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お前の志は、何れの世にあっても忘れることはない

2015年12月26日 17:20

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/25(金) 19:39:27.88 ID:k6+k8muw
徳川家康の嫡男・三郎殿(松平信康)成人の後、岡崎城へと入ったが、彼には
傅役として平岩親吉がつけられた。常には彼が家のことを執り行い、合戦においては
その介添えをした。三郎殿が若年にもかかわらず、弓矢の御名が海道に顕れたのは、
平岩の功が莫大であったと言われている。

天正3年の秋、三郎殿の舅である織田信長が、酒井忠次を召して、三郎殿に謀叛の聞こえあり、
事未だ成らざる内に、速やかに誅せよ、そう伝えた。

平岩はこれを聞いて大いに驚き、急ぎ家康のもとに参った
「岡崎殿(信康)御謀反の噂があるため、これを失わせると承りました!
父子の御仲、何の遺恨があって今、このような結論に至るのでしょうか!?
これは偏に、讒者の訴えたことが原因でしょう。殿がもしその真実を糺されないのなら、
後悔遠きには出ないでしょう。

こうしてください。この親吉が年来傅役として岡崎殿に付けられていた以上、罪は親吉一人の
身の上に帰せられ、速やかに首を召して信長のもとに参らせるのです。そうすれば信長も、
暫くはこのことを言い出さないでしょう。
岡崎殿の御身においては、本当に咎は無いのですから、とのかく時間を稼いでいるうちには、
申し開きをするまでもなく、信長の疑いは解けるでしょう。
どうかどうか!親吉の首を召して下さい!!」

家康は答えた
「信康の謀叛の噂が、本当とは思わない。だが、私は今乱れた世の中にあって、大国の間に挟まれ、
頼む所はただ、信長殿の援助だけなのだ。いま、彼の助けを失えば、我家が滅びること、明日を待たないだろう。

であれば、私が父子の恩愛が捨てがたいために、累代の家を滅ぼすというのは、これは子の憐れみを知って、
父祖の事を思い参らせないと言う事ではないか。この事を考えていなければ、どうして罪なき子を失って、
つれなく身を立てようと思うだろうか。

また、お前の命を奪って信康の首を継がせることが可能ならば、お前のいう所も一理あるだろう。
だが、信康はもう、逃れられないのだ!その上にお前まで失っては、この家康は恥を再び重ねる
事になる!

お前の志は、何れの世にあっても忘れることはない。」

そう、涙にむせびながら語った。

これに平岩は、重ねて申し出す言葉もなく、声を惜しまず、大声で泣いた。

こうして三郎殿は岡崎の城を出て、大濱に移され、堀江の城に入って、また二俣城に移され、
ここにて切腹するよう天方山城守、服部半蔵が使いに参り、同年9月15日、御年22歳にて
失われた。

この事に当家も他家も、おしなべて惜しまぬものはいなかった。

(藩翰譜)



811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/25(金) 21:48:37.33 ID:MRJlB4n7
服部が証拠集めしたが不利な内容ばっかで切腹に至ったらしいね

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/26(土) 17:45:06.99 ID:obnu7pmC
信長が家康の好きにすれば?って手紙残してんだよなー
信虎追放した信玄の失敗版だっただけな気がする

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/26(土) 20:36:52.92 ID:DxzzGBmF
もし信長のせいでないとするなら
平岩みたいな岡崎スタッフの管理不行き届きを問われなかったのも
よくわからない

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/26(土) 23:20:15.53 ID:8YsbLO4d
家康の子供って秀忠以外、狂犬みたいな奴ばかりだよなw
水野の血が覚醒してるのかも

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/27(日) 02:16:22.73 ID:ODpq2u4J
>>813
岡崎と浜松の対立説を推す
親子での対立、派閥での対立は珍しくもないし
てか家康が信長に信康のこと相談してるし親吉は家康派と考えれば何の不思議もない
蟄居からの復帰とか出来レースっぽいし

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/27(日) 09:14:11.75 ID:NzIQ5Cec
>>812
当代記に書かれた内容で、信長の書状そのものは残って無かった筈。

>>813
親吉は蟄居してますよ。
他にも信康近臣は処罰を受けたり牢人したりしてますし

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/27(日) 22:10:10.78 ID:ZwKL14rU
まー普通に粛清だろな

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/27(日) 22:42:19.08 ID:6NJTBT2q
北条家とか戦国時代なのに家族仲良すぎ

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/28(月) 07:40:42.76 ID:GGXIh0B8
>>818
歴代当主が早死にしなかった事と相続がしっかりしてたのが大きいかな。

当主の兄弟を他家の乗っ取りに使ったり、支城主に据えたり結構な権力を
与えてる状況で、謙信や信玄の来襲のようなピンチに陥っても離反されないのは凄い。
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平岩親吉の正直な心

2012年11月09日 20:02

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 17:08:56.35 ID:R0jiYxA7
伏見城築城の祝いの後、豊臣秀吉井伊直政本多忠勝
榊原康政平岩親吉に歳末の祝儀として密かに黄金を百枚ずつ与えた。

直政と忠勝はそのまま黄金を拝受して家康には告げなかった。

康政は「どうしたらよいでしょう」と家康に告げ、
家康は「下し賜れた物は受け取るものだ」と言った。

そして親吉は黄金を受け取らず、
「臣は関東奉公の身にて、その禄を受け衣食は常に足りている。
今主君の賜り物を貪っておいて、受け取ることなどできはしない」
と、黄金を使者に返し渡した。

このように私欲がなく正直な心の持ち主であったので、家康は親吉を
信康や義直の後見として附けたのである。

――『名将言行録』




342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 20:42:02.56 ID:YL2d4lQn
>>340
丁度この時分あたりか
「太閤秀吉は伏見の城を縄張りとする時に井伊直政に相談した」と
『武功雑記』にメモの様に書かれているけど
なぜ徳川家臣で陪臣である直政に相談したんだろ

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 20:45:58.65 ID:Qe9oBR+n
>>342
秀吉政権では井伊直政は陪臣ではなく独立大名扱い。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 21:46:50.68 ID:YL2d4lQn
>>343
聚楽第行幸などでも有力大名扱いでしたっけ
それにしても直江兼続以上の面白い立ち位置だったんだな

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 22:19:10.12 ID:PZRa+Oyr
小牧・長久手の時に思いっ切り悪口書かれた相手に黄金百枚かぁ…。

館林城主にしろとアドバイスしたのもそうだが、秀吉は康政評価してたんだなー。
井伊と同等ってかなりすげー

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 06:06:25.59 ID:JcXIIyEn
>>343
井伊家は名門で官位も高かったからなー

平岩親吉と徳川家康の3人の息子

2009年10月26日 00:07

874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/25(日) 20:53:38 ID:6KblIV6t
平岩親吉と徳川家康の3人の息子

平岩親吉は家康の人質時代から生死を共にしてきた忠実な家臣であった。
家康は、長男信康の教育係を選ぶとき、平岩親吉以外の人物しか考えなかったし、
親吉も、信康をよく補佐し、信康に数々の武勲を立てさせた。

しかし、信康は、1579年、信長の命があったかどうかは別として、
家康の命により自害。親吉も1年ほど謹慎し、のち復職した。

十数年後、家康に8男仙千代が生まれたとき、家康は、「そちにもう一度子を与える」
といって、仙千代を子供のいない親吉の養子とした。
これまでの子は跡取り(信康、秀忠)を除き、豊臣家、武田家、松平家分家など
そうそうたる家を継いでおり、名家とはいえ家臣の平岩家に養子に出すことは異例であった。
だが、仙千代は5歳で死去する。

1603年、家康の9男義直(仙千代の同母弟)が甲州25万石に封ぜられると、
親吉は幼少の義直の後見を任される。
慶長12年(1607年)、義直が尾張名古屋藩主に転ずると、
親吉は義直付の家老として尾張に移り、藩政を執行した。

1611年、親吉死去。跡取りのいない親吉は所領を義直に譲る遺言を残していたが、
家康はその昔、親吉との間に生まれたという噂のあった子を見つけ出し、
その子に平岩氏の所領を継がせようとした。
しかしその子の母が、この子は親吉の子供ではないと固辞したため、
結局、平岩氏は慶長16年(1611年)の親吉の死をもって断絶した。

子とも主君とも思ってきた信康の死に堪え、さらに2人の子を任された一人の男のお話。




875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:03:38 ID:cCTQxg7m
今時の汚い相続紛争を見ると、昔の人、というよりこの侍の一族は偉い!
がたがたインチキやって家業続けても、いびつで醜い家族神話が
子孫に残るもの。