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かへすゝ良くゝ御ようしやうなさるへく候

2015年07月02日 15:40

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/01(水) 19:08:23.66 ID:l403MoGk
「かへすゝ
良くゝ
御ようしやう
なさるへく候、いよゝめてたき
御さうまち申候、
六月六日の御文、
たしかに
とゝき申候、おとゝさま
御わつらひ、すこ
しつゝよく
御さ候よし
うけたまハり、
めてたく存候、
上方よりくすし
やかてまいり候ハん
まゝ、いよゝ
御本ふくな
さるへきと申
まいらせ候、よく
ゝ御ようしやう
なさるへく候、
めてたくかしく、
六月廿八日
とら藤
おかかさま□□□」
(慶長十六年六月二十八日付 正応院?宛て 加藤忠広自筆書状 本妙寺所蔵)

意訳:
「どうかよくご養生なさってください、嬉しいお知らせを待っています。
6月6日の手紙は確かに届きました。
お父さんの病気が少しずつ良くなってきたと聞いて嬉しく思います。
上方からのお医者さんがもうすぐそちらに着くそうなので
きっと元気になると思っています、しっかり養生してください。
6月28日 とら藤より お母さんへ」

父親の加藤清正が病に倒れたとの知らせを受け、当時江戸に居た加藤忠広
国許の生母の正応院(玉目氏)あるいは継室の清浄院(水野氏)に宛てて送った自筆書状。
手紙の日付を見て悲しくなったので「悪い話」としてこちらに。




11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/01(水) 19:56:33.36 ID:GRwVQ/AE
当時熊本からなら5日はかかったんじゃない?それでも遅いけどw

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/01(水) 20:42:44.24 ID:sBZv/hoe
熊本から江戸だと1300kmくらいかな
届くのに22日なら1日60kmくらいの移動距離だろうか


13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/01(水) 23:17:45.31 ID:lmB6mT5K
手紙が熊本に着いたころには・・・だな。

しかし、当時電話とは言わないまでも、
電報があったら歴史はどうなっただろうかと時々思うわw

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/02(木) 00:53:05.07 ID:5gWZB0YA
忠広ママの正応院は忠広とずっと一緒にいたらしいから
多分清浄院宛の手紙だろう

忠広はこの時は徳川方の清浄院を慕ってる感じだけど
この後玉目氏方と徳川方は対立していって
忠広も徳川方に反発していくという…
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あれはこの前兆であったのか

2013年07月24日 19:51

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 20:12:40.70 ID:BTaLqH8H
加藤家で寛永8年に不思議なことがおこった。
隈本城内の桐の木に冬瓜のような果物がたくさん生じたのだ。

諸人はこれは珍しい事だ。この先はどうなるのだろうかと、そのまま
熟するまで置いておくことにした。やや熟する頃になってこの果実を
内から鼠が食い破って出てきた。

人々はいよいよ怪しんで、この果実をことごとく切り割ってみると、
中には全て鼠がいた。

その鼠をことごとく打ち殺して捨てると果実の中に鉈が一つあった。
これを見て不思議奇怪な事だと言いあうばかりであった。

しかるに翌寛永9年6月に肥後守忠広・同嫡子豊後守光正父子ともに
配流に処され領国を除かれた。

あれはこの前兆であったのかと皆がささやきあった。

(翁草)



86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 20:18:33.86 ID:yoixS8L8
どうみても前兆の方が大事件

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 21:09:02.49 ID:2/fKpHuz
実の中から生きてるネズミが飛び出してくるのと
真っ二つに割れたネズミの死骸が出てくるのと
どっちが嫌だろう

どっちも嫌だ
ドラえもんなら地球破壊してしまう

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 21:11:59.23 ID:kxAEA4x0
これが事実とすると桃太郎のこともおとぎ話とは言い切れない所があるな

加藤忠広の大力になりたい・悪い話

2008年10月16日 00:43

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 09:46:06 ID:dm3qyj1K
ある時、加藤忠広は
「余は武勇では到底、父・清正には及ばない。もっと、大力の持ち主になりたい」って、家老の飯田覚兵衛
に語った。
忠広を暗君だと思っていた飯田は、主君がめずらしくまともな反省の弁を述べたので、
「大力でないのは生まれつきゆえいたし方ありませぬ。しかし、その分学問に励まれて知将になりなされ」って励ました。

それを聞いた忠広は薄ら笑いを浮かべ、
「大力であれば、戦場で鎧を2重に着込むことができ、命を落とさずにすむだろ。余が大力になりたいと言ったのはそういう
意味じゃ。覚兵衛は何か勘違いしておるのう」と言った。
覚兵衛は、やっぱバカ殿じゃん…と暗澹たる気持ちになったとさ。