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関ヶ原御屏風2双のうち1双を

2015年11月26日 16:46

満天姫   
32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 02:41:14.19 ID:f6OhH1ci
福島正之、のち津軽信枚の正室となった満天姫はある年、
養父・徳川家康に願って、

「長く子孫の宝としたいので、関ヶ原御屏風2双のうち1双を
拝借仕りたく存じます」と、申し上げた。

これに家康は、「それはとても望みを叶え難い。他の品であれば、
何なりとも望みを叶えよう」と、返答した。

しかし、姫は「他の御品は少しも望んではおりません。何よりも
頂戴仰せ付けられたく…」と、涙を流して一途に願うので、

家康は、「それほどのことならば、しばらく預けておくから、
少しばかり遠国の慰みにでもせよ」と、件の品を預けたという。

――『藤田氏旧記』




33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 05:25:23.60 ID:1wZsGKAV
福島正之=のち津軽信枚の正室となった満天姫
に見えたw

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 07:35:47.64 ID:V2ZL0Ks2
無知を晒すなよw

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 12:33:23.74 ID:xoNX82Hw
程よく馬鹿であることが
いい話を産むんです
例え馬鹿でも阿呆じゃなければいいじゃない

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 12:39:13.95 ID:ieUx67E2
馬鹿と阿呆の違いって単に地方ごとに使われる頻度が異なるだけだと思うがニュアンスがわからん
ほんとかしらんが、両方「烏滸をこ」から来た説もあるし

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 13:27:05.86 ID:G0lZK8IS
まあ、なんて尾籠な
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徳川家康養女、「満天姫」・悲しい話

2009年01月15日 00:08

満天姫   
372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 10:27:10 ID:binRxsNS
満天姫

徳川家康の養女満天姫。実父は松平康元なので、実質的に実の娘も同然だろう。
満天姫は波瀾万丈の生涯を送った。

まず満天姫は小西行長の嫡子・兵庫に嫁ぐことが決まったいた。
このとき満天姫まだ10歳の幼女。
しかし小西家は関ヶ原では西軍に付くであろうと予測されたため、輿入れは無しになった。
婿になるはずだった兵庫は毛利輝元によって関ヶ原後に斬処される。12歳だったという。

関ヶ原の合戦の直前、満天姫は今度は福島家に嫁ぐこととされる。
相手は正則の養嗣子・正之。もうみなまで言うな。
慶長12年、正之は「気が狂った」ため監禁され、満天姫は正則の判断で離縁させられ出戻ることに。
このとき満天姫ようやく18歳。夫だった正之は餓死。享年24だったとされる。

出戻った満天姫だったが、すでに正之の子を身籠もっていた。
ほどなくして無事に出産したのだが、産まれた子は男子であった。
数年が経ち満天姫は今度は津軽信枚の元へ輿入れすることになる。

信枚にはすでに正妻があった。石田三成の娘・辰姫である。
信枚は徳川の不興を買うまいと、辰姫を側室に降格、満天姫を正室として迎えた。
福島正之との間にできた男子は家老の大道寺直英の養子にされ、直秀と名乗ることに。
しかし信枚の心は辰姫にあり、先に嫡男・平蔵を産んだのも辰姫であった。
翌年に満天姫も男子を出産するが、信枚は辰姫との間にできた子供を跡継ぎにと決めており、
実際、後に平蔵は3代藩主信義となる。

もうすでに立場のない満天姫に、更なる不幸が襲う。
寛永13年、大道寺の養子となっていた直秀が何をトチ狂ったか「福島家再興を」と
幕府に訴え出ようとしていることが発覚。
津軽の安泰を思ってか、徳川に仇なす輩を見逃せずか、満天姫は直秀が江戸に出立する朝、
最後の別れを言いに来た実の息子を毒殺したのだった。
その2年後、満天姫は弘前で没する。享年50。

徳川の娘の悲しくも(男運の)悪い話。




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 22:54:18 ID:ASUBx55G
>>372
男運は最高だったが悲しい結末を迎えた黄梅院という女性もいるな。武田と北条の同盟の為に、氏政にわずか12歳で嫁ぐ→お互いに相性が良かったので大変仲睦まじく以降15年ラブラブの結婚生活を送り、氏直始め男子6人の子宝に恵まれる

384 名前:続き[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 23:03:27 ID:ASUBx55G
ところがどっこい、信玄が今川に攻め込んじゃったのを機に同盟破棄→ブチ切れた氏康、黄梅院を離別する様氏政に要求→氏政反対するも親父には逆らえず黄梅院を甲斐に送り返す→最愛の夫と息子逹と引き離されたショックからまもなく病死
と悲しい結末になってしまった。後数年生きていれば……

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 23:08:58 ID:ec3APS6s
>>384
武田滅亡の巻き添え?

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 23:13:05 ID:IpCq9Sps
>>384
氏康は義元に北条今川同盟が破棄された時にも、今川氏親の娘である自分の嫁さんの
瑞渓院を、離別なんてしなかったのになあ。

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/15(木) 02:42:15 ID:MAUns4io
>>386
その氏康の意図だったっらしいが >離別
氏政は国境まで見送りにいって、別居領をわざわざ負担して、
最同盟(横梅院の死)後は分骨してもらって自身で弔ってる。

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/15(木) 03:50:11 ID:ea6+fLz8
北条さんとこは早川殿も氏真と仲良かったな

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/15(木) 07:16:35 ID:3I+THv95
勝頼の奥さんになった北条夫人も勝頼と仲良かった。




夫婦話リンク
武田勝頼の妻、北条夫人の願文
北条氏政とその妻黄梅院・いい話
今川氏真の逃亡
夫婦、島津家久と亀寿・悪い話