菅正利 、顔の傷で

2013年06月27日 19:54

菅正利   
571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/27(木) 17:53:27.39 ID:RYTYZfjh
黒田長政の家臣である菅正利は、武勇のみならず知慮も優れた人物であったので、
長政は後年、彼を家老に上らせようと思い、将軍家の御前にも家老並みに御目見を致されたのだが、
正利がかつて戦場で受けた頬の傷が次第に腐り、面相も酷く変わったため、そのことは止められた。

ではあったが、国元では家老並みに、国中家中の諸事を預かり、また長政より給わる書状にも
家老と同じく連署したという。
(菅氏世譜)

顔の傷のせいで、おそらく対外折衝をしなければならない家老には出来なかったのだろうが、
それでも実力に見合った仕事を任せ家老並みの待遇を与える、というお話。





572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/27(木) 18:37:08.01 ID:vAdoyJMQ
>571
傷を受けた経緯なんかはまとめにあるな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3110.html

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/27(木) 19:08:56.49 ID:TnTv/Zf9
家康なら、戦の傷で醜くなった顔でも何かの病気で面貌が変わっても堂々としていれば誉めそうだ。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/27(木) 22:36:22.51 ID:+cLt+UhQ
菅正利はwikiにどう書かれてるかと調べたら、なぜか中国語のwikiしかなかった。
ついでに、>>572に書かれている通り、傷だらけの顔のおかげで子供が泣き止んだことから
中国ページでは「日本の張遼」と呼ばれていた

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菅正利、平安川の戦い

2013年06月06日 19:51

菅正利   
402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/05(水) 22:26:54.06 ID:CPdK6HUg
文禄元年(1592)、豊臣秀吉は兵を発して朝鮮を征伐した。
このとき黒田長政もその軍勢の先手三大将の一員であり、長政の家臣である
菅正利(当時26歳・後に黒田二十四騎の一人)も長政に従って朝鮮へと赴いた。

これ以前に菅正利は知行200石を給わっており、足軽10人を預けられていたため、今度の軍行では先手を
勤めた。

この年の6月14日、黒田長政の軍勢が朝鮮人と、平安川において激戦となった。
菅正利も命を惜しまず真っ先に進んで励み、戦ったが、川岸の上で敵と暫く組み合い、ついに組み伏せ
止めを刺そうとしている所に、別の敵が駆け寄ってきて上の正利に飛びつき、引き退けようとした。

正利は下の敵を押さえながら上の敵と取組んだが、そのうちに3人とも川の中に落ちてしまった。

川に流されている中、正利は下の敵の上に乗り、もう一人の敵と組み合い戦い続ける。
そうしてどんどん川下へと流れていく中、味方の兵が正利の鳥の丸の指物を見つけ

「六ノ介(正利)かー!?」

と、川に向かって声をかけた。

やがて少し岸際に流れ寄った所を、正利の下人が川下から川に入り彼を引き上げたのだが、
敵と3人、組み合いながら陸へと上がってきた。まだやってたのだ。

敵の内一人は前に傷を負っており、水に入ってすっかり弱っていたのだが、
もう一人は大兵で大変力の強かったので、陸に上がって正利を組み伏せようとした。
しかし正利は咄嗟に脇差を抜いて敵の脇をしたたかに突き通した。
これで敵がようやくに弱った所を、正利は彼の首を取り、もう一人の弱った敵の首も取った。

この働きを黒田長政はよく見られており、後に褒美を与えられた。
(菅氏世譜)




403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/05(水) 23:00:49.70 ID:zCmh6slc
二対一でも虎殺し相手には役不足だったか

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/05(水) 23:10:27.14 ID:MTdHQHeE
川の中で敵と格闘していて指物がどーのこーの
NGMSにも同じ話があったな、と思って調べたら菅さんの話自体既出だった
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5572.html
ドキッ☆KURODAだらけの水泳大会(首ポロリもあるよ)!

しかし、NGMSの時は助けなかったのに、こっちは引っ張りあげたんだな

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/05(水) 23:21:06.70 ID:kVGk6KDr
川から引き上げても三人取っ組み合い状態って、どんな修羅場だ

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/06(木) 08:19:29.29 ID:F93NLtNY
最後には三人が渾然一体となった、妖気漂う濃厚なバターが

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/06(木) 09:56:38.69 ID:gUMHqu1a
如水さんが美味しいパンケーキを作ってくれるんですね

菅六之助の形相

2009年11月06日 00:39

菅正利   
埋め代わりに又黒田話

慶長二年、再度の朝鮮出兵が行われ、九月七日、忠清道稜山において、明の派遣した
解生、楊登山、伯英らの軍と衝突。この時の事、
明軍の内より、弓馬の達者と思しき者、ただ一騎で日本軍に乗り寄せ矢を放ったものがいた。
これを見た黒田長政、家臣、菅六之助に「あの敵を討て」と命ずる。

この敵は六之助に向って矢を放ち、これが彼の口脇に当たったが、六之助これを事ともせず
馬を駆けつけすれ違い様、首の脇から乳の下まで袈裟懸けに斬り、見その首を取った。

ところが六之助、このとき受けた矢に、毒が仕込まれていた。
命に別状こそなかったものの、毒の影響で顔は赤く腫れ、傷口からは常に膿や血がにじみ出、
すさまじい形相であった。

そのためこの当時黒田の領内では、子供が泣き止まないとき、菅六之助の名前を言えば、
たちまち泣き止んだ、とのことである。


さて、六之助の口の脇から血や膿が流れる事、人々は汚らしいと思っていたが、
黒田如水、長政は全くそのように思わず、六之助が飲んだ盃や茶の後を進んで飲み、

「年若き者たちは、汚いと思おうが、彼にあやかるべきだ。」

と、言われたそうである。


…と、いい話なのですが、この手の話ももしかしてテンプレなのかな?と思ってしまったのでこっちに。




985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 16:42:30 ID:2PQFruK+
人気取りまで故事の猿真似とは片腹痛い殿じゃのお!

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 19:47:18 ID:CfVZSJuK
遠きは呉子、近きは石田・大谷と。

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 19:48:19 ID:g+otbKk0
菅六之助ったら関ヶ原黒田隊の鉄砲頭だっけ。 黒田家中のええ話やね。

しかし……
>984「又羽黒話」と誤読ししてしまった漏れは、、、どどどどうすればよぃであろう??

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 20:34:16 ID:witJ6kT3
>>984
テンプレかは知らんが菅六之助は朱具足に身を固めた家中でも指折りの勇士なので
そういうことがあってもおかしいとは思わない。
今でも菅家には菅六之助が一刀のもとに切り殺したという虎の骨の一部が伝わって
いるらしい。
菅六之助は武勇だけでなく才知のある知勇兼備の人物で、黒田長政は彼を大変
頼りにして老職として家康にもお目見えさせたいと考えていたが、顔の傷が見苦しい
ということで結局実現しなかったらしい。
家康にはかたわになった福島の三家老を称賛したという逸話もあるし大丈夫だった
と思うけどね。
残念で悪い話になってしまうわけだが、長政の六之助への信頼はこれで翳るものでは
なく、彼を老職並みに遇し、家臣達への書状の宛名には歴々の年寄とともに六之助の
名前が並んでいる。