後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

2016年10月14日 21:10

213 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:04:55.82 ID:EfRVp88D
後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

黒田長政が豊前の国人一揆で城井城を攻めた際、反撃を喰らって撤退した際に
殿軍を後藤又兵衛が務めたはずであった。
後に論功賞の際に後藤又兵衛は殿軍を務めたと主張するが
新参者である城戸乗之助が赤い陣羽織を持ち出して自分こそが殿軍であると主張した
その陣羽織は後藤又兵衛の陣羽織であった。
乗之助曰く「又兵衛殿が殿軍であれば自分が陣羽織を拾うはずがない、
陣羽織を拾った自分こそが殿軍である」と主張した。
その事により殿軍は城戸乗之助になった。
この件が原因で黒田長政後藤又兵衛の間に軋轢が出来て
後藤又兵衛の出奔の一因となった。
その後、城戸乗之助黒田長政と大坂に向かう途中で
備後福山付近で行方不明になった。
その後の彼の行方は不明である。



214 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:33:38.06 ID:EfRVp88D
大事な事なので二度書きました

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“亀の甲”

2016年09月29日 12:09

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 03:06:32.46 ID:Dciix/Xf
晋州の城を攻める時、黒田長政の士大将・後藤又兵衛基次は“亀の甲”
という車を作り出した。

厚板の箱を拵えて、その中に丈夫な切梁を設けて、石を落とし掛けても
箱が砕けないように対策を講じた。

箱の中へは後藤が入り、棒の棹をさして車輪を箱に仕掛け、進退が自由
に廻るようにして城際へと押し迫り、石垣を崩して、城へと乗り入った。

――『常山紀談』



204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 09:04:47.74 ID:4uRgjnu6
なにそのダヴィンチ戦車

後藤基次は見殺しにされたという説がある

2016年08月09日 21:02

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 17:52:04.92 ID:l6YB/CQe
大坂の陣、道明寺の戦いにおいて後藤基次が孤立し、討死しましたが
その原因は濃霧で後続の軍が遅れたからだけではなく、見殺しにされたという説があるみたいですね

・いくら霧が発生したとはいえ、半日近く経っても誰も到着しないのは不自然である
・基次は和睦派で主戦派の信繁らと折り合いが良くなかった
・後続隊は本当なら間に合うはずだったが、基次隊からの報告を受けて不利を悟り、穏健派の基次がいなくなるだけならと進軍をさらに遅らせた

以上の理由からだそうなんですがどうなんでしょう?
本当ならいつまで経っても大阪方の仲が悪い話になるかなと思い書き込みました




962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 19:46:39.51 ID:aCP8MmRj
それだと配属された将兵はたまったものではない

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 23:43:04.22 ID:Zz8FXBR0
スレ的にはそういった逸話が欲しかった
単純にそういう話がしたいなら該当スレでええんじゃないかな

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 01:12:47.60 ID:jGae0GlH
>>963
そちらで改めて聞いてみることにします。失礼しました

基次最後の挨拶

2016年06月28日 15:23

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:30:31.39 ID:xIwt/IjX
元和元年五月二日、後藤基次は大和口の大将としてまさに出立する時、『今度は生きて再び
帰ることが無いであろうから、秀頼公に最後のお暇を申し上げよう』と、御広間へ向かい、
速水出来丸(速水甲斐守息子・当時24歳)を通して斯くと言上すると、秀頼も早速に出御し、
「早や、出陣か」
と声をかけた。

基次は謹んで畏まり
「私は不肖の身ではありますが、去年召し出して頂き、直ぐに諸大夫に仰せ付けられ、殊に
大将の号を許された事、弓矢の面目死後の思い出、何事がこれに勝るでしょうか。
であるのに私は、尺寸もこの御恩に対して報いておらず、この事、返す返すも口惜しく思っていました。

この基次、今度は一番に東兵に相当たり、千変万化に戦って、これぞと思う敵と引き組み討ち死にし、
せめてもの忠を泉下に報い奉ろうと決心しています。然らば、今生において御尊顔を拝するのも
これが限りであり、一層名残惜しく存じます。」

さしもの猛き基次も、この時はしきりに涙を拭っていた。秀頼もまた涙を流しながら

「汝の忠貞は感ずるに余りある。私も宿運拙く、いまやこの体になってしまい、一日も安堵の思いなく、
遺恨余りある。しかしこれも、前世からの宿業なのであろう。

汝と真田を私は、我が両翼と思っている。例え討ち死にの覚悟であったとしても必ず、
再びこの城に帰って、私と死を共にするのだ。この事、必ず忘れてはならぬぞ。」

基次はこの上意の有り難さに感涙を流していたが、率然と叫んだ
「天晴!名君の仰せであるかな!今生の望みもこれにて満たされました。上意の趣、畏まり
奉ります。」

そう言って御前に在った傍輩たちにも皆、暇乞いをして広間を立った。
そして襖障子に一種の歌を書き付けた

『主命ぞ 親子も捨つる武士の道 辞ひとつの命もろとも』

これを見る者は皆感動し、世の口碑に刻まれたのである。

(慶元記)



894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:51:58.81 ID:KCWhgknx
>>893
このままドラマにできそうなクォリティだ…

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/14(木) 16:37:08.04 ID:gsTyxJTG
>>893 は実話かなあ?。秀頼の発言が詳しく載っているところをみると
創作だろうけど。

素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ

2016年06月22日 17:18

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/22(水) 14:46:53.32 ID:cUFFAOL9
大阪夏の陣直前、後藤基次と大野治長の間で口論となり、一触即発という事態が起きた。
その後基次は真田の陣屋に行き、「今陣中にてかくかくの口論が有った」と伝えた。
真田はこれを聞くと、

「そういう事は人を選ぶべきだ。それを蒼蠅に向かって、後藤殿は大人げない。
蒼蠅という虫は、いかなる貴人高官の首にも上がるが、素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ。
だからこそ昔の君子も、悪人を蒼蠅に例えたのだ。

近頃私は、あやつを蒼蠅だと思っているので、奴の行動に対して無念と思わなくなった。
後藤殿は生まれつき堪えられない性分であるから、闘論にも及んだのだろう。
今後はそのようにお心得あるといい。」

これに基次も笑い出し
「仰せ至極である。ただ、戦の出鼻をくじくような言動に腹が立って、若輩のようなことを
言ってしまったのだ。しかし、我々が討ち死にするのも間近なのだから、蝿に出会う機会も
もはや稀であろう。
ああそれにしても、あの蝿を払う唐国団扇があれば、千金を以ってしても求めるのになあ。」

「なあに、おっつけ落城の時は、どんな蒼蠅も駿河団扇によって払われるだろう。」

二人は大いに笑い、基次は宿所へと帰っていった。

(慶元記)



761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 10:10:37.15 ID:03GZzFDX
獄門に晒された首に蝿が止まりますがなw
やせ我慢するから九度山いくんだ

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 11:12:23.18 ID:30ZeMVQb
しょせん後藤は陪臣出身、豊家の家老級から見ると見下す対象だったのだろう

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 20:09:32.12 ID:MjtEezd7
大野治長佞臣説は悲しいなあ

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 02:12:15.04 ID:dd6ReUWt
全くだな、本当の佞臣は落城前に逃亡するもんだ。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 08:15:17.70 ID:bKV/JtHm
片桐「んだんだ」

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 09:55:06.45 ID:bB1GLsRN
>>764
織田宗家のワシを愚弄する気か!

後藤又兵衛は大志ある男である

2016年06月03日 19:48

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/02(木) 11:10:55.75 ID:bO2ktwaZ
 後藤又兵衛は大志ある男である。
初め黒田長政に仕えていたが、長政が筑前を賜って移封したときに、又兵衛が

「このような辺鄙に住んだら大業は成らない」

とのことで、黒田家を辞めて浪人となった。
その後大阪で浪人を集めると聞いて再び秀頼に仕え、
軍利なくてついに討ち死にし身果てた。大志の弊と言うべきか。

 また朝鮮へ初めて諸軍渡って上陸すると、辺民がことごとく逃散して、みな空き家となっていた。
兵卒がその家に入ってみると、壺瓶の類に、酒が満ち溢れていた。
時に誰かが言い出したのだろうか、
「これは毒酒で人を殺す計である。」との噂が流れた。
諸人は聞いて恐れ、飲む者はいなかった。
又兵衛は

「例え何であろうと渇きを凌ぐに十分だ。
もし毒があれば我が一番に飲んで死のう。」

と引き受け引き受け飲んで、

「言葉にできない美味だ」

と舌打ち居たので、諸卒これを視て、我先にと群飲して、益々鋭気を得たという。
世諺にいう毒の試とはこれから始まったという。
(甲子夜話)



終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?

2015年08月11日 14:12

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:25:51.50 ID:8wQ5baPO
後藤又兵衛基次は黒田如水の家臣であった。

天正15年(1587)、黒田長政が大将となり、後藤又兵衛など大剛の者大勢を動員し、城井谷城の
城井鎮房を攻めたが大敗北を喫し、撤退時に長政は、馬が深田に嵌り込んでしまい動けなくなった。
ここに菅六之助(正利)という大剛の者走りきて

「西国一の名馬であっても、殿の御命に代える事は出来ません!」と長政を馬から下ろし
「早々に退いて下さい。この馬は私が引き上げて後から参ります!」
そう言って自分の馬に長政を乗せ、菅は後に残って馬を何とか引き上げようとしたが上手く行かず、
片鐙を外して持ち帰った。この菅六之助の行為に人々はみな感じ入った。

ちなみに長政が馬を深田に嵌まり込ませた時、最初に通りかかった後藤又兵衛に声をかけたが、
又兵衛は知らぬ顔で通り過ぎた。

さて、この戦では如水の下知を用いずに敗軍したため、物頭などは恐れて寺に入り、或いは元結を切り落として
出仕を止め引き篭もったが、後藤又兵衛一人は常のごとく出仕のため登城した。

そこで人々が又兵衛に「じ、如水公の御機嫌はいかがだろか!?」と心配したが、又兵衛は大いに笑い

「主君の怒りを恐れて引きこもるような者は忠臣ではない!殊に戦の習い、勝つも負けるも常のことなのだから、
その度に髻を切るのなら、終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?さてもさても小気な事だ。
我らが主人は、そのような小気ではないぞ。」

そういって出仕した所、如水の機嫌も治った。これを見て長政初め皆々も如水の前に出仕した。

(明良洪範)




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:47:26.97 ID:SpSvfI1H
このあと又兵衛は死にかけるのか

にしても相変わらず長政には素っ気ないなあ

中間六右衛門と後藤又兵衛

2014年05月20日 18:55

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 00:03:46.95 ID:JesdULt1
黒田六端城の一つ、松尾城(福岡県朝倉市)の城主は、豊前の国人出身の
中間六右衛門だった。

大隈城主の後藤又兵衛は中間と懇意で、たびたび訪問する仲であった。

街道筋から城下へ向かう途中の橋は、「後藤一本橋」と呼ばれる。



重臣同士が仲良しで密会しまくりって、大名には怖いわな。




976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 00:12:50.53 ID:W29iPA9Q
引用元くれ

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 01:04:35.13 ID:JesdULt1
>>976
975の?
出典は『福岡県地域史研究 No.13』
「伝承では」と。

「はつの槍は長いねえ」

2014年04月20日 18:47

21 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/19(土) 18:40:33.53 ID:4D7S36vy
又兵衛には無かったけど、長政で既出だったらゴメン。

黒田一成は童名を「はつ」といい、黒田長政の寵童だった。
城井を攻めた時のこと、総軍が退却する中、はつは残り槍を合わせたという。
奇特なりと長政が褒めるのを聞いた後藤又兵衛はかげで
「はつの槍は長いねえ。一里八町くらいあるんじゃないの?」
と笑っていたという。




22 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/04/20(日) 07:15:54.19 ID:VScin6KQ
シーモネーターMTBか

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 10:38:21.90 ID:dXauvDAG
又兵衛って友達いなさそうな奴だな

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 10:44:38.34 ID:bMKM8+U8
そいつも逃げたのに長政から褒められたから「逃げながら攻撃できるなんて長い槍だねw」て嫌みを言われたんじゃなかったっけ?

25 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/20(日) 11:28:11.77 ID:QyIRPes1
この面倒臭さは、どっかの家臣団と・・・

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 13:46:52.91 ID:/kUM2KEe
主君に向かってたわけ!とかいいかねないなここも

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 19:13:47.68 ID:wxeGH0tc
こんな感じ悪い奴、戦の無いご時世じゃ奉公構するまでもなくどこの家でも続かないんじゃ…

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 21:57:28.17 ID:Isu6luxe
>>25
某家臣団は「戦わずに逃げてくんじゃねぇよ!」だけど
長政憎しで命かけて戦ってる人間にこの物言いはなぁ…

29 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/04/20(日) 23:17:49.16 ID:VScin6KQ
後藤又兵衛さんはメンヘラ女よろしく、メンヘラ武士だった可能性が微レ存?
GT-MTB「やだ、わたしngmsにストーカーされてる?」
黒田家一同「ねーよ!」

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 23:59:52.58 ID:IJl7NddY
ブラック家中ですね

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:18:05.04 ID:xliIxot8
又兵衛は如水の息子みたいなもんで、
長政は弟みたいな扱いなんだろ

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:36:46.17 ID:Gj8yUMWz
しかしそんな又兵衛さんも色んなとこからラブコールかかってたよね
これも憎まれっ子世に憚る、か

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:39:59.67 ID:7mhr5a/9
黒田だけにブラックユーモア

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 01:59:21.72 ID:5YRmUs0n
才気あふれるがゆえに鼻持ちならないタイプだったのかもね

[ 続きを読む ]

後藤又兵衛さんとその馬取

2013年11月22日 18:55

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 04:34:06.38 ID:20PsjIhU
天正15年(1587)4月10日、豊臣秀吉による九州征伐が進む中、当時20歳の黒田長政を主将とする
部隊が島津の支城のある日向の財部という場所へ威力偵察に出、そこで伏兵と交戦する、という
事があった。

さて、この時黒田軍の後藤又兵衛は川中で敵と戦い、馬上で組んでそのまま落ち、
上に下にと組み戦ったが、敵が大力であったため終に又兵衛は組み伏せられ、
もはや危うし、という所に、又兵衛の馬取が一人、彼を助け敵を引き剥がした。

これで息を吹き返した又兵衛は、逆に敵に乗りかかり、終に討取ったのである。

又兵衛は、馬取に命を助けられたのみならず、敵を討って高名までしたので、
帰陣の後は、あの馬取を思い切って取り立てよう、そう考えていた。

ところが、下臈というものは心拙いものである。馬取はその陣中において、又兵衛の刀脇差しを
盗みとって逐電してしまった。

(黒田家譜)

途中までいい話だったのに最後が台無しな、後藤又兵衛さんとその馬取という逸話である。




853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 04:49:40.36 ID:ZLFQ2qF4
取り立てられてもせいぜい十石程度だろうし数百貫しそうな刀の方がいいわな

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:07:36.20 ID:eZ0Ts2P3
本当に台無しだなw

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:11:36.29 ID:c4vXImvu
馬取=バッテリー説

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:29:39.82 ID:r3ElO6WV
そんな脇差売ってって足がついたりしなかったのかな。無名武士の脇差なんてたかがしれてるのか。

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:40:20.34 ID:nT5ZDr8X
>>853
命の代金と考えれば刀で済んで安かったかもしれんな

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 12:39:51.14 ID:oHl62Yrp
自分は川で手助けされたのに、その後、似た状況で主は放っておくのか…

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 13:15:25.58 ID:5eJrhHWV
しかも、敵地オブ敵地で、敵もわけわからない外人相手

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:05:51.09 ID:2+NBOUPX
又兵衛って人を見る目がないんじゃないの?

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:44:37.71 ID:LJohxIe6
>>858
又兵衛「逐電されたくないだろ?(ニヤニヤ」

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:45:45.89 ID:eZ0Ts2P3
池田家からも問題起こして追放される人物ですのでご勘弁ください。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 19:23:38.89 ID:vOZOTJx3
馬取は余計なことしやがってって言われて下手したら殺されると思って逃げ出したんじゃねーの

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:20:56.43 ID:2ljH09UW
あの野郎、馬取りから刀脇差取りにクラスチェンジしやがった

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:25:47.37 ID:iqeEimrD
褒美はすぐにくれてやれって誰ぞ言ってたな。
命助けてやったのに褒美くれないなんて!!って思ったとか。
でもケチな逸話は上がってなかった筈・・・。あの性格が嫌になった?(ヒドイ

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:35:51.96 ID:XNP/O2IU
この逸話を契機に周りに対して優しくなった又兵衛。
※ただし、長政は除く

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/23(土) 15:02:18.71 ID:DtPV0SS+
譜代の家臣の前でも大切な物を出し入れするところを見せてはならぬだね

「鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

2013年03月03日 19:01

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 00:24:44.72 ID:SOYj+wSV
大阪冬の陣、今福の戦いでのことである。

今福・鴫野での幕府方・佐竹義宣勢の攻勢を、大阪方・木村重成勢はなんとか食い止めたものの、
戦況は膠着し、木村勢は再び押され始めた。

これを大阪城から見ていた豊臣秀頼は驚き、側にあった後藤基次に、早急に木村の救援に行くよう命ずる。
後藤は畏まり、その場から直に陣屋の組衆に、直ぐに蒲生堤へ来るよう使いを出し、自身は具足を
持ってこさせ馳せて天満橋近辺に至ると、そこには既に大野修理勢が武装して乗り付けていた。
後藤もその陣屋において武装を固め、今福堤に駆けつけた。

到着すると後藤は木村重成に対面し、
「今朝からの御働きですが、そろそろその気力も尽きる頃と思います。ここは私が
入れ替わりましょう。」
と申し述べる。しかし木村は

「この重成にとって今日が初陣です。その上、特に只今こそ勝負肝要の時と見えます!
こんな時にそれと替わろうとするなど、後藤殿には大人気ないではありませんか!
かつ、今人数を入れ替えれば備が崩れる危険性もあります。

そもそも貴殿は老巧の武将であり、私は初陣です。であるので、今しばらくこのまま御覧になっていて
頂きたい!」

この木村の気迫に後藤も感服し、「申されるものかな。ならば私は後陣に詰めよう」と言って
下がろうとしたが、その時四方を見ると、堤の下では木村重成の足軽たちが、敵の射撃を受けて
堤の陰に伏し隠れたまま、頭も出せないような有様であった。

すると後藤は馬から降り、従者に持たせた鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
立ったまま2発射撃し叫んだ

「土の上に這いつくばって黒くなっている者共!鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

この恥ずかしめにカッとした足軽たちは、競って堤の上に登って一斉に撃ち立てれば、
敵のほうが逆に堤の陰に伏せ隠れた。

この時、後藤は左の小指に少し負傷しているのを木村重成が見つけ、「手傷を負われましたね」
と問うと、後藤は鼻紙を出して負傷箇所を巻いて

「合戦で小傷を負うのは、私の吉例ですよ。」

そう、笑って答えた。

「それはともかく、後藤殿は陣所に帰ってください!」木村はそうしきりに進めた。

これは木村重成が若武者であり、後で陣を後藤基次に取り替わられたと人に言われてはならないと
偏に考えたためだ。という。
(慶元記)




603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 04:43:51.73 ID:M6d0l7GH
>鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
>立ったまま2発射撃し叫んだ

両手でガンマン風に射撃を行う又兵衛さんが頭に浮かんだ。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:31:13.82 ID:4zA/UW2P
木村重成って堀久のイメージしかない
生まれてくるの遅すぎたね

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:34:37.01 ID:U8qpeY/a
名人Qちゃんと橙を一緒にするなよ

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:35:40.04 ID:JtyqrRGR
>>615
橙は薄田兼相や

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:20:42.91 ID:jbCCpV3U
Qちゃんの肖像画は修正液で上から適当に書き直したみたいな顔しかないの?

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:39:22.34 ID:4zA/UW2P
きっとおばあちゃんが書き直したんだよ

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:41:09.12 ID:48+26OS0
どこのスペイン人のババアだよw


後藤又兵衛「長政を討ち取る手立て」

2011年10月14日 22:04

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 00:21:38.30 ID:qiWzl/TZ
さて
>>266
の逸話で細川家から上方に上る事となった後藤又兵衛。彼は忠興への暇乞いのため数寄屋にて茶を立て
忠興に振舞った。この時細川家重臣たる有吉頼母、松井佐渡もご相伴をした。

茶を飲み終わると、忠興は又兵衛の方を向いて

「我々が黒田長政と仲を悪くして数年になるが、今回そなたの事でさらに遺恨深い関係になってしまった以上、
仮に世が乱れれば長政とは必ず一戦をすることとなるだろう。
その方はつい先日まで黒田の家人であったのだから、長政家中の利害得失、皆知っているであろう。
我々が長政と戦って勝つべき方法があれば、是非教えていただきたい。」

又兵衛、これを聞くと
「その事であれば、例えお尋ねがなくても私の方で申し上げようと考えていました。
まず、細川のお家と黒田家が合戦した場合を考えるに、互いに加勢が無く正面からぶつかる形の御一戦ならば、
これはどうしても細川家が負けるでしょう。その理由は、細川家のほうが黒田家に比べて御小身であるからです。
長政は大国を領しており、身上が違う以上、どうしても大勢と少勢では、大勢のほうが勝つからです。

そうではありますが、長政を討ち取る手立てはあります。実に簡単なことです。
ここに松井殿、有吉殿もいらっしゃる。これを良く聞いておいていただきたい。

明日にも長政と一戦する、という状況になれば、何の謀り事も要りません。
鉄砲隊50挺に申し付け、構わずに敵の先頭をやってくる槍前槍脇をとにかく御撃ちなさい。
五人も撃ち倒せば、真っ先では無いかも知れませんが、二人目か三人目には、長政を討ち留める事でしょう。

黒田長政という人は天性剛強な生まれつきで、どんな合戦でも先手に出、物脇の二人目か三人目にあって
諸士と先を争う将であるので、この先陣争いの連中を御討ちなされば、そのまま安々と黒田長政
御討ちになれる、と言うことなのです。」

そう申し上げると退出した。


後で、細川忠興を初め細川家の諸人、
後藤又兵衛黒田長政に多くの不満があって黒田家を立ち退いたというのに、古主を悪く言うように見えて、
実は古主の武威を語っていた。忠義の厚い、見事な侍である』
と、彼を大いに褒め讃えたとのことである。
(武隠叢話)


はたして本当に古主の武威を語るつもりで言ったのだろうか?




275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 00:46:38.54 ID:54mrlsiU
実際は細川家との内通を疑われた又兵衛が
家中で孤立してトラブル起こして出ていったっぽいけどねえ
それっぽい書状が残っているけど、今手元にないわ

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 00:59:12.62 ID:0VJbP9eh
というか>>274みたいな内部機密漏洩防止のために
全大名承知の上の奉公構って側面はあるだろうにね

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 02:12:05.24 ID:eJwVDxtz
忠興は褒めてくれたけど、内心どう思っているのやら
空気あえて読まない又兵衛らしい逸話

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 03:29:11.02 ID:ZwZHh5ih
いつものように長政をディスったら、勝手にいい話にされたのかw

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 07:50:57.94 ID:GEh1QZnj
馬鹿みたいに先陣切って突っ込んでくるから鉄砲でイチコロ。と言ってるようにしか見えん

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 10:35:16.41 ID:eLvfGU0e
秀吉も先頭の奴討ち取ればそれが蒲生工場長だって言ってたよな。でもって討ち取った最後の一人が信長公だとも。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 14:28:43.35 ID:npfWrfyo
信長をディスってる秀吉さんかっけぇ

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 16:07:57.32 ID:bLtJPFvW
鮭「でもなあ・・・先頭切っていきたいんだお」

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:38:06.99 ID:wOrox7f6
>>274
あ、ちょっと質問です。
そもそも、黒田長政細川忠興の不仲の原因はなんなんでしょ?
あと、のちに熊本細川家のほうが禄高が高くなるけど、家格は逆転したと考えていいの?

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:44:43.03 ID:wGypJaBI
もともと細川のが格は上?
細川は室町の幕臣
黒田は赤松の家老のイメージがあるけど

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 23:00:02.65 ID:IQJ/dYpQ
>>293
横レスだけど、1600年の関ヶ原の後の国替えで、豊前にいた黒田家が筑前に移る際、移ってくる細川家に対し
当時通例とされた半分残すこと無く年貢米を全部持っていった事が発端。
そして細川家はこれに抗議したのだが、交渉の途中で関門海峡にあった黒田家の廻米船を拿捕しようとする
動きに出て、これで双方こじれにこじれ合戦直前まで行ったが、片桐且元と山内一豊の仲介でなんとか
合戦だけは免れたが、これ以後お互いを仇敵視するようになる。

ぶっちゃけ後藤又兵衛の件も、どうも裏で細川家が後藤の出奔を煽ったフシがある。

あと、細川黒田の家格だが、細川の熊本移封後も、官位は双方従四位下、大広間詰めの国持十八家として
扱われているので、どちらも同格であったと考えていいかと。
299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 23:46:04.99 ID:eKNxzUNy
>>280
ちょっと違う。

工場長は最初の100人も打ち倒せばその中に必ず混ざってる。
信長公は1万の軍勢を全て打ちとっても必ず逃げ落ちている。

つーことで、信長のいざという時の危機対応能力を褒めてるんだぜ、>>281

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 01:10:04.52 ID:uwwizQl0
>>295
赤松の家老???
黒田は赤松の分家の小寺の家老だが、
官兵衛の祖父は目薬売りながら近江から出てきた浪人だからはるかに格下

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 09:19:14.37 ID:lOHo2zja
>>299
逃げるだけ逃げて最後は家臣に殺されるんだから真似しちゃだめだね

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 09:20:43.31 ID:WFv32hos
そこは、最後も逃げなきゃだめだよね^^ って纏めるべきじゃね?

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 10:10:11.11 ID:depDgVoq
前線じゃないと細かい指示がしづらいから前にでるしかなかったのかねえ

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 12:05:10.91 ID:MFv7M0Z8
その辺は本人の性格と部隊の統制力によってくるんでないのかな

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 12:28:42.80 ID:KpeoHZ++
相手が光秀ってことであきらめたみたいな話はよく聞くけど、実際のとこはどうなんだろね~

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 13:22:33.61 ID:JV2vMcU4
侍大将になっても足軽大将のころの癖が抜けない人も多そう

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 13:49:47.66 ID:qaTa/95F
>>306
信長の場合取り逃がすと次は数倍の兵力で押し寄せて来る

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 14:02:20.86 ID:xxZC7+RP
ゴキブリみたいな奴だな

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 14:02:49.11 ID:KpeoHZ++
3倍返しが基本の信長さんかっ!

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 14:36:35.15 ID:uB4Q2PYD
>>297
こんなとこでも片桐且元さんは苦労してるのだな

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 16:02:42.43 ID:pYsmBBX6
>>311
後方で夜討ちの指揮に専念したら
昔の僚友に「らしくねえな、刀折れるほど戦ってこそ武人だろ」って面会拒否られて
次の戦では一番に突撃して戦死した人もいたな

後藤又兵衛出奔顛末

2011年10月13日 22:01

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 12:24:50.98 ID:MBNSHxGc
さてさて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5868.html
ここに嫡男隠岐を追放された後藤又兵衛。やがて年月も経ち息子の帰参を求め様々に詫び言するも
黒田長政はこれを承知せず、又兵衛は長政に対し不満が募り、「わしは後を継ぐもののない一代男なり。
もはや未来に何の希望もない!」と常々言っていたそうだ。

ところで後藤又兵衛の次男に、又市という美少年があった。
黒田長政はこの又市を寵愛し、特に彼は小鼓の上手であったため、長政は他に別して又市を出頭させた。

ある時、博多祇園社において能の興行があり、日吉太夫がこれを勤めた。
この頃黒田又市は17歳、容貌美麗なこと花のごとくであり、長政は寵愛のあまりこの能興行の小鼓を打つことを
又市に命じた。

この命を又市は疑問に思った
「武士である私が主人、あるいは朋輩が能を勤めるときに小鼓の役を申し付けられるというのは、これは尤もな事だ。
だが猿楽師の勤める能の小鼓を打つというのはいかがなものであろうか?」

又市は13里離れた、父又兵衛の在る小熊城へと密かに忍び行きこの事を相談した。
又兵衛はこれを聞くと、激怒した

「よく相談に来た!さてさて筑前守殿(長政)には聞こえぬ仕方をなされるものか!
我が惣領である隠岐守を追放し、今また其方にも斯様なことを申し付ける!
こうなればこれは遺恨である!この上は当家を立ち退くしか無い!」

と、当時黒田長政と激しく対立している、豊前小倉の細川忠興の元に使いを立てた

『それがし儀、不慮の儀にて長政家を立ち退き候。御城下に参りたく候』

「得たり賢し!」
この使いに細川忠興は歓喜した。早速人数千人、鉄砲二百挺、騎馬少々を差し添えて又兵衛の迎えに遣わし、
又兵衛、並びに妻子家来を残らず小倉に引き取った。

これを知って治まりがつかないのが黒田長政である。怒り心頭の彼は小倉に、又兵衛の返還を求める使いを立てた。
当然のことながら忠興はこれを拒絶。もはや合戦か!と言うところに徳川家康より扱いが入り、
『又兵衛の身柄は細川家を離れ上方に送る。そのかわり黒田家は、又兵衛の身に手出しをしてはならない』
と決められた。

後藤又兵衛出奔の顛末である。
(武隠叢話)




267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 12:31:30.58 ID:pKFvM5RT
親子ともども面倒な性格。
こりゃああいう末路が待っているわけだわ。

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 12:35:34.04 ID:xH7/IUpy
前にも出てたなあこの話。前半部分だけだが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3462.html

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 17:21:57.44 ID:EAUzqrjU
そのままだったとして、忠興と又兵衛って
上手くやって行けたんだろうか?

270 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/13(木) 17:59:23.50 ID:Nv3n99Qa
二人とも仲たがいして長政に笑われたくないという一点で一致しているから
きっと意地でも上手くやるよ

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 18:57:50.60 ID:Kq4Vh56z
つか親子共々揉めたってことは後藤家って勢力がうっとうしかったんじゃないかなあ
独立性高い家臣はいらないみたいな

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 20:02:47.60 ID:bS5GZRTI
長政はかなり出来た人なんだがなぉ
又兵衛と険悪な時期になんでこんなトラブルの種にしかなりそうにないことしたんだろ
又兵衛を放逐したいだけならもっとうまい手があったろうに

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 20:14:19.86 ID:Z1uDsKnH
武隠叢話って江戸中期成立だろ

後藤又兵衛基次の嫡男、隠岐守と片桐且元

2011年10月08日 22:06

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 00:57:40.64 ID:hcb4JUbL
>>4
後藤又兵衛の子といえばこんな話もある


後藤又兵衛基次の嫡男は、後藤隠岐守と言った。
関ヶ原後、この後藤隠岐がある時子細あって、長政によって改易された。
これにより隠岐は摂津の木津に隠棲した。

ある時のこと、この隠岐が小者一人を連れて大阪に用を足しに行くと、町家に人が群集していた。
後藤隠岐が何事かと尋ねると、大阪の町奉行である水原石見守の組の与力が言うには、

「只今狼藉者二人が町人を斬って、酒蔵に籠っているのだ」

と言う。これを聞くと、隠岐

「そいつらを斬っても構わないか?」

「それは、構わないが…」

「良し」

隠岐は股立をつまみ上げて帯に挟み込むと、蔵の前にのさのさと進み、前まで行くと同時に、
蔵の中に飛び込み先ず一人を切り倒し、もう一人が慌てて斬りかかって来る所を飛びかかって切り伏せ
たちまち二人の首を取ると蔵より出、それを奉行所の雑色に渡すと、そのまますぐに木津へと帰ろうとした

と、そこにやってきたのが片桐且元である。

且元は事件現場の様子を見て「さてさて手柄をしたものだ、お主がこれをしたのか、名を名乗られよ!」
と再三尋ねたが、隠岐は「いや、名も無きものでござる。」と、名乗ること無く帰っていった。

しかし且元は、家来に密かにその後を付けさせた。

その夜、この後藤隠岐の自宅に、且元より米五俵と酒樽、さらに酒の肴が届けられた。

『御牢人とお見受けいたした。これは些少ではありますが、今日のお骨折りのせめてもの礼に、
どうぞこれをご賞味ください。』

しかし後藤隠岐
「酒樽と肴は御志として頂戴いたします。しかし米俵の方はお返しいたす。
かようなわび住まいをしておりますが、このようなものに事欠いているわけではありません。」
と、米は返したのだという。

翌々日、今度は片桐且元自身が木津の後藤隠岐宅を訪れた。
そして隠岐と対面し、名を名乗られよと問い詰める。これには隠岐も名を隠しがたく、
ついに「黒田甲斐守長政老臣、後藤又兵衛が嫡子、後藤隠岐守と申すものです。」
と名乗った。

これに且元
「そんな事だと思いました。あなたには、ここは余りにも見苦しい。それがしが宜しく取り計りましょう。」
そういって堺に家を借り、金子二百両を合力して彼を隠し置いたという。

(武隠叢話)




後藤又兵衛、大坂城入城の理由

2011年10月06日 22:07

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/06(木) 00:32:16.02 ID:945QUsMM
黒田家を出奔した後藤又兵衛
一家を連れての放浪の後、大阪の地へとたどり着く。
この時又兵衛を捕らえようという黒田家の者たちが又兵衛の子を捕らえるという出来事があった。

この話を聞いて激怒した人物がいた。
大坂城の豊臣秀頼である。
「大阪に住む者はたとえ浪人であっても我が民である。」
この秀頼の怒りを知った黒田家の者たちはやくなく又兵衛の子を放した。

この事に深く感じ入った又兵衛は後に大坂城へ入城することとなる。






大阪城大広間の評議と後藤又兵衛

2011年09月04日 23:29

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 14:54:25.92 ID:zfplFunb
後藤又兵衛のお話を

大阪冬の陣の事。慶長19年(1614)12月16日、幕府軍による備前島からの大筒の攻撃で、砲弾が大阪城本丸の
淀殿の居間の櫓を打ち壊し、侍女数名が即死するという事態に至った。
これに恐怖した淀殿は秀頼に和議を勧めた。だが秀頼は強い難色を示し、結論は出ない。
そこで大野治長は大広間に組頭以上の者たちを集め、この事を協議させた。

と、ここで進み出て声を上げたのが後藤又兵衛基次である。彼はいう

「もし近い内に徳川軍の総攻めが行われれば、我々牢人衆は討ち死にするでしょう。
同じく、仮に和議になっても、籠城している我々牢人衆は責任を取り腹を切らされるでしょう。
だが討死も切腹も、どちらであっても豊臣家のお役に立って死ぬ、名誉あることことなので、
この点を心配することはありません。

秀頼様は、和議後の牢人衆の立場がどうなるかが心配で、これに反対しておられるのでしょうが、以上の理由により
その心配は無用なのです。
私としてはむしろ、家康の身の安全を願うばかりです。」

最後の言葉は、主戦派の将軍秀忠と違い和議を進めようとしている家康に何かあれば講和は成立し得ない、
なので和議が纏まるまで家康の無事を祈っているのだ、ということだろうか。

これに賛同者も出て、治長はこの意見を淀殿に申し上げ検討したそうである。
(慶長見聞記)




先鋒部隊から声を上げた。これを聞いた又兵衛は

2011年09月03日 22:03

416 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/03(土) 03:01:52.54 ID:C6/r1ovK
後藤又兵衛が朝鮮へ出兵した際の逸話である。又兵衛が進軍中、前方の黒田軍の先鋒部隊から
声を上げた。これを聞いた又兵衛は

「味方が負けた。救援せねば」と発言した。

共にいた黒田長政から
「何故そんな事が判るのだ?」と尋ねられると、

「声が次第に近づいてくるのが退却している証拠です。」と説明し、

遠方の戦場から立ち上がる砂ぼこリを見て、
「迫る敵が立てるほこりは向こうからこちらへかけて黒々と見え、逃げる際のほこりは
 遠くなるので白く見えるものです。あれに見えるほこりは白いので敵の敗北でしょう。」

と語った事もあり、いずれもその通りだったという。また、朝鮮軍の拠点である晋州城を攻める際、
加藤清正と共に厚い板で防御を固めた「亀甲車」という戦車を開発。これに自ら乗り込んで城を攻撃し、勝利に
貢献したという。





431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 08:21:11.59 ID:XKWm4KLa
亀甲車の件は清正記巻第三(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771449/の184-185)に記述があるよ

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 08:31:27.26 ID:rkmmBAxo
>>431
ありがとう
後世の軍記物だね

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 08:50:56.54 ID:DIJ4yLYf
朝鮮王朝実録にも
「又作大櫃以藏兵, 下爲四輪車, 賊數十人着鐵甲, 擁鐵楯, 推車薄城, 以大鐵錐鑿城」と
それらしき記述があったり。

合渡川の戦い・黒田長政と後藤又兵衛

2011年09月01日 22:00

629 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/01(木) 19:44:44.33 ID:dm3WrxJx
1600年の関が原の戦いの直前の事である。徳川家康に従う黒田長政らの東軍と、対立する石田三成の
西軍が合渡(ごうど)川を挟んでにらみ合っていた。そこでこちらから攻めるべきか、あるいは相手が動いた所を
迎い撃つべきか東軍の大名達の間で議論となった。この時、藤堂高虎

「又兵衛、貴殿の意見が聞きたい。」

後藤又兵衛に尋ねたのだが、主君の黒田長政

「ふん、又兵衛の意見など聞いてどうなる!」と横やりを入れた。

陪臣の身でありながら大名に意見を求められたのが面白くなかったのかもしれない。しかし又兵衛も
長政のそんな態度に慣れっことばかりに

「勝つにしろ負けるにしろ、打って出ない事には家康公に顔向け出来ますまい。」

自説を主張。この意見を聞いて出撃した東軍の先頭に立ち、渡河の一番乗の名乗りを挙げる際も

「我は後藤又兵衛なり!」と「黒田家家臣」である事を言わなかった為、またも長政の気分を害したという。

以上、長政と又兵衛の溝が益々深まってしまったお話。




633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:48:20.16 ID:p/xhdv6C
>>629
相手の発言や行動のことごとくがいちいち気に障るんだろうなあこの2人の関係
それが上手く働くと微笑ましい笑い話になるんだけど…

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:53:52.15 ID:6aZ2QESu
やっぱり又兵衛は長政の事舐めてるのか
長政がいちいち絡んでうぜーと思っているのか

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 21:12:35.24 ID:dto5IQHT
又兵衛が出てくるたびに長政の小物感が一層引き立つなぁ・・・w

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 21:18:27.65 ID:YM7LBfgY
そら後世成立の又兵衛ageの逸話なんだから当たり前っしょ

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 21:20:09.06 ID:6aZ2QESu
長政は犠牲になったのだ…

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 21:36:31.90 ID:Qgxyh5dJ
又兵衛相手じゃなくても、長政は小物臭しかしない

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 21:41:40.11 ID:iYm2bJ12
武辺に関しては自分の息子にすら対抗心燃やしてたよな

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 22:54:44.76 ID:YM7LBfgY
違うだろ
小物臭くしてる逸話の長政が小物臭いだけだろ

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 23:14:06.74 ID:4xp8mB1D
江戸時代は槍働きが無いから死を賭けた諫言が最上級の忠義
武士に生まれたからは一度はやってみたい諫言。って時代だったそうで
ある程度功をなした家臣はみんな機会を狙っていたとか
こういう逸話を好んで量産した黒田家は後々まで忠義者が多かったのかもね

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 23:23:22.02 ID:tr+CvJPh
そういう諫言を許している長政は大物だと思うんだけどな

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 23:30:26.58 ID:D1bZpdM/
「諫言を好む」というのも名君の条件だしね

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 23:41:39.92 ID:6aZ2QESu
家康も、諫言してくれる家臣は大事にせよと言ってるしな

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 07:03:10.68 ID:IaNqQLCp
けど一つ間違うと勘違いしたことをねじ込んでくるバカ家臣だからなー。
江戸期には抜擢した下級家臣と藩政改革しようしてる時に、阻止しようと「諌言」した重臣が多い。
そのくせ、通らなくても浪人する度胸もなくてぐちぐち言い続けるという。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 08:31:06.14 ID:pjrKKvXb
そのくせ、いざ自分が殺されそうになったら、主君を無実の罪で訴えたりな
[ 続きを読む ]

ドキッ☆KURODAだらけの水泳大会(首ポロリもあるよ)!

2011年07月07日 23:27

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 18:08:12.49 ID:BGXXPD//
ドキッ☆KURODAだらけの水泳大会(首ポロリもあるよ)!
黒田さんちで「川に落ちる」と来たらバ…若殿の独壇場だと思われるでしょう、が

「ぐわー!」朝鮮の大同江で水中戦している長政の隣では、
菅六之助がふたりの敵兵ともつれ合って川に転がり落ちていました。
気づいた朋輩が駆け寄ってダンゴ状態のまま岸に引っぱり上げたのですが、
そのまま戦闘続行。敵ひとりは水中でほぼ片をつけており、残りの相手も
脇差で一突き。さすがの虎殺しですね。
この人は城井攻めでも、泥田にはまった長政の馬を小川で『心しづかに』
洗う片手間に首級ふたつ挙げてたりします。

「うおー!」そのまた隣で、吉田又助も馬上から川に引き込まれようとしていました。
大指物のついた具足のまま落ちては溺れると危ぶんだ又助は、手綱を片手で握り、
腕一本で敵兵を水中に沈めたり沈められたりしつつ、見事に仕留めました。
このとき助けに行った家人も刀握ったままで泳いでいて、何気にすごい。

そしてあの人も

「ぬわー!」耳川で脇差いっちょの長政が、薩摩兵三人と斬った張ったを
くり広げていた(官兵衛さんのコメント・「お前は匹夫か!葉武者か!」)のを横目に、
後藤又兵衛も大力の侍と揉み合って川に突入です。 
組み伏せられて危ういところへ、又兵衛の馬取が加勢に入ってようやく討ち取りました。
「あの馬取の働きで、命を救われたのみならず手柄も挙げられた。
戻ったら良い役に取り立ててやろう」 そう考えていた又兵衛でしたが

『下郎(馬取)は心つたなくて、陣中にて又兵衛の刀、脇差を盗んで逐電しける』m9(^Д^)

戦国の世に水練は必須科目なのです




894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 18:51:22.38 ID:fj6QAun0
水辺の戦で負けると死亡率高いからなー、それでも泳げさえすれば助かるケースも多いだろうし
如水は若いころから毛利の海からの上陸軍を追い返したりとかしてたよな、
そういうところで見てきた経験からも水練の重要性は身に染みてたろう。

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 20:05:04.55 ID:M8Pq4D+j
水の如しってな

愛媛県松前町、後藤又兵衛生存伝説

2011年02月21日 00:00

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 23:02:08.85 ID:SeT607j4
地元に伝わる伝承を一つ



後藤又兵衛が生き延びていた、という話は又兵衛桜が有名ですが

愛媛県の松前町にも、又兵衛が逃げ延びてきたという話が伝わっています


大阪からなんとか脱出した又兵衛は、旧友の加藤嘉明を頼ってこの地を訪れました

徳川家からの捜索を逃れるため、名を弟の市郎右衛門と偽り、百姓となったそうです

百姓となった後は、地域の開拓に尽力し、寛永11年にその生涯を終えます

今でも後藤新田、後藤の堰などの事跡が残っています


http://shikoku-net.co.jp/ehime/kankou/iyogun/masakikankou.htm

↑参考にさせていただきました

又兵衛夫婦のものとされる墓の写真もありますよ


個人的に「旧友の加藤嘉明を頼って」という部分が気になります

又兵衛の主君と仲良かったから交流はあったと思いますが…

なんとなく相性悪そう




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 23:05:44.83 ID:o1BraLN+
問題は大坂の陣の時にはすでに加藤嘉明は居城を
松前城から松山城に移していることだが
昔の居城近く、というならありか

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/20(日) 00:11:34.18 ID:zIpvnBRW
>>896
そこ伊予に旅行行った時行きましたわー。

そう遠くない同県伊予市の長泉寺にも後藤又兵衛の墓があって、
こっちは生存説ではなく、戦死した又兵衛の首を持って逃げた部下がここに葬ったという伝承が。

叔父の藤岡九兵衛(又兵衛幼少時代の保護者)が住職をしていた縁で、
大坂入城前に又兵衛が加藤嘉明との交誼を頼って、妻子を託したことが碑文に刻まれています。

程近い三谷に塙団右衛門の子説もある程仲の良かった雲居国師の生誕地があったり、
松前城跡には加藤家を出奔した団右衛門の事跡が看板に書かれたりしていて、
この大坂の両豪傑好きにはちょっとした穴場地域に感じました。


>>897
松山から松前もそう遠くないしね
松山築城の際に破却した松前城の建材を再利用した話もあるし