関東の女傑、由良妙印尼・いい話

2009年02月18日 04:47

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 10:19:35 ID:vjs0PTdm
九州の女傑吉岡妙林尼の逸話がTV放映されましたが、関東の女傑由良妙印尼の逸話

上野国金山城主・由良国繁は成繁の息子で、妙印尼は成繁の妻であった。
成繁の死後、由良家の家督を北条一族の者に継がせようと北条氏政が画策した。
天正12年に北条氏から同盟の話を持ちかけられ、尼の息子である国繁・顕長の兄弟は
厩橋城で行われる茶会に揃って出かけたが、そのまま兄弟を監禁し家を譲るように強要した。

息子の監禁を知った生母妙印尼は、城主不在の金山城に赴き、城兵の指揮をとった。
北条氏は息子2人の返還と引き換えに由良氏の支配する4つの城を明け渡すことを要求して
金山城を包囲したが、妙印尼はそれに屈することなく、自ら具足を身につけ長刀を持ち、
場内の兵たちを激励し、食器に酒肴を詰めてくりだし、由良方を督戦しがら籠城を続けた。
金山城を攻めあぐねた北条軍は、「人質となった息子を磔にする」と脅したが、妙印尼は逆に
北条軍に向かって大筒を撃ち、ひるむ北条軍に向かって兵を出して反撃したという。

結局は北条氏から和睦を申し出、息子の命と引きかえに金山城・館林城を明け渡すも、
桐生城・足利城と2人の息子の命を救うことに成功した。
当時妙印尼は71歳だという。

さらに時は移って、小田原の陣。
由良国繁は北条方に同心して小田原城に籠城した。
しかし、北条氏を憎む妙印尼は国許に残り、貞繁(国繁の嫡男)と繁詮(国繁の弟)以下
300騎を連れて豊臣軍に合流、「孫の後見人」として松井田城攻めに参加するなど
各地を転戦して、北条方を攻撃した。

小田原の陣の後、豊臣秀吉は2度も北条氏に抵抗した妙印尼の功績を称え、
繁詮に三万石を与えた。
一方で尼の助命嘆願を認め、北条方に与した国繁は領地没収に止めたという。翌年、
その国繁も許され、常陸国牛久に5400石余りを与えられた。
この時、妙印尼は77歳。知行朱印状は「妙印尼宛て」だったという。




910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 10:43:25 ID:X3jsr7qd
>>909
すげえ婆さんだなw
婆さんがすごいのか氏政がへたれなのか

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 17:45:11 ID:FqmpF4K2
>>910
この婆さんの孫が「のぼうの城」でお馴染みの甲斐姫だったりする。
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