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只今の士は、何と言える若者ぞ!?

2022年06月29日 17:36

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/28(火) 22:46:36.60 ID:jbOcgdLv
大阪冬の陣の時、蜂須賀阿波守(至鎮)の陣に塙団右衛門が夜討ちした時、蜂須賀の家臣・賀島主水という者、
この時十五歳であったが、敵が一人、橋の欄干に在ったのを、鑓を突き立てたが、かの者は
「味方を見誤ったか!?」と言ってきた。それを聞いた味方の者達も「同士討ちするな!」と
声をかけてきたので、賀島はそのまま鑓を引いた。
するとかの者は大阪城内に駆け入り、馬を控えて、

「只今の士は、何と言える若者ぞ!?我は今夜の大将、塙団右衛門なり!!」

と名乗り捨てて内に入ったという。賀島主水はこの事を。老後まで語っていたとか。

新東鑑



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塙団右衛門の討死

2022年02月16日 17:11

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/16(水) 11:20:01.09 ID:QRrDT6wP
一説、塙団右衛門(直之)は大坂夏の陣・樫井の戦いにおいて、多胡助左衛門に射られながら駆け寄り、
多胡の弓の弦を十文字の鑓にて突き懸かったが、その時八木新左衛門が鑓を以て渡り合った。
塙直之は重傷であったが、小家の壁に寄りかかり、八木と鑓を合わせ、首を新左衛門に取らせ、
天晴なる討死をしたという。

別本に、亀田大隅(高綱)の家記に、塙団右衛門を彼が討ち取ったと伝わる。即ち直之の具足も、かの家に
有るという。しかし浅野家においては八木新左衛門が討ち取ったことに決定している。亀田方はこれを
憤ったとされるが、亀田の息子である半左衛門曰く
「父大隅一代の軍功、挙げて数えることも出来ないほどだ。それなのに塙の首一つをとやかくと
論ずるには足りない。如何様にも申されればいい。それに憤るような事は無い。」と申したという。

ある本に、団右衛門の死体を埋めた塚は、樫井村の北の方にあるが、紀伊国衆の小笠原作右衛門という人が
直之の親類で、その塚に五輪を立てたという。

別記に、この当たりの土地の者達曰く、毎年七月十五日には加州金沢の人がここに来て、墓の塵を払い、
燈籠に火を揚げるという。然れば塙の子孫は加賀国に在るのだろうかと言っていた。

新東鑑

塙団右衛門の討死について



今後斯様の儀は御無用に候

2022年01月22日 17:34

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/22(土) 17:11:02.28 ID:gBV29mvz
大阪冬の陣に於いて、大阪方は博労淵、福島等の出城が幕府方によって敗れたため、
「天満、船場の両町も如何あるべし、この上は両町をも(幕府軍に取られる前に)焼き払うべし」と、
評議し、その方面に在った大野主馬に、軍勢とともに大阪城内に引き取るよう言い送った。

主馬はこれを聞いて、「我万夫に先達て横行の勇を振るわんと志した上は、節に当たり義に臨み、
命を惜しむべきではない!然りと言えども、事に臨んで恐れ、謀を好んで成すのも勇士のする
所である。暫く船場の出城を退かん。」と、十一月晦日に天満四町に火を放って城中に引き退いたという。

或る記に、天満を自焼の時に、何れも旗指物等を、皆打ち捨てて城中へ引き退いた。しかし塙団右衛門(直之)は
少しも驚かず

「自火なのか、もしくは敵方より火を放ったのか見届けるべし。」

と、馬に乗って出て篤と見定め、「自火に相違なし。雑具は捨つるとも、馬物具を捨つるのは武家の恥である。」
と下知し、心静かに本町橋へかかり、城中に入らんとした。ここは織田左門頼長の持口であった故、その
家臣である今中左馬助が罷り出て人数を改めていた所に、織田左門も一騎駆けに馳せ来て、団右衛門を見ると
「其の方の所為にて斯様に及ぶこと、言語道断である!」と申した。これに団右衛門は立腹し

「如何程の軍陣を勤めたとしても、陣払も致さぬ先に、自火する法は承り申さず!諸軍はこの騒動のために
諸道具以下を捨て置き、その見苦しき有様は是非なき事である。さりながら私の組は、兵具少しも
取り落とさなかった。今後斯様の儀は御無用に候!」

と申したという。

新東鑑

大阪方の混乱した撤退を嗜める塙団右衛門のお話。



林が心中尤も至極である

2022年01月14日 15:41

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/13(木) 20:19:07.80 ID:PO3NNjLJ
或る本によると、大阪冬の陣の御和睦の後に、塙団右衛門(直之)の古き傍輩・知音らが、彼の元を訪れ
音信をする中に、水野日向守勝成の家人である黒川三郎右衛門が訪れ来た。
直之は彼との物語の序に、このように問うた

「私の旧知である林半右衛門は、必ず訪ねに来るべき者なのだが、未だに音信がない。
もしかして今回、この表に出てきていないのだろうか。非常に不審である。」

三郎右衛門はこれを聞くと
「半右衛門は今、池田武蔵守(利隆)に奉公し、天満口に居る。」と云う。
団右衛門は即ち黒川三郎右衛門を以て林の方に申し送った

『古き傍輩たちは皆、私の所に訪ねて来ているのに、御身は遂に音信をしてこない。その心如何。』

林半右衛門はこのように返辞をした

『私が貴殿に無音である仔細は、我等は若年の時、「未来大名に成るとも、自身鑓を取り太刀打ちを致さずば
勇士の本意に非ず」と申し合わせた。であるのに先達て貴殿の夜討(本町橋の夜戦)の有り様を聞くに、
貴殿は本町橋の上に在って床几に腰を掛け、白旄(指揮官が指揮をするときに用いる旗)を取り、
その身は手を下さなかったとか。
貴殿は今年四十八であり、未だ勇力の衰える歳ではない。武辺に歳を寄せ勿体を付けた話を聞くのも
如何かと思い、使いも遣わさなかったのだ。』

黒川がこの旨を団右衛門に伝えると、彼は涙を浮かべ

「林が心中尤も至極である!私が夜討の時に大将の仕方を致したのは別儀にあらず、先の関ヶ原御陣にて、
私が足軽の備に張り出した事を、出過ぎた事だとして、故主である左馬介(加藤嘉明)は以ての外に怒り、
『己は一代、人数を引き廻す将にはなるまじ!』と叱った。
私はそれを無念に思い、一生に一度采配を取り、将帥の功を故主に見せたいとの念願により、夜討の時、
むず痒さを忍んで采配を取ったのだ。

最早望み足りたる上は、重ねての事あらば、太刀は目釘の堪える迄、鑓は端食抜ける迄働いて討ち死にを遂げ、
林に見せ申さん!」

そのように語ったと云う。

新東鑑



957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/14(金) 11:57:41.86 ID:KJHdchY6
おや意外と統率値あるんだな

関東に下るべきか、それとも大阪城に入るべきか

2021年11月29日 17:22

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/29(月) 17:00:44.44 ID:NLV3QtN+
或る記に、塙直之(団右衛門)は加藤嘉明の元を浪人した後、左馬助(嘉明)に奉公構を受け、慶長十四年に
出家と成り中国地方に在った所、大阪の一乱(大坂の陣)が起こるということを聞いくと直ぐに
「関東に下り、何方へなりとも付いて参陣しよう。」
と、譜代の家人である山縣三郎右衛門という者を召し連れて近江路まで進んだが、この時
諸浪人が大阪に抱えられているという事を知り

「関東に下るべきか、それとも大阪城に入るべきか」

と迷い、心一決せず山縣三郎右衛門に相談した。すると三郎右衛門は
「はるばる東国へ下ったとしても、諸大名やその従臣数多であり、参陣しても禄は多く貰えないでしょう。
大阪へ行かれれば、歓迎され高知を給わるでしょう。さらに軍功があれば大名にもなれるでしょう。
この理、当然のことです。」
と諌めた。

これに「然らば」と、塙直之は近江路より引き返し大阪に着くと、伝手を以て豊臣家に仕えようと
様々に徘徊していた折に、雲居法師が城に出入りするのに行き合ったが、彼は直之の従弟であったので、
その事を話し、直に城中に入ったという。

新東鑑

塙団右衛門、大阪入城についての逸話



この両人を以て優れた勇者と

2017年04月24日 17:17

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/24(月) 09:01:54.06 ID:l5bkCo34
大阪冬の陣、塙団右衛門直之の夜討ちの時、大阪方にて勇猛の働きあったのは木村喜左衛門であった。
木村は誰よりも先に出て、蜂須賀の陣より出て来る者たちを叩き伏せた。
しかし股を突き抜かれたが、その攻撃をした相手も突き殺した。
これは蜂須賀家の中村右近であったと言われる。
木村はその負傷が元で、城中に帰った後死した。

また冬の陣の今福の戦いで見事な振る舞いがあって負傷したのは大井可右衛門であった。
彼も、誰も続くものがないほど先駆けし、その戦闘の負傷により城に帰って死した。

冬の陣の大阪方では、この両人を以て優れた勇者とされる、

大井可右衛門は牢人にて京にあったのを、冬の陣前に池田家に招かれたのだが、大野修理が
秀頼の命であると行って、入城させたという。

(士談)


樫井合戦の時

2013年09月27日 19:50

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/27(金) 17:44:47.28 ID:yDHM3m1S
樫井合戦の時、先鋒塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政、岡部大学則綱以下は三千程の勢を
引き連れ、安松を目指してやって来た。ところで、岡部は去る冬に直之が蜂須賀陣へ夜討ちした時、口論して
共に出なかった事に腹を立てていた。

「今日は団右衛門に先陣を越させまい」と、岡部はなにくわぬ体で先へ乗り出した。これに直之が声をかけて、
「約束の通り胴勢を揃えて攻め寄せようぞ」と言った。岡部は振り返ったけれども、うんともすんとも答えずに
進んでいった。

直之は激怒して「侍の義理を違えて先を駆けるなら今日は必ず討死しろ!さもなくば男は立たないぞ!」
と言って、同じく駆け出した。重政も「某は泉州路の案内をお受けしているというのに、後に残ることはできない」
と、同じく乗り出し、彼らは思い思いに馳せて行った。

(この後、浅野勢と戦って直之と重政は討死)

ある本によると、この合戦が終わった後、米田監物、御宿越前守、上条又八らは安松にて岡部に向かい、
「団右衛門を捨て殺しにするようでは、男は立たんぞ」と悪口したところ、岡部は返答も無かった。

このため、彼らは大野主馬介治房に「臆病者を組に置かれることは無用です」と言った。これに治房が、
「もっともな事ではあるが、今に至って物頭を追放するというのはどうしてだ。御利運の上で」と言ったので、
皆々治房とは不和になったという。

ある本によると、岡部大学は塙団右衛門とは古い傍輩で、加藤嘉明の甥川村権七の母方の叔父だった。
大坂陣の時に城を出て剃髪し『愧世庵』と称した。当時の人が大坂陣の事を尋ねれば「某は隠れもなき者であるが、
男のならぬ首尾のためにこのような身となった。よって合戦のなりゆきは一切知らない」と答えたのだという。

――『新東鑑』





団右衛門が化粧料

2012年12月03日 20:07

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 18:02:06.58 ID:tVKt69Nz
お万の方は紀州頼宣と水戸頼房の生母である。
駿河にて塙団右衛門は名高き大剛士と聞いたお万は、

「お子たちに太刀を参らすのは当たり前のことです。
大将の宝とはまさに士であって、それ以上の物はありません」

と、鏡台金として毎年賜る五百両のうち二百両を団右衛門が
流落していた時に与えていた。

「有事の時には剛の者を一人でも愛しき子に参らせたい」
と言っていたのだとか。

大槻磐渓曰く
「化粧に務めてその美を飾るのは婦人の常態である。
その化粧料を捨てて国家のために猛士を養うなど思いもよらぬことだ。
ああ、この母にしてこの子あり。南龍公が勇武絶倫であることは
怪しむに足りないことである」

――『近古史談(常山紀談)』

でも結局団右衛門は…。




619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 19:06:57.08 ID:iMgPW1C6
この化粧料で買った木札に名前を書いてばら撒いたわけか

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 21:10:34.29 ID:3KzWe+JK
塙団右衛門は欲のない人だったのかな?
そういう伝手があれば大坂の陣でちょっと活躍すれば取り立ててもらえたのに

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 00:07:45.67 ID:P2+cHhb7
>>620
名誉欲だけが人一倍あったんじゃね?
大阪方で暴れまくって死んだおかげで名前が400年後まで残って大正解だな。

世の中がもっと乱れるよう御願い致した

2011年11月11日 22:00

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/10(木) 23:25:08.85 ID:DKNukHPz
塙直之は加藤嘉明から解雇された後、京の妙心寺で僧になるための修行をしていたが
武士への未練が棄てきれず、常陸の肥田志摩という者の下で居候をしていた。
ある時、肥田家中の若侍達と近所の愛宕神社へ参拝に行った。
参拝後、塙直之は若侍達に何を祈願したのか尋ねた。
若侍達は「世の中が平穏無事であるようにと祈りました」と答えた。
これを聞いて塙直之は笑いだし、
「それがしは災難や戦乱が起き世の中がもっと乱れるよう御願い致した」
と大声で憚りもなく答えた。
若侍達がなぜそんな物騒な事を祈願するのか尋ねると、
「それがしの様な者は、畳の上での奉公に向いていないが、
戦乱の世になれば縦横無尽の働きをして出世の機会を得る自信があるからだ」
と、嬉々として語ったという。





935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/11(金) 02:05:06.51 ID:OK7Ny7y1
ふむ、悪い話だな

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 08:15:50.45 ID:peVqHqwY
武士的には元気のいい話じゃね

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 08:38:19.26 ID:u+UHAFpI
こういう戦争でしか役に立たない人材が、行き場を失って集まったのが大坂の陣なんだろうな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 08:58:15.25 ID:NVwzIXQn
裏を返せば、こういう戦争でしか役に立たない人材を一掃したのが大坂の陣か

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 09:18:33.48 ID:6rev1rcG
福島正則のように弓だったんだな 平和になると蔵にしまわれる

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 09:24:47.43 ID:cAfualN1
走狗煮らる

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 14:02:37.04 ID:l1hJbACe
戦でしか役にたたない人間は大阪の陣以降も生産されてたんだよなあ
鄭成功にのっかろうとしたぐらいに…

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 14:06:34.80 ID:ccvf/tog
まあ実際の所、最近では元和偃武で戦時体制が終了したわけではなく、徳川綱吉の時代くらいまで
臨戦態勢は継続していたと考えられている。

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 16:13:15.42 ID:r/ygYmPP
>>942
忠臣蔵がその悪い影響を如実に表しているな

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 16:15:16.58 ID:l1hJbACe
>>943
綱吉が吉良を擁護した理由もわかるな…

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 17:42:31.90 ID:peVqHqwY
まあ世間では忠臣蔵は永遠に忠臣で変わらないが

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 18:00:45.30 ID:L9ojeTHH
忠臣蔵って再就職活動してたのが切腹したんで美談になったと考えたり

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 18:31:26.31 ID:r/ygYmPP
そろそろ吉良さんの名誉回復してもいいのにな
年末の忠臣蔵は吉良さん視点で
それこそ地元の人が頑張ってくれないかな

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:08:30.47 ID:2g0UR9ui
再評価はあるだろ

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:13:48.87 ID:JkSTvl9B
小説とかではあるし学問的にはかなり復権もされているのだけど、一般的にはやっぱりねえ

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:15:38.82 ID:r/ygYmPP
浅野長政が好きなので、子孫にこういう残念なことされると悲しくなるな

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:25:53.22 ID:rPGn1brF
忠臣蔵の教訓

1,基地外に関わるな。
2,マスコミの捏造報道に気をつけろ。

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:40:26.56 ID:l1hJbACe
忠臣蔵要約
ブチ切れた基地外が監督役のじいさんに切りかかって公式行事を台無しにする
その後基地外の部下が逆恨みでじいさんを集団暴行

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 19:52:34.76 ID:2g0UR9ui
裁判にもっと時間を掛けるべきだったと思うよ

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:00:13.23 ID:WQLk0S5b
吉良を再評価しようと調べてる地元の会があって
それなりに実績も発掘してたけど
調べれば調べる程爺さんが実際にアスペ君その他をイジメてた証言も出ちゃってて
なんか擁護が歯切れ悪かった

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:15:54.13 ID:fi/ABYMd
名こそ惜しけれ

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:20:17.16 ID:yY2joALc
>>946
批判的な意見の学者は当時からいたけど受けは悪い。

>>954
火のないところに煙は…だからね。
息子の養子先の上杉家にも色々負担をかけたり。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:21:07.53 ID:el9janva
イジメが本当に有って吉良が意地悪じいさんだとしても
浅野がバカ殿だった事には変わりないな。

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:28:09.47 ID:GcG96WRT
>>957
アサノタクミノカミが、どんなにバカで基地外でも意地悪爺さんが人気者になるのは難しい。
ゲームメーカーあたりが女の子のキャラクター化してくれたら人気でるかも だが

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:33:21.02 ID:l1hJbACe
吉良の浅野に賄賂よこせって言ったとかいう話あるけど実際は饗応相手に出すカネお前も負担しろって意味だったとか

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:35:24.01 ID:aIsF6Rop
>>958
先にTSG47が萌キャラになる
とりあえず47人の無職共に生活援助してくれる心優しい親戚でもいれば馬鹿なマネはしなかったと思うんだ

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 20:39:28.05 ID:G/g6HOdX
昨日のへうげもので吉良氏の世田谷城を浅野長政らがとりかこんでいて
忠臣蔵の祖先同士かと思ったら、世田谷城の吉良氏は奥州吉良氏で、
上野介は三河吉良氏と、たいして関係なかった


962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 22:33:30.19 ID:JkSTvl9B
>>954
人間社会の事件ですからね、講談のように善と悪の物語にはならないってことでしょう

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 22:45:54.26 ID:1zEJxA3N
吉良氏って三河守護だと思ってたけど守護じゃないんだね。
Wikipediaには一色義春以降の守護の記事がないんだけど誰も任命されなかったの?

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 23:43:37.10 ID:l1hJbACe
>>963
丹後のページには1582年まであるお

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/12(土) 00:50:23.64 ID:YbVn2eg+
上野介って西条のほうの出だっけか?

パラドのゲームに東条が出てて驚いたわ
MODだっけかもしれんがの

造り酒屋家・住屋と塙団右衛門

2011年10月29日 22:01

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 17:33:02.22 ID:FIDthOb8
備後国尾道に住屋という造り酒屋家があった。

大坂の陣の時、酒を積んで上方へ商いに上ったが、とある道で塙団右衛門と行き合った。
彼は尾道で浪人していた時に、ちょくちょく住屋と出会う仲だった。(酒飲みだし通ってたのだろう)

団右衛門は住屋に気付くと馬上より声をかけ、
「尾道では大いにお世話になり申した。達者なようでめでとうござる」
と言うと、馬に鞭を当てて去っていった。

戦時下でなければ、またゆっくり話せたろうにね。 (『武辺咄聞書』)




とある武将の書状

2011年10月02日 22:01

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 00:47:32.52 ID:DbFoKHop
以下、とある武将の送った書状の訳文(一部虫食いの為要約)である。誰が書いたか当ててみよう。



『常識知らずとは思いますが、あまりにもそちらの様子が気遣わしく思いましたので一筆したためました。

 一つ、早くも寒い季節になってまいりましたが、いかが達者でお過ごしでしょうか? 
 一つ、普請の方はどこまで進みましたか? 
 一つ、気分はいかがですか? 事細かにお聞かせください。
 一つ、私はこちらへ下ってきて、大体予定通りに進んでいます。ご安心ください。

 しかしながら私が再び世間に出ることを、貴方は笑われることでしょう。
 されど釈迦も再び人の世を出られ、遙か遠くまで広まる教えを作られたと言われています。
 そういうことですから、私は昔も今も四六時中、事を成すことばかり考えていました。

 定めなき世の習いですので、もう貴方に会えなくなるかもしれないと思うと、心引かれる思いがします。
 ただし、また定めなき世なだけに、普請の済んだ貴地で再会できるかもしれません。

 あまりにも伝えたい事が多くて筆の止めどころがありませんが、どんな事も書き残しておきます。恐惶謹言』



署名は“半(塙) 団右衛門 勝忠”。
大坂入城の直前(慶長19年9月29日)に、親しい知人に宛てたものと思われる。
諱がよく知られた直之ではなく勝忠なのは、
旧主・加藤嘉明(長い間、茂勝と名乗っていた)の偏諱を使い続けていたのだろうか?

豪傑の意外と繊細な一面が垣間見える一通である。




914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 11:17:46.86 ID:qtrqLuxi
>>906
団右衛門は豪傑と言われるわりに結構人間臭いところがあって好きだなあ

塙団右衛門、据え膳を

2011年02月12日 00:01

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 01:09:38 ID:RDu5Lret
お騒がせ男・塙団右衛門が地味加藤こと旧主の加藤嘉明に奉公構された末に、
妙心寺で出家して“鉄牛”と名乗っていた時のこと。

京の色町・六条柳町の左近という遊女から『久しぶりに是非とも団様にお会いしたい』と
熱烈なラブレターが届いた。
この左近、柳町遊郭でも際だって美しかったが、まだ武士だった団右衛門が口説いた時には
罵倒を加えたような女だった。

まあそんなことは昔のこととて、団右衛門がほいほい会いに行って酒を酌み交わすと、
用件は出来てしまった隠し子を託したいと言うことである。
(出家の身の団右衛門に預けるという事は、妙心寺に入れる口添えをしてくれということだろう)

「ははあん、そんなことか」と思いながらも、頼まれごとに二つ返事で快諾する団右衛門。
喜んだ左近は以前彼を振った時とは別人のように媚びて、お礼とばかりにしなだれかかり同衾を誘った。

しかし団右衛門、猛然と衾を蹴って立ち上がり、
「酔っぱらって忘れたのか? 俺は僧だぜ。同衾なんざご免だね」
とその手を振り払って帰ってしまった。

出家した後も飲酒や帯刀を止めなかった彼も、女犯に関してはストイックだったのか。
それとも見返りを目当てにするような男と思われることに我慢がならなかったのか。


兎に角、塙団右衛門、据え膳を引っくり返したというお話。




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 01:35:04 ID:NOW9/yKx
隠し子はどうなったんだろう。

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 01:59:27 ID:RDu5Lret
>>693
失礼、筆が滑ってそのまま帰ったと書きましたが、
原文では同衾拒否の言葉とともに立ち上がったところで終わっています。
その後普通に面倒を見たんじゃないでしょうか。(そうじゃないといい話でもなんでもないですな)

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 02:05:57 ID:ecS0N8jH
戦国武者って出所進退に男くさい爽やかさがあるから好きだな
源平の公達たちとはまた違った武者ぶりがいいね

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 02:50:55 ID:wxxhg+fO
>>692
これやってたら坊主として最低な野郎と言いふらされそうで怖い


697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 08:24:17 ID:79FkKFXs
俺だったら間違いなくヤル。
そしてそんな男にはこんな頼みごとはしないだろう

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 09:12:50 ID:d+M3oqIu
奉公構えを食らうような人って、やっぱ気難しいんだろうね

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 13:29:51 ID:cgPGSa4k
>>698
> 奉公構えを食らうような人って、やっぱ気難しいんだろうね

全部がそうとは言わんが、団右衛門さんは出奔した後、加藤嘉明の刺客が来たとき
自分の居場所を間違わないよう、家の前にでっかい表札を出しておくような人。

701 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/11(金) 13:39:51 ID:am1RwmeE
>>700
三河の人と同人種ってことかw

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 13:40:47 ID:/Qw0ZPAK
というか地味加藤さんも結構めんどくさい性格してるしめんどくさい人同士が意地はると大変なことになるという
実例では

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 14:43:39 ID:gKoolOEl
というよりも、地味加藤さんは三河の人。
親父が家康の臣だったけど三河一向一揆で一揆側に加担したから出奔。
で尾張について秀吉に仕えた。

めんどくさいのは生まれつきってことです。

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 19:31:15 ID:s2pesM7h
>>700
地味加藤家では出奔した奴は必ず殺すみたいなルールがあったの
だろうか・・・

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 19:47:00 ID:PxnisQlv
>>704
いや、そういう例は一切無い。
団衛門はむしろ刺客に来てもらいたくて宣伝してたっぽいw

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 19:47:37 ID:d+M3oqIu
>>704
某所のネタによると、実際に追手が来たと言う話が全く残ってないから、かえって困るとか言ってたが・・・
実際のところ来たのか?追手は

塙団右衛門、攻撃?いいえ物見です

2010年04月26日 00:11

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 10:51:00 ID:jw1Ad2ju
攻撃?いいえ物見です

ラスボスの朝鮮征伐の頃
ある日、藤堂高虎は夜陰に乗じて敵に近づき数隻の敵船を奪って帰ってきた。その翌日も同じ手口で敵船を奪ってきた。
秀吉の命もなく行なったこの行動は、軍令違反だった。しかし敵船を奪ってきたことから手柄とされた。
これに、高虎をライバル視する地味な方の加藤こと加藤嘉明が悔しがった。
(高虎を上回る功を挙げたい、しかし高虎のせいで締め付け厳しく抜け駆けは難しい・・・)
悩んだ嘉明だったが、何かを思いついたのか部下の塙団右衛門に物見の船を出させた。
普通、物見は戦闘は行なわない、ある程度の距離から敵を偵察するだけである。これなら軍令違反にはならない。
だが団右衛門はドンドン敵に近づいて行く。これに嘉明は慌てた。
「イカン!近づき過ぎだ!団右衛門、船を戻せ!」
しかし聞こえないのか団右衛門は船をなおも進めた。
ついに嘉明は「ちょ、待てよ!待てって軍令違反になるってば!」と言いつつ自分も船を進めはじめた。
嘉明の部下たちもすわ殿の一大事とばかりに一斉に船を進めた。

何の事はない。嘉明の軍は、「戻れ、戻れ」と言いながら敵に一斉に襲いかかったのである。
この不意打ちに敵は大混乱。団右衛門を先鋒とした嘉明軍は大活躍し、戦いらしい戦いもないまま敵船数十隻を奪い
意気揚々と帰還した。
抜け駆けした事にかわりなく軍令違反となるのだが、もし秀吉がそのことを質せば、嘉明はこう答える気であった。
「攻撃したわけではありません。物見に出した部下がドンドン敵に近づいてっちゃうもんでそれを止めようとしたら
敵船が目の前にあっただけっす」
「ええ。抜け駆けする気なんてこれっぽっちもありませんでしたよ(棒)」




550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 13:01:39 ID:MrUairx3
>>545
塙団右衛門にぴったりの役だな。w

塙団右衛門と藪與左衛門、科人の討ち取りを命ぜられ

2009年11月07日 00:27

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 13:06:17 ID:CukRqtZt
塙団右衛門が、加藤嘉明に仕えていた頃の話である。

ある時一人の科人が出て、藪與左衛門、塙団右衛門の両名に、これを討ち取る事が命ぜられた。
二人は籤を引き、與左衛門が一の太刀、団右衛門が二の太刀を受け持つ事となった。

さて、その科人の家に着くと、與左衛門が討ち取る次第の言葉をかけ、これに斬り懸かる。
かの者もたちどころに刀を抜き、これと斬り合う。激しい鍔迫り合いとなった。
…が、団右衛門の二の太刀が、いつまでたってもこない。
與左衛門、どうしたことかと振向くと…


   団右衛門→ アー、サムイサムイ( ・∀・)ノ ノ 焚 メラメラ

焚き火に当たっていた。
その日は寒気非常に強い日であり、団右衛門は二人の戦いを気にもせず、
暖を取っていたのだ。

「何やってんだお前!?」

與左衛門怒る。まあそりゃそうであろう。こっちは命のやり取りをしているのだ。
しかし団右衛門、よほど寒いのか火の前から動こうとしない。
『こんな奴は当てに出来ない!』
與左衛門、どうにか一人で科人を切り伏せ、これに止めを刺したそうである。

この事の終始、検使のものが報告したのだが…

なんと、焚き火に当たっていただけの団右衛門、科人を斃した與左衛門と同じ、
白銀10枚を褒美として与えられた。
その理由は

「同僚が戦っている最中、平然と火に当たっていたのがなんか凄いから。」

だそうだ。
この時代の評価基準と言うのも、なんだか変なのだ。





6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 14:03:44 ID:HQdIirWb
制度が確立された江戸時代とは違って
戦国時代のできて間もない家では
褒賞の基準も特になかったんだな・・・

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 14:06:12 ID:FjaBdaIi
嘉明は結構細かいから嫌いそうなもんだがこういうところは嫌いじゃなかったのかw

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 16:52:22 ID:vTynoRH+
>>7
本人が虎を前に居眠りしていたという北斗神拳伝承者みたいな逸話持ちだからなw
ふてぶてしいが、直之さんの剛胆さを褒めたんだろうね。
(→ http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-297.html

結局直之さんはその意地を主君にも張り通して、退転しちまったわけだが

9 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/06(金) 17:22:55 ID:gbsjoLpS
>>5
又「主君が討ち取られそうなのを笑ってみてたら後で怒られましたw」

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 17:26:53 ID:ZTty1E4u
嘉明と団、黒田の2代目と又兵衛

皆有能なのにねぇ。
人の相性って怖いわ

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 17:31:36 ID:p+/l+QYm
稀代のへそ曲がり男は、端から見ると楽しい奴だが、巻き込まれるとウザいなw