正木時茂の奔走と「里見の八賢士」

2009年10月17日 00:19

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 14:09:04 ID:KPVS2Z0r
まとめに里見家と小田原の陣について載っていたので、
その続きを「イイい話」の砲へ。

関八州を与えられた家康にとって片隅に居座る里見家は邪魔な存在だった。
主家の危機を感じた正木時茂は、又従兄妹である家康側室「お万の方」を通じて、
お家安堵を計るが、大久保忠隣の失脚に連座させられ里見家は改易となった。
里見忠義は倉吉藩にながされ失意の中で没する。

この時家臣8名が殉死しており、みな戒名に「賢」の文字が入っていたことから、
「里見の八賢士」と呼ばれた。
後に滝沢馬琴はこのことを知ると、「賢」に「犬」をあてて
「南総里見八犬伝」の構想を練ったという。





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