梅北一揆と梅北国兼の妻

2009年10月11日 00:16

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/10(土) 12:05:11 ID:tZRh7em2
どっちに投稿するか迷ったんだが

天下が統一され次は朝鮮出兵という時期に、九州でちょっとした兵乱があった。
薩摩島津家が出兵中、平戸へ向かっていた島津隊が出兵に反対して、
加藤清正の領地肥後佐敷城を乗っ取ってしまったのである。
首謀者は梅北国兼。
この兵乱自体は通説では城内の女性達が酒を呑ませて油断させ、わずか二、三日で鎮圧。
ところが最近の説では十五日以上続き、別働隊まで存在したとも言われる。
他にも動機とか背後関係だとか色々謎があるのだが、それは置いとく。
秀吉は激怒し、国兼は当然さらし首。それ以外の関係者も
「梅北を操った黒幕がいるだろ?十人が二十人になろうとも首を刎ねてよこせ」
とラスボスの厳命が下り、まとめにもあった歳久の悲話となる。
ここで語りたいのは国兼の妻。彼女は名護屋へ連行され、火炙りの刑に処された。
この様子をフロイスが記録している。

「彼女は不思議なばかりの勇気をもって、当初から目を開き地面を見つめ、
身動きもせず悲鳴や嘆声をあげることもなく、そのまま焼かれ、灰と炭骨と化するまで
不動の姿勢を保っていた」

異教徒のフロイスがまるで殉教者の様に記録するほど見事な死に様だったらしい。
戦国時代は女性ですらこれほどの覚悟で死を迎えたと言ういい話・・・よりはこっち向きの話だよな。




341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/10(土) 18:55:55 ID:QkfCzqWB
>>334
梅北一揆って、九州全体の不安定化の中で発生したんだろうけど、本当に謎が多いよな
そんな中で妻のリアルな記録が残るってのも、歴史のおもしろさか

スポンサーサイト