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関ヶ原、藤堂玄蕃と島新吉信勝の一騎打ち

2013年11月19日 19:02

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 06:59:15.22 ID:zGxpA0kZ
藤堂高虎の家臣である藤堂玄蕃は、元は関白・豊臣秀次の家臣であった。
しかし秀次事件によりその家が滅びると、高虎の親類(いとこ)であったため藤堂家に招かれた。

さて、関ヶ原が勃発する。

高虎は玄蕃に、伊予国板島城を預け置き、西軍と呼応した一揆への押さえとしようとした。
しかし彼は、共に戦いたいと達って訴え、後より戦場に合流し、関ヶ原の決戦に参戦した。

藤堂家の部隊は大谷吉継隊と交戦する。玄蕃はひとしお勇を励み一番に働き、
平塚為広を目掛けて突進した。

これを、島左近の嫡子である新吉(信勝)が見て、横合いより駆けつけ玄蕃を攻撃した。

玄蕃はこれが初めての合戦でもあり、足を乱し散々と成ったが、それでも踏みとどまり
島新吉と競り合った。

玄蕃と一緒に馳来た侍の七里勘右衛門、渡邊市左衛門を初めとした屈強の者達も尽く討たれた。
しかし新吉も人数を多く討たれ、玄蕃と新吉は互いに自身で戦う事となった。

玄蕃は走り寄って新吉と組んだ。
しかし新吉は若武者であり体力に余裕があった。
一方の玄蕃は、それまでに数度の戦いを行っていたため既に大きく疲労しており、
心は進んでも体がついて行かなかった。

こうして、終に信吉が組み勝って、玄蕃の首を取った。

(慶長軍記)


関ヶ原、藤堂玄蕃と島新吉信勝の一騎打ち、についての逸話である。





836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 13:55:04.55 ID:h0ycdGn0
1559年生まれで信長秀吉に仕えてた事もある若江八人衆でもあった男が初めての合戦なのか
前線に出るのが初めてだったのか、藤堂家では初めてだったのか、それともやっぱり文字通り戦場に出るのが初めてだったのか

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 14:30:07.30 ID:01YUppte
左近の息子が初陣だったという話はよく聞くけど玄蕃は…

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 14:49:43.88 ID:WHt8RGdg
玄蕃「心は常に初陣よ(キリッ」

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 22:31:35.39 ID:iLAzymA9
「藤堂玄蕃だ!」
「とうとう現場だ?その歳で初陣か」

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 08:57:05.65 ID:v6/kNvEA
現場ってw 土木工事じゃないんだから

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/21(木) 00:16:12.21 ID:WnpghTLz
>>834
この後、新吉君の方も討たれちゃうんだっけか?

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関ヶ原、宮田村と藤堂玄蕃

2009年10月24日 00:13

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/22(木) 23:22:49 ID:vJVe2Yzv
関ヶ原
岐阜城を落とした東軍はさらににしへと押し寄せる。

藤堂高虎家臣、藤堂玄蕃の部隊は、赤坂の町を占拠せんと呂久川にそって進み、
宮田と言う村に着いた。この宮田村、竹薮の中にあり、四方に堀を構えた要害であった。
そのためか、周辺の住民の多くも、この村に非難していたそうだ。

さて、ここに藤堂玄蕃がやってきた。
軍勢は村の入り口にとどめ、武者二名を村の中に入れ、尋ねた。

「敵の落人がここに逃げ込んではいないか!?もしいるようならすぐに出すのだ!」

村の老職達は武者の前に打ち揃い、「そのような者はここには来ておりません」と
弁明をする。ところがどうした事か、この時火にくべていた竹の節が割れて、
甲高い音を立てた

「パーン」

すわ!?鉄砲!?
「さてはこの村、敵に心を寄せてわれらに鉄砲を撃ちかけるか。
そのつもりならばかまわぬ、皆の者、撫で斬りにせよ!」

藤堂玄蕃の下知と共に、配下の者達は一斉に村に乱入、たちまち数十人を切り殺した。

この事態に、村の名主の嫡男、山田五兵衛、刀を放り投げ丸腰になって玄蕃の前に
土下座した。

「我々はあなた方に敵対した事はありません!どうか村の者達の命を助けてください。
助けていただければ、相応のご奉公いたします!」

それを聞いた玄蕃

「ならば、呂久川の瀬踏みをせよ」と命じる。
彼らに、渡河地点を探させたのだ。無論、瀬踏みの最中に、水に流されたり深みに嵌ったりして
溺れれば、それまでである。

五兵衛は先に立って川に入り、無事、わたりきった。
藤堂玄蕃の部隊はその跡を渡り川を越え、赤坂の町の占拠に成功した、とのことである。

とある、戦時の村のお話。






686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 17:36:36 ID:BVyihDQa
>>672
なんか、世界警察と中東の地元軍閥のやり取りを連想させるなあ