921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/14(火) 02:46:49.63 ID:fYL2tmxB
安房・上総両国の府君である里見義弘公、その一家の正木大膳という者は12,3歳の頃から馬を習う時
に片手綱で乗ることを好んだ。馬を教える者は怒って言う。
「片手綱というのはよくよく馬を乗り覚えて功者になってからのこと。片手綱で御乗りになろうとされる
ならば、未だ鍛錬もなさらずに左様になさるとその身なりも悪くなられます。絶対に片手綱は無用ですぞ」
そのように制すると大膳の申しようは「侍の将たる者は馬から降りて槍を合わせて高名するということは
多くはあるまい。馬上で下知してそのまま勝負を決するならば、片手綱を達者に覚えてこそである」と。
幼心に申したように、大膳は度々馬上で勝負を決した。とりわけ国府台で里見義弘の子息・義高(義堯。
義弘の父)が北条氏康と合戦し、義高は負け給う。この後れ口の時、件の正木大膳は良き侍を一所で8人、
また一所で9人、また一所で4人、日中に以上21人を馬上で切り落として退いたのだという。
――『甲陽軍鑑』
安房・上総両国の府君である里見義弘公、その一家の正木大膳という者は12,3歳の頃から馬を習う時
に片手綱で乗ることを好んだ。馬を教える者は怒って言う。
「片手綱というのはよくよく馬を乗り覚えて功者になってからのこと。片手綱で御乗りになろうとされる
ならば、未だ鍛錬もなさらずに左様になさるとその身なりも悪くなられます。絶対に片手綱は無用ですぞ」
そのように制すると大膳の申しようは「侍の将たる者は馬から降りて槍を合わせて高名するということは
多くはあるまい。馬上で下知してそのまま勝負を決するならば、片手綱を達者に覚えてこそである」と。
幼心に申したように、大膳は度々馬上で勝負を決した。とりわけ国府台で里見義弘の子息・義高(義堯。
義弘の父)が北条氏康と合戦し、義高は負け給う。この後れ口の時、件の正木大膳は良き侍を一所で8人、
また一所で9人、また一所で4人、日中に以上21人を馬上で切り落として退いたのだという。
――『甲陽軍鑑』
スポンサーサイト