その遺恨は今である。信親に呼びかけて討死させ
 我が思いを晴らすとしよう」

(続く)

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 20:22:48.65 ID:7I3kQIYN
信親に使者を馳せて曰く

「今日の戦いは仙石の謀(はかりごと)の拙さによるとは言え
 恥辱は先手の将帥にあり。
 引き返して勝負を決したまえ。存保も加勢申すべし」

存保馬に鞭を打ち馳せ行くと
信親も勇壮の将なればもっともであると承諾し
両将共に取って返し、敵の中へ馳せ入れ
火水の如く戦いて、晴れなる戦死を遂げられた。

香川民部少輔、安富肥前守、羽床弥三郎
阿波の矢野、河村などの軍将数十人
勇名ある者数百人、総兵千有余人
皆力のある限り戦い、そして死んでいった。

「南海通史」



81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:19:54.39 ID:kEYXRfFo
>>59
>「各々方さほどに同心なくば、我等一手をもって後詰せん」
一人で討ち取られちゃえばよかったのに

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 14:21:09.45 ID:l1s1q4Vz
信親と長宗我部家が不憫でならない…。

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 14:48:49.94 ID:2DOcTq0a
次男三男死なずにすんだかもな

戸次川合戦における讃岐勢の悲哀

2017年08月22日 17:58

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 09:21:39.91 ID:W9FCLw1N
戸次川合戦における讃岐勢の悲哀

戸次川合戦が開始されると仙石・十河両軍は島津の先陣とぶつかり
これを川へ追入れて一旦踏み止まった。
十河存保は弓矢功者だったので彼我の虚実を察し、急ぎ仙石の陣へと馳走して曰く
「今、敵の先陣敗れたりと言えど、これは実の敗軍ではなく味方を引っ掛けるはかりごとである
 後陣の大軍は村々に満ちて我らに備えており、川向こうに伏兵があるから渡るべきではない
 勝ちいくさの勢いをもって一旦引き揚げ、兵卒を立ち直らせ、陣を固めて次のいくさを待つべきである
 敵は決して川を渡って来ないから、その間にこちらの方便もしやすくなるだろう」
仙石はもとより勇猛で怒りやすく、人の言を容れない性分だったため、存保の献策を用いず、大いに怒りて
「この勢いを持って敵を追撃せねば敵はまた持ち直すだろう。急ぎ川を渡り追伐すべし」
そう言うなり自ら槍を取って進発した
存保は苦笑して(原文:悪ク笑イテ)「今思い知ったわ」と言い捨てると自陣に戻り、郎従数人を呼び寄せ
「汝らは国へ帰り、千松丸(存保嫡男)を連れて上京し、このいくさのあり様を申して秀吉公のお目にかけよ
 これが専一の忠節であるぞ」そうしかじか言い捨てると、手勢に下知し川を渡って行った。

「南海通記」



65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 10:45:11.73 ID:bjVqcGPk
ブラック戦国武将

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 18:12:50.38 ID:I/nuzxSG
豊臣秀吉文書集読んだら戸次川の後秀吉が大友の志賀親次や佐伯惟定に送った手紙だと
仙石が不届きにも勝手に戦い負けてしまい、すまないがもうしばらく頑張って持ちこたえてくれ
みたいな感じに書かれてたな

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 18:12:50.38 ID:I/nuzxSG
豊臣秀吉文書集読んだら戸次川の後秀吉が大友の志賀親次や佐伯惟定に送った手紙だと
仙石が不届きにも勝手に戦い負けてしまい、すまないがもうしばらく頑張って持ちこたえてくれ
みたいな感じに書かれてたな

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 19:32:15.47 ID:dLLmZWq5
そらそう書くしかないわなw

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 20:52:44.68 ID:Sxe+xW1C
この戸次川推しは
とうとうセンゴクで戸次川の戦いまで来たからかな

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 22:49:09.44 ID:dGIwlC76
仙石無能

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 23:27:17.91 ID:fvB7DkEz
>>66
文書集持ってるなら仙石たちを送り込んだときの書状も読んでみると良いよ。
なかなかブラックだからさ

十河存保が酷い目にあった話とうどん

2009年09月15日 00:12

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/14(月) 21:17:39 ID:3aMMlUJR
十河一存とうどんの話が出ていたので、その養子存保が酷い目にあった話とうどんの関係。

その1
十河一存のあとを継ぎ、東四国における三好氏の勢力回復に努める存保であったが、
長宗我部氏の勢いにはとてもかなわず、阿波勝瑞城を放棄し、讃岐虎丸城に移る。
秀吉に救援を依頼するも柴田勝家と一触即発状態の秀吉はそれほど戦力を割けるはずもなく、
既に淡路に派遣していた勢力を派遣するにとどまった。
この軍勢の指揮官が仙石秀久。
突撃しか出来ないことで有名な秀久にしては珍しく、伏兵を置いて、進軍してくる長宗我部勢に
奇襲をかけることに成功する。

しかし、兵力の計算が出来ていないあたりさすが秀久というべきか、深追いしすぎた結果、
数に勝る長宗我部軍からの大反撃にあい、幟まで奪われるという大敗退。
秀久はその後、淡路へ逃げ帰り、制海権維持にのみ努める結果に。
役立たずを送られただけの十河氏は四国での勢力を失い、秀吉を頼って大阪へ逃れる羽目に。

続く

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/14(月) 21:32:56 ID:3aMMlUJR
その2

その後、なんやかやあって秀吉の九州征伐。
そう有名な戸次川の戦い。
仙石秀久が大敗を喫した例のあれである。
で、書こうとしたら、すでにまとめスレにあった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-73.html

十河存保が仙石秀久に繰り返し酷い目にあった話というか、十河氏と長宗我部氏との
奇妙な因縁というか。

さて、このままだと悪い話なので、うどんと結びつけてちょっといいかもしれない話。

前段の引田の戦い。
仙石軍が配した伏兵部隊の一部隊長を任されたのが、森権平。
当時、わずか18歳。
秀久の通称、権兵衛と名前が似ていたことから特別に目をかけられていたといわれており、
この戦いでも奮戦する。
長宗我部軍の反攻にあい、逃走する仙石軍の殿をつとめるも、奮戦むなしく
討ち取られることになる。
権平の戦いぶりと若くして死んだことを哀れんだ地元の人たちは彼を祀る祠を建てる。
非常に足が大きかったということで、足の神様として香川県東部では知られており、今も
大きな草鞋が祀られている。
さらにこの権平の名を冠したうどん店も営まれ、香川県東随一の人気店となっている。

と、むりやりうどんと結び付けてみたが、どう考えてもいい話じゃないな・・・。
スマン。






十河存保と、長宗我部元親・いい話

2009年01月25日 00:08

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 19:36:38 ID:clQ8WJBU
某小説ではひどいわりを食った十河存保と、長宗我部元親の話

阿波攻略を目指す長宗我部元親は、十河存保を勝瑞城に攻めた
ところが、ひどい豪雨に襲われた挙句、長宗我部軍は洪水に見舞われてしまった
8~9月のことなので、台風でも直撃したのかもしれない
長宗我部軍は陣屋の屋根、樹木の上へと逃げる羽目になった
もちろん、十河軍が見逃すはずがない
小舟で漕ぎ出した十河軍は、樹上の長宗我部兵を狙撃して回った
が、大勢が覆るわけもなく、水が引くと攻城は再開され、存保は讃岐へ逃れることになる

後に、十河方は宴席のたびに「鳥刺し舞」を舞った
勝瑞城での手柄自慢を、寝鳥を取る鳥刺しに例え、憂さを晴らしたのだ
これを聞いた長宗我部方は悔しがり、同じく鳥刺し舞をやった
こちらは、十河方の卑怯を嘲笑うためだった
応酬を知った元親は家臣をたしなめた
「存保は勇将だった。弓矢をとって敗れた武門を嘲笑い、酒席の肴にするとは恥ずかしくないのか」
それ以降、鳥刺しが舞われることはなくなったという

後年、九州攻めで仙石秀久が逸った時、存保は仇敵の元親に同意して秀久を諌めた
結局は押し切られ、存保は長宗我部信親とともに戦死。三十二歳だった




731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 19:52:03 ID:v52fZuSn
十河家は当主の存保が仙石のせいで討ち死にしたというのに改易されてるんだよなあ…
討ち死には豊臣の譜代家臣である仙石のやらかしのせいであって十河には何の落ち度も無かったというのに…

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 19:55:35 ID:KuwCqWmM
そういえば九州攻めのコレで、十河家は改易されて長宗我部家は無事だったのは、
豊臣政権において長宗我部が、一条家の家老、つまり豊臣家から見て陪臣って認識だったから、
って説があるね。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 20:36:27 ID:gmTGyqym
讃岐に譜代入れたかっただけだったりして

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 20:54:31 ID:UEUGF06d
怨みに思ってる筈の十河方も止めたのか
こりゃいい逸話だな

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:12:45 ID:dhfrQWCv
仙石に同調したら自分も行かんでもいい死地に放り込まれるんだし伏兵が居ると見たらそりゃとめるだろう。
長宗我部だけしにいく破目になるならともかく

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:14:18 ID:UEUGF06d
>>736
舞いのことだよ

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:15:19 ID:dhfrQWCv
>>738
そうかすまん。
ちょっと川の向こう攻めて来るわ
なーに楽勝さ

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:18:55 ID:wYpunwf8
ちぇすと~

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:28:51 ID:p3OaSnRB
みんな逃げて、鬼が、鬼武蔵が川を渡ってこっch、qあwせdrftgyふじこlp

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 21:58:23 ID:hvg+4Uvd
渡る世間は鬼武蔵ばかり

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 22:03:02 ID:DvJgOqJZ
仙石ばっか悪く言われるけど、大友のバカ殿の判断ミスも大きいんだよな。
暗愚な殿様ってのは少なからずいるけど、あそこまで酷いのも珍しい気がする。