505 名前:utareyowaidesu[] 投稿日:2009/09/16(水) 22:20:18 ID:2XxdTIFp
ロム専でしたが 勇気振り絞って初投稿
某総本山監修の小説からの引用なのと その本 手許になくて
記憶をたよりに書き込みです ソースなど ご容赦を
慶長4年 家康が政略結婚をしたなかに 蜂須賀家がある
妻になるのは 小笠原秀政の娘で 名前は氏姫
彼女は法華宗の熱心な信者でした
家康の養女となって嫁ぐ時に 家康とお目見えがあり 彼女は こう言った
お養父さま お嫁入りの祝いに おねだりがあるの^-^ニコ」
「はて?嫁入り道具に欲しいものがあるのか?(金は出さんぞ)」
「嫁入り道具なんていりません。蜂須賀の家の宗旨は臨済宗だけど
姫は法華宗に帰依してるの
だから お嫁に行っても信仰を続けて良いという お許しが欲しいの」
氏姫 このとき まだ10歳前後
「ははは(それならタダだな)それは 結構なことだ いいよ~」
「お養父さま 姫は真剣なの 言葉だけじゃイヤ!一筆書いて!祐筆じゃイヤよ!直筆ね^-^」
「あ・・うん OK~( ̄∀ ̄*)Oo。(ハキハキして賢い~~4・5年すればストライクゾーン萌え)」
家康のハァトをつかみ お嫁いり 夫の至鎮にも 最初の挨拶で「自分の信仰は・・・」とやった
名君 至鎮は用意周到な氏姫に むしろ興を覚え 夫婦仲は睦まじく 子宝にも恵まれた
夫妻の触りといえば 時折 姫が法華信仰への改宗を勧めるくらいであったろう
が、幸せは長く続かず 元和6年(1620年)に 元々病弱だった 夫は35歳の若さで死去する
名君の若すぎる死は 家中で惜しまれ そのあまりだろうか
あろうことか氏姫が幕府の意向で夫を暗殺したのではないかという 心無い中傷・ウワサがたった
嫁でありながら 蜂須賀の宗旨に逆らい 法華信仰を続ける彼女に対し「家康の養女」を
鼻にかけていると 反感を買われてもいたようだ
子供は まだ9歳 お家存続のピンチに 氏姫は 歎いてなどいられない
無事 子供が跡目を継げるように 土井利勝に会う決意をした
アポまで時間かかるかと思いきや 思いのほか早く会えた上に 利勝は こう言った
「貴女様のことは 神君から聞いております 真筆を渡したが齟齬があるといけないので
良きように計らえとの お言葉でしたよ」
(ええ?お養父さまが?そういえば嫁いでからも 折々に手紙を出してた・・・私を
覚えてくださってたのね。゜゜(´□`。)°゜。)
引き続き土井が言った
「政治向きのことは 今すぐ お返事はしかねますが 神君のお言葉を違えるような事態には
ならないと思いますれば ご安堵ください」
家康からの一筆(氏姫が嫁ぎ先「蜂須賀家」で信仰を続けていいよ)が
どの程度の効力を発揮したかは 判らないが
とにかく 長男は無事 家督を継ぐの認められた
氏姫は 自ら積極的に動くことによって悪評を跳ね除けたのだ
彼女に感謝した蜂須賀家は 彼女の領地に建立された法華宗の寺院(正法寺)を
手厚く保護したそうだ
猛者ぞろいの このスレの住人には 物足りないと思いますが
氏姫が まだ出てなかったようなので やってみました(;;)
507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:34:27 ID:CbcOPe67
>>505
いやあ面白かった。養女も含めて、家康の娘さんたちは強いねえ。いかにも戦国の姫だ。
そういえば確か真田さんのところの小松姫も、家康の養女として真田家に入ったんだよね。
508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:36:51 ID:3zqzTm3y
養女とか含めたら家康ホントに子沢山だなあ
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 00:26:44 ID:cKAZQ+ZI
>>505
蜂須賀氏はもともと三河門徒という説があって、浄土真宗寺院を三河→播州龍野
→阿波と連れて行ってるんだよな。
で、阿波に落ち着いた際に
「大名が門徒は拙くない?」
って理由で今の菩提寺(興源寺)を建立してる。
ロム専でしたが 勇気振り絞って初投稿
某総本山監修の小説からの引用なのと その本 手許になくて
記憶をたよりに書き込みです ソースなど ご容赦を
慶長4年 家康が政略結婚をしたなかに 蜂須賀家がある
妻になるのは 小笠原秀政の娘で 名前は氏姫
彼女は法華宗の熱心な信者でした
家康の養女となって嫁ぐ時に 家康とお目見えがあり 彼女は こう言った
お養父さま お嫁入りの祝いに おねだりがあるの^-^ニコ」
「はて?嫁入り道具に欲しいものがあるのか?(金は出さんぞ)」
「嫁入り道具なんていりません。蜂須賀の家の宗旨は臨済宗だけど
姫は法華宗に帰依してるの
だから お嫁に行っても信仰を続けて良いという お許しが欲しいの」
氏姫 このとき まだ10歳前後
「ははは(それならタダだな)それは 結構なことだ いいよ~」
「お養父さま 姫は真剣なの 言葉だけじゃイヤ!一筆書いて!祐筆じゃイヤよ!直筆ね^-^」
「あ・・うん OK~( ̄∀ ̄*)Oo。(ハキハキして賢い~~4・5年すればストライクゾーン萌え)」
家康のハァトをつかみ お嫁いり 夫の至鎮にも 最初の挨拶で「自分の信仰は・・・」とやった
名君 至鎮は用意周到な氏姫に むしろ興を覚え 夫婦仲は睦まじく 子宝にも恵まれた
夫妻の触りといえば 時折 姫が法華信仰への改宗を勧めるくらいであったろう
が、幸せは長く続かず 元和6年(1620年)に 元々病弱だった 夫は35歳の若さで死去する
名君の若すぎる死は 家中で惜しまれ そのあまりだろうか
あろうことか氏姫が幕府の意向で夫を暗殺したのではないかという 心無い中傷・ウワサがたった
嫁でありながら 蜂須賀の宗旨に逆らい 法華信仰を続ける彼女に対し「家康の養女」を
鼻にかけていると 反感を買われてもいたようだ
子供は まだ9歳 お家存続のピンチに 氏姫は 歎いてなどいられない
無事 子供が跡目を継げるように 土井利勝に会う決意をした
アポまで時間かかるかと思いきや 思いのほか早く会えた上に 利勝は こう言った
「貴女様のことは 神君から聞いております 真筆を渡したが齟齬があるといけないので
良きように計らえとの お言葉でしたよ」
(ええ?お養父さまが?そういえば嫁いでからも 折々に手紙を出してた・・・私を
覚えてくださってたのね。゜゜(´□`。)°゜。)
引き続き土井が言った
「政治向きのことは 今すぐ お返事はしかねますが 神君のお言葉を違えるような事態には
ならないと思いますれば ご安堵ください」
家康からの一筆(氏姫が嫁ぎ先「蜂須賀家」で信仰を続けていいよ)が
どの程度の効力を発揮したかは 判らないが
とにかく 長男は無事 家督を継ぐの認められた
氏姫は 自ら積極的に動くことによって悪評を跳ね除けたのだ
彼女に感謝した蜂須賀家は 彼女の領地に建立された法華宗の寺院(正法寺)を
手厚く保護したそうだ
猛者ぞろいの このスレの住人には 物足りないと思いますが
氏姫が まだ出てなかったようなので やってみました(;;)
507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:34:27 ID:CbcOPe67
>>505
いやあ面白かった。養女も含めて、家康の娘さんたちは強いねえ。いかにも戦国の姫だ。
そういえば確か真田さんのところの小松姫も、家康の養女として真田家に入ったんだよね。
508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:36:51 ID:3zqzTm3y
養女とか含めたら家康ホントに子沢山だなあ
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 00:26:44 ID:cKAZQ+ZI
>>505
蜂須賀氏はもともと三河門徒という説があって、浄土真宗寺院を三河→播州龍野
→阿波と連れて行ってるんだよな。
で、阿波に落ち着いた際に
「大名が門徒は拙くない?」
って理由で今の菩提寺(興源寺)を建立してる。
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