小田原の役の、里見氏のトホホ・悪い話

2009年01月26日 00:03

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 07:13:55 ID:oKuM1OGv
小田原の役での里見氏のトホホな行動

房総の大名里見義康は小田原の役の時に弱冠18歳。
戦国期を通して里見氏は小田原北条氏と争っていたので、秀吉の小田原征伐に応じて
安房から三浦半島へ進出。
しかし、ここでやらかす。

三浦半島の、とある村に出した禁制。
『村に放火しちゃったけど、俺らは関東公方足利氏の再興・鎌倉帰還のために闘ってるから勘弁ね。あ、今後は乱暴狼藉した連中は取り締まるから安心してちょ』

1538年の第一次国府台合戦で滅亡した小弓公方足利義明の一族を、関東制圧の
旗印に闘ってきた里見氏。
小田原北条氏が秀吉の圧力を受けたことに乗じて、父祖伝来の野望を遂げようとしたのだが、
この勝手な行動に秀吉が黙っているはずがなかった。

結果、上総国の領地を没収され安房一国に押し込められることに(だいたい三分の一に削減)。

ちなみに里見氏が奉じていた小弓公方家の足利頼淳。
秀吉に娘を側室として差し出して、下野喜連川領を新たに与えられている。
これがのちの十万石格の喜連川足利家。


秀吉に味方したまでは良かったものの、戦略的に大失敗した里見氏。
里見氏の大義名分になっていたものの、領地を与えられた喜連川足利氏の対照的な
小田原の役であった。



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