218 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 00:58:36 ID:PWh5S07b
伊勢つながりで
義将の末裔
永禄11年信長の北伊勢侵攻の際,北伊勢の諸豪族は激しく抵抗した
その中でも一際激しく抵抗したのが伊勢国治田城主,楠木正具...
あの楠木正成公の子孫である
彼は手勢わずか500ながら正成ばりのゲリラ作戦や夜襲,ヤケクソ戦法で
織田軍を翻弄,苦戦させる
特に前年,永禄10年の信長軍の侵攻の際には偽りの降伏作戦を用いて時間稼ぎを
している間に本国,美濃の不穏の動きや武田家の織田領侵攻という偽報を流し
主力部隊の撤退に成功させている
しかし結局は衆寡敵せず織田軍の包囲作戦に落城寸前、絶体絶命
この時,またしても正具は一計を案じた
正具は足立新五郎という忍びを長島願証寺に遣わせ,かねてから親交のある
服部左京亮に援軍を要請。門徒兵を織田軍に忍び込ませ敵陣をかく乱し
甚大な被害を与え,とうとう治田城を落とせなかった
結局,彼は主家である北畠降伏後も石山本願寺に指導者的立場で入城し
天正4年石山合戦のさなかに織田軍の流れ弾にあたり絶命した,享年61歳であった
219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 01:21:47 ID:+poULN9O
楠木って戦国時代まで北畠と一緒にいたのか?
220 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 01:29:20 ID:PWh5S07b
たしか楠木正成の姉か妹が伊賀の上嶋っていう豪族に嫁いだっていう
記録があるから,その辺の繋がりはあったと思う
北畠も楠木も同じ南朝側だし
221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 01:35:41 ID:qrC1Ob32
それに比べて楠長譜ときたら
222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 02:53:06 ID:LJyLjb3c
この楠木さんは 楠木正儀の子孫?
223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 06:06:35 ID:dh2o8j7h
>>219
南北朝が一つになったあとも楠木氏は各地に潜んで抵抗を続けていたらしい。
そのうちの一派が応永の乱の際に大内方として堺に籠城
落城時に北畠氏に匿われ、そのまま伊勢に土着した。
この家系からは村正の弟子として刀匠になった人物や
禁闕の変の実行者になった人物が出ている。
224 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 06:16:16 ID:PWh5S07b
たしか正義の子孫の楠木正盛という人が応仁の乱で京から落ち延びて
来た所を北畠に匿われて,正盛の三男の正威が楠山城を建てたのが
伊勢楠木氏の始まりとされます
ちなみに正盛の長男の正重は,なぜか家を継がず(継げず?)伊勢で
代々続く刀匠の家となって後の時代の剣豪国司,北畠具教の刀も
正重が作ったと云われています
225 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 06:22:55 ID:PWh5S07b
たしか正義の子孫の楠木正盛という人が応仁の乱で京から落ち延びて
来た所を北畠に匿われて,正盛の三男の正威が楠山城を築城したのが
伊勢楠木氏の始まりです
ちなみに正盛の長男の正重はなぜか家を継がず(継げず?)伊勢で
代々続く刀匠の家になり後の世の剣豪国司北畠具教の刀も
彼の子孫が作った話が残っています
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 08:40:06 ID:2I50u3RW
>>222
楠木正成の三男・正儀の子供である正勝が正具の祖先。
>>224-225
>>218の正具はその話の正盛の直系じゃないよ。
そっちの子孫は由比小雪。
by Wikipedia
伊勢つながりで
義将の末裔
永禄11年信長の北伊勢侵攻の際,北伊勢の諸豪族は激しく抵抗した
その中でも一際激しく抵抗したのが伊勢国治田城主,楠木正具...
あの楠木正成公の子孫である
彼は手勢わずか500ながら正成ばりのゲリラ作戦や夜襲,ヤケクソ戦法で
織田軍を翻弄,苦戦させる
特に前年,永禄10年の信長軍の侵攻の際には偽りの降伏作戦を用いて時間稼ぎを
している間に本国,美濃の不穏の動きや武田家の織田領侵攻という偽報を流し
主力部隊の撤退に成功させている
しかし結局は衆寡敵せず織田軍の包囲作戦に落城寸前、絶体絶命
この時,またしても正具は一計を案じた
正具は足立新五郎という忍びを長島願証寺に遣わせ,かねてから親交のある
服部左京亮に援軍を要請。門徒兵を織田軍に忍び込ませ敵陣をかく乱し
甚大な被害を与え,とうとう治田城を落とせなかった
結局,彼は主家である北畠降伏後も石山本願寺に指導者的立場で入城し
天正4年石山合戦のさなかに織田軍の流れ弾にあたり絶命した,享年61歳であった
219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 01:21:47 ID:+poULN9O
楠木って戦国時代まで北畠と一緒にいたのか?
220 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 01:29:20 ID:PWh5S07b
たしか楠木正成の姉か妹が伊賀の上嶋っていう豪族に嫁いだっていう
記録があるから,その辺の繋がりはあったと思う
北畠も楠木も同じ南朝側だし
221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 01:35:41 ID:qrC1Ob32
それに比べて楠長譜ときたら
222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 02:53:06 ID:LJyLjb3c
この楠木さんは 楠木正儀の子孫?
223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 06:06:35 ID:dh2o8j7h
>>219
南北朝が一つになったあとも楠木氏は各地に潜んで抵抗を続けていたらしい。
そのうちの一派が応永の乱の際に大内方として堺に籠城
落城時に北畠氏に匿われ、そのまま伊勢に土着した。
この家系からは村正の弟子として刀匠になった人物や
禁闕の変の実行者になった人物が出ている。
224 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 06:16:16 ID:PWh5S07b
たしか正義の子孫の楠木正盛という人が応仁の乱で京から落ち延びて
来た所を北畠に匿われて,正盛の三男の正威が楠山城を建てたのが
伊勢楠木氏の始まりとされます
ちなみに正盛の長男の正重は,なぜか家を継がず(継げず?)伊勢で
代々続く刀匠の家となって後の時代の剣豪国司,北畠具教の刀も
正重が作ったと云われています
225 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/08(木) 06:22:55 ID:PWh5S07b
たしか正義の子孫の楠木正盛という人が応仁の乱で京から落ち延びて
来た所を北畠に匿われて,正盛の三男の正威が楠山城を築城したのが
伊勢楠木氏の始まりです
ちなみに正盛の長男の正重はなぜか家を継がず(継げず?)伊勢で
代々続く刀匠の家になり後の世の剣豪国司北畠具教の刀も
彼の子孫が作った話が残っています
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 08:40:06 ID:2I50u3RW
>>222
楠木正成の三男・正儀の子供である正勝が正具の祖先。
>>224-225
>>218の正具はその話の正盛の直系じゃないよ。
そっちの子孫は由比小雪。
by Wikipedia
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