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美作三浦氏の転変

2009年10月03日 00:04

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 19:59:48 ID:hdGIp7Y8
埋め代わりにひとつ

美作三浦氏といえば、関東八平氏の一つ、三浦氏の流れを組む名門であったが
三浦貞久の時代には、尼子晴久に圧迫され、貞久が病死するとその隙を付かれ、天文17年(1548)
主城高田城を攻められ、まず最初の滅亡をする。

しかし貞久の子、三浦貞勝が旧臣を糾合し高田城の奪回に成功、三浦家再興を果たす。
が、永禄8年(1565)、今度は三村家親に攻められ、二度目の滅亡をする。

それでも貞勝の弟、貞広と貞久の弟、貞盛が、三村家親の死に乗じて高田城を奪回し、
再び三浦氏を再興する。
が、この際尼子再興を目指す山中鹿介と手を結んだため、毛利元就の侵攻を受け、
三度目の滅亡。

だが!三浦貞広はそれでも諦めず、元亀元年(1570)またもや高田城を奪還、
三度目の再興
が、すぐさま毛利に攻め込まれ、4度目の滅亡をする。

しかし、この美作三浦氏はしぶとい。
三浦貞勝は一子を残して自害して果てたのだが、この時子と共に落ち延びた妻は、
後に宇喜多直家と再婚をし、直家の嫡子、秀家を産み、さらに直家の死後は羽柴秀吉の
愛人となった。
そう、お福こと円融院なのである。

貞勝の子三浦桃寿丸は、秀家と兄弟のように育てられた。
この関係からも、また生母円融院と秀吉の関係の深さから言っても、美作三浦氏の再興は
時間の問題であっただろう。



天正12年(1584)、京に上った折大地震に合い、なんと言う運の悪さであろう、建物の崩落に
巻き込まれ圧死。これにより、美作三浦氏は完全に滅びた。


ところが、ところがである、


何とこの美作三浦氏、およそ200年後に復活してしまうのである!
ただし駿河三浦氏の流れをくむ徳川譜代大名の三浦氏だが、この三浦明次が
明和元年(1764)、美作高田に移封され、美作勝山藩が成立してしまうのだ!
なんと言う因縁の深さであろうか。

ちなみにこの美作勝山藩は幕末まで続き、この藩士の中から、明治の政治家、鳩山和夫が出る。
そう、現総理、鳩山由紀夫の曽祖父である。

そんな、美作三浦氏の奇妙で不思議なお話。




991 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/02(金) 20:56:42 ID:QCsckZCH
麻生さんは宇都宮家の亜流なんだっけ?

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 21:05:13 ID:SEK9ubrJ
>>991
あ、そう

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 21:21:34 ID:HrN4zeKu
鬼武蔵早く来てくれー!

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 21:34:03 ID:Wxp3uwQU
名門は滅びぬ!何度でも甦るさ!


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