870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:21:05 ID:jmeNcU6s
ネタ投入。
まとめスレをざっと見た限りでは出てなかったようなので
知られざる戦国の鬼姫?物語(1)
徳川家康の曾孫に国姫という姫がいた。
今後 重 要 な 参 考 になるため、ちょっと細かく家系を説明すると
徳川家康-信康
|---熊姫
織田信長-徳姫 |
|-国姫
|
本多忠勝--忠政
となる。父方のおばさんには あ の 小松姫 などもいる。
国姫の パッと見た目 は母親の徳姫経由で織田家の血を引いていたためかどうか
相当な美人だったらしい。
しかも、祖父に当たる信康の不幸な死などもあってか家康に非常に溺愛されたそうだ。
さて、この国姫。家康の血をつぐ曾孫となれば、政略結婚のけっこーな駒として使い勝手良いことこの上ない。
ということで、曾祖父の命令で、曾祖父家康の養女となり、越後の大名・堀忠俊の元に嫁ぐことになった。
忠俊は「いい話」スレ常連の”名人”久太郎”秀政の孫で、
領地も越後1カ国45万石というから家康養女の嫁ぎ先としては十分釣り合いのとれるところであった。
が、ケコーンしてからわずか4年目の慶長15年(1610年)。
堀家はあっさり改易されてしまう。忠俊と国姫の間に子供はおらず、国姫は江戸に帰されてしまった。
通説では、堀家の改易は家老どうしが主導権を巡ってケンカしたのが原因とされる。
しかし、この諸悪の根元とも言える家老は後に徳川幕府によって大名に取り立てられるなど不審な点がある。
(続く)
871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:22:32 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫?物語(2)
さて、こうして江戸に返されて肩身が狭い・・・どころか、曾祖父・家康の溺愛のもと、
のびのびバツ1生活を楽しもうとしていた国姫に再びケコーンの命令が下った。
堀忠俊の離婚と同年(!)慶長15年(1610年)のことである。
相手は九州の小大名の世子・有馬直純である。
今度は肥前の島原辺りで約4万石。堀氏と比べると一気に石高1/10である。
国姫はどう思ったか分からないが、バツ一だから文句は言えなかったと思われる。
更に、直純も実はバツ一であった。というか、国姫と再婚するためにバツ一にさせられたのである。
直純にはキリシタンの正室がいた(小西行長の姪・マルタといわれる)が、
この頃キリシタンの規制が一段と厳しくなったため、キリシタンに固執した父・晴信とは異なり直純は棄教したのである。
そして、ほんとーに棄教したかどうかをちゃんと証明するためにこの正室との離婚+国姫との再婚を求められたのである。
結婚初夜。
今更お互いにバツ一だし、ときめく物もないし、でも確かに国姫は美人ではあるし
家康公の機嫌を損ねないためにもやることはやらなきゃいけないなぁ・・・
と、国姫の寝間着を脱がせた直純は、そこに見た物を見て仰天した!
(続く)
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:23:26 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫(?)物語(3)
なんと国姫の豊かな乳房は、それを覆わんばかりの
クマーのような剛毛
に覆われていたのである!!! ( Д)...。。
・・・直純は(こんな事と知っていたら、せめて、せめて別の姫を所望したのに!)・・・と思ったことだろう。
でも、こうなってしまっては仕方ないのである。直純は萎えた物を(御家のため)とそれこそ血の出るようなおもいで
奮い立たせ、なんとか事を済ませたのであった・・・
直純は国姫、いやそのバックにいる幕府をおもんばかって
キリシタンであったころ以上に、過度の禁欲生活を強いられること 3 1 年。
頑張って2男3女を作り、寛永18年(1641年)参勤交代中に急死した。
ちなみに後世のキリシタン関係史料などではこの国姫のことをこう評している
「有馬晴信を讒言して処刑させたのも、その遺児(直純の異母弟2名)を処刑させたのも
ぜーんぶぜーんぶ国姫が夫・直純をそそのかしたから!
ついでに、堀家が滅んだのも国姫が堀家のことを無いこと無いこと家康にちくったから!まちがいない!!!」
(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』 意訳)
また、日本側の史料でも国姫についてはこう書いてある
「国姫の人となりですが、
剛毅にして技撃(おそらく槍とか長刀などの武芸だろう)に通じておられ
容貌は端麗で 胸 毛 が 非 常 に 立 派 な お 方 でした。
立ち居振る舞いも立派な武将のようでありました。」
(『国乗遺文』有馬氏関係の史料)
********************************************
祖母・徳姫のちくり体質とか(濡れ衣説もあるが)
伯母・小松姫の凶b・・・いや武芸に練達した性質とか
でも 見 た 目 だ け は 綺 麗 というから
いろんなご先祖様の悪い部分だけを抽出したらこうなっちゃいましたというか・・・
ちなみに国姫実母の名前は「熊姫」といいますが、
この人が名前の通りクマーのような剛毛だったかどうかは史料が無く不明のようです・・・
<蛇足>その後有馬家は先祖伝来の島原から日向国の県(今の高鍋)に加増されて転封されましたが
その後、領民から過酷な取り立てをしていたのがばれて、
なんと堀家の元領地であった 越 後 国 糸魚川に飛ばされたそうです。 これも因果?
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:50:03 ID:lqYVVRjY
これ面白い話だな
長くてまとめにくい話を分かりやすく書いてくれて乙
個人的には超美人で胸毛ありとか逆にイイかもしんねぇッス
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:51:01 ID:WjKPijrF
わ、わからねえ
でも首から下を見なければ、やれるんだろうね
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 21:31:51 ID:51s5Tdw2
胸毛まであるんじゃ、なんか別のものまで生えていそうだよな…ゴクリ
879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:03:31 ID:jmeNcU6s
>>873
ありがとうございます
塚、もっと短くまとめるつもりが削りに削ってこのていたらくで申し訳ない(汗
>>877
有馬家史料の『国乗遺文』の記述なんか見ると
明らかに「見た目は女だが、実際は男だろこれ」といわんばかりの書き方で
ホルモン異常orトランスジェンダーだったんじゃないかとも思われますね>国姫
ちなみに国姫の別名は「百合姫」とも言うらしいです
ホントに見かけだけはすごかったのかも 見 か け だけは・・・
でも脱いだら 別 の 意 味 ですごいんです_
880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:09:09 ID:wMx6N9Yh
岡本大八事件を乗り切れたのにはこういう裏側が…
881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:13:27 ID:H43eQWxN
この話聞くたびに、心臓に毛が生えてる的な表現なんじゃないかなと思う
この頃の服装だと胸元が見えることはます無いし
882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:26:36 ID:51s5Tdw2
>>881
いやそれが、日本人は胸元が見えることに羞恥心を長らく感じなかったし、
昔の気付けってかなりゆるいんだ。時代劇みたいにギチギチ着付けていたら、
息詰まって生活できんもん。上も下もポロリが結構あったんだよ。
乳母はいただろうけど、子供を泣き止ますために乳首を人前で
ふくませるとかあったっちゅうしね。
883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:32:50 ID:H43eQWxN
庶民はかなり大らかな感じだったのは知ってるが
上流階級もそうなのか?ふむ
884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:40:08 ID:/NQ8e+ji
よし、ちょっくら戦国時代にいってくる
885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:40:20 ID:51s5Tdw2
侍女A「ちょっと、あの奥方の胸元みた?」
侍女B「えー、マジー!?」
侍女C「うそー!」
みたいなかんじで、噂がもれたのかもなとも思う。
886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:43:20 ID:lqYVVRjY
>>885
もし細川家なら侍女三人共・・・なシチュエーションだな
887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:48:33 ID:ykQq2gGl
中国人が「日本人マジしんじられねー、
あんなすぐやれる服を着ているのかよ…」
と驚いたという話もどこかで読んだが、女性の下半身でめくれば
いつでもつっこめる=ヤレるのは襦袢くらいじゃないかなと。
ふんどしもずらせばいつでも臨戦態勢だしなあ。
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:51:08 ID:BLMC+1se
ガラシャの体毛見ようもんなら…
889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 23:33:49 ID:WjKPijrF
>>880
なるへそ
行き場の無い娘を引き取った代償か
ネタ投入。
まとめスレをざっと見た限りでは出てなかったようなので
知られざる戦国の鬼姫?物語(1)
徳川家康の曾孫に国姫という姫がいた。
今後 重 要 な 参 考 になるため、ちょっと細かく家系を説明すると
徳川家康-信康
|---熊姫
織田信長-徳姫 |
|-国姫
|
本多忠勝--忠政
となる。父方のおばさんには あ の 小松姫 などもいる。
国姫の パッと見た目 は母親の徳姫経由で織田家の血を引いていたためかどうか
相当な美人だったらしい。
しかも、祖父に当たる信康の不幸な死などもあってか家康に非常に溺愛されたそうだ。
さて、この国姫。家康の血をつぐ曾孫となれば、政略結婚のけっこーな駒として使い勝手良いことこの上ない。
ということで、曾祖父の命令で、曾祖父家康の養女となり、越後の大名・堀忠俊の元に嫁ぐことになった。
忠俊は「いい話」スレ常連の”名人”久太郎”秀政の孫で、
領地も越後1カ国45万石というから家康養女の嫁ぎ先としては十分釣り合いのとれるところであった。
が、ケコーンしてからわずか4年目の慶長15年(1610年)。
堀家はあっさり改易されてしまう。忠俊と国姫の間に子供はおらず、国姫は江戸に帰されてしまった。
通説では、堀家の改易は家老どうしが主導権を巡ってケンカしたのが原因とされる。
しかし、この諸悪の根元とも言える家老は後に徳川幕府によって大名に取り立てられるなど不審な点がある。
(続く)
871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:22:32 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫?物語(2)
さて、こうして江戸に返されて肩身が狭い・・・どころか、曾祖父・家康の溺愛のもと、
のびのびバツ1生活を楽しもうとしていた国姫に再びケコーンの命令が下った。
堀忠俊の離婚と同年(!)慶長15年(1610年)のことである。
相手は九州の小大名の世子・有馬直純である。
今度は肥前の島原辺りで約4万石。堀氏と比べると一気に石高1/10である。
国姫はどう思ったか分からないが、バツ一だから文句は言えなかったと思われる。
更に、直純も実はバツ一であった。というか、国姫と再婚するためにバツ一にさせられたのである。
直純にはキリシタンの正室がいた(小西行長の姪・マルタといわれる)が、
この頃キリシタンの規制が一段と厳しくなったため、キリシタンに固執した父・晴信とは異なり直純は棄教したのである。
そして、ほんとーに棄教したかどうかをちゃんと証明するためにこの正室との離婚+国姫との再婚を求められたのである。
結婚初夜。
今更お互いにバツ一だし、ときめく物もないし、でも確かに国姫は美人ではあるし
家康公の機嫌を損ねないためにもやることはやらなきゃいけないなぁ・・・
と、国姫の寝間着を脱がせた直純は、そこに見た物を見て仰天した!
(続く)
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:23:26 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫(?)物語(3)
なんと国姫の豊かな乳房は、それを覆わんばかりの
クマーのような剛毛
に覆われていたのである!!! ( Д)...。。
・・・直純は(こんな事と知っていたら、せめて、せめて別の姫を所望したのに!)・・・と思ったことだろう。
でも、こうなってしまっては仕方ないのである。直純は萎えた物を(御家のため)とそれこそ血の出るようなおもいで
奮い立たせ、なんとか事を済ませたのであった・・・
直純は国姫、いやそのバックにいる幕府をおもんばかって
キリシタンであったころ以上に、過度の禁欲生活を強いられること 3 1 年。
頑張って2男3女を作り、寛永18年(1641年)参勤交代中に急死した。
ちなみに後世のキリシタン関係史料などではこの国姫のことをこう評している
「有馬晴信を讒言して処刑させたのも、その遺児(直純の異母弟2名)を処刑させたのも
ぜーんぶぜーんぶ国姫が夫・直純をそそのかしたから!
ついでに、堀家が滅んだのも国姫が堀家のことを無いこと無いこと家康にちくったから!まちがいない!!!」
(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』 意訳)
また、日本側の史料でも国姫についてはこう書いてある
「国姫の人となりですが、
剛毅にして技撃(おそらく槍とか長刀などの武芸だろう)に通じておられ
容貌は端麗で 胸 毛 が 非 常 に 立 派 な お 方 でした。
立ち居振る舞いも立派な武将のようでありました。」
(『国乗遺文』有馬氏関係の史料)
********************************************
祖母・徳姫のちくり体質とか(濡れ衣説もあるが)
伯母・小松姫の凶b・・・いや武芸に練達した性質とか
でも 見 た 目 だ け は 綺 麗 というから
いろんなご先祖様の悪い部分だけを抽出したらこうなっちゃいましたというか・・・
ちなみに国姫実母の名前は「熊姫」といいますが、
この人が名前の通りクマーのような剛毛だったかどうかは史料が無く不明のようです・・・
<蛇足>その後有馬家は先祖伝来の島原から日向国の県(今の高鍋)に加増されて転封されましたが
その後、領民から過酷な取り立てをしていたのがばれて、
なんと堀家の元領地であった 越 後 国 糸魚川に飛ばされたそうです。 これも因果?
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:50:03 ID:lqYVVRjY
これ面白い話だな
長くてまとめにくい話を分かりやすく書いてくれて乙
個人的には超美人で胸毛ありとか逆にイイかもしんねぇッス
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 20:51:01 ID:WjKPijrF
わ、わからねえ
でも首から下を見なければ、やれるんだろうね
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 21:31:51 ID:51s5Tdw2
胸毛まであるんじゃ、なんか別のものまで生えていそうだよな…ゴクリ
879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:03:31 ID:jmeNcU6s
>>873
ありがとうございます
塚、もっと短くまとめるつもりが削りに削ってこのていたらくで申し訳ない(汗
>>877
有馬家史料の『国乗遺文』の記述なんか見ると
明らかに「見た目は女だが、実際は男だろこれ」といわんばかりの書き方で
ホルモン異常orトランスジェンダーだったんじゃないかとも思われますね>国姫
ちなみに国姫の別名は「百合姫」とも言うらしいです
ホントに見かけだけはすごかったのかも 見 か け だけは・・・
でも脱いだら 別 の 意 味 ですごいんです_
880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:09:09 ID:wMx6N9Yh
岡本大八事件を乗り切れたのにはこういう裏側が…
881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:13:27 ID:H43eQWxN
この話聞くたびに、心臓に毛が生えてる的な表現なんじゃないかなと思う
この頃の服装だと胸元が見えることはます無いし
882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:26:36 ID:51s5Tdw2
>>881
いやそれが、日本人は胸元が見えることに羞恥心を長らく感じなかったし、
昔の気付けってかなりゆるいんだ。時代劇みたいにギチギチ着付けていたら、
息詰まって生活できんもん。上も下もポロリが結構あったんだよ。
乳母はいただろうけど、子供を泣き止ますために乳首を人前で
ふくませるとかあったっちゅうしね。
883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:32:50 ID:H43eQWxN
庶民はかなり大らかな感じだったのは知ってるが
上流階級もそうなのか?ふむ
884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:40:08 ID:/NQ8e+ji
よし、ちょっくら戦国時代にいってくる
885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:40:20 ID:51s5Tdw2
侍女A「ちょっと、あの奥方の胸元みた?」
侍女B「えー、マジー!?」
侍女C「うそー!」
みたいなかんじで、噂がもれたのかもなとも思う。
886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:43:20 ID:lqYVVRjY
>>885
もし細川家なら侍女三人共・・・なシチュエーションだな
887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:48:33 ID:ykQq2gGl
中国人が「日本人マジしんじられねー、
あんなすぐやれる服を着ているのかよ…」
と驚いたという話もどこかで読んだが、女性の下半身でめくれば
いつでもつっこめる=ヤレるのは襦袢くらいじゃないかなと。
ふんどしもずらせばいつでも臨戦態勢だしなあ。
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 22:51:08 ID:BLMC+1se
ガラシャの体毛見ようもんなら…
889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 23:33:49 ID:WjKPijrF
>>880
なるへそ
行き場の無い娘を引き取った代償か
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