南総の友情

2018年03月19日 17:27

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/03/19(月) 15:09:10.97 ID:pGLzIasn
有名な話だけどまとめサイトの方に地元の話題があまりなかったので。
初投稿なので作法がなっていないかも知れません。ご容赦ください。

南総の友情

天文二年(1533)、一人の若き僧が安房の保田妙本寺にやって来た。
僧の名は日我。日向に生まれ六歳にして三河阿闍梨に教えを受け、二十代の若さで妙本寺の代官に任じられた秀才であった。

やがて日我は日蓮崇拝の気風が強い安房にて深い尊崇を受けるようになり、ついには妙本寺を継いだ。
そして同じ頃、安房ににて頭角を現した者がもう一人いた。天文の内訌の勝利者となり安房里見氏を掌握した里見義堯である。
二人は出会うと互いに感銘を受け、尊敬し合う仲となった。
当時義堯は三十歳、日我は二十九歳であったと言われる。

古の義舜の治世を夢見たとも言われる義堯は学徳深い日我を謂わば政治顧問の様に頼り、その助言によく耳を傾けたという。
また日我は寺領を前線基地として里見氏に貸し出すなど、二人は二人三脚でその勢力を拡大していった。
だがたった一度、日我の進言を義堯が退けたことがあった。相模の北条氏康が日我を通して義堯に和睦を持ちかけたのだ。
「日我上人の申し出でもそれだけは受け入れられぬ」
義堯はそう言って断ったが、その後も二人の交流は途切れなかった。

月日は流れ天正二年(1574)六月一日。その半生を北条との戦いに投じた安房の狼、里見義堯は泉下の人となった。
日我と義堯の出会いから四十年近く経っていた。
里見氏の門派は曹洞宗であり、当然義堯も日蓮宗に帰依はしていなかったが、日我は願い出て義堯の百日法要を行った。
百日間の読経の後、日我は友の為に歌を詠んだ。

隔つとも 心の空に 照る月の 光は同じ 眺めなるらん

二人の眺めた光とは房総の安寧か尽きることなき野心だったか。
幾度北条に大敗しても立ち上がり続けた義堯を日我は「関東無双の大将」と述懐したという。



708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/19(月) 15:34:31.80 ID:3GoBRh6O
古の義舜って佐竹義舜のことか?
また里見らしい中途半端な目標だなw

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/19(月) 15:42:38.16 ID:dxw5TKgB
「堯舜の治世」の間違いじゃないの?

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/19(月) 16:38:47.11 ID:DgvlYfoX
>>708
いや君の洞察力もなかなか中途半端w
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戦国大名、里見義尭・悪い話

2009年01月25日 00:05

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 01:03:55 ID:0kleO/9d
里見家当主として北条と渡り合い、里見家全盛期を築き上げた里見義尭。その彼は
まず北条と手を組み従兄弟をブチ殺し家督を奪い、その直後に北条を裏切り
足利義明と手を組み国府台合戦を引き起こした。

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 01:05:20 ID:0kleO/9d
だがしかし戦況不利と見るや義明を見捨てて自分だけ逃げた挙げ句、義明死後
空白地となった領土を掠めとって勢力を拡大する等、関東の梟雄と言える所業を重ねた男。
彼はそれだけでは飽き足らず記録の改竄を行うのだった。

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 01:06:23 ID:0kleO/9d
家督継承の経緯を、非道な従兄弟により無実の罪で殺された父の復讐の為に立ち上がり、
見事仇討ちを果たし晴れて里美家の家督を継いだ……という美談にすり替えてしまった。
後年書かれた里美八犬伝などギャグにしか見えなくなるくらいの、里見家の悪い当主の話。




719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 12:05:06 ID:CaALm+vg
>>702
その評価はどうかなぁ。義明がバカすぎるけどねぇ。
馬鹿な上官は敵より怖いし。ぶっちゃけ、おれに弓ひけるわきゃないし、
姿見せるだけで敵はにげだす、
なんて考えてる人間に付いて失敗したぁ
って思ったんじゃないの?

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 12:47:08 ID:2oIjPF3j
>701-703
よくも悪くも、見事な戦国大名じゃないか。
子供や孫の代で内紛お家騒動起こしまくってるのもアレだな。