どんなことを言われているか、どうか想像して下さい

2015年11月03日 17:53

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 18:53:30.73 ID:rCRkRMqS
天正十八年三月二十日、小田原征伐のため東下した豊臣秀吉は、徳川家康の居城である駿府城へと入った。
この時、家康は長久保の陣より参って対面した。
秀吉の家来が数多並ぶ中、本多作左衛門重次が家康の後ろから現れ、立ちはだかって
大声で怒鳴った

「やあ殿よ殿、あっぱれ不思議をなされることよ!
国をも保とうとする人が、我が城を明け渡してしかも人に貸すことがあるか!?
そのような気では、人に貸せと言われれば、北の方をもお貸しなさることでしょう!」

そう罵って帰っていった。
家康は唖然とする人々のほうを向いて

「今の老人の言うことをお聞きに成られたでしょうが、あの老人は本多作左衛門重次といって、
この家康の累代の家人であり、私が幼い頃より仕えている者です。

彼は若い頃から弓矢打物を取っては人にも知られた者ですが、今では、ご覧になったように
歳もいたく寄りまして、私も不憫に思っているのですが、天性わがままな根性の持ち主にて、
他人を虫けらとも思わず、多くの人々が聞く所でも、あのように私を、事がましく言い立てるのです。
ましてや私が彼とただ二人でうち向かった時、どんなことを言われているか!どうか想像して下さい。

普段ならそれでも構わないのですが、どうしたわけか今日もあのような奇怪な振る舞いを
してしまうとは。これを人々がどのように思われるか、大変恥ずかしい事です。」

これに、その場の人々は
「本多作左衛門の事、久しく聞き及んではいたが、実際に見たのは今が初めてだ。誠に聞きしに勝るものかな。
あのような家臣がいるというのは、実に奥ゆかしいことだ。」
そのように感じ入ったという。

(藩翰譜)



927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 08:46:08.44 ID:glgRbPNv
>>926
ちょっと悪い話じゃないのこれ
家康が恥かいちゃったんだろ

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:03:10.43 ID:zW7lJDMw
>>927
どう考えてもいい話だろ

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:44:46.42 ID:+0I1cAWu
調子こいてる太閤に主の代わりにガツンと言ってやったぜ
と捉えるか
天下一統の志を棄てて従順に振る舞う主に対する強烈な嫌味
と捉えるか

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:46:58.28 ID:tLSsGUMD
奥ゆかしいって悪い意味なのかい?

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:52:00.43 ID:IPdjQDCL
そもそも北の方、て作左が焼き殺そうとした秀吉の妹の朝日姫じゃん
て思ったら二ヶ月前に死んでた

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/05(木) 02:05:24.88 ID:Bra8mrhk
>>926
何かの小説では、
「殿!城内からサルのにおいがしますぞ!ああくさやくさや」
みたいなことを言ってたと思うんだが、原文ではそんなこと言ってないのか
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作左三カ条

2013年07月20日 19:56

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 17:50:47.38 ID:HtKZ9df0
東照公が三州をお手に入れられた時、これまで今川領地の村々は
先代の事などで争い治まりかねない所もあった。

これによって本多作左衛門がやってきて制札を見た所、法度の箇条
が多くて内容も難しかったので、

一、人を殺すものは命が無いぞ
一、火をつけると火あぶりになるぞ
一、狼藉をすれば作左しかるぞ

と言う三カ条にして仮名文字へと書き改めた。
その後はよく治まったと言う

(古老物語)

作左が叱るの別バージョン




737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 18:09:53.27 ID:7Rhnmpwc
劉邦「法三章のみ」

違うのは傷害が火付けになってるとこか

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 21:34:39.98 ID:x8GhauMr
>>735
わかりやすくていいな
法の抜け穴を探すまでもない簡潔さ

或本に、本多飛騨守成重は

2013年07月05日 20:01

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/05(金) 18:24:48.86 ID:6IvEpCWo
或本に、本多飛騨守成重は作左衛門重次の子息なり。童名は仙千代丸(おせん)、
成人して丹下と称す。

父重次が訳あって上総国小原の荘に籠居した時、成重も出仕を止められた。

関ヶ原御陣の時には御後に陣を構え、慶長18年に越前国の丸岡の城を賜って
忠直朝臣に属せられる。

5月7日に、一番に合戦を始め、真田の陣を打ち破り、自ら敵2騎を切って落とし、
大勢の敵を追い崩し、首273を討ち取り、大手の城門を破って左の脇より
城に乗り込み、あちこちに火をかけて首28を切った。

手勢の者たちは討たれた者5人、傷を被る者7人であった。

元和9年、忠直朝臣が配流の後に再び将軍家に召され、慶安4卯年12月に卒す。
時に62歳なりと云々。

――『新東鑑』

実際の没年は正保4年で76歳。





両人取り取りの政道である

2012年11月06日 19:59

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 19:33:52.32 ID:gMarZj1v
三河柏崎の百姓たちが、とある紛争における判決の非公事(敗訴)を不当だと言い立てて裁判で争ったが、
しかし負けてしまった。
この時の町奉行は、あの本多作左衛門重次であった。

百姓たちは敗訴に納得せず、勝訴した側への作左衛門の依怙贔屓であるとして方々で悪口を吐き、
あまつさえ落書までしてこの裁判を誹謗した。

本多作左衛門はこれを聞いて、再びその裁判における公事人(裁判関係者)を呼び出し、
再吟味を行ったが、やはり同じ判決となった。

そこで作左衛門、今度は非公事を言い立てた百姓たちを、全員斬って捨てた。


それから暫くして酒井河内守重忠が、これとほぼ同じような訴訟の奉行となった。
非公事を言い立て敗訴した百姓たちが散々悪口を言っている、とのことを重忠は聞いて、
再び裁判関係者を全員呼び出した。

そこで忠重は全員に対して、その判決に至った理由を順を追って説明し、非公事を言い立てた
者達にも、その理を言い聞かせ、得心するように理由を説明した上で、悪口をした百姓も
そのままにさし赦した。


この両裁判のことを聞いた徳川家康は、本多、酒井を呼び出し両人がどうしてそのような
処分をしたのか理由を聞いた。

本多作左衛門は
「上を犯すものをそのまま差し置いていては、秩序の締りが無くなり悪事が募るものです。
ですので毅然としてそう申し付けました。」
と答えた。

酒井河内守重忠は
「この様な裁判で人を殺してしまえば、以後奉行人は必ず事あるごとに威を振るい、
驕りが出てしまうものです。」
と答えた。

まさしく両人取り取りの政道である。

(武野燭談)






221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 20:07:50.02 ID:4R9zL7AU
似た状況って言っても、具体的にはそれぞれ別のことだし、
本多作左と酒井重忠のどちらが正しということはないんだろうな。
それにしても百姓が好きな事を言って、一度はその言い分を聞いてもらえるって社会は、なかなか良い社会だな。


225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 22:03:40.58 ID:sIbB3lqJ

>>220
ものすごくざっくり見れば作左と兼続やってること一緒なんだな
やっぱそっちのタイプの人間だな


227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 04:40:04.06 ID:TerQt6Ow
隣にいる人がテンション高いと逆に冷静になるってパターンでは

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる

2012年01月27日 21:58

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 10:51:49.06 ID:pSDdBLVJ
東海道の水軍(織田・徳川・武田)は基本的に伊勢水軍系列なので、身内同士の戦いとなる
当然ながら、仲間内で本気にはならないので小競り合いが殆どであった

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる
その時の指揮官は常に「本多重次」であった




896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:08:35.88 ID:HD992qgQ
さすが三河武士
全く空気を読まない

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:10:24.14 ID:PoJZ4VvT
煙たがられてたんだろうなw

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:10:02.55 ID:uIaqvim+
ほんま作左さんは…

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:23:33.34 ID:ehS28Uyg
困ったことに梶原景宗のような本職をもフルボッコにしてしまってもいるしな

向井正綱や旧今川→武田水軍の面々が優れていたとも言えるのだろうけど

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 17:16:23.76 ID:KWt9lrMn
あれは数があったからではなかったか

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 16:38:23.41 ID:L7pgtpy6
北条家傘下の三浦半島の海賊衆は相模湾から江戸湾にかけてへばりついてて、
里見と親しい木更津水軍の連中と争ってたからね

大政所女房衆、鬼に会う

2011年03月11日 00:03

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:20:39.08 ID:NjN3kGqd
天正14年(1586)、豊臣秀吉徳川家康を上洛させるため、実母大政所を、家康に嫁いだ秀吉の妹朝日姫への
見舞いという名目で三河岡崎へと送ったこと、これは有名である。

さて、大政所の滞在する屋敷の側に、薪が山のように積まれさらに次々と運ばれていることに、大政所の
女房たちが気がついた。「あれはなんでしょう?」「一体何事でしょうかね?」
この段階では彼女たちにもあまり危機感はなかったようだが、気になるので端女に命じ、薪を積んでいる
下人の一人に接触させ酒など飲ませて心安くなり薪のことを聞き出させた。するとこの下人言うには

「いやいや、確かなことは私は何にも知りませんよ?ですが話に聞いたところでは、関白様が都で
我が国の殿様の命を奪われるか、もしくは抑留するような事になれば、今度京都より下られた、こちらのお屋敷に
いらっしゃるお方を、尽く焼き殺すための薪だとか言われて、本多様の下知であるからと、毎日山や林から
切り出しているのです。

この本多様というのがまた、極めて気の短い方で、『殿のお帰りが遅い!遅すぎる!』と待ちかね、
今朝には火をつけよう、晩には焼きたてようと仰っているのを、同じく留守居の井伊様や大久保様が
『いやいやいや!しばししばし、もうちょっと待ちましょう!』と今迄はどうにかお止めになっているのだそうです。
それにしても痛わしいこと。美しき京都の上臈衆が灰や土になってしまうなんて、なんと無残なことだろう。」

端女からこれを聞いて女房たちは、一瞬で恐慌を起こした!あまりにも思いもよらぬことだったからである。

「ああ、何ということでしょう!そういえばその本多という男、毎日ここに参って、恐ろしい声で
『家康の命によりここに付けられました。御用の事があればなんでも仰ってください。』
などと言っていたが…、そうだ思い出した!於義丸殿(のちの結城秀康)が人質として初めて参られたときに、
そのお共に仙千代丸という子どもがあったのを、関白殿下(秀吉)がご覧になって『あれは家康の家臣の、
三奉行とか言ううちの一人、鬼作左衛門という者の子じゃ』と仰せになっていた!

あの時は『鬼も子を生むのですね』『鬼の子とはどの様な者でしょう?』などと騒いで、物ごしに覗いたりした
ものでしたが…、あれがその親の鬼!本多作左衛門!!なるほど鬼なら、このような事するでしょう!

そういえばあの男、ここに来る度に『家康が帰国の途についたという御沙汰は聞いておりませんでしょうか?』と、
一昨日も言った、今朝も、昨日も言った!彼の待ち遠しさが限界を超えてしまったら!!」

女房たちは直ぐに大政所の所へ行き、「本多という男がこう言うことを企んでいます!どうか関白殿下に頼んで
家康殿を一刻も早く帰国させてください!」と泣いて訴え出た。大政所も大いに驚き「このような有様になっています」と
緊急に秀吉に伝えさせ、その甲斐あったか、程なく家康は帰国となり、大政所も帰京した。


さてさて、黙っていられないのが大政所の女房たちである。
彼女らは帰京するとすぐさま秀吉の前に出て涙を流しながら訴えた!

「あんなところにお母上様を下されるとは、なんと情けない事をされたのでしょう!
鬼本多という者が、かくかくしかじか、こんな事をしたのですよ!
いくらかつて争ったとは言え、今は御妹君たる朝日の姫様を参らせたまったのですから、家康殿にとっても
大政所様はお母上であると言うのに、いかに鬼だからと言って自分の主君も知らぬ間に、あんな事をして
良いものではありません!それに大政所様や私たちをあんな辛い目に合わせたのですから、
どうか、どうか徳川殿に仰って、あの本多と言う者にいかなりとも罪を与え、大政所様のお恨みを
お晴らし遊ばせてくださいませ!」

と、これを聞いた秀吉はいかにも愉快そうに笑い出し

「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」

とだけ言って、座を立って行ってしまったという。

有名な本多作左衛門重次の逸話、被害者(?)大政所女房の側の視点からのおはなし。




183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:23:19.82 ID:Z6B+vZPZ
女の言葉ってくどくて面白いなww
戦国時代の話にしては、事実の羅列でなく感情を伝えてくれる珍しい文章だw

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:34:20.99 ID:CQa5WnPi
一筆啓上 火の用心 殿殺したら 母燃やせ

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:35:41.06 ID:hlcASQoP
さくざはやっぱりいいなあ

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:12:01.83 ID:50sZjgfi
作左の乱行はいつものことだけど秀吉はさすがに大人っつーか、鷹揚としたもんだな

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:26:25.59 ID:nSdZJihR
最後に悲哀を感じるな。
作左の行動原理は、累代の家臣はこうあるべしという伝統と経験だろう。
秀吉には持ちようどころか、顔色を伺う連中ばかりだ。

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 03:29:21.94 ID:vrFzomZj
>>187
石田さんが必死にメモってるよ

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:21:22.33 ID:atpdVHqr
でもこの後蟄居処分なんだよね

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:44:11.43 ID:09N9qrQX
「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」

笑いながら内心ブチ切れてるから
やっぱ将になるには、感情を表に出すようじゃ駄目なんだよな・・

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:13:40.06 ID:dMxCO+7l
この件は秀吉はもちろん家康もぶちきれたという説もあるしなぁ。
めんどくさい云々じゃなく、ただの馬鹿だもの、この作左の行動って。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:30:05.39 ID:5UwazSvW
でも作左が蟄居したのって大政所が秀吉の元へ帰ってずっと後、
徳川の関東移封後だから処分にしてはだいぶルーズなんだよね。
小田原の役で戦功挙げたりしてるし。蟄居の体で隠居したって感じ。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 10:56:49.50 ID:mauyQIj2
>>191
だって、一歩間違えたら徳川家そのものが地上から消滅していただろうからね。
この頃の秀吉なら実際に可能だったろうし、
道義的にも徳川に味方する大名はいないだろうし。

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:45:00.81 ID:yMicKBbw
天下人が出した人質、しかも実の親を焼き殺した

殲滅戦されても文句言えんわな。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:50:39.29 ID:50sZjgfi
家康とのあそこまで屈辱的な和睦は絶対に避けられなかったのかな
確かに徳川・北条・長宗我部と四面が敵、毛利もどう転ぶかわからない危うい状況だったけど
政治的には織田家の実質的継承を果たし、京を押さえてるんだから朝廷を動かせばもう少し有利に戦えたと思うんだが

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:11:50.02 ID:iS7fQI7P
家康に土つけられるまで秀吉は本能寺以来、負け無し状態だったからね。


197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:30:32.69 ID:hYow5ZL2
神子田「あんな馬鹿げた策採用するからw」

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:35:58.59 ID:Z6B+vZPZ
勝って実を得るためであれば屈辱でも何でも耐えてみせるのは秀吉のすごいところだろ。
同じことは家康にも言えるけど

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:41:00.92 ID:mauyQIj2
>>195
徳川が一番御しやすくてメリットがあると考えたんでしょ。
おそらく三河者の面倒くさい性格を把握した上で
自分ならその気になれば徳川家を敵対出来ないようにさせる自信があったんだと思う。

ただ最初は武力で簡単に蹂躙できると踏んでたんだろう。
戦までの流れ、戦の後の流れ全て秀吉の思惑通りに進みすぎてるもの。

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:23:00.84 ID:5RMlYVLU
中入りが成功していたらどうなっていただろう。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:24:34.52 ID:eXMhb0ul
公の天下を取るは、大坂に在らずして関原に在り。関原に在らずして小牧に在り

[ 続きを読む ]

作左さん主人公の漫画が始まったよー

2010年08月07日 00:00

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 01:43:59 ID:Rji7QJ9/
作左さん主人公っていいのかw
http://comics.yahoo.co.jp/magazine/historia/oninosak01_0001.html

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 02:23:19 ID:nn87YEnx
作左さんはああ見えて、部隊指揮もできて民政もできてさらに家康の留守居を務めるほどの
政治判断もできる、当時でも有数の、有能なマルチ武将なんだぜ。

これほどの人物が、のちに徳川家が大大名になったあとはともかく、松平家が
衰退しきった頃から忠義一途で仕えたというのは、あの時代の奇観の一つだと思うのだぜ。

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 11:32:29 ID:o/5FCbQ1
>>514
石川数正「いや、ホントに理解できません」



鬼の作左
著者:西条真二
http://comics.yahoo.co.jp/magazine/historia/oninosak01_0001.html

さくざがしかった

2010年04月29日 00:02

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 00:14:43 ID:kJFVnyHv
さくざがしかった

三河三奉行が制定されてしばらく後、本多作左衛門重次のもとに、農民たちから訴訟が持ち込まれた。
双方とも調停に応じなかったため、作左が審理し、判決に及んだ。

ところが、敗訴した側の農民が、この判決に納得せず、「作左め、依怙の沙汰をするわい。」と、
あちこちで言いふらしたり、作左を非難する落書を張り出したりした。
これを聞いた作左は再審を行い、以前と同様の判決を下すと、すぐさま敗訴した農民を手討ちにした。

「おい!誤審をごまかそうとして、始末したんじゃあるまいな?!」
さすがに仲間内の三河武士団からも、作左に対して批判の声が上がったが、
「上を軽んじ、理屈に合わぬことを言い立てた敗訴した農民が悪い」という家康や老臣たちの判断が下り、
かろうじて不問に付された。

しかし、庶民に芽生えた恐怖は根強く、相役の二人が
「仏の高力」、「どちへんなき(公平な)天野三郎兵衛」などと呼ばれるのに対し、作左は「鬼」と呼ばれ、
岡崎城下の女衆は、
「♪今に作左来る、早く煮よ♪と歌えば、煮豆なども恐ろしさで早く煮える。」とまで噂した。




445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 02:33:22 ID:6dT7iqH4
>>444
作左はマジ歪みねぇな

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 07:38:17 ID:KzOcc5JJ
人斬り嗜好の代表者がまた一人増えたな

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 08:15:51 ID:Kqf1BXoi
まもらねば、さくざがしかる
なっとくせねば、さくざがきる

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 09:52:46 ID:qcr4i0X4
まあ裁きってのは「判決がこちらに有利じゃなかったから従わない」では成立しないからなあ

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 11:45:08 ID:YDvT1Ix1
愛の人も3回目だかでは切っちまうくらいだからなぁ~

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 12:02:38 ID:KzOcc5JJ
仏の顔も三度まで、鬼の顔は一度だけ、か

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 12:57:00 ID:Uzbxs2B8
まてまて

1.調停に応じない
2.あちこちで言いふらす
3.落書を張りだし

作左の顔も三度目・・・

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 14:59:15 ID:TKTsC1t1
>>451
どっかの市長にそんなのいたな…

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/28(水) 21:35:30 ID:HmYpmlg7
>>451
真の仏は高力じゃなくて作左だったってか。

本多重次、三方ヶ原の敗戦に

2009年08月11日 03:49

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 21:41:20 ID:cqMzwels
三方が原の戦いで、信玄に徹底的に叩かれた家康は、
焼味噌が尻についたりしつつ、命からがら浜松城に戻った。

が、ここでも問題が持ち上がった。浜松城には兵糧がほとんどなかったのである。
これでは信玄に一矢報うことも、逃げることもままならない。

家康は腹を決めた。
「私も武士だ。武士は武士らしく、敵中に飛び込んで華々しく散ろう」
家康の言葉に、城内の士気も上がった。
しかし、ここで本多重次が進み出た。

「殿!兵糧は重次が用意してございます!」

重次が兵糧を用意していたのだった。
驚く家康が理由を聞くと、

「殿、重次は三河三奉行の一人でございます。
 いざというとき兵糧も用意できなければ、奉行の名を辱めます」

重次の兵糧のおかげで、家康は空城の計を用い、
武田軍を夜襲することに成功するのである。


面倒くさいとばかり言われている本多重次、面目躍如のお話。




231 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/09(日) 23:50:22 ID:AYmeswlE
>面倒くさいとばかり言われている本多重次
どう面倒なの?

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 00:27:17 ID:SaMCCMW1
>>231
まとめサイトを見てくれればわかるが、
このスレでは三河武士はみんな「(いろんな意味で)めんどくさい」って
言われてて、本多重次はその筆頭みたいな感じなんだ。

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 00:34:17 ID:sMEGIDgC
>>228
面目躍如…このスレの定番となってる「面倒くさい」という一面ではなく、
忠臣たる重次の面目躍如ってことか

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 00:37:29 ID:iSl9/2zy
作左さんも含めて、家康初期の岡崎三奉行は、みんなひとかどの人物だよね。
家康と言う人は本当に、人材に恵まれている。

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 00:40:39 ID:0AjrM+23
役に立ったから良いが、主君に知らせずに税収貯めとくってそれ横りょ

…おや、こんな時間に誰か来たようだ

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 11:06:23 ID:FhAYe+Aa
>231
忠義や、愛民の表現がひねくれているからw
“めんどくさい”は硬骨漢な武士の形容だと思えばいいよ。>詳しくはまとめサイト参照

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 11:12:19 ID:LJVL4vjk
めんどくさ四天王

・本多作左衛門重次
・大久保彦左衛門忠教
・酒井忠次
・安藤直次

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 11:15:32 ID:r3Y1sAP3
柴を高々と積み上げて秀吉の母を焼き殺そうとしたり、作左さんはめんどくさいというより、
準備が大好きなんじゃなかろうか。


246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 11:24:34 ID:FhAYe+Aa
>>245
命懸けの切所でも「それがどうした!」と言い返す、
喧嘩の準備に骨惜しみしない三河三奉行ですか。

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 11:45:49 ID:FhAYe+Aa
>>238おい、やめろ迂闊なこと言っちゃいかん。
「(負け戦と)籠城に備えて、拙者一人の存念で糧米を横領いたしたー!」て
本気で言い出しかねない&その場で切腹しかねない人だから……


おや、庭に随分と薪が用意してあるな。炊き出しの用意まで万端とはさすが作左殿じゃのう

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 12:21:09 ID:SA6S1dE0
そして、同じ三河人とは思えない、格好いい解決屋の板倉さんと土井利勝。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 13:25:14 ID:bKb6n/YD
>>235
三河武士はみんな…というより、三河武士の武功派がめんどくさがりなんだよね
文官派はさすがに緻密な人が多い
石川伯耆守とか本多佐渡守とかね
石川はめんどくさくなったから出て行ってしまったわけでは決してない…と思う

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 13:29:21 ID:KWsjJdx/
考えが複雑すぎてめんどくさい正信と、
いちいち説明するのがめんどくさい正純はちょっと異端だな。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 14:00:17 ID:mXmZ+HBa
>>244
又一さんが市松のポジションか

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 15:38:17 ID:+90DodwX
又一「喩え世が変わろうと、徳川家以外に仕える気はござらぬ」


254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 16:59:04 ID:8kzMWT5O
めんどくさいが「またか」で済ませられるのは徳川くらいのモンだし

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 00:00:57 ID:ZGp1VCtU
一向宗の事考えると、一番めんどくさいのは正信かなぁ。
頭巾とか敗者を哀れむ気質とかも含めて考えると、
緻密でかつ硬骨漢というかタイプなので・・・。

まあ、こんなの首席官僚に置いた家康も大概な男だとか思うけど。


鬼作左の心温まるいい話・悪い話

2008年11月22日 00:09

397 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/21(金) 20:13:10 ID:uXhXBO9m
鬼作左の心温まるいい話

結城秀康に自分のところから付家老を出すように命令されたとき、
実子ではなくすでに死んだ自分の兄の子供を推薦した

秀康は家康の次男でそこの付家老ともなれば名誉ある職
それに自分の子供ではなく甥っこを推薦するなんてすばらしい人物です

さらに数年後、自分の実子をそれより石高を上の付家老にして甥っ子の負担を軽減させてる
実子の系統は忠直改易の際に独立藩主になるが、後に改易

甥っ子の系統は越前松平家の付家老として明治維新まで存続してる




398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 20:21:03 ID:+xIS9Bqh
>>397
志村ー、スレタイスレタイ

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 20:27:37 ID:tVhMjdoB
どう見ても皮肉ですww

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 20:48:32 ID:CHfjyauG
>>397
普通に見たらどうってことない話なのに、おまいのセンスに笑ったwww

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 23:40:50 ID:Z92gi3+B
≫397はさくざに何か恨みでもあるのかww

さくざの逸話って自身は切腹だの改易だのどうなってもおkってな感じのが多いけど、息子のこととなると話は別みたいだね。

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 23:50:08 ID:+l5NO4zd
>>401
秀康は徳川家を離れた形だから、作左衛門の徳川中心主義から考えれば、
そこに深く係わるという発想は出てこないんじゃないかな?

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 01:57:35 ID:biAugwez
陪臣は嫌ってことか。

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 02:21:13 ID:WkcwqPKN
>>404
陪臣云々って、そう言う見栄や栄誉の問題じゃなくて、作左衛門って人は、あくまで「徳川家」と言う
共同体を守り立てることを、信念にしている人だから、忠誠の主体はその共同体の要となる
徳川宗家だよね。

主君の息子でも、「徳川宗家」を離れた形で一家を形成している人物に、作左衛門は自分の家が
主体的に係わる必然性を感じないのでしょう。

井伊直政の名馬と本多作左衛門・悪い話

2008年11月16日 00:05

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 20:58:47 ID:JUL2/4z8
井伊直政がまだ小身だった頃、彼は家康に是非にと、家康の持つ栗毛の名馬をねだった。
直政が余りにそう望むので、譲ってやったところ、今度は家康に、本多作左衛門が噛み付いた。

「あのような名馬を、万千代のような子倅にくれてやるとは!殿も目が暗くなったのではないか!?」

この放言は家中に響いた。無論、直政の耳にも聞こえた。


さて、時は過ぎ、家康は関東に入る。このころ直政は、家臣団の中でも最大の大身となっていた。
ある時直政は、作左衛門とばったり顔を合わせた。すると直政は彼に言い放った

「昔、殿が名馬を下さった時に、あなたは私の事を、子倅だの何だのと馬鹿にしたが、今、このような
大身になったのは、私が名馬に違わぬ働きをしたからだ!

目が暗かったのは貴殿の方であったな!」


その言葉を作左衛門、黙って、ニヤニヤしながら聞いていたとか。




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 21:16:25 ID:MWUzMPlY
>>195
作左衛門が直政の奮起を促すために侮辱したって話でおk?

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 21:22:03 ID:JUL2/4z8
>>196
そこはそれぞれの解釈でw

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 22:19:37 ID:KCTzr6xM
>>195
奮起と、周りへの牽制かね?
殿にものねだったらもらえるっていう先例を他が真似ないように
いい話でも良かったんじゃって思うけど
確かに解釈しだいかなあ

でもさくざなら「実はちょっと羨ましかった」って言っても許すw

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 22:32:03 ID:ZHIATLsh
さくざさんはとりあえずケチつけてみたんだよ
言い返された時は「俺のキャラ的においしいからおk」ってニヤニヤしてたんだよ

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 23:43:55 ID:RvrpN1z0
作左はほんと三河武士の典型というかなんというか
いいキャラクターしてるよな。なんとなく憎めないし

本多作左衛門、蟄居の日々・悪い話

2008年11月12日 00:04

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 23:26:17 ID:HtMXogm3
三河のめんどくさいキング、本多作左衛門でぐぐってみたら
佐左ゆかりの地を紹介してる記事見つけた。

秀吉の怒りを買って、家康から蟄居を命じられた作左。
彼は蟄居先としてとある寺に仮住まいしていたが、
寺に住んでいるのに毎日狩りに出かけては
とってきた鳥獣を食べていた。

生臭に耐えられなかった僧侶達は最終的にその寺を出て行って
別の場所に寺院を建立したという。

おじいちゃんったら・・・



898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 04:13:49 ID:fkNdHPB5
>>893
めんどくさい越えてDQNの域じゃねえかw

本多作左衛門と家康の腫れ物・いい話

2008年11月11日 00:02

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 00:43:52 ID:bZjlSHWJ
面倒臭いと評判の、本多作左衛門の有名な話でも。


天正13年のこと、家康は疔(ちょう)という腫れ物ができた。
近習に膿を押し出させたが、悪化するばかり。
激痛のあまり意識が朦朧とし、家康自身もすっかり弱気となり、これまでだと思った。

そこで作左衛門は
「私も以前同じ病にかかりましたが、ある医者によってすっかり治りました。
どうかこの医者にかかって下さい」
とすすめたが、
「これはもう仕方がないのだ」
と言って家康はそれをかたくなに拒んだ。

そんな家康を見て作左は怒り、
「良医の治療を拒否してまで死を願うとは、なんと勿体ない命であろう!
わかりました。
それでは、年老い、あとに残っても役に立ちそうにない私は一足先に冥土へ旅立つことにいたしましょう」
と言って御前から退出した。

この言葉に家康は驚き、
「作左を止めよ」
と近習の者に命じて走らせ、力づくで彼の帰宅を阻止させた。

「なぜ最後の暇を願い出た者を止めるのだ!」
と近習を罵りながらも再び病床の御前の前に座した作左に、家康は
「俺はお前らが生きていることを頼みとして、こうして死ねるのだ。
お前らは1日でも多く生きて若き者達を指導し、我が家の絶えないよう計らってくれ」
と懇願した。

これに作左は
「私は若い頃より多くの軍に従い、眼を射られ、指を落とされ、足を切られ、負わぬ傷はなく、世に交われぬほど体が不自由になりました。
その私が今こうして仕えていられるのは、殿のお陰です。
殿が亡くなられれば、北条がこの国を狙い、徳川家はたちまち滅びましょう。
このような身で命を永らえ路頭をさまよっても、あれがかつて徳川家の古老として活躍し、己が命惜しさに今も生き恥を晒している本多作左衛門よ、と後ろ指をさされてしまいます。
そのようにはなりたくありません。
殿に遅れて死ぬのも悲しく、我が身の果ても惨め。
そのため、一足先に死ぬことにしました」
と答えた。

これを聞いた家康は
「わかった、治療はお前に任せよう」
と観念。医者を呼ばせて治療にあたらせた。

その結果、病はたちどころに良くなり、そのことを聞いた作左は嬉しさのあまり大声で泣いたという。



ところどころ間違ってるかもしれんorz



244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 00:54:34 ID:oyCBctU6
>>243
鬼作左はマジで忠臣過ぎるな。
もしも鬼作左の逸話が全部本当ならば、
鬼作左の息子の成重を厚遇してやれば良かったのに…
成重に与えた越前国丸岡てのは良い土地だったのかなあ?…
そして4代目藩主重益の時に改易になってるのが…

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 00:56:16 ID:JIlrQcCV
徳川は作左・彦右衛門と2世代にわたって
講談映えするガンコ親父がいるのがいいな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 01:27:05 ID:Mr/UK3Pz
>>244
作左衛門の息子の本多成重は、大阪の陣のとき、家康が真田丸に自分から仕掛けておいて、
撤退するのは見苦しいと批判された時

「俺は幕府の命令があったから進退しただけだ!それも18メートルだけ。撤退後はそこに
陣地作ってとどまり戦っている。今だって息子残して戦わせてる!嘘だと思うなら今すぐ検使送って
確かめろ!
批判するなら事実を認識してから言え!」

って、家康を怒鳴りつけてるんだよねw
まあ案の定、家康はそれを褒めちぎるわけですが。

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 01:31:37 ID:K2CytDCi
>>245
だって講談だもの

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 01:33:54 ID:4hUXkeMh
>>248
たまごが先か
鶏が先かみたいな事か?

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 01:38:21 ID:wXB3t4VL
作左さんとかは頑固な上に忠臣すぎて余計面倒臭い感じなんだろうなw

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 01:38:46 ID:Mr/UK3Pz
しかし講談にしてもああいう、へそ曲がりのガミガミ親父系の忠臣って、他の大名の逸話には
ほとんど出てこない。
作左衛門は実際にも、相当特異なキャラクターだったのは間違い無いと思うよ。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 02:27:13 ID:2LzkHin6
武田の馬場とか

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 11:33:11 ID:IaJCZ8oT
馬場って信長に一国の大守に値するとかいわれてるけど勝手に独断で動き回るような奴は部下にはいらんだろ

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 11:34:54 ID:V49QtBE0
主君に平気で悪態付ける家臣を召抱えているのは名君の証だから
今の時代も一緒だけどね

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 14:46:15 ID:YNjwVva6
自分の方針を理解した上でそれに沿っての独断はOKな上司と
独断は何でも不許可な上司と居る。

本多作左衛門と「人煎り釜」・いい話

2008年11月07日 00:13

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 00:53:36 ID:XD3awMaP
では有名な、本多作左衛門の話も一つ

武田家が滅び、家康が新たに駿河を領有した頃の事。
新領地を巡回していた家康は、安倍川の川原で、巨大な鉄の大釜を見つけた。
それは「人煎り釜」と呼ばれる、人間を中に入れ焼き殺す処刑道具であった。

「信玄の置き土産か」

家康はそう言った。武田では、この大煎り釜を使った処刑が行われていたのだ。
この残酷な刑はまた、武田領内で法を厳しく守らせる事に、大いに役に立っていたとのことだった。

「これはよい物を見つけた。後で浜松に運んで置くように」駿河の奉行にそう命ずると、家康は帰っていった。

翌日、奉行は多くの人夫をそろえ、この巨大な釜の輸送を始めた。このことは既に評判になっており、
街道には、多くの人々が見物に群がっていた。そこに、馬に乗った侍が駆けつけてきた。
本多作左衛門である。三河で知らぬ者のない戦場で潰したドラ声で、叫んだ。

「その釜を、何処に送る気か!?」
「殿の上意により、浜松に送るところです」奉行はそう答えた。

「何?上意だと!?いやかまわん、わしが命ずる!この釜を砕け!」
作左衛門は人夫たちに勝手に命令を下し始めた。だら、人夫も奉行も、混乱するばかりで何も出来ない。

「ええい!こうやって砕くのじゃ!」

彼は人夫の一人が持っていた鉄槌を奪うと、大釜に振り下ろした!しかたなく人夫たちもそれに従い、
30分ほどでそれは、粉々の鉄くずになった。

奉行は青い顔をして家康の元にそれを報告した。
「わしの命をなんと心得ておるのだ!」家康は激怒した。作左衛門の処分は明日言い渡す!
大広間に召しだすように!家臣たちにそう命じた。作左殿も今度こそ切腹か、追放か、みなそう思った。

そこにおずおずと、駿河の奉行が口を出した、「作左衛門殿は、殿にこの様に伝えろと…

『帰って殿に申せ!釜で煎り殺すような罪人ができるようでは、天下国家を治める事は成り申さず!
そう言って作左衛門が砕いたと!』




翌日

家康と左右の者たちが撃ちそろう大広間に、作左衛門が召しだされた。作左衛門は申し開きもせず、ただ
押し黙っていた。家康が先に口を開いた。


「わしが、間違っていた。」


「作左衛門、その方が釜を砕いた折の口上、奉行から聞いた。
わしの間違いに気付いてくれた事を、かたじけなく思う。今後もどうか、そうしてもらいたい。」

なんと許すどころか、家康のほうが作左衛門に謝罪したのだ。
この言葉に、作左衛門は、体を震わしながらこう答えたと云う。

「ありがたき上意をこうむり、面目、見に余り候!」



168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 00:59:41 ID:DXncR7wC
秀吉の母や妹を焼き殺そうとした男に似つかわしくないいい話だな。

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 08:18:11 ID:CwhRTHWp
それは言うなwwww

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:41:38 ID:oeyM8F/o
>>167
家康見事というほかない!
上に立つ人間が、一度強気に出たのに
間違いを部下たちが注視する前で、はっきり認めるってのは並の勇気の人間ができることじゃない
凡人は面子があるから強情に押し切るか、うやむやにするもんだからな・・・

自分が間違ってても、感情を害すると後からこっぴどい仕返しする秀吉w

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:53:31 ID:ZqvXzpv5
作左にへそまげられたらめんどくさいからな

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 11:32:14 ID:ZSz3DUYY
真っ赤な炭の上を裸足歩くのと一緒で汗っかきが火鉄を持っても100度までしか温度が上がらないんだろう
理屈上では・・・。

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 13:18:46 ID:anoWrLQI
まあ大抵は作り話か、大名権力がいかに脆弱だったかを証明する逸話なんだけどな>三河武士

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 15:58:05 ID:3Y+nM+lz
まぁ石川さん以外なら宗教関係ぐらいしか裏切られてないから統率はとれてたんじゃない

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 18:25:02 ID:nXayEXjD
石川さんの出奔した理由って結局なんなんだろうな
恩賞に不満とかではないと信じたい

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:17:18 ID:S0RRD3zi
水野信元をぬっ殺したあたりから立場が危うくなり始めたっぽい

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:22:54 ID:XD3awMaP
家康の母親の兄だからね>信元
家康が納得しててもその周りで色々軋轢が起こる。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:30:45 ID:ETAfGEz/
数正出奔の理由で「家康が漏らした時、糞を舐めさせられたのを根に持っていたため」とかいうのがあってワロタww

まぁ勝てるわけないのに抗戦主張する脳筋ばっかだから折衝するのに疲れたんじゃないの?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:39:57 ID:XD3awMaP
ウンコで笑っていいのは小学生まで。

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:41:27 ID:bSjySeFd
>>178
>糞を舐めさせられたのを根に持っていたため
それって逸話として存在してるんじゃないよな?…

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 20:56:21 ID:si1q9C6/
>>180
(常軌を)逸(した)話

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 21:45:44 ID:6Kapfabr
臥薪嘗‘糞’

本多作左衛門と鉄火・いい話

2008年11月06日 00:09

156 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/05(水) 22:07:39 ID:w/TEVTBv
織田徳川が同盟を結んで、まだ間もない頃


家康の家来と信長の家来との間に、いさかいが起きた。
これがたちまち、徳川家と織田家との問題に発展した。
こうなると、どう裁いてもお互いにしこりが残る。そこで信長はこういってきた。

「鉄火(火起請)だ。
織田家、徳川家からそれぞれ一人ずつを選び、焼いた鉄を握らせ、神前に差し出させるべし。」

それでこの件の理非の決着をつけよう。神意であればしこりも遺恨も残るまい。そう言う理屈であった。

家康は思案した。彼の判断では、これは織田家の側に非がある事件であり、公正な裁判であれば
三河側が勝つものだ。それを鉄火で決めるというのは理不尽である。
しかし、これを拒絶すれば問題がさらに大きくなり、せっかくの同盟が崩れることも覚悟しないといけない。

悩んだ末、家康はこれを受け入れ、ある男を呼んだ。本多作左衛門である。

「そちに、頼む」

頭を下げそういった家康は、傍らにあった器から勝ち栗を取り出し、作左衛門の手に握らせた。
勝ち栗とは、出陣において渡される縁起物である。

作左衛門は承知した。

伊賀八幡宮と言う社の神前で、鉄火は行われた。焼いた鉄の棒を握り、神前に置いてある
棚まで戻せば勝ち。途中で投げ出せば負けである。

双方、真赤に焼いた鉄棒を、同時に握った。

数歩歩いたところで、織田家のものは鉄棒を投げ出し転げまわった。
この時点で徳川の勝ちである。

が、作左衛門はそのまま鉄棒を握り続け、棚の前まで歩き、そこに、静かに置いた。
彼の手は焼け爛れていたが、顔色一つ変えなかったと言う。

面倒くさい三河のへそまがりは、焼けた鉄くらいには負けないのだ。



157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:13:16 ID:Vh9ubqLN
信長本人が出れば勝負はわからなかったなw

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:21:37 ID:m/lKZ0CC
頑固さと扱いにくさだけは日ノ本一の奴らだしなw

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:25:45 ID:wJOYx2bk
さくざvs信長見たかったなwwwww
しかし作左かっけぇ。

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:28:46 ID:i6Ea1ytk
>>156
当然負けた織田家臣は首チョンパですね
( ̄人 ̄)ナムナム

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:29:31 ID:5HwQusm5
秀吉vs花房でいう縛り首ENDになりそうw

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 22:30:37 ID:pEkWiaLv
>>156
信長と火起請の逸話って他にもあったのかw
つーか信長本人がやってたら勝利確実だっただろうにw

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 23:23:13 ID:m/lKZ0CC
空気読まずに勝ってしまう三河武士というのも浮かんだw

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 23:27:15 ID:t8HTOJN7
信長「うわっさくざだwwwwあんなのの相手したらこっちの手がいくらあっても足りねーよw他のやつに任せよwwww」



関連
織田信長と火起請・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-269.html


面倒くさい本多作左衛門と瓜畑・いい話

2008年10月31日 00:07

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:40:27 ID:91RvCOW5

面倒くさい三河武士のキング、本多作左衛門のおはなし

ある時作左衛門が領内の検分をしていると、池鯉鮒(ちりふ)という所に瓜畑があり、
見事な瓜が作られていた。
それを見て作左衛門、「これは、誰の畑だ?」と尋ねたところ、その畑の番をしていた者が

「殿様の瓜畑です。」

それを聞いた作左衛門、怒ったの何の

「なんということだ!三河、駿河、遠江、三ヶ国の太守は、よりにもよって瓜作りになられたのか!?
お前たち、よーく聞け!武士と言うものは知行を頂きこれを管理はするが、百姓のいたす事を
真似はしないものだ!」

そう言うと畑に馬を乗り入れ、瓜を全部踏み潰してしまった。

畑の番人は慌てて家康の元に向かい、家康がどれほど怒るかとビクビクしながら
報告すると、家康、

「いかにも作左衛門だ」

と、大笑いしたと言う。



25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:05:27 ID:WFQjD/7E
最近植えつけられたイメージ

三河武士=めんどくさい
森一族  =DQNのデパート


26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:33:55 ID:u6SmTWgo
馬に乗ってぐちゃぐちゃにするってハッスルしすぎだろw

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:35:04 ID:ZpeSTpFX
まもらねば、さくさがしかる

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:36:42 ID:kcn5gb/8
馬に乗って破壊するもの

三河武士=瓜
森兄貴  =人間

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:39:07 ID:KTzUPbUN
瓜畑の番人マジ涙目

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 22:55:15 ID:vKcjBvD9
家康もこんな面倒くさい人間ども使って、よくぞ天下取ったなw

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 23:03:03 ID:kcn5gb/8
家康はそんなツンデレな三河武士に萌えていたんです。

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 23:32:06 ID:eU9V/4h7
家康が人質だった頃は農耕してたくせにw

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:00:17 ID:FlnZby9C
>>33
だからこそなんだと思う

本多作左衛門重次と大釜・いい話

2008年10月23日 00:00

952 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/22(水) 21:42:00 ID:jbFe/yUU
>>927
本多作左の逸話思い出した。

家康が安倍川の河原で、人を煮て処刑するための釜を
拾って持ち帰ろうとした。そこに作左が通りかかり、
「なんと情けない事だ!殿は人を煮て殺すような政治
を行うのか。」
と一喝し、釜を割り砕いたと言う。これには家康も返す
言葉が無かった。

…いい話だねこれじゃ。スレ違い申し訳ない。




954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 21:51:28 ID:pefuNAM0
>>952
いい話スレの方に転載しちゃいなよ
それにしても作左は人間ができてるわ

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 22:39:23 ID:yDSifjEl
まったくだ。
しかし作左はどうしても長門裕之に脳内変換してしまうなww

本多作左衛門重次の無礼・いい話

2008年10月16日 14:05

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 13:46:17 ID:cExroWy9
>>510
イイ!!なあ、これ。
感動したので、本多作左の有名な話。

秀吉が小田原攻めに際し、浜松城に止宿した時、
折りしも旅から帰った作左は、旅装束のまま諸将の前を進み、家康のところに来ると、大声で罵った。
「殿はいつからかくも愚かになり候や。国主の城を人に貸す事や候。
されば、女房をも人に貸し給わんか!」
困りきった家康は
「あれは本多作左衛門と申すもので、家久しく睦まじいのであんなことを言ったまで。無礼の段お許しあれ」
と秀吉に謝って事なきを得た。
かつて榊原康政が、秀吉を「八逆罪の者」と高札を立て、
後に秀吉から「武臣の義。汝にあり」と従五位下式部大輔に叙任されているが、
作左も秀吉に招かれたものの頑として拒否した。
内心秀吉を恐れる家康は作左を上総に幽閉、後に下総の井野に移した。
作左はそこで生涯を閉じるが、秀吉の死後、その子成重を4万石の大名に取り立て、功に報いた。



本多作左衛門重次、しかる・いい話

2008年10月16日 00:48

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 22:56:07 ID:7CyMyOiZ
三河時代の徳川家。
とある法令が守られず、当時徳川の名物と言われた三奉行、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門重次、
どちへんなしの天野康景が会議を開いた。

高力「法令が厳しすぎて守れないのだ。もっと守りやすい法令に改めるべき」
天野「いや、むしろ罰則を厳しくして、法令を徹底させるべきだ」
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがしかる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。




452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/10(木) 18:21:55 ID:ZVTe9j0Q
>>445
サクザはその辺の民衆にも読みやすいように
法令の発表の際にはわかりやすい文体で平仮名で書いてたんだよな
甲が乙に~とかはやらなかったんだよな
単なる鬼ではない
隻眼片足で秀吉のおかん焼き殺そうとしたけどな