993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/30(月) 16:48:24.64 ID:c3/hkbdL
天正五年十一月七日、柿崎和泉守景家父子四人が上杉謙信公によって誅殺された。
これは三年前に、良馬を京都へ売りに家臣を遣わした折、これを知った織田信長公は手を打って
大いに悦び、「上杉君臣を離間する手段これに有り」と、則ち馬代を十層倍で買い取り、
さらに信長公は自筆を以て
『今度差し上げた馬は近頃まれに見る俊足にて、大悦これに過ぎる事は無い。
ところで伝え聞くに、北国には鷹の逸物が有るという。そこで巣鷹を所望したいと思っており、
必ずこれを調えてほしい。』
との書翰が柿崎に届いた。彼はこれを真と思い、度々に鷹を買い調えて信長へ進上した。
しかしこの事が顕れると、信長と内通し逆心するのではないかという事で、謙信公は
平賀宗右衛門、吉江中牟、本庄越前守の勢七千にて柿崎の屋敷を取り巻いた。
これに柿崎和泉守、並びに男子三人、手の者七百ばかりが切って出て、二時あまり戦い
屋敷へ引き籠もった。打ち手は数十人が討たれ、手負いの者は数知れなかった。
その後、遂に寄せ手は屋敷に乱入し、柿崎父子四人は討たれた。
柿崎は越後の国侍で、久しき家であった。
(太祖一代軍記)
史実としては柿崎景家は天正二年十一月二十二日に病死していて、その息子の柿崎晴家
が天正五年に、織田へ内通したとして謙信に誅殺されたという話があるので、これが混同
されたのでしょうね。
994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/30(月) 17:01:08.97 ID:6Q5xQ9CT
ちなみに柿崎氏についてはこういうのが
旧上杉家臣は明治以後に屯田兵他で北海道移住した家があり、現在でも北海道に子孫が残り
自家に伝わる古文書を守っておられる例も多いとか
山本勘助の件で有名な市河家も同様ですね
上越市公式サイト2016年8月23日
https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/kakizakikemonzyo.html
柿崎家文書について
上杉謙信の重臣柿崎景家の家に伝えられた古文書80点あまりが、北海道在住のご子孫から上越市へ寄贈されました。
慶長3年(1598年)に柿崎家が上越を離れて以来、約400年ぶりの里帰りです。
柿崎家は、戦国時代に上越市柿崎区一帯を支配していた国衆柿崎氏の末裔です。上杉景勝の会津移封に従って上越を離れたのち、
子孫は江戸時代を通じて米沢藩士として過ごし幕末を迎えます。明治時代には北海道開拓のため厚岸へ移住し現在に至ります。
柿崎家に伝えられた古文書の総数は約200点。そのうち戦国時代から江戸時代までの80点あまりが上越市に寄贈されました。
戦国時代の文書10点は、実際に柿崎家が上越で受け取った上越ゆかりの貴重な古文書です。
今後は永く公文書センターで保存し、後世へ伝えていきます
天正五年十一月七日、柿崎和泉守景家父子四人が上杉謙信公によって誅殺された。
これは三年前に、良馬を京都へ売りに家臣を遣わした折、これを知った織田信長公は手を打って
大いに悦び、「上杉君臣を離間する手段これに有り」と、則ち馬代を十層倍で買い取り、
さらに信長公は自筆を以て
『今度差し上げた馬は近頃まれに見る俊足にて、大悦これに過ぎる事は無い。
ところで伝え聞くに、北国には鷹の逸物が有るという。そこで巣鷹を所望したいと思っており、
必ずこれを調えてほしい。』
との書翰が柿崎に届いた。彼はこれを真と思い、度々に鷹を買い調えて信長へ進上した。
しかしこの事が顕れると、信長と内通し逆心するのではないかという事で、謙信公は
平賀宗右衛門、吉江中牟、本庄越前守の勢七千にて柿崎の屋敷を取り巻いた。
これに柿崎和泉守、並びに男子三人、手の者七百ばかりが切って出て、二時あまり戦い
屋敷へ引き籠もった。打ち手は数十人が討たれ、手負いの者は数知れなかった。
その後、遂に寄せ手は屋敷に乱入し、柿崎父子四人は討たれた。
柿崎は越後の国侍で、久しき家であった。
(太祖一代軍記)
史実としては柿崎景家は天正二年十一月二十二日に病死していて、その息子の柿崎晴家
が天正五年に、織田へ内通したとして謙信に誅殺されたという話があるので、これが混同
されたのでしょうね。
994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/30(月) 17:01:08.97 ID:6Q5xQ9CT
ちなみに柿崎氏についてはこういうのが
旧上杉家臣は明治以後に屯田兵他で北海道移住した家があり、現在でも北海道に子孫が残り
自家に伝わる古文書を守っておられる例も多いとか
山本勘助の件で有名な市河家も同様ですね
上越市公式サイト2016年8月23日
https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/kakizakikemonzyo.html
柿崎家文書について
上杉謙信の重臣柿崎景家の家に伝えられた古文書80点あまりが、北海道在住のご子孫から上越市へ寄贈されました。
慶長3年(1598年)に柿崎家が上越を離れて以来、約400年ぶりの里帰りです。
柿崎家は、戦国時代に上越市柿崎区一帯を支配していた国衆柿崎氏の末裔です。上杉景勝の会津移封に従って上越を離れたのち、
子孫は江戸時代を通じて米沢藩士として過ごし幕末を迎えます。明治時代には北海道開拓のため厚岸へ移住し現在に至ります。
柿崎家に伝えられた古文書の総数は約200点。そのうち戦国時代から江戸時代までの80点あまりが上越市に寄贈されました。
戦国時代の文書10点は、実際に柿崎家が上越で受け取った上越ゆかりの貴重な古文書です。
今後は永く公文書センターで保存し、後世へ伝えていきます
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