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高野山についての報告

2020年10月21日 16:33

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 15:37:58.57 ID:ueT0Ekm0
約十日前、甚だ高貴にして善良なるキリシタンが当地に到着したが、彼は用務のため、他の国に至る途中、
この堺から十三レグワの高野山を通過した。

この高野山は、コンボーダーシ(弘法大師)を生きながら埋葬している。彼は甚だ悪しき人物であるが、
彼等(日本人)の間では、最も高き神の一人とされ、これを葬る時、「何人もその墓所に来ることも、また
触ることもすべからず、彼は死するに非ず、休息するものにして、世界の破壊される時に復活すべき」と
云ったという。

同所には五千人の坊主があり、甚だ憎むべき生活をしている。諸国の身分ある者が死した後、その身体を焼き、
その歯を高野に送り、石に称号を認めて墓に葬る。彼等は弘法大師の側にその歯を埋めた者は、直ぐに聖徒と
なるべしと信じている。

日本において、宗教の事に対する尊敬が非常であることは、この悪魔の前に、五百年以上、昼夜四千の
燈火が燃えていることによって知るべきである。この燈火は王侯が同所に供えたものであり、絶えず火を
點ずるため多大の収入が附せられている。
ここに燈が三、四個あり、百余の燈芯を具え、四個の松明よりもさらに光輝がある。
しかして油は、日本においては甚だ高く、特にこの地方において高く、甚だ悪しき物も、一皿金貨一バルドン
(インドの貨幣にしてポルトガルの三百レアルに当たる)の値である。

『一五六六年九月五日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

高野山についての報告



660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 16:11:10.20 ID:6Gz0OqdU
>>659
コーンポタージュの何が悪いのか一切説明がないな

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 16:58:33.56 ID:3D2YfK1D
神田千里「宗教で読む戦国時代」からの孫引きだが
1565年1月20日のフロイス書簡だと
「この人物は、彼以前には全く知られていなかった、自然に反した憎むべき罪(同性愛)で日本を汚染し、
日本でそれを教えた最初の人物である」
と書かれているようだ

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 17:40:55.83 ID:6Gz0OqdU
>>661
へええ
ググったら確かにそういう俗説があるんだな、知らなかった
江戸時代の書物に書かれているとあったが、戦国末期には既に流布していたということか
外国人で一時滞在のフロイスが耳にするということは結構広く話されてたんだな

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 17:46:35.06 ID:FirV82We
キリスト教からしたら商売敵なうえに
キリストが神たる理由の復活をするし、その上禁止の同性愛をこちらでは認めてる

ってところが悪魔だの悪しきだの言われてる所以なのかな
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奈良について

2020年10月20日 17:48

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/20(火) 14:48:25.10 ID:/SKO6RgJ
当都の国内(畿内)に、奈良と称する人口甚だ多き町がある。数日間当地に滞在したが、広大にして
荘厳なる寺院が多数あり、特に三つの大いに注目すべきものがある。

一つはエボラ(ポルトガルの大司教が駐在する都市)の門の塔と同じ程の高さで、甚だ大きな
金属の偶像(大仏)である。私はエボラの出身であるのでこのように比較するのだが、一羽の鳩(境内には
多数の鳩がある)が、この偶像の頭で羽を休める時、下より見た者には、甚だ小さな雀のように見えるを
以て、このように断定した。手のひらは男子の大股での一歩の広さがあり、顔は幅約四パルモである。
この像の両側に他の二つの像があり、殆ど同じ高さである。他に木の立像が二つある。高さはレシオ
(リスボン市のロシオ、即ちドン・ベルド四世広場)に行く下の門の外壁と同じ程である。
その側に至って、悪魔の巨大なことに驚いたほどである。
この寺院は参拝者が甚だ多い。

第二は多数の鹿の在る事である。市内に在るのは三、四千であろう。この寺院に属し、良く人に馴れ野に出て
草を食って帰る。市街を歩行すること犬のごとくである。
彼らは寺院及び偶像に属するが故に、諸人これを尊崇し、もし鹿一頭を殺す者があれば、その罪によって
殺され、財産は奪われ、一族は滅ぼされる。鹿がもし一街にて死することが有れば、同街はその鹿が死んだ
理由を説明する義務があり、もりこれを成さざれば大いなる罰を受ける。

第三は、町内に広大にして深い湖水(猿沢池)のある事である。湖水には魚が充満し、その大きく、かつ多数
なること実に驚くべし。もし人が湖水の岸にて手を拍てば、そのようにして魚に食物を与える習慣なるが故に、
数えることも出来ないほど多数の、かつ甚だ大きな魚たちが来集するのである。
またこの魚も、寺院及び偶像のものであると称してこれを殺さない。彼らは、湖水の魚を殺す者は癩病に成るのだと
信じ、この恐怖のためこれを行わない。
坊主はこの魚を食することを、重大なる罪悪であるとし、これを重大視するが故に、もし魚を食す者があれば、
直ぐに司祭の地位から退かされ、俗人と成る。
このように彼らは、罪では無いことを大いなる罪とし、本来罪悪とすべきことを甚だ軽視している。

この地には又、牝鶏が無数に在る山がある。これも偶像に属するが故にこれを殺さない。
他にも多くの事があり、数ヶ月を費やしたとしても、観尽くし語り尽くすことは出来ないだろう。

当地においてはしばしば、悪魔が彼らと語ることが有る。狐、蛇、その他類似の獣類の形でしばしば現れる、
また夜間、死者の墓より、青く恐ろしい炎を発することが有り、その死者が地獄に有る証拠だと云う。
また死体を墓地に運ぶに当たり、悪魔が空中に在ってこれを奪うことが有る。またしばしば、人の体内に
入ることも有る。このため諸人は大いにこれを恐れ、壮麗なる寺院を建てて、前記の像を置いてこれを
尊崇する。諸侯は戦争に於いて勝利を得んことをこれに祈り、多額の寄進を成す。諸人大いにこれを尊崇する。
彼らは(傲慢で有ることを以て)その領土を奪われることを甚だ恐れるがゆえに、彼らに服従する者達に
対し、力の限り努力して当地に有るコンパニヤの人を迫害せしめ、その死を希望している。
然れども上よりこれを許されざるが故に、悪望を抱くにとどまり、その罰を受けて大いに苦しむ。

『一五六五年九月十五日附、パードレ・ガスパル・ビレラ書翰』(日本耶蘇会通信

東大寺大仏殿の戦い以前の、奈良の様子。この時代も大仏、鹿、猿沢池が最大の注目点なのですね。



慶長十九年の奇特不思議なること共

2020年09月11日 17:37

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/11(金) 12:45:22.57 ID:vIsYKwWt
慶長十九年九月
この頃、伊勢太神宮では暮に及ぶと神託があり『むくり(蒙古)と合戦に及ぶことで、神風が烈しく吹く』と、
男女を厭わず、ほぼ毎日神託があった。
伊勢神宮のある山田町中で、火を立てこの旨を申していた所、半時ほど後、海上が燃え上がったように成り、
激しく鳴動し、その後、海面は静まり、神が還宮したかと覚えれば、また前のように神託があったという。

彼の国中では現在躍りが止まず、古老の者たちは「かかる奇特、不審なる儀は前代未聞である」と
云っているという。もはやこの頃では、京、大和、近江、美濃でも躍りをいたすという。
この他にも奇特不思議なることが幾らもあると云々。

当代記



337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/11(金) 20:13:59.38 ID:8ZCL0oK7
>>331
昔から踊ってたのか

「名古屋山三郎、賭碁の事」

2020年08月07日 17:32

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/07(金) 12:29:34.50 ID:TJ+U+1hZ
囲碁に関する逸話を集めた、「爛柯堂棋話」から
名古屋山三郎、賭碁の事」

浅草寺蔵前の某寺には大きな榧の木があり、そこの和尚はその榧の木と自身の碁の腕前を大いに自慢していた。
その話を聞いた名古屋山三郎・不破伴左衛門・高木、の三勇士は、和尚をからかってやろうと悪だくみ。
まず名古屋が和尚のもとに行き
「私は旅の者です。和尚が碁をなさると聞きました。私も碁を嗜むもので賭け碁をしましょう。
和尚が勝ったら私はここにある五十両を差し上げます。私が勝ったらこの寺の名物の榧の木をいただきます」
と言い、和尚は
「ははは、あの榧の木は50人がかりでやっと引き倒すことができるほどのものですよ。
でもまあどうせ拙僧が負けるわけありませんからいいでしょう」
と対局を開始。
実力は伯仲していたが、しだいに名古屋が優勢になり、名古屋は小用を足すというのでそっと部屋を出、
ひそかに待機していた不破、高木に
「俺の勝ちだ。榧を引き倒してくれ」
と告げ、対局にもどり、和尚を破り、そのまま寺を出た。
翌朝、和尚が「それにしても昨日の旅人、わしを負かした後さっと消えるとは、もしや化け物だったのかな?榧の木を持って行くと言っていたが」
と寺の榧の様子を見に行くとそこには木を引っこ抜いたようた後があるだけ。
「なんということ!あれは天狗の仕業じゃったか!」
こうしてこの話は近隣に知れ渡り
「天狗が榧を引っこ抜いた寺」として、それまで以上に有名になったということである。



436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/08(土) 20:54:37.61 ID:ZbomlZDL
イケメンは囲碁も強いのか

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/09(日) 08:58:32.14 ID:/rmlxIEV
榧(かや)が読めなくて検索してしまったわ
将棋盤や碁盤用として最高級の素材らしいね

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/09(日) 09:12:11.44 ID:OwP9mgom
今は本榧と呼ぶよ
偽榧が出回ってるからね

那古野山三郎の弟のこと

2019年08月15日 17:13

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/15(木) 17:00:58.55 ID:u77QSgOW
那古野山三郎の弟のこと

「因幡殿若死 宗因殿おと子にてこれ有る故 遺言にて山三郎殿子分に成され候」

那古野蔵人(宗因)は父那古野因幡守(宗慶)の遺言に従い
急死した兄那古野山三郎の子として養育され
森忠政からはじめ千石賜り、那古野氏の家督を継いだ。

--『各務氏覚書』

父、雲甫宗慶大居士(那古野因幡守、)は織田信次家の女婿となり後年織田信包に仕えた
慶長十年十二月四日没
母、養雲院殿は後年大徳寺170世清巌宗渭の育母であった
寛永三年二月五日没

--『名越氏先宗牌名』

家督に関して那古野因幡守の遺言という経緯があったという。



御心強く御談合候へ

2018年11月20日 17:05

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/20(火) 16:47:24.31 ID:fBT/H7FH
羽柴秀吉が明智日向守(光秀)を誅伐した後、近江長浜にて柴田勝家その他当時の大名衆寄り合い(会議)が
行われる事となったが、この時、何れの宅にてか秀吉を殺すべし、との陰謀があった。

大名たちが会議に参集する時、これを聞きつけた有馬法印(則頼)は現地へ駆けつけ、
「何れもどこにお入りになったか?」
と尋ねた所、「何れも二階座敷に向かわれた」と聞くと、そのまま二階へ駆け上がり、梯子の下の段まで参ると、
法印は「筑前殿(秀吉)!」と呼びかけ
「御相談を承り、ここ迄参りました!御心強く御談合候へ!」と、いかめしく梯子を踏み腰を掛けてそこに留まった。
このような事が有って、その座で秀吉を殺すことはできなくなり、この法印の忠義を秀吉は後々まで御感あった。

(武功雑記)

清須会議のエピソードですが、何故か舞台が長浜城に


奈良の鹿

2018年11月11日 16:25

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 20:19:41.68 ID:mvUm7K2Z
当地(奈良)にある第二のことは、多数の鹿のあることである。市内に在るもの3,4千であろう。
この寺院(東大寺)に属しよく人に馴れ、野に出て草を食べて帰る。市街を歩行すること犬のごとく、彼等は
寺院及び偶像(大仏)に属するがゆえに、諸人これを尊崇し、もし鹿一頭を殺す者が有ればその罪によって殺され、
財産は奪われ一族は滅ぼされる。鹿がもし一つの街にて死ぬことが有れば、同街は死したる理由を説明する義務があり、
若しそれを成さねば大いなる罰を受ける。

(一五六五年九月十五日附、堺發、パードレ・ガスパル・ビレラ書翰)

奈良の鹿は戦国期もあんな感じだったんだな



494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 21:10:22.16 ID:UPmyeuoG
当時も鹿せんべいあったのかな

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 22:17:25.23 ID:pEsQdGJM
春日大社の記録には鹿エピソード載ってないのかな

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 23:20:47.55 ID:UpU8i2qB
中南米でもそうだけど、パードレの原住民ヤバい報告は現地資料と突き詰めると意外と誇張が無いのが怖い

弘治三年の大旱魃と大洪水

2018年04月08日 17:35

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/08(日) 14:05:40.67 ID:v/FCPODe
弘治三年(1557)五月二十六日より、八月九日まで、雨が一日も降らず、大災天にて諸国の田畑はみな
干上がった。

同年八月二十六日、まず東風がしきりに吹き、後には南風が吹き、大洪水となった。
摂津国の尼崎、別所、島尾、今津、西宮、兵庫、難波、明石の浦々には津波が打ち寄せ
高潮上がり、その地域の人民は尽く逃散した。
昔、文明七年(1475)八月六日の大洪水のときも、この浦々へ津波が打ち上がったという。
今、その時から八十年余りに当たり各の如くと、古き人は語った。

同四年二月、改元あり永禄元年となった。

(足利季世記)

弘治三年の大旱魃と大洪水について



659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/08(日) 18:09:23.31 ID:s/2PksRy
空梅雨からの旱魃そして台風のコンボかあ

天文十四年八月二十三日酉の刻、天下は一斉に黄色と成った

2018年04月03日 18:07

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 09:26:32.73 ID:HTQMyVaV
天文十四年八月二十三日酉の刻(午後6時ころ)、天下は一斉に黄色と成った。

草木も黄花に変じ、道に行き合う人の顔も、さながら黄金を見るようであった。
知らぬうちに人々が成仏し、金色の如来となったようであった。
前代未聞の不思議であったが、夜になると次第に闇と成っていった。

(足利季世記)

実際にあったとしたら、一体これはどんな現象なんだろうか



744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 10:59:45.56 ID:RHk8oFmq
この記録を残した人物が黄視症にでもかかってたんじゃないの

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 11:17:37.97 ID:cDz9uMmI
何か良い事でもあったか、時期的に熱中症か

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 12:34:42.55 ID:gBu9PaIR
黄砂かな?

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 13:04:48.80 ID:IPl0mpkn
多分黄砂じゃないかな
以前北京にいた時、強烈な日は空も何もかも黄色になったし
日没近くになると太陽光のオレンジも加わって尋常ならざる雰囲気を醸し出してた

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 16:16:11.73 ID:QOzmNWtQ
末期色なのじゃよ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 19:33:06.65 ID:b/4iBHhG
8月って書いてるから、時期的に黄砂は違うんじゃないかな。

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/03(火) 20:18:58.69 ID:CASJSLgR
黄砂はどの季節でも発生する
春は他の季節よりも発生しやすいだけ

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/04(水) 02:57:15.49 ID:TNR/k7ZT
国内の砂丘で竜巻発生したんじゃね?黄砂だったら通年で記録に残ってるっしょ

天文法華の乱

2018年04月02日 21:25

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/01(日) 22:08:57.18 ID:aMAwc3Q0
熱心な法華信者であった三好之長、三好元長などの三好勢が権勢を誇った時期、彼らを檀那とした
法華宗の者達はあまりに驕り、大勢を引き連れ他宗の寺を焼き、その他にも度々大軍を催し、
様々に狼藉し、ともあれば天台宗を権実雑乱(混乱した偽りの教え)と誹り、蔑ろにしているという
話も聞こえてきた。

しかし山門(比叡山)は、三好元長が一向一揆軍に滅ぼされると、「三好滅亡なり。良き時分なり」
と、一同に検義会合し、京の法華宗を退治のために、末寺末山に至るまで、三千余人を動員し、
天文五年閏七月二十六日より攻め懸り、京の法華二十ヶ寺へ、残らず火を放った。

法華宗側も檀徒を語らいここを先途と防いだが叶わず、所々にて一千余人討ち死にした。
寺々も同二十七日までに皆焼失した。

この時、洛中は過半が焼けた。

(足利季世記)

応仁の乱よりも甚大な被害を京に与えたと言われる、天文法華の乱について



650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/02(月) 01:53:22.88 ID:MJBbjsIv
三好ばっかりじゃねーかw

近江にての事であると、

2017年08月25日 18:09

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 13:22:03.98 ID:EExyBIJe
近江にての事であると、ある人の語った事である。

旱魃の年に惣村の間で水論があり、一方が堤を作って水をせき止めた。
一方はこの堤を切るとし、一方は切らせまじきと、双方の間で合戦騒ぎとなった。

しかし堤を破壊しに来る方が大勢であり、堤を守る方は小勢にて、如何にすべきかと考えていた時、
その在所に浪人がいたためこれに相談すると、この浪人は才の有る人物で、地下の者たちを集め、
老人を集め一組に、そして若者を集めて一組とし、堤の傍につぶてと成るような石を多く集めさせ、
この脇に老人の組を置き、若者たちには竹槍を持たせ、彼らの組を川の下に置いて合図を待たせた。

さて、敵方の百姓たちが堤に集結すると、老人たちが大勢集まって居る所を攻撃目標と定め押し掛った。
浪人は彼らを矢ごろまで引きつけると、一斉に石つぶてを投げさせた。
これに打たれて敵方が辟易した所で合図を出すと、若者の組が竹槍で突撃した。
これによりこの村は大いに勝利したという。

(士談)



167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 13:28:47.54 ID:bNHBOouS
いいね

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 19:54:02.96 ID:+kmqCcoW
シリアとイスラエルなんて国家ぐるみで近代兵器使って同じようなことやってるしな

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:35:43.11 ID:XoXk+W8B
>>166
諫早湾かな?

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:41:15.45 ID:1HZw0XdN
>>171
>近江にての事であると、ある人の語った事である。

石川五右衛門偽上使の伝説

2017年07月19日 22:01

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 05:54:26.93 ID:cQO9i7mY
岩村城には石川五右衛門偽上使の伝説がある。豊臣の天下の時、岩村城主
の田村中務大輔(直昌)には嫡庶の二子があった。

やがて中務大輔が病にかかって瀕死の状態となった時、この二子を中心に
御家騒動が起こった。しかし庶子である次男は、実は佞奸な家老の

倉元甚五右衛門の姦通の子で、倉元は庶子に家督を継がせて主家の横領を
企てたのである。これを推知した中務大輔は腹心の小姓・金森林念に、

家督相続の遺言状を託して間もなく世を去った。忠臣の金森は思案の上で
騒動の顛末を関白・豊臣秀次に注進したので、秀次は使者・福原団七郎を
岩村城に乗り込ませて一切を解決させることにした。

これを探り知った石川五右衛門は、「良き機会ぞ」と、すぐに団七郎の家臣を
手に入れ、途中<十三峠辺りであろう。また岩村城下玄吾坂下ともいう>で
待ち伏せて団七郎を殺し、自分はすっかり使者に化け込んで、

行列厳しく岩村へ到着した。偽使者をすぐに訪れたのは奸物・倉元だった。
彼が多分の金子を賄賂にして帰ると、まもなく小姓・金森は密かに訪れて、

倉元の悪計の一部始終を訴えた。さてその翌日、五右衛門はいよいよ城入を
なし、倉元を利用して散々腹を肥やしてから、

彼の悪事数々を満座の中で弁じ立てた。その後、家督は無事に長男へ譲られ、
倉元は死刑にされて騒動は落着したという。これは五右衛門一代を通じての
大義賊伝として講談などにも読み込まれている。

――『恵那郡史』



101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 06:48:10.45 ID:pTcGI5g6
>>100
この岩村城ってのは美濃の岩村城でいいのかな?

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 07:11:21.70 ID:aF6T985F
福原さんかわいそう

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 07:13:57.71 ID:SMPelxR4
義賊()

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 09:25:43.91 ID:PTyFtPRC
美濃岩村なら関ヶ原で改易された田丸中務大輔直昌のことなのかな

夫死して妻を取り殺す事

2017年03月28日 12:45

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/27(月) 13:50:11.67 ID:uFMed9Vq
夫死して妻を取り殺す事

 摂州榎並村友淵村の善兵衛の嫁は中村の源兵衛の娘であった。
善兵衛は三十三歳で死にその時に嫁は十六歳であった。
夫が死んだ後、女は親の源兵衛の所へ呼び返された。
 さる程に夫の精魂が火と成って、
蹴鞠の如く地面から一尺程高く上がって毎夜来て村際で消えた。
源兵衛の家は家中騒がしくなり、娘が目に見えて恐ろしいものが来たと髪を抜くこと折々である。
娘は父母に向かって、恐ろしいものが来たと言って恐れ伏した。
遂には髪の毛は皆抜き尽くしてしまい、三十日中に取り殺してしまった。
寛永十年の事である。

(片仮名本・因果物語)


野間左馬之進田螺を以て勝負占物語の事

2016年12月05日 15:41

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 00:10:02.12 ID:bdEpZ09W
野間左馬之進田螺を以て勝負占物語の事


 野間左馬之進の物語に、 
「タニシを折敷の片隅に三つ、もう一方の片隅に三つよせて、
両方へ分けて一夜置くと、
合戦の負けの方を追いこみながら、勝ちの方は進み出る。
 大坂陣の城中として秀頼、木村、大野と称して盆の一方に三つ、
もう一方に関東方として家康公、井伊、藤堂と称して三つタニシを置いて、
一夜経つと必ず関東方の三つのタニシが、城内方のタニシを追い込んだという。
勝負の吉凶を占うことでこれより良いものは無い。」
とのことだ。『武備志』にもこの占いが出てきた。
興味深い。


(常山紀談)



383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 00:29:22.46 ID:gxNbuBN3
熊野別当湛増「赤と白で闘鶏させたら全部白が勝った。源氏につこう」

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 04:07:43.05 ID:qmzefhc1
ゲンジバンザイ

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 09:46:20.05 ID:zZZUPRaz
藤堂を伊達にしてみると....。

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 14:57:17.41 ID:9qJob2Cy
>>382
面白い占いだな

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/05(月) 23:31:28.84 ID:vbxDSVKJ
ジャンボタニシは
気立ての良い子だよ

この春、小人島の者であるとして

2016年11月22日 09:33

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 02:53:22.29 ID:eiEjYzgS
この春(慶長13年)、小人島の者であるとして、京都にて
鼠戸を結び(見世物小屋)、代金を取って人に見せていた。

たとえば日本人であれば、5,6歳の童ほどの身長だった。

――『当代記』



坂上頼泰の鉢植え

2016年11月07日 09:42

304 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/11/07(月) 07:21:03.05 ID:jnLT3IFc
天文元年(1532年)に多田院御家人衆筆頭の塩川伯耆守国満が、織田信長の台頭という時世から荒木村重について多田新田城を攻めた。
この時に山本郷(今の宝塚市周辺)も焼いて、多田院御家人だった34代山本荘司家の坂上頼泰は郷士となる。

しかし塩川国満は豊臣秀吉の九州征伐の間に挙兵して、謀反の疑いで誅されたため山本郷は豊臣家の天領となった。
秀吉が有馬温泉に湯治に行く際に山本郷に立ち寄った関係から、頼泰は秀吉の旗本になり朝鮮出兵へも参戦した。
頼泰は齢を重ねて隠居し、山本郷で農園を営みながら穏やかに過ごしていたところ、接木の技術を発明する。

ある時、天下人秀吉の元に見事な鉢植えが献上され大変気に入り、それが坂上頼泰のものと知り昔を懐かしんだ。
京や大阪での贅沢品の売買を禁止していたが、秀吉は頼泰に木接太夫の称号を与えて山本郷の植木に特別な配慮をしたという。

源満仲が摂津守に任官した際に、坂上田村麻呂七代孫の坂上頼次を摂津介にして多田院を警備させたのが山本荘司家の初代で坂上是則は従兄弟。
三代目の坂上季猛は源頼光に使えて卜部季武のモデルともされる。
仁平年間の坂上尚親の頃に平姓を賜り平尚親とし、その分家は今出川家諸大夫山本家として山本敬勝まで続く。



谷衛友は清正の態度に怒り

2015年12月06日 12:22

谷衛友   
83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/05(土) 19:35:55.18 ID:XxQWIDmT
>>80を投稿した者ですが谷大膳は衛友の父の衛好のことでした
この衛好は後に三木合戦で戦死しています

そのついでと言っては何ですが息子の谷出羽守衛友が加藤清正と喧嘩になった時の話を一つ

ある時加藤清正は家臣を追放してしかも奉公構にした。その家臣は谷衛友を頼り衛友はその家臣を許すよう清正と直談判した。
しかし清正は丹波山鹿の小大名にすぎない衛友の意見を聞き入れない。衛友は清正の態度に怒り一喝して清正に詰め寄り
その膝を抑えて身動きできなくしてから脇差に手をかけて互いに睨みあったという。(武功雑記)

何しろラスボス化した後年の秀吉にも媚びることをしなかった全身肝っ玉人間だから清正相手に遠慮するわけもなく…

ちなみにこの件で清正は「喧嘩ハ下手ナリ」(武功雑記)と言われてる
ただし「肥後守(清正)はかような匹夫の勇などのような事はこれなく候」とも弁護されている



桑山修理太夫殿は宋儒の談に迷われたのか

2015年11月18日 06:49

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/18(水) 02:11:23.36 ID:LrBIlTdP
 大和新庄一万五千石を領しなさっていた桑山修理太夫(一晴)殿は宋儒の談に迷われたのか、領地に昔から有った、
産土神が鎮座なされていた各地の森を切り払い、木は取り除きなさった。
 跡は田地に仰せ付けられ、一所へ産土神の宮を引き集めなされ、当分の間は二十数社を財政の足しとなされた。
 そのようなので神罰があったのだろうか、早世が打ち続いて、ついにお家断絶におよんでしまい、
今は前の通りに産土神が御鎮座されております。
 現在もこのような事があり、それにしても神罰と言うようなものは、甚だ恐れ慎むべき事と思われますので、認め置いておきます。
(本阿弥行状記)

一通り調べたのですが、桑山氏が断絶されたこと以外には、このような話は見つからなかったんですよね



658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/18(水) 11:08:34.80 ID:2n2BJH2w
領主が断絶された事から逆算して逸話を作ったのかな

石川五右衛門の手形

2015年04月03日 18:21

634 名前:632[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 00:20:24.02 ID:jZ37xriL
 安土桃山時代に石川五右衛門という大泥棒が水無瀬神宮におさめられている宝剣を
盗み出そうと神殿に近づいたが、なぜか不思議な力にさえぎられて足が動かなくなり、
どうしても中に入れなかった。
 仕方なく五右衛門は盗みに入るのをあきらめた。水無瀬神宮の入口の門には
この時に五右衛門がつけた手形が今も残っているそうである。



摂津味舌村の蜂塚

2015年03月30日 18:39

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/29(日) 22:42:41.14 ID:Vp86fkHZ
 応仁の乱の頃、落ち武者が摂津の味舌村に襲撃してくる事件があった。
その時、村人たちは近くに味舌寺に隠れて、ただひたすらに薬師如来に救いを求めて祈った。
そして、落ち武者たちがいよいよ寺まで押し寄せてきて、村人たちがもうこれまでかと
あきらめかけた時、お堂の中から数万の蜂があふれでて、落ち武者に襲いかかった。
落ち武者たちは蜂に刺され、みなバラバラに逃げ出してしまった。その後、お堂から出た
村人たちはそこでたくさんの蜂の死骸が落ちているのを見つけた。
 村人たちは命をかけて村を救った蜂に感謝して蜂塚をつくって供養したのであった。




797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 00:54:21.38 ID:nzbnSr9a
ググったらそれっぽいの出たけど、スズメバチ?

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 04:03:57.79 ID:U4hKUjdM
実際に起こりえそうな説話ですね

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 06:33:17.26 ID:eQ1KiwQj
村人側に落ちぅどはなかったんですよ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 09:29:16.38 ID:9PSVJgIM
>>797
スズメバチは何度も相手を刺しても平気だが、ミチバチは一回 人を刺しただけでトゲを失い、亡くなってしまう
この説話に出てくる蜂はミツバチの方ではないかと思った

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:31:02.13 ID:64iE0r3n
ハチ「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:31:34.45 ID:TpF1OTkw
まぁ嘘話でも信じやすいように練られてるわけだしね

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 11:34:19.69 ID:MS9LoveX
ハチってのは雇った鉢屋衆の隠語だったりしてな