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岡本半助の判断

2014年06月18日 19:57

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/18(水) 00:31:04.26 ID:C2UHL/dd
蜂須賀忠英の家老の増田豊後(益田長行)という者は主人を恨むことがあって
無実の事を企んで江戸へ訴えた。(海部騒動)

公儀の役人の糾問があるので、罪の無いことだが忠英は憚って閉門し慎んでいた。
その折に有り合わせの金銀が尽き、諸用に差し支えがあったが遠国なので取りに
遣わすけれども早急の用に間に合わなかった。

また人の疑いもどんなものだろうかと係りの者は非常に心配して頼みとするところも
無く、井伊直孝(蜂須賀家政の婿)のもとへ内々の使者を借りに行かせた。

井伊家の家老たちはこれに同意せず「公儀に対して憚りがあるので貸すことはならん」
と言った。すると岡本半助は「人の急難を救うのは義です。もし後難を恐れて急難を
救わなければ信義を失うことになります。それは井伊家の恥ではないでしょうか?」
と、言った。家老たちは「ならばその事を主人へ伝えよう」と言った。これに岡本は、

「伝えるのはよろしくありません。貸した後に道理に背くことに与したと公儀から
御咎めを受けた時には、主人は少しも存じておらず、それがし一人の判断であると
言って切腹しましょう。あるいは貸した後に急難を救ったとして御誉めに預かった時には、
主人の判断ということにいたしましょう」と言い、倉を開け千金を出して貸し与えた。

後に直孝はこれを聞いてたいへん感心したということである。

――『明良洪範』





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岡本半介と江戸城普請・悪い話

2008年10月16日 00:11

293 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/04/05(土) 23:38:01 ID:i+XIg6gN
江戸初期だが…
諸藩が二条城の普請を命じられたとき、彦根藩では軍学者岡本半介が奉行となった。
これは実質諸藩の競争だった。
堀を掘るときに排水が問題となり、諸藩は必死に排水を行ったが、半介は休むよう命じた。
その後作業を再開したときには既に彦根藩の受け持ちの部分の水は
もっと深く掘った藩のほうへ流れ排水されていたので簡単に掘り進めることが出来た。
また、諸藩が堀の底を平らにしているときに半介は何もしなかった。
幕府の目付けが理由をきくと、「これは甲州流で、敵が底を移動しにくいようにわざと底をデコボコにしてある」といった。
せっかく平らにした諸藩もまたデコボコに直さねばならなくなった。

次に江戸城の彦根藩普請総奉行の際、岡本は作業を遅くやらせ、諸藩が天井を完成させると言うときに、
また天井造りに取り掛かっていなかった。
そのとき、岡本は幕府の目付けを呼んで天井を造るので裏を確認してほしいと頼んだ。
当時、本多正純失脚をめぐって『宇都宮釣り天井事件』の風聞が流れていたので、
目付けたちは不覚だったと天井の奥を確認することになり、諸藩はせっかく完成させた天井をまた剥さねばならなくなった。
その隙に半介は天井を完成させた。



294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/06(日) 01:14:50 ID:KW73pYH7
戦国ちょっと過ぎのちょっとワルい話