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佐々成政とその側室、早百合・悪い話

2009年06月12日 00:07

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 11:14:02 ID:vHUDeOqg
佐々成政の側室に、早百合と言う美女があり、成政の寵愛を受けていた。

さて、成政は対秀吉の交渉の為、富山から駿河の徳川家康の許に向かう。
有名な「さらさら越え」である。
この時に成政の小姓の一人、竹沢は病を得ていたため、この一行に加わらなかった。

やがて交渉は失敗し、成政は空しく富山に帰った。
帰国草々の成政に、さらに不快な噂が耳に入った。

「早百合は懐妊している。その父親は竹沢である。」

先の交渉の失敗もあり、気が立っていたのか、成政は竹沢を呼び出すと、たちまち斬り殺した。
そしてその足で早百合の部屋に駆け込み、早百合の髪を逆手に持って宙に引き上げ、
首と胴を切り離し、その首は神通川の柳の枝に結んでぶら下げた。

早百合懐妊の事は、彼女が寵愛されているのを妬んだ、他の側室達の謀であったそうだ。


この後、神通川では、夜な夜な火の玉が現われた。富山の人たちはそれを、無実で殺された
早百合の亡魂であるとし、「早百合火」「ぶらり火」と呼んで、恐れたと言うことである。





206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 11:32:03 ID:7zoKuayY
徐々に成政がDQN化して行く…福島よりも血なまぐさいのが
なんとも…




207 名前:訂正[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 12:04:42 ID:M/LjrgMY
>>205
この話には眉唾だけど続きがあるんだよね

処刑される寸前に小百合がこう成政にこう呪いを吐きかけた

「立山に黒百合が咲く頃、佐々の家は絶えるであろう」

ラスボスに降って越中の所領を没収された成政だったが、
彼の助命を取り成し、後に肥後の大名に復帰させてくれたのは
ひとえに北政所の尽力によるものだった
成政はなんとかこの恩に報いたいと日頃考えていた

さて、その頃、成政の旧領立山に季節はずれの黒百合が咲き出した
これを聞いた成政、すぐ飛脚を手配させ

「珍しい花が手に入りました」

と、北政所に献上し、彼女もその可憐で貴重な花を大変に気に入り
茶会の席でこれを活けさせた。さて、そこに出席していた淀殿。
その場では黒百合を誉めそやしたものの、北政所にメラメラと対抗心を燃やし
黒百合の群生地である白山からごっそりと株を京に運び
聚楽第の廊下中に花入れをかけて大量に活けさせた。

これを見たねねさん大激怒

「成政め、ありふれた花を珍しいなどと言って、私に恥をかかせおって!」

この後、肥後で国人一揆が起こるが以前はあれほど成政を庇ってくれた
北政所が逆に成政の失態を夫に讒訴したため、成政は死を命じられたという。

地元の昔話集なんかにも載ってて有名な話。




208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 12:15:02 ID:GwRy/JFn
ダブルで女の恨みは怖いな。

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 14:50:05 ID:RlhovSPt
昔、立山いったときに佐々の格好が再現されてたような
記憶があるんだが、藁沓レベルで冬季北アルプス越えとか
キチガイだとおもたw

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 16:15:10 ID:ch41pWeA
佐々家は存続してるけどな。
今現在でも。

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 18:08:17 ID:VbL0rQ2V
元警察官のあの人のことか

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:11:02 ID:RlhovSPt
水戸藩に仕えた家系とかあったな

224 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/12(金) 00:19:06 ID:mRFVwe3h
>>207
助命はともかく、肥後一国は本当なら迷惑だったな。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 01:31:04 ID:lZD+E4gI
>209
そら日本山岳史、登山史的に空前絶後の壮挙(暴挙)だもん


佐々成政、さらさら越えの途中で

2009年06月12日 00:06

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:44:21 ID:GVVwokCp
政略が成功してれば日本のハンニバルとか呼ばれたかもね。>さらさら越え

なぜか佐々には怪異譚が多い。別に悪い話じゃないが、流れで書いておく。

さらさら越え最中の佐々一行、途中で小屋発見。
はて小屋なんてあったかなとおもいつつも寒さをしのぐために入ってみると
中に大男が二人。
まあ、挨拶しないわけにはいかない。自分らは佐々成政の一行である云々。
大男、答えて
「わしは悪七兵衛景清」
「わしは越中次郎兵衛盛嗣」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工     それって源平時代の人じゃん!

「いかにも。山中に潜伏し、機をうかがって鎌倉へ忍び込み、頼朝めの首を
挙げてやろうと……」

からかわれてるのか? 本当に平家の大将方だというなら証拠をみせろ!

そこで大男二人、小屋の外へ出て大きな雪の塊を持ち上げ、大声一喝、
谷に投げ飛ばした。

その瞬間、二人の姿は消えてしまったそうな。




214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:48:16 ID:wh0ZFYw+
>>213
悪七兵衛景清って源平討魔伝のあの景清さん?

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:48:33 ID:nrxlmyKP
こりゃまた凄いのが出てきたなw

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:55:44 ID:vHUDeOqg
>>214
そう。藤原景清こと伊藤景清こと平景清。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 21:14:51 ID:H+hZGXa7
まあ戦国時代に限らず雪山って怪異譚には事欠かないからねぇ。

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 23:24:58 ID:JNT/cbP0
>>213
イエティの見間違いだろ


佐々成政、謙信由来の脇差を・悪い話

2009年06月07日 00:00

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/06(土) 02:07:42 ID:9ifeAUDT
佐々成政が越中を支配していた頃の事である。

越中の阿保と言う所に、菊池入道と言う者がいた。彼は、元は上杉に属し、
今は佐々に従い、息子を成政の傍に人質として置き、成政が居城にしていた外山に
常に出仕していた。

ある時外山にて酒宴が行われ、成政は興に乗じて、彼がいつも自慢にしていた
ナマズの盃を取り出し、これを菊池入道に差し出した。
入道、これを頂き三度傾け成政に返した。

そこで入道、自分の脇差を差し出し「これはかつて、上杉謙信公より頂いた物であります。
どうぞこれをお納めあって、謙信公にあやかりますよう…」

これを聞いたとたん成政は激怒した。

「何をあやかれと言うのだ!謙信の武勇など、何ほどのことがある!」

そうしてその脇差を投げ捨てた。入道はあわてて、

「ぶ、武勇の事ではありません。
謙信公は九ヶ国の管領になられました。その果報にあやかるようにということです。
この入道は歳ゆえ耄碌してしまい、酒に酔っ払ってもしまったようです。
この脇差はどうぞ、お傍の小姓の方に差し上げてください。」

と、酌をしていた小姓に渡した。
これに成政の機嫌は直り、「小姓があやかるには丁度よいものだ。」と、
笑って言ったそうである。

気宇壮大というべきか、思い上がっているというべきか。
そんな、佐々成政のおそらく絶頂期の頃のお話。





80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/06(土) 02:26:03 ID:4r3SsSBo
>>79
末路を知ってるだけに哀れな話だね

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/06(土) 17:10:25 ID:AaxVXT0A
>>79
結局この後に菊池氏は前田利家に寝返って末森城の合戦につながるんだっけ。
成政にとっては大変悪い話。


佐々成政と千光寺の釣り鐘・悪い話

2009年06月04日 00:03

982 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/03(水) 01:13:14 ID:CbZYVCzY

鐘の話が出てるので

鐘ヶ淵

富山県・砺波の千光寺の釣り鐘は、音が良いことで知られていた。
毎夕時を知らせ、その音は遠くまで響き渡っていたのだが、それが気に食わない男がいた。
富山城主:佐々成政である。
この男、何か鐘の音にはこだわりがあるのか、
他にも本覚寺の鐘の音が富山城の鐘より良いことに腹を立て、
鐘の内側に砂を焼き付けさせたことがある。
(今でも鐘の内側になんかぼろぼろしたものがくっついているそうである)

千光寺の鐘の音が気にいらない成政は、鐘を切り落とさせてしまった。
鐘はごろごろと山を転がり、川に落ちていった。
村人は鐘を引き上げて元の場所へ戻そうとしたのだが、
半分ほど引き上げたあたりで寺が火事だという知らせが来た。
鐘をそのままにして、慌てて寺に駆けつけたが、何もない。
村人達が首をかしげつつも鐘の所へ戻ると、鐘は川に沈んでいた。
また引き上げていると、途中で日が暮れたので作業を中断することに。
しかし翌日、途中まで引き上げたはずの鐘が、また川底に沈んでいたのである。
以後、何度繰り返しても鐘は上がらなかった。

村人は引き上げるのをあきらめ、そこを「鐘ヶ淵」と呼ぶようになった。
鐘は後に大蛇となり鐘ヶ淵の主となった。
主は毎年の縁日には美しい娘に化けて寺に参ったそうである。





984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 08:51:33 ID:t/ynzK92
>>982
なんで娘に化けるのだろうな
男でもいい筈なのに
しかも美しいという形容詞までつくなんて
やっぱり、こういう伝説を語り伝えた昔の人たちも
人外な娘さん萌え~(はぁと)
物の怪な娘さん萌え~(はぁと)
だったりしたのだろうか

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 09:01:35 ID:4iVu0Vtn
そりゃ化け猫とかもも当初はおどろおどろしい化け物そのものだったのが、
月日を経るにつれて萌え要素が付け加わって行ったって話だしな
触手とかも葛飾北斎ので有名だし
まあそうそう日本人の性癖は変わらんよ

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 10:04:27 ID:7QXnSp6R
俺がもし淵に沈んだ鐘で、どんな人間にでも変身できるとするなら、
むくつけき大男になるか、それとも美女になるか。考えるまでもない。

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 10:20:07 ID:QXbeVbJF
鐘と大蛇ってよくワンセットで出てくるよね。
発祥は何なんだろう?

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 10:21:37 ID:x9N3Pqaw
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%8F%8D%E3%83%BB%E6%B8%85%E5%A7%AB%E4%BC%9D%E8%AA%AC
これっぽい
何を表してるんだろうな

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:09:30 ID:6Zs0Evj1
>>988
蛇(凸)、鐘(凹)。
あとはわかるな!?

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:10:02 ID:zy6HUs5D
「なんだってぇ、鐘が若い女に化けたんでしょうねえ、ご隠居」
「そりゃお前さん、鐘は突く方じゃなくて、突かれる方だからだよ」

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:15:49 ID:x9N3Pqaw
なるほど、道理だw

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:25:09 ID:6Zs0Evj1
まあ、安珍と清姫の場合は逆なんだがな……

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:31:06 ID:qw4FdhfQ
ありゃ安珍が受けで清姫が攻めだからだろ

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 11:43:33 ID:6Zs0Evj1
男色が横行する仏教界と肉食系女子に対する皮肉でもある……か?

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 12:03:05 ID:q3YkIQph
鐘ってのは本来その音色で煩悩を散らす目的のもので
蛇ってのはそんな煩悩の根源、お釈迦様の修行も妨害した魔族の眷属だからなあ
なんかしら比喩があるんだろ

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 12:25:38 ID:7QXnSp6R
鐘とはその形状からわかるとおり、子宮の象徴であり母体を表している。
蛇が情欲の化身であることは言うまでもない。
清姫に性的関係を迫られた安珍が鐘に身を隠したのは、母体回帰願望の現れである。
すなわち、性的に未分化な状態に留まりたいというルサンチマンである。
一方、情欲の化身たる清姫はそれを許さず、安珍を焼き殺す。
性徴を止めることはできないのだ。
つまり、安珍と清姫は、思春期における少年の不安な気持ちと成長を表した物語なのである。

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 13:08:42 ID:COaO178s
鐘を供養する前に言っておくッ!
おれ達は今 成政のスタンドをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

『おれ達は川底から鐘を引き上げたと
思ったらいつのまにか沈んでいた』

な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれ達も何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

煩悩だとか大蛇だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 13:16:31 ID:naZl3JzA
>987
お鈴のかわりにトライアングルを二回叩くんだ


佐々成政の素行に千田吟風・いい話

2009年05月28日 00:07

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 00:44:43 ID:OS/js5zz
佐々成政は居城の比良城の客分・千田吟風に古今東西の名将達の
ことを教わった。だけどもこの頃の成政は素行が悪く、吟風に突っ掛かった。

「くだらねえ。昔の武将の言行なんて、本当にあったか怪しい
もんだ。違うかい、先生よ?」

成政は過去の名将の逸話なんて嘘臭い、自分には信じられないと
食ってかかった。すると吟風は成政にこう言った。

「ほう、名将達の言行を疑われるのか。しかし、何故その前に
ご自身の馬の肥やしにもならない馬鹿な遊びに疑問を抱かぬのやら?」

成政は吟風に一泡吹かせたつもりが、逆に痛いところを突かれて
しまった。それからの成政は素行を改めて真面目になったという。





11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 13:32:27 ID:TFuLMtWx
>>5
注意やアドバイスは相手を納得させなければ反抗心を煽るだけだからな。
だけど武田信繁のようにその反抗心を戦にぶつけさせる方法もあるわけで。
時と場合によって良いことが悪くなり、逆もまたある。
このスレは奥が深い


佐々成政、信長への諫言・いい話

2009年05月27日 00:10

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 02:19:02 ID:4HHGDU0P
悪いスレでやらかしたのでいい話を。

信長が酒宴の時に朝倉義景、浅井父子の髑髏を出して盃にした
という話はよく知られている。この時の信長はすこぶる機嫌がよく、

「お前達の尽力に報いるため、このような肴(髑髏)を用意した。
わしはこの上ない喜びを感じておる」

と言って家臣達に褒美を与えたという。その席には佐々成政がいた。
酒宴が終わると彼は信長に言った。

「後漢書に『王者四海をもって家とし、万民をもって子とす。
天万民を生じ、君を立ててこれを養う。君道を得るすなわち、
人これをいただくこと父母の如く、これを仰ぐこと日月の如し』
とあります。

上様に従わない国があるのは、上様の不徳ゆえとお考え下さい。
ご自身の良くないところは省みなくてはなりません」

これを聞いた信長は成政の手を引いた。まさか手討ちに!?
いやいや、そうではない。成政の換言に感じいった信長は
別の部屋で政治について語り合ったのである。この事について
信長の側近・武井夕庵は成政の教養はたいしたものだと感銘を
受けたという。





967 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/26(火) 02:26:18 ID:un3IS8W2
>>966
平手政秀の切腹が引っかかっていたのかな?

968 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/26(火) 03:00:21 ID:J9KaWTCE
脳筋キャラだとばかり思ってたのに

969 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/26(火) 03:07:14 ID:mTmKivwd
>>966
結局、そういう家臣の命懸けの諫言を全う出来なかったから本能寺で桔梗が狂い咲いたんだよ

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 07:56:05 ID:B4/WzbHo
>>966
この諫言は大河の秀吉では秀吉、利まつでは利家のエピにされてたなあ
秀吉は仕方ないかもしれんが、利まつは成政も準主役だったのに
おいしいところ持っていかれて泣けた

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 11:31:10 ID:axS3fpcZ
>>966
手を引かれて別室に連れていかれたら手打ちよりアッチの方が心配

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 12:45:51 ID:15PhcM/s
そもそも杯にしたってのが戦後の小説から出てきたうそだし。


976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 13:56:22 ID:bpsp6up7
wikiだけど

>一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月の宴席において
>箔濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)
>にした義景、久政・長政父子の三ツ首を御肴として白木の台に据え置き、
>皆で謡い遊び酒宴を楽しんだとある。
>なお、これを杯にして酒を飲んだという俗説もあるが史料には見当たらない

>>966が盃と勘違いして書いた可能性もありそうだからなんとも言えない気がする

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 18:37:47 ID:P1MXU7jk
趙の襄子はいじめっ子の智伯を斃した後に頭蓋骨を杯にしたとか、
便器にしたとかいう逸話があるけれど、信長がそういう教養があったとも思えないので
これは独創なのだろうか。

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 18:52:41 ID:JmtoLtdZ
左伝とか史記とか日本でも学識層の基本学問だし
耳学問で入ってるんじゃね

岐山にちなんだ地名とか教えてもらってつけてんじゃん


982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 19:43:42 ID:4HHGDU0P
>>974>>976
ごめんなさい。そこは俺のミスです。でも箔濃とか成政が故事を例にだして
学識豊かに諌言したとかは信長記にあって捏造じゃないんでご容赦。

ところで髑髏をそういうふうにすると、神通力を得るという信仰が当時あったそうで。
もし本当なら信長は決して無信仰ではなかったんでしょうな。

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 21:18:34 ID:ECg8PFlJ
叡山には箔濃職人もいたしな
偉い坊さんの頭骸骨を箔濃にするそうな
立川流とはちと違うのかな

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 21:24:54 ID:1/Mul+nM
立川流って奈良の大仏の前で乱交したあれか?

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 22:50:32 ID:xpb8z1PH
>>982
箔濃の記事は確かに太田牛一の信長記にある。というか、これにしかないが。
(厳密には、信長記から引用された江戸時代の書があと一つある)
しかし佐々成政の諫言はないぞ。

甫安信長記か?

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/26(火) 22:55:14 ID:4HHGDU0P
うん。七巻元日酒宴の事。


魚津城の人魂

2008年12月09日 00:01

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 18:48:41 ID:IIGpUyu2
魚津城の人魂


越中の魚津城を、佐々成政が攻めた折の事

城の者達は必死に防戦したが、攻め手に比べ城方は数少なく、次第に劣勢となり、
ついに明日は落城、討ち死にだ、と言う状況になった。

城の者達はみな、それぞれに今生の別れを交し合った。女子供たちは嘆き悲しみ、
その哀れさは言葉にならないほどだったという。

そんな中、日没を迎えた。その時である

城内から、多数の光の玉が現れた。

それはたちまち、天へと飛び出していった。寄せ手の者達はそれを見て、
「おお、見ろ。あんなに人魂が出る。城ではきっと死に支度をしておるぞ」と、さざめいた。

ところが

この人魂を見たためか、翌朝、佐々成政は、降伏、開城とひきかえに、城方一同の助命
を認めた。死を覚悟していた魚津城の者達は、皆喜んでこれに従った。

するとその夜、昨夜の人魂がまた、何処からとも無く現れ、今度は魚津城の城中に
戻っていった。

この事は、数千人もの人々が実際に見たと言う。
戦国時代の不思議なお話。



150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 19:15:54 ID:MmUOn6Jt
いつの魚津城攻めかな?
例の、「名札つけて全員自決」戦じゃないのかね?

佐々成政といい加減な採用・いい話

2008年10月16日 00:46

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 14:21:42 ID:dm3qyj1K
口コミの話

織田家の猛将で知られる佐々成政は、越前の郡持大名から越中の国持大名に抜擢された。
佐々は、領地が増えたので新規の家臣の求人募集をした。
なんと、募集要項には「武功自慢求む」とあるのみ。

仕官希望の牢人の面接官には、佐々自らあたり、武功自慢の内容がビックな者はどんどん取り立てた。
しかも、求人1000石の応募者には、1500石で採用。求人500石の応募者には、700石で採用といった具合に
牢人衆に大盤振る舞いをした。

見るに見かねた側近が
「殿が大盤振る舞いをするから、牢人の中にはホラやウソの武功自慢をする不届き者がいます。いいかげ
んな採用はお控えください」と諌めても
「ホラでもなんでも、ワシの手足になる者なのだから、構うまい。それに、武功自慢が三度のメシより好き
何だもん」と一構に気にしない。

果たして、佐々成政のうわさは近隣諸国に広まり、結果的に名のある牢人衆を多数召抱えるころができたとさ。




438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 21:02:38 ID:Ws6Dkeqy
佐々は40万国で兵25000と言う話は知っていたが
裏話ってあるものだな