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津山の名物「きらず粥」

2009年11月18日 00:20

以和姫   
235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/16(月) 23:35:31 ID:MhNvqrL2
津山の名物の一つに「きらず粥」という料理がある

1118きらず粥
ttp://yumeminori.sakura.ne.jp/sblo_files/yumeminori/image/CE5W7731.jpg
「きらず」と言うのはそのままの言葉通り「斬らず」に済む料理の事で
豆腐の絞り粕やおからなどの事を指し、野菜などを飾り付けて粥にして食す。

この名物の誕生は文禄3年(1594年)に前室が亡くなって独り身の森忠政と
豊臣秀長の娘以和姫が新たに室として森家に嫁いで来たのがきっかけである。

以和姫は史書の殆どでは豊臣氏と記載されるが実名は名古屋以和(通称:智勝院or於岩)で
秀長の嫡男小一郎と婚約関係であったので幼な妻として豊臣に嫁いだが、夫となる秀長の息子が
これまた若くして没したので、いきなり未亡人扱いとなりそのまま豊臣養女となった。

以和姫が秀長が没するまでの間他家に嫁がされる訳でも実家に返される訳でもなく、
豊臣大納言家で長く大切に育てられたのは病弱であった嫡男小一郎への秀長の深い愛情と
秀吉の側室となっていた姫路殿や淀の方からの身内厚遇の計らいがあったと言われている。
(姫路殿(信包娘)と以和姫の母養雲院(信包孫娘)は茶々姫(お市娘)が尾張で織田信包の下で
保護されていた時代に共に仲良く過ごした縁続きであったからだと思われる。)
織田・豊臣と天下人の縁戚のもとで育てられた娘なので文字通りお姫様育ちであったそうだ。

一方、森家では家臣たちから「夫婦仲が悪くなり忠政様の悪口を綴った文でも豊家に出されたら・・・」
「この時期に豊臣の姫様とな!これは財政が傾くやも知れぬ!!」と表立っては口に出さぬが
裏でこそこそとぼやくので一時揉めはしたが、忠政には自信があった。

忠政は婚姻後早々に以和の兄九右衛門をどこからか見つけ出し自らの右腕とし以和の妹達も
家臣達に嫁がせ
以和との間には2男(虎松・忠広)3女(宮姫・菊姫・)が生まれ夫婦仲は良好で見事に家臣たちを黙らせた。
多少貧しい生活だろうが兄妹も子供たちも元気で以和姫から見れば忠政は最高の夫であった。

そんな折に最愛の夫が戦事という訳でも無いのに人をぶった切ったのだ。
それが自らだろうが、家来に命じてだろうが酷な世を知らぬ以和姫には刺激が強すぎ
「旦那様がそんな残酷な人であるはずがない・・・」と深く嘆き床に伏せった。

追い打ちをかけるように兄九右衛門と井戸宇右衛門の事件が発生し忠政が井戸兄弟を抹殺命令を下した。
以和姫はそれ以降、一年の終わりの歳暮の日に「来年は(主に旦那様が)人を斬らずに済みますように」と
祈りを込めて「斬らず粥」を自ら率先して作り、それが森家の毎年の歳暮の習わしになり
津山の領民に奥方様の料理として親しまれ現代にまで残り伝わった。 

ちなみに津山の寺では忠政の命日に供養として「きらず粥」が振るまれる




236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/16(月) 23:39:22 ID:myy6Pbeg
>>235
なんかこう、ほのぼのとした愛情を感じる話だな。
願い事の原因は殺伐としているけれどw

238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/16(月) 23:44:27 ID:CHfJafYq
>235
これは奥方の良い話ですな

・・・旦那のほうはいつもの事だが

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