191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:18:02 ID:ap8kpIBc
車丹波は白絹に火の車の指物でその名を知られた佐竹家中の剛の者であった。
関が原の折、佐竹義宣は西軍に味方すべく車丹波を上杉家に送り込む。
車丹波は佐竹家の重臣として京にあった時石田三成と心通じる仲となっており
家中でも指折りの反徳川派だったのだ。
しかしこの後義宣は家中の意見統一に失敗
とくに先代義重が徳川への加勢を主張したため、どっちつかずのまま戦は終わってしまった。
戦後義重が中心となって徳川へ降伏
佐竹家は常陸水戸80万石から出羽秋田20万石となり
慶長7年6月14日、義宣以下70余騎が秋田へ入った。
が、この一行の中に車丹波の姿はなかった。
この時車丹波は関が原における全責任を全うすべく
回文を回して水戸城への篭城の準備をしていたのだ。
「新羅三郎より伝えたる城を人に授ん事こそ口惜けれ。
我とおもわん人々は城を枕に死ねや」
多分に政治的な決起であり、無茶も多かったらしく
徳川家の本多康重によって水戸城は落城
車丹波は捕らえられ磔刑に処せられた。
これに怒った男がいた。車丹波の子善七郎である。
武士には切腹という相応しい扱いがある。
にもかかわらず磔刑などという罪人の扱いをした徳川を許すわけにはいかない。
善七郎は徳川家康暗殺を決意し、庭作りとなって江戸城に潜り込んだ。
庭作りとなった善七郎が木の上で作業をしていると
折りよく家康が庭に降りて来た。
善七郎は手に持っていた木鋏を投げつけるもわずかに逸れ、当たらなかった。
すぐさま近習たちが善七郎を取り押さえたが
家康が「よいよい、力を込め過ぎて手が滑ったのだろう。」と言ったので
善七郎は放免となった。
やはり家康の身に近づかねば命は取れんと考えた善七郎
決死の覚悟で江戸城の寝所への侵入を試みる。
庭に潜んで家康を待ち、亥の刻となって便所に向かう家康を見たが、なにぶん近習が多い。
これでは近づけぬと息を潜めているう内に家康が
「今日に限って庭の虫が鳴いていない。何者かが潜んでいるのではないか。捜してみよ」と言った。
もはやこれまでと考えた善七郎は庭から飛び出し家康に切りかかり
たちまち取り押さえられた。
家康になぜ自分を狙うのか尋ねられた善七郎は自分は車丹波の子であろと申しでて
今までのことをすべて話した。
それを聞いた家康は「あっぱれ孝義の者、罪は問わぬ故佐竹へ帰参し名を立てろ」と言った。
が、善七郎は「不倶戴天の仇を残したままではどこにも行けません。ここで切腹するほかない」と返した。
これに家康はわざと怒り「わしの助命の言いつけを聞かぬというなら、九族皆殺しだ」と言うと
善七郎は
「父の仇を取れぬまま、母も失うとはさらなる不孝。しかし仇に助けられては人交わりができませぬ。
かくなるうえは乞食らに混じり、天命を終わることにしましょう」とようやく受けた。
後に家康は善七郎を江戸浅草の非人頭とした。
以後代々「車善七」としてその家系は続いた。
200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 18:39:17 ID:qhnDLfjW
>>191
『史記』の刺客列伝に似たような話があるけど
一度は許したんだから二度目はもう許さん、じゃなくて助命してやるあたりは日本的だな
202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 22:15:52 ID:mGIWHIxY
>>191
まとめでちょっと触れられてるやつか。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-477.html
しかし虫の鳴き声が止まるってのは考えて見れば当たり前だよな
夏の忍者は大変そうだ
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 04:02:35 ID:fpIUzEB4
>>191
それが年に二度ほど、旅先のマドンナさんに岡惚れしてはフられて見送るテキ屋の寅さんに……
って直接関係はない設定だよな。浅草で車って姓でもさ
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 09:57:03 ID:vZyIf0ZA
>>212
あれは浅草じゃなくて、葛飾区柴又。
でも、なんかで車善七と寅さんの関係性を類推する考察を読んだことある。
あまりにも漠然とした記憶なんで今まで書き込まなかったけど。
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 10:02:42 ID:WVXtbpJF
とある説じゃ、車寅次郎のモデルは吉田松蔭(寅次郎)というのがあるが、戦国時代と関係ないわな
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:05:43 ID:FjuRyT0e
名前と純情さ以外に共通点が無いような
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:44:21 ID:A+78dNR5
やたらと放浪するのと妹の息子を可愛がってるという共通点とかもあるそうで
217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:49:39 ID:k7JtC5XN
ガチガチの攘夷思想なのにアメリカの軍艦に乗って密航しようという発想と行動力がすごいw
脳内のリミッターみたいなのが壊れてる人
車丹波は白絹に火の車の指物でその名を知られた佐竹家中の剛の者であった。
関が原の折、佐竹義宣は西軍に味方すべく車丹波を上杉家に送り込む。
車丹波は佐竹家の重臣として京にあった時石田三成と心通じる仲となっており
家中でも指折りの反徳川派だったのだ。
しかしこの後義宣は家中の意見統一に失敗
とくに先代義重が徳川への加勢を主張したため、どっちつかずのまま戦は終わってしまった。
戦後義重が中心となって徳川へ降伏
佐竹家は常陸水戸80万石から出羽秋田20万石となり
慶長7年6月14日、義宣以下70余騎が秋田へ入った。
が、この一行の中に車丹波の姿はなかった。
この時車丹波は関が原における全責任を全うすべく
回文を回して水戸城への篭城の準備をしていたのだ。
「新羅三郎より伝えたる城を人に授ん事こそ口惜けれ。
我とおもわん人々は城を枕に死ねや」
多分に政治的な決起であり、無茶も多かったらしく
徳川家の本多康重によって水戸城は落城
車丹波は捕らえられ磔刑に処せられた。
これに怒った男がいた。車丹波の子善七郎である。
武士には切腹という相応しい扱いがある。
にもかかわらず磔刑などという罪人の扱いをした徳川を許すわけにはいかない。
善七郎は徳川家康暗殺を決意し、庭作りとなって江戸城に潜り込んだ。
庭作りとなった善七郎が木の上で作業をしていると
折りよく家康が庭に降りて来た。
善七郎は手に持っていた木鋏を投げつけるもわずかに逸れ、当たらなかった。
すぐさま近習たちが善七郎を取り押さえたが
家康が「よいよい、力を込め過ぎて手が滑ったのだろう。」と言ったので
善七郎は放免となった。
やはり家康の身に近づかねば命は取れんと考えた善七郎
決死の覚悟で江戸城の寝所への侵入を試みる。
庭に潜んで家康を待ち、亥の刻となって便所に向かう家康を見たが、なにぶん近習が多い。
これでは近づけぬと息を潜めているう内に家康が
「今日に限って庭の虫が鳴いていない。何者かが潜んでいるのではないか。捜してみよ」と言った。
もはやこれまでと考えた善七郎は庭から飛び出し家康に切りかかり
たちまち取り押さえられた。
家康になぜ自分を狙うのか尋ねられた善七郎は自分は車丹波の子であろと申しでて
今までのことをすべて話した。
それを聞いた家康は「あっぱれ孝義の者、罪は問わぬ故佐竹へ帰参し名を立てろ」と言った。
が、善七郎は「不倶戴天の仇を残したままではどこにも行けません。ここで切腹するほかない」と返した。
これに家康はわざと怒り「わしの助命の言いつけを聞かぬというなら、九族皆殺しだ」と言うと
善七郎は
「父の仇を取れぬまま、母も失うとはさらなる不孝。しかし仇に助けられては人交わりができませぬ。
かくなるうえは乞食らに混じり、天命を終わることにしましょう」とようやく受けた。
後に家康は善七郎を江戸浅草の非人頭とした。
以後代々「車善七」としてその家系は続いた。
200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 18:39:17 ID:qhnDLfjW
>>191
『史記』の刺客列伝に似たような話があるけど
一度は許したんだから二度目はもう許さん、じゃなくて助命してやるあたりは日本的だな
202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 22:15:52 ID:mGIWHIxY
>>191
まとめでちょっと触れられてるやつか。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-477.html
しかし虫の鳴き声が止まるってのは考えて見れば当たり前だよな
夏の忍者は大変そうだ
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 04:02:35 ID:fpIUzEB4
>>191
それが年に二度ほど、旅先のマドンナさんに岡惚れしてはフられて見送るテキ屋の寅さんに……
って直接関係はない設定だよな。浅草で車って姓でもさ
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 09:57:03 ID:vZyIf0ZA
>>212
あれは浅草じゃなくて、葛飾区柴又。
でも、なんかで車善七と寅さんの関係性を類推する考察を読んだことある。
あまりにも漠然とした記憶なんで今まで書き込まなかったけど。
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 10:02:42 ID:WVXtbpJF
とある説じゃ、車寅次郎のモデルは吉田松蔭(寅次郎)というのがあるが、戦国時代と関係ないわな
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:05:43 ID:FjuRyT0e
名前と純情さ以外に共通点が無いような
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:44:21 ID:A+78dNR5
やたらと放浪するのと妹の息子を可愛がってるという共通点とかもあるそうで
217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:49:39 ID:k7JtC5XN
ガチガチの攘夷思想なのにアメリカの軍艦に乗って密航しようという発想と行動力がすごいw
脳内のリミッターみたいなのが壊れてる人
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