病死よりも討ち死に

2009年01月19日 00:13

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 12:10:30 ID:tBf+xXtQ
病死よりも討ち死に

柳生清厳は柳生利厳の長男として生まれ、尾張藩徳川義直の小姓として300石で働いていた。
清厳は父直々に柳生新陰流の指導を受けてを修めただけでなく宝蔵院流の槍も習得し、
その上学もあるため
新陰流の後継者として期待されていたが病によって仕事を辞め自宅で蟄居をせざるを得なくなった。

ちょうどこのとき九州で島原の乱が起こった。
この乱を聞いた清厳は「私は不幸にして任を辞めざるを得なかったが、このまま病死するのは
不名誉なのでこの戦いで死んできます。」
と言って家族に伝えずに槍を片手に島原へ行き奮戦し、敵を数多く討ち取ったが
銃弾に当たり討ち死にした。




431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 16:05:17 ID:/MdpIWcb
>>406 >>419
現代に生きる漏れから見たらどうしても「?」てなるけど、

父や兄が華々しく戦場で散っていった世代の武士には
“(自分たちだけ)生き残ってしまった”、“置いて行かれた”感覚があったんだろうね。

大坂の陣でも島原の乱でも、敗者はむろんのこと勝ったハズの幕府方で名のある武士の討ち死にが多いんだよな
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