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鞆の小幕府の内藤如安

2009年10月17日 00:15

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 21:52:22 ID:gpowlXFA
内藤如安の叔父。

少年時代にカトリックに入信し、若年にして内藤家の当主となった
内藤如安忠俊であったが、常日頃気に病んでいることがあった。
叔父の松永弾正久秀のことである。

多感な少年時代、彼は叔父のことを耳にし、深く心傷ついていたのであった。
叔父は、権威地に落ちたと言っても武家の棟梁である足利将軍を殺害した大悪人であると。
戦国の世ではあっても、人聞き良からざる事であった。

後年信長にとことん逆らってでも、如安は足利義昭に忠誠をつくした。
その足利家に縁の深い明智光秀に八木城に攻め寄せられ一度は撃退するも、
同じく信長に反した叔父久秀死後の翌年1576年八木城は落城、
彼は丹波の領地をすべて失ってしまった。
が、カトリックの彼はしぶとく生き残った。

武人としては無能であった足利義昭に如安があくまで付き従ったのは、
この叔父の汚名を少しでも晴らしたい気持ちが彼をがんじがらめに呪縛していたのであった。

備後鞆の小幕府と呼ばれる粗末な館まで義昭を追いかけ、大名から無録の貧乏暮らしの日々を、
秀吉に捨扶持を貰った義昭がこの地をたたんで京に戻るまで八年間、この地で送ったのであった。

ただ若い彼は、この八年間を無駄にはすごさなかった。
彼はこの地でフロイスからポルトガル語、西洋の知識を学び、
また漢籍への学識を深く極めた。
この知識が後年、北京での明との講和交渉で大いに役立ったのであった。





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