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日頃よりたばこを用いていた故に

2020年08月16日 17:59

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/15(土) 20:18:12.16 ID:jjtTjOVp
慶長十三年、
ここ二、三ヶ年以前より、たばこと云うもの、南蛮船によって来朝して、日本の上下これを専らとし、
諸病気もこれによって平癒すると云われた。

しかしながらこれを喫する者で、悶絶して頓死する者が多かった。また南蛮より医師が来朝して曰く、
このたばこを吸う者は発病しても、薬を与えるべきではないと云われた。
たばこのことは医書に書かれておらずこのように云われた、我が朝の医師も同じであった。

(中略)

土方河内守(雄久)が江戸に於いて病死した。日頃よりたばこを用いていた故に、喉が破れ相果てたと云われる。
彼は尾州内府(織田)信雄(信長公二男)無双の臣下であった。

当代記



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たばこというものが我が国へもたらされ

2016年08月05日 19:43

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 03:09:20.23 ID:UldHySRU
・この年(慶長13年)の2,3年前から、たばこというものが南蛮船により
我が国へもたらされ、日本の上下の身分とももっぱらこれを使った。

諸病がこれのために治るという。ところが、この頃はこれのために病んだ
者が悶絶して急死することが多かった。

また、南蛮から日本へ来た医師曰く、「このたばこを吸う者に発病する者
がいるのだが、薬を与えようにもどうしていいものか分からない」という。

たばこのことについて、医書には書かれていないから、このように言った
のである。我が国の医者もこれと同じであった。

・(同年11月、)土方河内守(雄久)が江戸で病死した。日頃、たばこを
使っていたので、喉が破れて相果てたという。

この人は、もともと尾州内府信雄(織田信雄)の無双の臣下である。当時、
江戸の将軍(徳川秀忠)の進士(御伽衆か)だった。

――『当代記』




938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 07:09:17.03 ID:rk97Jy4V
病んだ者が悶絶して急死

ってひでえな。タバコ。喉が破れるまで吸うなよ

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 16:05:36.77 ID:7vxlFaRG
そんな時代にタバコの害がわかってたのに
なんで昭和まで気にされなかったんだろう…。

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 18:50:02.21 ID:UDHootWr
>>939
江戸時代に何度も禁止令が出てるじゃないか

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 21:14:45.70 ID:Qz2iXZq6
毒草でも炙ってたんじゃねーの?

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 23:36:52.22 ID:a2qxPZNm
白い粉か

この時、土方雄久は12歳である

2015年11月28日 17:20

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/27(金) 20:27:56.49 ID:vkP+opzm
ある記録によると、土方雄久が若いころ、美濃国守護であった斎藤龍興に頼まれて、
斎藤山城守(道三)の子二人を、同じ枕に切り伏せ、北畠の家臣である岡田長門守を
誅する時も、雄久が武勇を顕したという。

しかし、岡田長門守を誅殺したのはともかく、斎藤龍興のために山城守の子供を
討ったという話はいかがだろうか?
斎藤龍興が滅んだのは永禄7年8月のことだが、この時、土方雄久は12歳である。
龍興がどうして、幼い者を頼むだろうか。

また、龍興が弟を殺したという話は聞いたことがないが、山城守の嫡子である斎藤義龍は、
二人の弟の喜平次、孫四郎を討った事があった。
おそらく、この事が誤って伝えられたのだろう。
そもそも土方家の系譜にも、この話は見えない。

世の中に誤って伝えられている事は、この類のものが甚だ多いのである。

(藩翰譜)

新井白石先生による俗説批判である。



689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/27(金) 21:29:49.66 ID:/VdiPR30
ドカタなら幼くても有り得る話だろ

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/28(土) 15:34:44.95 ID:TSVgMSbe
藩翰譜は稲葉山陥落永禄7年説なのか

まな板にも足はあるのだ

2014年01月11日 18:50

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 11:25:04.98 ID:RPPjC5Qd
小ネタだが。

天正17年(1589)、上杉景勝が佐渡へ侵攻し、羽茂城を本拠とする羽茂本間家は滅ぼされた。

その少し前、天正期のある日。

羽茂城主の本間高貞が朝飯を食べていると、台所の方からまな板がカタンコタンと歩いてきた。

驚いた側近が刀を取り出してたたっ斬ろうとしたところ、高貞は

「まな板にも足はあるのだ。歩いていても不思議は無かろう」と静止した。

人々はその出来事が羽茂城落城の前兆なのではないかと噂し合ったという。




244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 12:02:00.35 ID:BiStOi14
「まな板にも足はあるのだ。歩いていても不思議は無かろう」
いや、この理屈はおかしい。

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 12:17:00.10 ID:2nNB0Xoi
貧乳すぎて抱く気にならなかった
奥を揶揄している可能性

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 12:26:03.67 ID:rE0OVWz4
四足歩行ロボットか

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 14:33:13.27 ID:15m4yARu
>>244
えっまな板に足あるだろwこれだからゆとりは困る

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 18:53:27.22 ID:cVPytbvp
「まな板に足はない」ではなく「理屈がおかしい」って言ってるんだから
間違ってはないな、これだから慌て者は困る

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 19:42:05.98 ID:11NUCyDg
>>247の家臣にはなりたくないな。
説明のある>>248の家臣なら考える

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 20:09:36.51 ID:tsP+a3zb
たまに味噌汁椀がテーブルで移動したりする現象と似たようなもん?

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 20:49:42.15 ID:GNCHgwMV
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/19/Houchounin_in_71_shokunin_utaawase.png
Houchounin_in_71_shokunin_utaawase.png

ここの住人の諸兄なら知ってるとは思うけど、
念のためwikipedia先生からまな板の足。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 21:57:33.57 ID:POnaVrBd
本間って花の慶次で散々な扱いだった一族か

武士は長刀を好むべからず

2013年05月11日 19:56

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 23:14:25.21 ID:Zfi/+jJG
武士は長刀を好むべからず

牧野有馬允常は士にこのように語った。

「武士はあまり長き刀を好むべきではない。
短い刀で敵の手元に踏み込み、鍔元で頭を割られる位の懐で敵の腹を突き通す覚悟が良い。
これほどの覚悟が無ければ勝ちは得難いものである。
故に私は常に短き刀を刷いているのだ。」

注訳:これは精神の問題である。単に刀の長短の事と解する事なかれ
(武人百話)




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 00:11:05.77 ID:PMPb1CaM
>>592
オマエ真柄さんdisってるのかよ(´・ω・`)

たまたま今日、トーハクの大神社展で鹿島神宮の直刀見てきたけど
こんなの使える奴いるのかよ
http://www.kashimajingu.jp/wp/jingu/jingu06

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 02:07:28.04 ID:In/u6lII
これ精神的なもんだから!気構えだから!

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 07:12:59.32 ID:FIFAtLKa
スコール? マテリアはどこにはめるんだ?

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 10:52:38.55 ID:wRk4C41N
>>593
それは最初から神様用に作られたものだから。
分割して作った刀身を鍛接してるから実用品じゃないよ

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 13:18:26.44 ID:zr8FVg9W
鮭様のバールのようなものと思えばいいんじゃないか?

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 14:08:26.59 ID:5p63js68
榊原健吉なら真柄さんの刀使えたかも

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 16:41:51.93 ID:1MK/qNbO
>>599
あれは本当にバールのようなものっぽい形をしてるからな

越前一揆の暴走

2013年03月25日 19:14

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/25(月) 00:11:11.16 ID:fiBc4fQU
天正二年正月二十八日、富田長繁と袂を分かった越前の一揆勢は加賀より七里頼周を大将として招き、
本願寺の戦力であることを明確にした。

しかし、一揆勢の制御は七里達にも取れていなかった。
武士も含めた反信長勢力の糾合を目指す本願寺の意思に反して、一揆勢は各所の武士達を攻撃し始めたのである。
丹生郡三留の朝倉孫六が討たれ、河北の黒坂与七も攻め滅ぼされた。
七里頼周は黒坂一族の首を持参した者を「命令無しに勝手に武士を殺すのは言語道断」として成敗したという。

この頃、丹生郡末野村(現越前町陶の谷付近)は立神(立髪)氏が治めていた。
この立神氏も蜂起した村人達によって討ち取られ、屋敷は略奪の対象となり火を掛けられた。
立神氏は前年十月の時点で本願寺と結び顕如からお墨付きを受けていたにもかかわらず、である。
この年の二月に作成され、一揆の指揮官である坊官に提出されたと思われる『某申状』はこの件を「理不尽」とし、
村人を召喚して糾明するよう求めている。

その後も一揆勢の丹生郡での暴走は収まらず、朝倉景綱が逃亡すると暴徒化した一揆勢によって
剣神社が大きな被害を受けることとなる。




53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/25(月) 13:52:43.42 ID:BmG1XOoo
>>51
なんだ、一揆もヒャッハーか
ヒャッハーが持ちたる国越前

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/25(月) 14:09:29.47 ID:ilM5LbTd
味方にする方が厄介だなw

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/25(月) 18:31:08.73 ID:cE0fpfoo
剣神社といえば織田一族にとって大事な場所だよな

釜茹でもやむなしか

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/25(月) 19:03:53.14 ID:NFO/N5Xx
鳴かぬなら まとめてヒャッハー 不如帰

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大聖寺城、最後の奮闘

2010年04月10日 00:02

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 22:11:15 ID:tLytfPMW
大聖寺城主山口宗永の嫡男、山口修弘と言えば、薙刀の名人として天下に名高い男であった。

慶長五年(1600)8月2日、関ヶ原、前田利長による大聖寺城攻めで、修弘は父の籠城の方針に反対し果敢に討って出た。
これに油断していた前田勢は一度は撹乱したものの、やはり大軍である。当初の混乱から備を立て直すと逆襲、
修弘は城に押し戻された。しかし場内に残っていた山口方も出て反撃し、両軍は城壁側での乱戦となった。
ここで山口修弘の薙刀がうなる。水車に回し敵をなぎ払い、前田勢は修弘一人に追い立てられるという有様であった。
まさに無双状態である。

これに前田方の兵法の名人山崎次郎兵衛、利長の陣から抜け駆けし小太刀を抜いて修弘に迫る。
それを見て勇気を取り戻した前田の兵たちは数百人が山崎に続き修弘に殺到した。

この時櫓の上から、修弘が敵に取り囲まれているのを修弘の乳母が発見した。
この女、元より大力で有名であったが、これを見るや人夫たちに材木や大石をもたせ駆けつけた!

「若様に何をするか!」

乳母、人夫に持たせた材木や大石を受け取ると敵に向かって次々と投げつける!今度は女ドンキーコングだ。
これにより10人余りが討殺されたのだと言う。

前田勢は

「あれは人間じゃない!」

と大いに驚き恐れ進みかねた。ここで大将の山口宗永はじめ城兵が「修弘を討たすな!乳母を討たすな!」と
一斉に討ってで両人を回収。前田軍はそれを囲んで殲滅しようとしたが、ここに修弘と乳母が取って返し
天魔鬼神のごとく暴れまわった。これには大軍と言えどもたまらず、軍の真ん中を開いて彼らを通した。
無双と女ドンキーコング。これに立ち向かえと言う方が無理であろう。


…が、やはり山口勢は寡兵であった。
数度目の戦闘で乳母がついに討死。山口宗永、修弘親子も翌日、自刃した。


修弘は当初籠城を主張した父宗永に、こう言って説得したと言う

『この城でたとえ5日10日固く守ったとしても、後詰のあてが無い以上兵糧が尽きて餓死をするだけです。
我が城は兵糧の備えが足らないのです!ならば討って出て一戦し、名を後世に留めるべきでは
ありませんか!?』


大聖寺城、その最後の奮闘である。




987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 00:57:24 ID:s+Jxys/L
>>984
乳母さん、すげえ度胸と忠誠心だな
やっぱり戦国時代は女も強かったんだろうか



関連
富田高定、殉死をしそこね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3963.html

大聖寺城の戦いにて

2009年10月07日 00:02

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 13:25:58 ID:44PNh/LV
東軍、前田利長の軍勢が、西軍、山口宗永の籠る加賀、大聖寺城を攻めた
北陸の関ヶ原、大聖寺城の戦い。
優勢な前田軍の猛攻に、この大聖寺城ももはや落城、と言う状況になった。
その頃の事である。

山口宗永は籠城の際、人質としてであろう、多くの領民も城の中に取り込んだ。
その中に加賀山中は湯元の、年寄り衆十人の内の一人、角谷六郎右衛門と言う人がいた。
彼は自家の下人二人と共に、落城寸前の大聖寺城に有った。

この時、下人の権助と言う者が主人である六郎右衛門に問うた

「この城はもう駄目です。六郎右衛門様は討死なさる覚悟なのですか?」

「いいや、何の恩義も無いここの殿様のために、ご家中の面々と一緒に討死など、
無益この上ない事だ。

が、しかし、敵は既に城内に入り込み、ここから脱出するのはもはや無理のようだ。
この上は良き敵に出会って討死するより他は無いだろう。」

これを聞いて、権助
「あれをご覧ください、城内で首を取った前田方の兵士は、実検にかけるため次々と
城外に出ています。

…しからば、私の首を斬り落としてください!
そしてその首を持って高名を成した寄せ手の兵に紛れ、この城から脱出するのです!」

「何を言うか!どんな謀かと思えば、罪も無い下人の首を斬って討死を免れるなど、
そんな道があるものか!
くだらない事を言うより、とにかくおまえ自身が身を全うできる事を考えろ!」

「ならば!」

その瞬間、権助は小刀を抜き自分の喉を掻き切って、たちまち死んだ。
これに六郎右衛門はさすがに呆然としたが、こうなっては仕方がないと、
権助が言い残したとおりに、その首を斬り、もう一人の下人にその首を持たせ、
高名の兵の体を装って金が丸より外に出た。
この時、見咎める者は一人もいなかったそうだ。

無事、山中へと帰った六郎右衛門は、この権助の首を篤く弔った、と言う事である。

歴史の表には出てこない、とある忠烈のお話。





205 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/06(火) 13:35:24 ID:V1cXdGM6
いい話じゃないか…なぜここに?

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 13:48:59 ID:44PNh/LV
>>205
義務でも好きで籠城した訳でもない話なので、こっちかなあとw

207 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/06(火) 14:40:52 ID:RYL8Zq1r
読むと首持たずに出て行ってもバレなさそうな気がするが

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 15:03:12 ID:N20xoCgD
すごい話だ。

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 15:43:12 ID:19yVSF1B
庶民とかの首を取って手柄を偽装したみたいな話が有る位だし、
篭城する中に居ては人質代わりとはいえ、
命は保証されて無いようなものだろうからねぇ

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 16:34:51 ID:k8BHMK61
戦国のかなり凄い話か、極端だけど痛快だなあ

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 19:07:14 ID:X2oxNAnm
死人に口なしとか考えてしまった。
いや本当に忠烈な良い話なんだろうけど。

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 20:52:54 ID:UJLiSbD+
>>206
領民で顔役なら篭城は義務でしょ

相部次郎右衛門の切腹

2009年09月26日 00:02

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 14:27:34 ID:T489/zDC
さてさて、>>708で主君村上頼勝をも狼狽させた、幻術師相部次郎右衛門。
狼狽させたほうは大成功だろうが、狼狽した頼勝のほうは、彼のことを非常に不安に思った。

頼勝は家老を呼び、その不安を語る

「次郎右衛門の幻術、あれはあまりに怪しすぎる。
あの男をこのままわが家に抱えては、世の中に至らぬ噂を振りまくだけでなく、
下手をすれば最近ご禁制となった、切支丹の類とすら見られるのではないだろうか?

だからと言って暇を出しても、その後何か騒ぎを起こされて、わが家がそれに
巻き込まれぬとも限らない。

よって、大変不憫なことではあるが、無益な術を身に付けた事、不肖であるとして、
次郎右衛門に切腹を申しつけよ!」


家老の面々は、頼勝の決心を変えることは無理だと考え、次郎右衛門の元に検使を派遣し、
その旨を伝えた。
しかるに次郎右衛門は、「それではしかたがありません」と、抗弁すらなくあっさりと承諾。
かねて懇意にしている寺に行き、そこで切腹するとした。

腹を切る前、次郎右衛門はその寺の住職に

「私が切腹した後は、その遺体を長持の中に納め、それを鎖で巻いて、埋葬していただきたい。」

そう言い置き、腹を真一文字に切る。
そこを介錯人が首を打ち落とすと、彼の遺言の通りに埋葬した。

そこまで見届けた検使が城へと帰り、報告を行っていると、そこに家老宛の書状が届いた。

「あ、相部次郎右衛門からです!」
「なんじゃと!?」

さっそく書状を開くと、そこにはこうあった

『それがし、何の罪も無く死罪に会うことになったようなので、ただいま城下を出て、
どこそこまで退いたところであります。』

一同大いに驚き、検使は大急ぎであの寺に帰って死体を入れた長持を掘り出した。
その蓋を開けてみれば、中には腹を切った、巨大な狸が入っていたそうだ。

これは後に美濃の加納家に仕えた次郎右衛門のかつての同僚が、語ったことだそうである。




744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 15:53:15 ID:lsujLIsc
戦国イリュージョニスト現る

745 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/25(金) 17:16:55 ID:8Xun/+mH
松永さん「妖術ぐらいで狼狽するなんて情けねーw」


746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 17:22:11 ID:GCY73Ivv
もちろん腹切ったタヌキは家中でおいしくいただきますた

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 17:24:27 ID:ocoDKqOi
タヌキといえば化かすものというのが日本人の共通認識だが、
化かすための道具として腹を切らされたタヌキがいるなんて不憫すぎる

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 18:07:22 ID:cJmuv4Ow
動物愛護側からすると、かなり悪い話

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 18:08:44 ID:WD3XCd6a
タヌキっていっても家康のほうでしょ?

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 18:13:33 ID:pv8zzC7d
「ばかも~ん!そいつが次郎右衛門だ~!」

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 19:34:39 ID:+8kOTPuM
そういや今俺たちが一般的にタヌキと聞いて思い浮かべる獣と
童謡なんかに登場するタヌキ鍋に用いられるタヌキは別の生き物らしいね
童謡とかで鍋にされているのはアナグマの類で脂身が少なくてまあまあの味で
現在一般的なタヌキって言われる獣は煮ても焼いても食えない位不味いんだそうな
アナグマとタヌキは地域や時代によって呼び方や種別が混在しててまぎらわしいということらしい

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 20:46:51 ID:tj/WCdUM
タヌキムジーナ事件ってのもあったな。


753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 20:49:08 ID:Vwz80bEc
左慈とか于吉みたいに術を使う奴を殺そうとすると碌な結果にならんな

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 22:03:36 ID:uox+CSPH
>>743
わざわざ長持を鎖で巻いて脱出困難にするとか本気で奇術師じゃねーかw

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 22:07:21 ID:3cVhZO/0
>>754
完全にショーの構えだよねw

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 22:39:56 ID:Of+vPYs+
律儀に巻いちゃう介錯人&住職も相当なもんだな。

何の疑問も持たずに巻き巻きしちゃったのか。

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 23:29:18 ID:leGLu6Rn
当時の人間にしてみたら棺桶(みたいなもの)を何で鎖で縛るのか不思議だったろうな

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相部次郎右衛門の幻術

2009年09月25日 00:01

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/24(木) 19:38:55 ID:K2pSn0ts
越後国本庄の領主、村上頼勝の家臣に相部次郎右衛門と言う者がいた。
この男、武士としてよりも、何故か幻術の達人として有名であった。

ある夜、この次郎右衛門の自宅に、悪友2,3人が集まり軒端で色々と物語などしていた折、
この次郎右衛門ふと空を見上げ、ぽつりと言った。

「今夜は見事な銀河が見られるな。あの銀河に泳ぐ鮎を食いたいものだ。」

友人達はこれを面白がり、

「そんな事、どうやってするというのだ」

と、げらげら笑った。しかし次郎右衛門

「よろしい、では今宵のもてなしに、銀河の鮎を獲ってくるとしよう。」

そう言うと下僕を呼び、細引縄を幾筋も持ってこさせ、その縄をみな結びつけると
庭に降り、繋ぎ合わせた細引縄の端を取って空に向かって投げ上げた。

するとその縄、不思議なことに竿のように立ち、どんどんと空へ上っていった。
次郎右衛門はその縄の末に取り付き、共に空へと上がった。

友人たちは、あまりに奇異の事に驚いて空を見上げたが、空高くに上にあがったせいか
次郎右衛門の姿も良く見えなかった。

そのうちしばらくするとだんだんと降りてきて、その姿がわかるほどになった。
そして地上に降りると、袂から、生きた見事な鮎を2,30も取り出し。これを料理して友人達に
饗応した。

このような不思議なことが度々あったので、主君、村上頼勝も「彼の幻術を見物したい」と、
次郎右衛門を御前に呼び出した。

そこで次郎右衛門、「失礼いたす」と立ち上がり、鼻紙を取り出すとそれを裂き、
大豆ほどの大きさにしたものを柱に貼り付けて、また元の座に戻った。

しかし何が起きるというわけでもなく、頼勝はじめこの座にいた者達も、「なあんだ」と
少々残念な面持ち。

ところがしばらくして、柱に貼った鼻紙から、少しばかり水が染み出していることに
皆が気づいた。

村上頼勝をはじめ近習の者達、「何事か仕掛けやあらん」と、目を離さずそれを見つめていたが、
徐々に鼻紙より出る水量は増え、しまいには滝のように噴出し、その座はことごとく水に浸かった。

頼勝もこれにはたまらず叫ぶ

「もうよい!術を止めよ!」

即座に次郎右衛門すくりと座を立ち、柱の鼻紙をはがすとその瞬間、水は消え去った。
その座も、元の乾いたままであった、とのことである。


主君も狼狽させた、相部次郎右衛門の幻術、のお話。




713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/24(木) 21:55:05 ID:zVgG2Htl
>>708
普通の家中の士なんだよな・・次郎右衛門
本物の幻術使い顔負けの術はどこで仕込んだのやら

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/24(木) 21:56:21 ID:R+1dhuZw
中の人が果心居士だったんじゃねえの?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 09:39:18 ID:hLJplzR/
>>708
これは面白いな。縄上りの奇術はインド発生で、中国まで伝わったとされるけど、
日本にも伝わってたんだな。


739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/25(金) 12:56:06 ID:hAg1oxPF
聊斎志異にも縄登りの奇術の話が出て来るから遅くても明末清初には中国に伝わってるのは確実。
戦国時代の日本に伝わっててもおかしくないな。