FC2ブログ

雑談・天庵様の肖像画

2010年09月23日 00:01

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:29:07 ID:U7aDOytk
天庵様の肖像画発見。凛々しい顔をしていらっしゃる。
http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/m/mirainodaifugoo/20100904/20100904103615.jpg
http://f.hatena.ne.jp/mirainodaifugoo/20100904103615
小田氏治02


155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:38:29 ID:DQ4ebLos
いかにも他人の言い分を聞かなさそうな人に見える

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:39:22 ID:DQ4ebLos
あ、でもなんで肖像画なのに猫が?

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:39:52 ID:MruxQVNP
説明文の一切つかない謎のぬこ
元祖ネコ好きだったと考えるほかはない。

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:49:15 ID:JV0WCY0n
手前の猫が小型のトラみたいで格好イイです

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:55:54 ID:aU4Nztn/
三楽斎が犬なら、俺は猫を使う!
・・・あれ?まったく言うことを聞かないorz


というのが目に浮かんだ

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 00:58:56 ID:Jor65R7C
手前のネコが天庵の本体
後ろの人は影武者

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 03:39:28 ID:bZuFwRHR
猫がすごいかわいいけど負け戦続きで安心して暮らせなそうで不憫

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 07:27:57 ID:juJVYHWJ
>>159
なぜか天庵様も、周りの言うことを
聞かなかったりするんですねわかります

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 08:19:15 ID:GEHOjsbd
つまり・・・

天庵様:のび太  猫:ドラえもん→菅谷さん ってことだろ?


164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 09:46:51 ID:3er229ja
スネオ+出来杉→三楽斎

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 09:52:26 ID:miO93hCp
何の説明もなく猫がかかれるということは常に猫が周りにいるタイプか。

はっ…現法王様

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 09:55:09 ID:TJQAxPaR
犬好きとはいえ道灌の話知らん訳ない三楽が猫邪険にするとも思えんし
どう転んでも猫はのんびりしてたんじゃね

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 14:37:17 ID:8zSTHjst
寺なんかの文書を扱うところではネズミを避けるために猫を飼ったというが
古典でも、だいたいえらい人のペットって猫だよな

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 16:25:36 ID:bPRGASxJ
>>170
光孝天皇・宇多天皇以来の伝統だな

墨のような毛色、寝てる姿は壁のごとく歩く姿は黒竜のようだよ
他の猫よりよくねずみ捕らえるよ
でもねずみ捕らえるから好きな訳じゃないんだからね、
単に先帝に貰ったから世話してるだけなんだから勘違いしないでよね!

全く日本のツンデレ文化ってのは根が深くて困る

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 17:52:35 ID:qP6kmNT5
そんな所で猫飼ったら柱とか古文書で爪研ぎしそうな気がするが。

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 19:03:44 ID:gFij+Q+a
>>172
  ∧,,∧
  (,,・∀・)
~(_u,uノ  こいつらティッシュとかめちゃくちゃにするよね

手這坂合戦の後日談

2010年09月06日 00:00

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/04(土) 23:30:42 ID:BHBgJwmz
手這坂合戦の後日談

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3299.htmlの手這(手葉井)坂合戦で、小田家執権・
信太範宗の諫言を無視した小田守治とバカ息子の尻馬に乗った小田氏治は、テンプレ通りの負け戦
に終わった。
簡単に振り返ると目先の梶原政景憎さで周りが見えない守治に対して、「このまま対陣していては
挟み討ちにあうから小田城に帰還しましょう。」という範宗の諫言に対して
「うるさい。政景の首を見ず引き返しては小田は笑い者になる。梶原ごとき小敵相手に軍法知略は
無用である。」「むむ実に頼もしき息子じゃ。」と見事に無視されたのであった。

信太範宗は「守治公では小田家の社稷を保つ器量はない」と腹心に語り、病気療養と称して居城で
ある土浦城に引きこもってしまった。
小田家と言えばみんな大好き菅谷氏が有名だが、信太氏は小田家家臣では執権を務める筆頭家格で
それだけに小田家にとって深刻な問題となった。

一方、引きこもりの範宗に対して「逆意あり」と考えた氏治は菅谷政貞に範宗征伐を命じた。
しかし、「謀反の証拠もないのに兵を差し向けるのは性急に過ぎる。ここで内紛に明け暮れていて
は佐竹の思う壺でしょう。」と難色を示す政貞に氏治は策を授けた。
「そういえば、ワシは小田城を取られるたびに藤沢城に転進しているが、この藤沢城って実は要害
とはいえないんだよな。それに引き換え範宗の居城である土浦城は要害だからあの城を拠点にしたい。
範宗にこう伝えよ。『謀反の意思がない証拠に土浦と藤沢のトレードに応じろ』とな。」
早速使者が土浦城に送られるが、
「手這坂の合戦以降病気療養中である。謀反の気持ちは寸分もないが、先祖伝来の土浦城を譲る気
はまったくない。」と返事がきた。

「もういい。き奴の逆意は明らかだ。信太範宗を討つ手筈を政貞に任せる。」
さっそく策を練った政貞は、氏治にいつわりの無礼を働き氏治は政貞に蟄居を命じた。
いつわりの蟄居を命じられた政貞は、
「氏治公は武運を傾ける大将であのバカ殿に仕えるのは愛想が尽きた。しかし、菅谷単独では小田家
に太刀打ちできない。そこで、信太殿もそれがしの謀反に加盟して頂きたい。」と範宗に使者を送った。
それに対して範宗はあっさりと応じ、「ともかく二人で謀反の密談をしたい。」というはこびとなった。
二人は月見の宴にかこつけて密談を交わし、その後酒をたらふく飲ませて泥酔した信太範宗は政貞自ら
の手で惨殺された。永禄13年(1570年)の出来事であった。
その後、土浦城を急襲した菅谷家が信太家の領土を併呑することとなった。

時は流れて30年後。
常陸国筑波郡手子生村に「信田八幡」が建立され、毎年8月には祭礼を行われた。当時の手子生領主・
菅谷範政が(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1178.html信太範宗を鎮魂するために
建立したという。




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 08:46:54 ID:Jc0Yaxml
>>767
菅谷さんの先祖はもともと菅谷原の僧侶で、「この坊主は機転が利きます」といって還俗のうえ主君に推挙
したのが信太さん。
そして、菅谷氏が台頭するまでの天庵様の転進先は信太さんの居城だったな。

最後の小田城落城

2010年09月04日 00:00

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 17:58:27 ID:78+dxaM6
最後の小田城落城

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4588.htmlにあるように、
元亀3年の大みそかの宴会でぐでんぐでんになったところを太田資正・真壁氏幹らに強襲され、正月
そうそうに落城の憂き目をみた小田氏治はこのままでは終わる男ではなかった。

同年の2月、記録的な大雪に見舞われた小田城にひたひたと迫る軍勢の姿。
坂東武士のハルウララもとい坂東武士の不死鳥こと小田氏治の手勢であった。そして、大雪の日に攻め
てくることがないとすっかり油断していた小田城の佐竹番衆から見事小田城を奪還した。
しかし、氏治はこの程度の手柄では満足しない。
「真壁のヤロー、小田家恒例の年越し連歌会を台無しにしやがって。これより真壁領に攻め込むぞ!」
同年の4月17日、小田軍4000人は真壁領に侵攻し乙幡村に放火、狼藉を行った。

「さては小田軍が攻めてきたのか!」乙幡村の一里先にある柿岡城主・梶原政景は、小田軍の侵攻を舅
真壁氏幹に知らせるとともに実父の片野城主・太田資正に援軍を要請した。
ほどなく資正勢が駆けつけ政景勢と合流し乙幡村で小田軍を迎え撃つも、寡勢の太田勢のみでは4000人
の小田軍とは勝負にならず、村内の古屋敷に立て籠もっては屋敷を出、出ては屋敷に引っ込みと、真壁
軍が駆け付けるまで時間稼ぎをすることになった。

とそこに真壁軍が乙幡村に迫ってきた。
しかし真壁軍の姿を見た小田氏治は不敵に笑う。
「さては太田勢はおとりで本体は真壁軍であったか。幸いにもこの村は三方を山に囲まれ伏兵を隠すに
は絶好の場所だわい。屋敷の太田勢はこのまま捨て置き、我等は伏兵となり真壁軍を待ち伏せるぞ!」

一方、到着した真壁氏幹は村の地形を見るや
「氏治の稚拙な用兵見破ったり。さては氏治の本陣はあの方角にあろう。者ども、伏兵はスルーして氏治
の本陣めがけて弓・鉄砲を喰らわせてやるがよい!」
と言い放つや氏治の本陣目がけて一斉射撃を加えた。

本陣をかく乱された小田軍は伏兵もろとも蜘蛛の子を散らすように四里先の小田城目掛けて逃げ帰る。
「父上、真壁殿の援軍が間に合ったようです。我等も屋敷を出て小田軍を追撃しましょう!」
「政景よ。ワシによい考えがある。小田軍に並走して小田城に向かうぞ。だが、決して小田軍に手出し
は無用ぞ。」と太田資正は家臣にある秘策を授けた。
そして、潰走する小田軍を追撃せずに併進するように太田勢がピタリと付き、やがて小田城に迫った。

「開門!氏治様のご帰還なり。」「われらは藤沢衆じゃ、門を開けてくれ。」城の前で叫ぶ小田軍の口上
を聞いた資正は、太田勢にその口上をマネさせたのだ。
そして、味方と勘違いした小田城の守備兵は敵の太田勢をうかうかと城内に招き入れてしまった。
「太田の旗印を城中に掲げよ!」
太田の旗印を見た小田城の守備兵は「すわ落城か!」とすっかり浮き足だって脱走しだした。

小田氏治はこの有様の前になすすべがなく藤沢城に落ち延びた。
それ以降小田家の旗がこの城にたなびくことはなかったという。




751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 18:21:32 ID:z4aHoJPt
生兵法はっていうか正直俺らがタイムスリップして敵の軍師やっても見破れそうなほどの軍略って言うか…w

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 18:38:56 ID:Oa22tC2X
俺は小田さんに勝てる自信が無い。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 20:10:56 ID:UJ/Cwfnw
無策という訳ではないんだよな、いつも何かしら考えては自爆する。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 20:12:59 ID:NRU7bMrH
小田さんがダメな子なのか、相手の太田さんがすごいだけなのか…
太田資正も北条相手に引かずに戦い抜いた、何気に凄い人だし

755 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/03(金) 22:01:18 ID:ZokKapK/
カメレオンで言えばニーヤみたいだな。
負けても負けても全然戦意喪失しないで、いつもやる気十分。

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:17:10 ID:qEj6m2xX
小田さん「消えろぶっとばされんうちにな」

雑談・いい加減に信長・秀吉・家康を持ちだすのをやめて

2010年08月02日 00:00

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 13:28:58 ID:8ctO+9x0
【戦国武将に学ぶシンポ カギは「へこたれなさ」】
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100801/acd1008010929004-n1.htm

いい加減に信長・秀吉・家康を持ちだすのをやめて
天庵様を語ればいいと思うんだ


454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 14:04:37 ID:ib3TxPH6
>現代社会の私たちが学ぶことはたくさんあるが、やめないこと、へこたれないこと、あきらめないことに尽きる
確かに天庵様の生き様だな。
つまりは現代社会の我々も報われないという事か

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 15:21:16 ID:6n47bKAa
なぜかこんなのを思いついた


(全員パート)
負けないこと、投げ出さないこと
逃げ出さないこと、信じ抜くこと
駄目になりそうな時、それが一番大事

(氏治パート)
高価な墓石を立てるより、安くても生きてる方が素晴らしい
ここに居るだけで、傷ついている家臣領民はいるけど
さんざん我侭言ったあと、あなた(家臣領民)への想いは変わらないけど
見えてる優しさに、時折負けそうになる

(家臣領民パート)
ここにあなた(氏治)が、いないのが淋しいのじゃなくて
ここにあなたが、いないと思うことが、淋しい
OH OH-
でも

(全員パート)
負けないこと、投げ出さないこと
逃げ出さないこと、信じ抜くこと
涙見せてもいいよ、それを忘れなければ

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 16:48:38 ID:Y6+hSr/y
>>453
しかしあの人はゴキブリホイホイにでも引っ掛かりそうだが

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 23:14:34 ID:Ox3hDn24
がんばれ氏治!

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 23:17:01 ID:n/i3YZws
>>458
天庵様を呼び捨てにするとは!w

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 23:17:12 ID:WEOKYwu8
いい話・悪い話スレで明後日の方向でブレイクしたのは鮭様と天庵様でよかですか?

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 23:40:11 ID:IT0N1r+U
百戦して百勝するは善に非ず


466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 08:50:48 ID:4JXv96A8
>>453
本人の持って生まれたもの(戦闘能力や尻)
で10万石もよくある話なのにな。

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 09:16:13 ID:3kZt0uFF
教訓?

現代に支えてくれる菅谷さんはいない

以上。

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:10:37 ID:Vu1SqSb8
>>466
20万石なのに有馬家の影の薄さは異常

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 13:02:23 ID:/jOzsa/E
猫の祟りのせい

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 13:35:29 ID:3exc54Jm
有馬家は水天宮を遺した

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 13:57:23 ID:V0RMj5dL
>>469
小田氏治「やはりネコを可愛がっていれば百戦百勝だな」

小田軍記「氏治公は名将であった」

2010年07月07日 00:00

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 20:33:28 ID:oSav35C7
『小田軍記』梶原・真壁・北條謀反のこと、に、このような記述がある

「讃岐守小田天庵氏治公の旗下、真壁の城主、安芸守入道道夢という者あり。
真壁新七郎義成が一子(略)

しかるに、佐竹義宣公より、真壁入道を語らい、小田天庵を退治の内通有り。
真壁入道は義宣公と一味して、何卒氏治を亡ぼさんと、昼夜、心を砕けども、
氏治、名将たるにより叶わず。」

なんと、『氏治が名将なのでとても手を出せませんでした』と書いてあるのだ。

小田軍記が氏治を主人公にしたものだから贔屓でそう書いたのだ、という意見もあるだろう。
が、この小田軍記の中で氏治はほとんど(史実のように)負けっぱなしなのである。
これで名将呼ばわりは無理がないか?と思うのだが、この小田軍記

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2987.html

この逸話から始まっており、すなわちこの著者の主張としては

「氏治は元々名将だったのに、頭白義宣上人を憤死させ、その報いで名将じゃなくなったんだよ!」
「Ω ΩΩ< な、なんだってー!!」

と、言いたいらしいのだ。
僕らのアイドル小田天庵様の神がかり的な負け運は偉いお坊さんを死ぬほど怒らせたせいだった!
という小田軍記の主張についてのお話。




743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 20:52:59 ID:oq9A4BAC
史実では真壁が小田さんに属してた時期ってあったっけ?
何で配下にされちゃったんだろう?

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 21:13:31 ID:j+GQNW1j
もともと真壁は小田方で、弘治年間に佐竹方に鞍替え

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 21:17:15 ID:sfVUkjWX
小田政治が死んだらこの有様だよ!って感じ

小田氏治はウザイから

2010年06月06日 00:01

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 23:20:34 ID:Nb9c0YxJ
遅レスだが>>181解答:ウザいから

弘治2年(1556)、結城政勝は周辺の豪族の協力を得て、小田氏配下の海老島城主・平塚氏を攻めた。
小田氏治は、これを救援すべく兵を出し、両者は海老島城下で対峙した。

小田氏治「くそぅ結城め、一人では動けんのか?わしがいったい何をした!」
菅谷政貞「去年、結城さんが小田原へ挨拶に行ってる空き巣狙って攻めたから、じゃないスか?撃退されましたが。」

結城方は政勝の長男・明朝が先陣を切り、これに配下の水谷・多賀谷氏などが続き、火の出るように攻め立てたが、
戦場たる海老島は沼地であり、思うように小田方へ斬り込むことが出来ない。

氏治「よーし、このまま支え切れば勝てる!」
菅谷「ご注進!結城方に北条家から、江戸衆が援軍に駆けつけました!その数、数百!」
氏治「ふん、今さら数百ばかり増えたところで
・・・・・・江戸衆?」

(^^)「こんにちは、太田源六です。」

北条家中きっての荒武者・太田源六康資が、退き時を誤った小田方に自慢の鉄棒を振るうと、戦況は一変。
欲が仇となった氏治は敗走し、結城方は485の首を挙げ、勢いに乗って小田城まで攻め込んだ。

氏治「くっそー!あと一歩というところで・・・」
菅谷「いいから、逃げることに集中してください!小田城も陥ちたようです。私の土浦城へ逃げましょう。」
氏治「うむ・・・しかし海老島の、あの沼地の多い地形は何かの時に使えるな。考えておこう。」


考えた結果がこれだよ!http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4003.html
それはさておき
スキあらば狙ってくるわ、失敗しても教訓にし(たつもりになっ)て再三復活と、わりと本気でウザかったのでは・・・




234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 23:24:29 ID:NYo2pK/r
>>233
485の首って・・・
小田さんちが動員できるのって2000人くらいじゃないのかな?
ほとんど全滅じゃんw

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 23:36:41 ID:HFSGy9U0
このウザさ、学習したつもりで学習してないで繰り返すやり方…

ああ、ハエジャパンだ
さすが小田さん時代を500年先取りしてたのか

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 23:37:33 ID:kmuZ6X5B
よくもまぁ見捨てないで戦えるなw

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 23:57:43 ID:QIAvCf2T
>>233
いや、ボコボコになるまで狙われる理由はまさにそれなんだけど、
どっちかというとどうやったらそこまで負けられるのかが(ry

かなり戦力の減ってた手這坂の頃ですら、
小田と岡見あわせたら四千ぐらいの兵力で佐竹にそうそう劣るもんじゃなかったのに……

岡見も単独じゃ格下のはずの多賀谷に負け続けてて、これはあれか、やっぱり小田一族だからなのか

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 00:25:10 ID:qqTm6WXW
海老島www
思いっきり地元だよ!!www

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 00:29:39 ID:owuXJOwb
この天庵の首を何度取り損ねたら気が済むのか、愚か者共めがwww

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 01:32:23 ID:yV2vQrq7
これから天庵様はゴキブリ師匠と呼ばせてもらおう

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 01:34:32 ID:azVETluH
小田と少弐・・・どうして差がついたのか戦死率、人望の違い

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 05:12:53 ID:hwOgwjQP
思わぬところに化け物(太田康資)が現れるものなんだな

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 06:37:49 ID:ECZeJtcj
>>243
トップの粘り強さと周りの優しさの違い
少弐の周りには落ち目の家を放っておく優しいやつはいなかった

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 07:28:22 ID:quXTPfGS
>>233
小田ウザ治ってか

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 07:53:10 ID:DoW+ymPB
知れば知るほど菅谷さんって
突き抜けたドMだったんじゃないかという疑惑が

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 10:30:59 ID:AaHQbu9p
昔ハンターハンターの富樫が書いたマンガでレベルEてのがあったけど
その中に出てくる天才の宇宙人王子がその明晰な頭脳でやろうとしていたことが
「いかにして支持率を下げずに民衆を苦しめるか」ということ

小田さんならできる気が、いや、むしろやっていた気がする今日この頃

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 10:59:12 ID:T6/PQd1M
小田さんは狙ってるんじゃなく素の行動だからな・・・
常に我々の予想の斜め上をいくのが小田さん

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 12:16:08 ID:LFtlZspF
小田さんは領民や国人に慕われていたというから
佐竹は反感を買わないようあえて殺さなかったのかもしれん
攻めてきても小田キラー太田親子のシュッとひと噴き!で撃退できるし

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 12:43:18 ID:yV2vQrq7
外道大関さんも「完膚なきまで叩きのめしてしまってはバランスが崩れる」みたいな事言ってたしね

252 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/05(土) 13:37:21 ID:udsHWskI
小田さんはなんとなく天然キャラなんだなと今更ながら思った。

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 14:20:52 ID:5nDm9+vT
北関東の ほうそくが みだれる!

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 14:24:19 ID:i+7rVviq
山中鹿之助と小田さん、どうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 17:20:28 ID:AaHQbu9p
>>254
それなら
尼子と小田どうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い

山中と菅谷どうして差がついたのか・・・慢心、M度の違い
になると思う

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 17:46:38 ID:rwl/zgV+
>>257
いや、鹿之助はマゾな家臣ではあるが
不屈の闘志を比べるなら小田氏治とだろう

雑談・小田さんは・・・

2010年05月03日 00:05

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 19:09:57 ID:JJt5EVHp
小田さんは・・・

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 22:29:03 ID:zwov4o+D
小田さんは再起動するたびにメモリの内容が消えますから

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 22:43:36 ID:dmKDIR/2
小田さんは生きているだけで勝ち組

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 22:47:54 ID:3R/k0SpO
氏治「佐竹ではなくて今度は水谷や多賀谷を攻めよう!」


結果は聞くな

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 00:14:18 ID:lEWK71az
あんなに連戦連敗なのに、何故か負け組な気がしない小田さん

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 06:03:22 ID:lBycEbR8
小田さんは葉っぱ一枚あればいい

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 12:38:26 ID:womw4dSr
オレの中で失敗を失敗と思ってなさそうな戦国武将といえば
なぜか小田さんと宗茂さんが思う浮かぶんだが

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 12:41:26 ID:twST+N9y
小田さんの粘り強さは異常

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 12:53:31 ID:QlCeBuBg
>>700
戦績は対極だけどね

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 13:56:43 ID:77POgycU
宗茂「粘り強く戦えば活路が開ける」
氏治「粘り強く戦えば活路が開ける」

同じことを言っててもぜんぜん意味が(ry

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 14:52:20 ID:58h+lb8Y
>>703
意味というか、信頼度というかだなw
前者は頼もしい発言だが、後者はもうだめだって気分になるw

小田氏治、藤沢・土浦城防衛戦

2010年05月03日 00:04

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 17:18:35 ID:ixboUWIw
おまいらホント小田さん好きだな


天正元年(1573)、小田城最後の落城。以後、小田氏はその名を冠する城に帰ることなく終わる。

いや、それどころか闘争心冷めやらぬ梶原政景は同年、乗っ取った小田城を拠点に、菅谷氏の篭る土浦城と、
小田氏治の逃げ込んだ藤沢城を攻める気配すら見せていた。
これに対抗すべく小田方は、ショックの抜けない氏治を置いて、嫡男・守治を総大将に、梶原方を鳥出台で迎え撃った。

(つくば市小田から、土浦市藤沢に攻めてくる軍を、なんで取手で迎撃するんだ?とか聞いてはいけない。
「小田軍記」にそう書いてあるんだから。)

「小田方に迎撃の用意あり」の報を聞いても、政景は狂歌を詠む余裕すら見せた。

「 敵の首 取りでの台と 聞くからに 今日のいくさに 我は梶原(勝ち原) 」


http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3069.htmlと言ったgdgdを見せつつも、
後が無い小田勢は、大将の守治以下必死に戦い、ついに藤沢・土浦両城を守り抜き、政景は兵を退いた。
引き退く梶原方に、小田配下の小幡道三の家臣が、罵声と政景の狂歌への返歌を送った。

「 敵の首 取りでの台と 聞きけるが 「ひけを取りて」と なりにけるかな 」

さすがの政景も何も答えることが出来ず、頭を掻いて先の狂歌を後悔したという。





翌月、本気になった鬼義重みずから攻めて来て、藤沢・土浦ほか諸城をぶっこ抜かれたのはナイショだ。





706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 17:57:46 ID:zxl8CeIO
女子高生に「か~わい~い!v」と撫でくり回される三頭身の小田さん

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 17:46:20 ID:N0oH0tjb
撫で斬りされるって読み間違えちゃったぜ・・・

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 18:33:19 ID:pG+T4xTK
「これでも負け続ける戦いは得意でね」
「だからこそ小田家は小田家でいられるんです」

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 18:40:01 ID:9eYxSdmT
W厨自重w

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 20:02:24 ID:KXhGR+Y9
このスレ見てると
ゲームで小田さん捕らえても、つい放流したくなるな

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 20:06:58 ID:9idPBZyG
太閤立志伝なら、そんな小田さんを支える素敵な仕事ができます!


712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 20:23:32 ID:D1CNF92r
>>710
放流して再度敵として来てもぶっちゃけ敵じゃないしw
菅谷さんさえ抑えちゃえばおk

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 20:49:19 ID:j3ey1ljL
>>708
戦国時代に強者などいない。大名全てが弱者なんだ……か

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 21:01:27 ID:Xg4/ej6C
太閤立志伝で小田さんを家臣にすることが何度かあったが、
正直ほとんど役にたた…いやなんでもない

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 21:39:54 ID:wCPNMfvb
>>714
戦国のマスコットにそれ以上の役目を求めてはいけない

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 22:01:59 ID:Iqhoa4bQ
野望で小田さんが家臣になったと思ったらすぐに出奔したことある(佐竹プレイ中)

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 22:56:27 ID:rhove58Y
小田さんに有能な家臣を紹介します
つ外道三兄弟


718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 23:14:54 ID:HJu0whed
外道三兄弟は仲間の中で有能なのも殺す諸刃の剣

要するに菅谷さんが危ない

我らの小田”フェニックス”氏治は意外と風雅人で

2010年04月26日 00:10

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 14:08:58 ID:t96VY1Ok
天庵主従のちょっといい話。

我らの小田”フェニックス”氏治は意外と風雅人で、
たとえばこんな歌を詠んでいる。

「うき事はよのならはしとつゝみても袖にもりくる我涙かな」
「身を捨てゝおのが心にかくれなん心の奥とてうきはいとはじ」


そんな彼に野長瀬入道鈍斎という家臣がいた。
あるとき鈍斎は主の甲冑を身につけて戦うことになった。
その際に氏治と交わした歌が残っている。

鈍斎「君がため今ぬきかへる衣手を後の世までのかたみとぞ見る」
氏治「わがために替る衣は薄くとも契りて朽ちし後の世までも」

やがて鈍斎は氏治の身代わりとなって土浦で討死した。




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 14:21:52 ID:Zbsz1Epr
家康の身代わりで討たれる→名誉の戦死

氏治の身代わりで討たれる→完全に犬死・・・


554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 14:26:04 ID:t96VY1Ok
>>553
つか、最初から身代わりで死ぬつもりで
氏治の甲冑着たらしいです。
言葉足らずですまん。

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 14:32:01 ID:huEyn0UU
野長瀬鈍斎って源平合戦で源氏なのに平家につき、南北朝でひたすら南朝につくした
近露の野長瀬氏と関係あるんだろうか?

この報われなさは通じるものがあると思うんだ

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 14:32:04 ID:2h+iFDNG
最初から負け戦前提なのかよwww

関東のスカッとする話、小田氏治、いつもながら

2010年04月14日 01:11

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 10:58:17 ID:WQU+MyPO
こういう時は関東のスカッとする話を

永禄7年(1564)1月、うっかり小田原北条家と結んだ小田氏治に対し激怒した佐竹義昭は、上州で獲物を求めて
越年していた軍神を召喚した。
八千の兵を率いて常陸小田領内の山王堂に陣取り、佐竹・宇都宮・多賀谷ら馳せ参じた関東諸将を前に、
「この辺りに骨のある侍は、おるか!」と、いつも通りの関東管領・上杉輝虎。

「この先の海老ヶ島城に、平塚自省入道という小田配下の者がおります。三浦党の末裔を名乗るしぶとい武士、
夜討ちでもされたら危のうございます。ご用心下さい。」と忠告する諸将に対し、
「むしろ、こちらから朝駆けして首を取ってやるところよ。向こうから夜討ちをかけて来るなら、それこそ天の助け。
なで斬りにして、死人の山を築いてくれよう。」と答えてカラカラ笑う輝虎に、諸将は身の毛のよだつ思いがした。

しかし小田方からの夜討ちは無く、輝虎のもとに急報が入ったのは翌朝になってからだった。
「申し上げます!小田氏治みずから・・・」「みずから奇襲か、なかなかやるな!よし、わしの馬を引けい!」
「いえ、みずからやって来たのですが、わが軍の手前で留まり、川を背に陣を構えております。」

( ゚д゚) ?!

氏治「がはは、実は山王堂は以前に戦を経験しており、土地勘があるのだ!川を背にしても、手前は深い泥田。
上杉軍が足を取られたところを、つるべ撃ちにしてくれるわ!」
菅谷政貞「以前の戦・・・って、結城さんにボッコボコにされて土浦に逃げた戦ですよね?」

戦が始まると上杉軍は、『策など要らぬ』とばかりに、小田陣目がけて突っ込んで来た。
「よーし動くな、引きつけよ!泥田にはまり、止まったところで・・・」

止まらない。止まらない。ぜんぜん止まらない。
「え?なに?どういうことなの・・・」
「上杉軍のほうが先に陣取ってるんですよ?地形を調べて、通れる場所を探ってあるんです。」
「そんな・・・・・・す、菅えもーん!」
「仕方ないなぁ、うじ太くんは・・・ジャジャーン『決死の殿軍』!覚悟完了したウチの息子が、身代わりになって
死んでくれるよ!」「ちょ、おま」

こうして勢いの乗った上杉に海老ヶ島城・小田城を奪われるも、菅谷政貞の子・彦次郎政頼らの犠牲により、
氏治は逃げ延びることが出来た。(政頼は数年後の太田三楽との戦いで戦死した説もあり)

が、この後七、八回ぐらい似たようなことを繰り返す天庵様でした。




118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 11:09:57 ID:ymKGJ89c
いつもながら弱えw

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 11:24:59 ID:TYdAm1Jl
>>117
面白いがスカッとはしないよw

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 11:28:10 ID:f6P0DNlp
待て待て、ここは軍神様相手に正面から挑んだことを賞賛するべきだろ

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 11:57:27 ID:TQXmP3U4
うむ
小気味良いほどの毎度の小田さんクオリティにスカっとした

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 12:02:25 ID:oPtAijVy
ここまで綺麗に負ける人も珍しいなw

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 12:26:16 ID:nyw00BbS

夢の対決 上杉謙信VS小田氏治w

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 12:46:56 ID:tYnfik30
こんな無茶苦茶な戦いの先鋒命じられたあげく息子を失った菅谷さんの忠義は一体どこから沸いて来るんだw
[ 続きを読む ]

小田氏治、謀臣・天羽源鉄斎の遺言をブッチして…

2010年03月15日 00:03

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:27:24 ID:KrG/XTc4
久しぶりにまとめ管理人氏…じゃねぇ、天庵様いってみるか

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.htmlの三の通り、小田氏治は謀臣・天羽源鉄斎の
遺言をブッチして佐竹軍との野戦に臨んだ。当然、重臣の江戸山城守が必死に止めた。

「なりませんぞ、お屋形様!」
「なぜだ?佐竹の戦法なんぞ、さんざん戦って見切ったわ。恐れるに足りん!」
「敵は多勢、味方は無勢。それを平地で討とうなどと、源鉄斎殿の遺言を思い出して下さい!」
「耳にタコだわい。篭城戦ばかりでは負けも無いが、勝ちも無い。それに、今回はあの三楽斎の息子が
佐竹軍にいるとか。今こそ運を天に任せ一戦し、先の恨みを晴らす時ぞ!」
「で…ですが、わざわざ負けと決まったような戦を……」
「くどい、それでも武士か!?勝敗は時の運、敗れるとも恥辱に非ず。不満なら、お前は一人で
篭城しておれ。わしは出るぞ!!」氏治は一千の兵を率い、出陣した。

同じく佐竹軍一千の大将は、梶原政景・太田資武兄弟であった。
「兄者、我らが陣形はいかが致そう。」「まず我ら兄弟が二百を率い、敵をおびき出す。」
「それは、“我ら”を“主力”と思わせる、という事か?」
「その通り。我らを小勢と侮らせ、“残り”は伏せて置く。」「ふっ、我ら二百は苦戦せねばなるまいの。」

政景の思惑通り、小田軍六百ほどが二百の兵に殺到して来た。政景は寡兵を縦横無尽に操り
応戦したが、やがて限界が訪れようとした。「それっ!梶原討たすな!」
待機していた佐竹軍八百が駆けつけ、さらに混戦となったが、
「今こそ総掛かりの時!根切りにせよ!!」
氏治の号令のもと、小田全軍が総攻撃を開始した。日頃の恨みを晴らすべく小田衆は奮戦し、梶原を
追い詰めるかに見えたその時、

「  三  楽  参  上  。  」
佐竹の“残り”の“主力”二千が現れ、形勢は一気に逆転した。

「…え?なに?どういうことなの……」
「どういう事も何もありません。佐竹軍が一千だけなハズないでしょ。とっとと逃げて下さい。」
氏治は重臣の江戸山城と大藤小太郎が討ち死にという多大な犠牲を払い、やっと居城に逃げ込んだ。




277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:36:32 ID:oeIWhWdE
さすが小田さんだなw

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:52:32 ID:6ma/p74f
気持ちのいいぐらいの負けっぷり、さすがです

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:56:20 ID:3LuqiqZk
惜しいな・・
天庵様が軍師であれば、献策をすべて逆に実行するだけで常勝なのに

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:58:15 ID:4GhVcNrq
つーか止めた江戸山城が殿務めたんだろうけど死んでるじゃねーか!

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 21:04:26 ID:lRBMqJUJ
>.276
これの二の時も先鋒を命じた家臣に切々と諌められるのを振り切って出撃したんだよな。

そして先鋒の将が予測した通り、苦戦&これも予測通りの別働隊の小田城攻め。
結局先鋒の将が退き口で力尽きるまで奮戦してる間に逃げ延びたんだよなw

そんなのがあっても同じ事する小田さんさすがですw

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 21:37:17 ID:0Wd8rZV0
小田は何度も同じ失敗を繰り返しているが、
何度も復活している、ということは、
敵も同じ失敗を何度も繰り返しているということだな。

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 21:45:21 ID:gIaXg5e+
>>283
ほらアレだ。ゴジラやエイリアンは何度ぶっ殺しても復活してくるじゃん。

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 22:39:09 ID:RwUJivSN
「あの小田氏治が最後の一人とは思えない…」

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 22:47:57 ID:X/wsM+Aj
小田氏治を一匹見たら(ry

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 23:09:32 ID:b0y9jcNS
小田さんはGなのかよwww

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 23:31:38 ID:vBlF9reM
「小田氏治は滅びんよ! 何度でも(ry

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 23:54:44 ID:6ma/p74f
佐竹から見ればそりゃ潰しても潰しても部屋の影から出くるGのようなもんよ

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 23:59:38 ID:L0JH+5dC
毎回毎回ホイホイに引っかかってるハズなのに死なないのはどういうわけだ…

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 00:12:22 ID:BIdQ1baA
Gは死ぬときに卵をばらまくらしい

小田氏治公、小田城を取られた顛末

2009年12月10日 00:13

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 20:34:40 ID:9s+4fu+k
ずっと規制されててやっと書き込めた
もう氏治様の話はないのかな?



888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 22:51:53 ID:HMi3oHHd
>>885
では氏治公が、小田城を取られた顛末

永禄十二年(1569)、小田氏治配下となっていた太田三楽、および梶原景国が
氏治に緊急の注進をした

「上曾氏俊、小幡道三が逆心を企てています!一刻も早く出陣を!」

当然、嘘である。それどころかこの太田、梶原の両人こそ佐竹に寝返っており、
上曾、小幡は彼らから寝返りを誘われたが、断った者たちだったのだ。
「彼らの口から、自分達の寝返りが発覚しないうちに!」
太田、梶原の謀略が始まる。

さて、我らが氏治公、太田梶原の言葉にまんまと乗せられ、小田城を出て
上曾、小幡退治の兵を出した。上曾、小幡両名からは使者が来て、「寝返りなどもってのほか、
何者かの讒言でござる!」と申し開きをするものの、氏治は納得せず、彼らへの攻撃を始めた。
その時である、
太田、梶原の軍、味方であるはずの小田勢に攻撃を仕掛けたのだ。

これに小田方は激怒。小田家家臣の川相源五郎は梶原に
「氏治公は八幡太郎義家公からの源氏の嫡流である!それを、源氏の執権である
梶原景政の子孫であるお主が裏切るとは何事か!
この逆心の企て、天罰逃れがたいと思え!」

と、罵声を浴びせ、これから両軍入り乱れての乱戦となった。

夕暮れの迫る頃、小田家家臣の信田重成はこう進言した
「両軍とも戦いに疲れ果てています。もはや夕刻でもありますし、ここは小田城へと
引き上げるべきだと考えます。今、小田城は留守の者少なく、何か事が起こっても対処できません。
夜陣を張るくらいなら、ご帰城なさるべきです。」

しかしこれに、氏治の嫡男守治が

「梶原のやつの首を見るまで、城になど帰れるか!だいたいこちらが圧倒的に大軍なのだ!
これで城に帰っては恥である!」

と、拒否。しかし決着は付かず、日が暮れると双方引き、小田軍は手葉井山に夜陣を敷いた。


さて、その夜、未だあけきらぬ頃
小田城に軍勢が攻めかかった。太田、梶原と連携した、北條氏高、真壁道夢の部隊である。
兵も殆どいないこの城、多少の抵抗を試みたもののたちまち乗っ取られてしまった。

小田落城。氏治はこれを聞くと慌てて奪い返すため引き返そうとしたが、菅谷正光より
「そのような事をすれば太田、梶原の軍勢と挟み撃ちにされるだけです!」と反対され、
仕方なく菅谷の居城、藤沢城へと落ちていった、とのことである。

これくらい見事に引っかかってくれれば、策謀をする方にもやり応えがあるだろうな、
と思うほどの氏治公なのであった。




889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 23:20:27 ID:9s+4fu+k
>>888
ありがとう、ありがとう

小田氏治って前々から佐竹に負けまくって段々と領土が小さくなってきてるのに
よく殺されずにすんでるなと、なんとなく不思議に思ってたけど掘り下げてみると面白いね
農民も侵略してきた佐竹には年貢を納めずに小田にだけ収めてたってあたり
ここまで領民に慕われてた大名っていないんじゃないかとさえ思えるし
なんなんだ 一体
人間的な魅力に溢れてた人かも知れんね

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 23:34:38 ID:U9mbTHTm
今でいうカリスマだけは溢れまくってたんだろうな
農民が侍を嫌いになる理由として戦が田畑をダメにする、というのは良く聞く文句だが氏治はどうなんだろ・・
田畑では戦わない、とかそういう精神を持ってたら面白いんだが

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 03:35:18 ID:96u4BgTO
ふじん(武人ではなく婦人)の仁をもった立派な御館さまよ

なんてな

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 09:15:22 ID:GbZwbwXH
それは「ふしん」と書くべきでは

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 11:35:00 ID:SMj/v7OW
まとめスレにコメントしときましたみてください-_-

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 11:59:24 ID:CfknTTwU
>>888
菅谷さんいつもお疲れ様です


908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:51:40 ID:mRe3rDPh
敵が策謀を仕掛ける

あっさり引っ掛かる

菅谷「それは敵の策謀ですぞ!」

無視

敗走及び小田城陥落

常にテンプレどおりな氏治様
そこに痺れる(ry


910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:58:32 ID:dQjRJRJq
>>908

「助けて菅エモン」

奪還

も追加だなw





関連
三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3298.html

雑談・小田氏治様が面白い理由

2009年12月10日 00:10

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:27:36 ID:SyWIBrUg
>>896
やっぱ氏治様は面白いな
なにもかも面白いように裏目に出るし、かなり危機的状況にあっても絶対に死なない
実際には知らない人だけどこのスレ見てるだけでも彼の人間的魅力に触れられたような気がするww

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:49:45 ID:J4xi8W0k
なんでなのかねぇ
多分、安定した時代だったら、

「おらが村のいい殿さん」

で通ってたんだろうなあ
生まれる時代を間違えちゃった感じがする


909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:55:03 ID:SyWIBrUg
その辺りが分からないよね
確かに小田氏が長らく統治した土地で領民が懐いてたっていうのはあるだろうけど
それ以上のものを感じるね 家臣団にしてもここまで普通は忠誠しないでしょ 戦国の世なんだからさ
もの凄く阿呆で放っとけないタイプだけど人情に厚い人だったのかなぁ
小田城に執着する辺りにヒントがありそうな気もする


911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 20:03:39 ID:jTkfly+u
朝比奈泰朝が討伐する度に何故か今川領が減ってくのと一緒だな

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 20:12:49 ID:wQax6Wet
茨城のあたりの人ってマゾ体質?

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 20:59:42 ID:J4xi8W0k
人国記だと、常陸の国の人間はムチャクチャ書かれてるなぁw

犯罪者だらけで、それを恥と思わない気風がある、とかもう散々。
常陸に全き人無しとまで書かれてる。

ただ、昨日の味方を今日の敵とするような気風は全くない、とある。

そこがもしかするとヒントになるかもしれない。

914 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/09(水) 21:05:26 ID:IoE/6BPx
基本的にだだっぴろい平野が続く豊かな土地で気候も良い
よって、男も女も苦労しらずのどら息子or娘タイプが多い
良く取れば裏表のない子供のような人が多い土地柄だよ、今でもねw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 21:10:25 ID:rgkyobkn
うちの殿さん10回くらい死んでてもおかしくね?
→何で生き延びてんだろ
→ヤバい何かが憑いてたりしねえ?
→じゃあ粗末に扱うとバチが当たるかもしれんのか
→なんか放っとけないしなあ

こんな感じだったりして

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 21:18:07 ID:SyWIBrUg
>>913
なるほど
なんか納得いった
だからこそ氏治様はそんな領民のいる本拠の小田城を取り返したかったのかも知れない
むしろ愛すべきは氏治様より常陸かも知れん

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 21:28:09 ID:U+9piukR
石高は常陸一国で結構あるしな
神話に登場する国譲りに抵抗した悪神アマツミカボシもあの辺りの神だし反骨精神は土地柄かもしれん
文化的にも中央と違ったのかもな

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 21:39:33 ID:VIsuXyu+
常陸は、平安中期成立の延喜式において「大国」に分類され、
しかも上総国、上野国と並んで親王任国。
とにかく格式において非常に高い地域だった。

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:04:33 ID:wQax6Wet
>>914
分かり易く言うとジャイアンみたいな人達?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:09:24 ID:cWi5fnnb
ジャイアンは奥州に一人いたような気がする

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:13:15 ID:wQax6Wet
>>920
なるほど
ジャイアン気質と佐竹は水と油なんだな

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:26:32 ID:tH1GnZx2
南北のジャイアンに挟まれた佐竹さん(´・ω・`) カワイソス

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 23:02:18 ID:lFH4b4uq
小田氏治を思う気持ち


ガキの頃のドリフで『志村うしろ~』と叫ぶも
まんまと引っ掛かる志村


あ~あ…志村バカだな~と言いつつ人気者


な感じか

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 00:41:55 ID:83LjCrxR
伝説の栗林義長が小田一族岡見氏の下に帰ってくるのって氏治が小田を追われてからだっけ?

常陸の仁義なき戦い

2009年11月27日 00:11

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:12:26 ID:mDgHM4e3
常陸の仁義なき戦い

それは些細なことから始まった。小田領府中の百姓と佐竹領小川の
百姓が争い、石礫の投げ合いで府中の百姓が一人死んでしまったのだ。
訴えをきいた小田氏治は面子にかけて報復せねばならぬと思った。

「佐竹のアホンダラが…おいお前、ちょっと行って小川の百姓を殺してこい」

この一言で小川の百姓が十数人殺された。この行為は佐竹側を
怒らせるには十分すぎる挑発であった。

「小田の野郎…うちの縄張りで好き勝手なことをしやがって。
この落としまえつけさせてやる」

対抗した佐竹側は府中の百姓数十人を殺害した。こうなると氏治も
後には引けない。

「そうかい、そっちがその気ならもう容赦しねぇぞ…構うこたぁねぇ!
小川の住人余さず撫で斬りじゃあ!!!」

氏治の命で出馬した五十騎は小川の百姓をみな殺しにしてしまった。
もはや泥沼、佐竹だって後には引けない。

「くっくっく、氏治めもう許さねぇぞ…野郎ども全面戦争じゃあ!!!」

ついに事件は武力衝突に発展、佐竹側は塩井大膳が、小田側は
菅谷政貞が出て小競り合いが始まった。結局、この仁義なき戦いは
小田側の菅谷が詫びを入れてやっと収まるのである。




605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:25:17 ID:7FiLlgLs
>>603
百姓、領民の保護は、戦国大名にとって最も大切な義務なんだよね。
これが出来ないと「頼みがたき殿」って事にされて、他国に逃散されちゃう。
だから自領の百姓が他領の領民に攻撃されたら、当然これに報復を返さないといけない。
戦国大名も難儀な商売ですわ。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:30:22 ID:5t3IDHVb
名門の貴公子のはずがヤクザの親玉にwww


614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 11:04:30 ID:LEXgusa9
>>603
うーん、小田さんは本当に地元民にとっちゃ地元の利益をすぐに代弁してくれるいい
領主だったのかもねい
単に負けず嫌いのプライドだけ高いお坊ちゃんではなかったのかも

小田氏治は智仁勇の三徳を備える

2009年11月24日 00:23

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 02:26:35 ID:XzE7mT1p
道灌の再来とも呼ばれた名将資正でバックに軍神と鬼が・・・
これで瞬殺されない氏治は名将ではないか?

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 08:22:32 ID:w59Gbmlw
>>502
名将かどうかはわからないけど、当時の人たちの評価を聞いてみたい
身内や敵側とか、だれか日記にでも書いてないかな




510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 10:39:25 ID:YDvqbEiK
>>504
当時とはとても言えないが、興味深いものを発見したので載せてみる。


茨城における戦国末期の合戦を記録したもので、
おそらく江戸時代にできた東源軍鑑(写し)という資料がある。
もっとも、文中で永禄元年と前置きしながら
佐竹の当主が義宣だったりとツッコミどころはあるが。

そこの一項目で、佐竹義宣小田天庵(氏治)確執之事という章がある。

四海大いに乱れ国土穏やかならず、
楽しいことも無く人々は餓えている、
なんとも浅ましい世の中だった…

という出だしで始まるわけだが、問題はその後。

この時代にあって、
佐竹義宣と小田氏治の二人は智仁勇の三徳を備えていた。
両虎であり、二龍であった。


ど う し て こ う な っ た 。




511 名前:504[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 11:15:29 ID:vkfgOXR8
>>510
虎と龍で知勇兼備wwwwwwwwww

地元の人が書いたのかな、ありがとうw

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 11:17:42 ID:/ddIaKoD
小田氏治が虎であり龍であったとか違和感が凄いw

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 11:32:22 ID:XzE7mT1p
>>504
記憶ですまないが直江兼続が古今東西大小問わず名将を上げろ言われて
大はもちろん謙信公で小は三楽斎以外に無しとか言ったとかなんたらかんたら。
地元のさいたま市は議会で岩槻城を築城したのは成田氏でなく太田道灌。
理由は有名人だからキリッ
なんか歴史捏造してないでもっと太田三楽斎を評価すべき。

516 名前:514[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:08:15 ID:XzE7mT1p
>>504のレスを勘違いしてた

>>510
ゴクリッ・・・

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:11:07 ID:9XbKkv2U
>>510
なんなんだ、その三國志演技のような書き出しはw

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:14:37 ID:U7Ibx9Io
上杉、北条、佐竹らに囲まれた戦国真っ只中の関東で戦い続けた男
不屈の闘将、小田氏治さんカッコイイ!

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:17:29 ID:fpT2gtDA
少なくとも江戸時代には小田氏治を敬愛の眼差しで見つめる人間が存在したというわけだな
そして更に現在、ネットの片隅とはいえその名前が語られる氏治

ここ数日の流れのせいで妙に好きになっちまった

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:22:05 ID:vkfgOXR8
氏真がなかまになりたそうにこちらをみている

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:26:05 ID:fpT2gtDA
>>520
氏真はさ、今川義元の息子でありながらああもさっぱり諦めちゃった潔さ良さが凄いんだよ
で、小田氏治は小田原攻めでゲームオーバーするまで決して諦めなかった
異常な執念深さが凄いわけで
この二人は共に武将としての才能が乏しいということ以外は真逆だと思うんだ
俺は二人とも好きだが

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:46:42 ID:kMnlZhAM
>>514
家臣誰もいないんだよね。w
忠臣団が必死の抵抗 or 小田城奪還する
ところが見たいのに…。

しかしこのスレでも人気が出てきたということは、
氏治様には天性の人気(じんき)があったん
だろうなぁ。

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:50:46 ID:gimmsbwK
人徳とガッツは正直かなわん

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 12:56:56 ID:9XbKkv2U
>>522
なに「のぼうの城」みたいなことを言ってるw
あれは色々と粗い小説だったな

525 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/23(月) 13:03:27 ID:jhImjQOs
関東八屋形は個性派揃いだもんな~。

[ 続きを読む ]

小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず

2009年11月22日 00:09

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:09:41 ID:+Q7cUxT+
小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず

一、手這山の戦直前

佐竹義重は小田氏討伐のため真壁道無を派兵した。そして佐竹勢は
「片野に旗を揚げれば氏治は出る」と考えて氏治を挑発した。小田の重臣、
菅谷政貞は怒る氏治を諌めた。

「出陣はいけません!どうかご再考を!」
「駄目だ」

かくして出陣した氏治は見事に惨敗した。家臣の信太伊勢守は
「強も捨てる処あり、弱も用いる処あり。若鳶天狗にならず」と絶望し
出仕しなくなったため逆心を疑われて氏治に成敗された。

二、手這山の戦

戦いのさなか、真壁勢を発見した氏治はこれを叩くため坂を登ろうとした。
しかし、家臣たちは何かがおかしいと感じていたのである。

「真壁勢があまりにも少なすぎます。おそらく本隊は筑波山をまわって
挟み撃ちにするつもりです。早く引き上げるとしましょう」
「駄目だ」

具申を退けた氏治であったが、真壁の鉄砲のために敗北し、筑波山をまわり
こんだ敵本隊と合流した部隊によって小田城を落とされてしまうのだった。

三、手子丸の戦

天正になると小田家の命運も尽き始めていた。そんな時に小田家の智将、
天羽源鉄斎が氏治に遺言を残して死去した。

「よろしいか殿、絶対に野戦はいけませぬぞ。篭城して後詰を待つのです。
考えてもみて下さい、我ら小国が大国とまともに戦えるはずがありません。
国力に差があるのに一人が一人と戦って勝てますか?しかし篭城なら一人で
二十人と戦えるのです。ですから常に守勢にお立ちになることが重要なのです」

天羽の死を見た佐竹は手子生城に出兵した。

「ついに佐竹が攻めてきました。ここは亡き源鉄斎殿に従い篭…」
「駄目だ」

天羽の遺言を無視して出陣した氏治であったが、佐竹に挟撃されて敗北。
氏治はほうほうの体で逃げ戻った。




409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:16:20 ID:hp9iF3FP
家臣はこいつのどこに惹かれて仕えていたんだw

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:17:37 ID:gtSsrHk+
>>408
なんでこれで人望あるんだろうなww
わかんねー

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:22:34 ID:1l2mm3HS
まあ、「源平以来の名家の当主」としての矜持を感じないでもないがw


412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:23:44 ID:PnUPVpKi
氏治本人になにかとてつもない魅力があったのか
それともあくまでも氏治本人ではなく「小田家」に忠を尽くしていたのか

前者だと思いたい俺は氏治に毒されてきたようだ


413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:26:31 ID:8PzckN6h
むしろ家臣が押し切られすぎだろ
黒田さんちのボロクソ苦言が必要だった

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:27:07 ID:MMg1Coy8
ここで氏治をネタ扱いしてる奴らも、いざ小田家の危機とあれば全国どこからでも駆けつけるんだろ?

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:44:39 ID:hp9iF3FP
>>414
ここにいるぞ!

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:57:08 ID:e63x8IoT
菅谷政貞 「あんな殿だからこそ」
天羽源鉄斎「我々が支えなければと…」

立花道雪 「あー、わかるわかる。」
高橋紹雲 「他人とは思えませんな…」

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:59:00 ID:fRiqtSZL
12/06(日)1030~ 1330~(同内容)
小田城址確認調査現地説明会

同日には真壁城址発掘調査現地説明会もあります。

興味があるかたはどうぞ。

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 23:27:41 ID:IQMeC2wu
>>408
戦の天才すぎるw
俺でもまだマシな采配が出来るんじゃないかと思えるくらいw

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 23:32:45 ID:LbAjErL5
>>408
このあふれでる決断力はどこから来るんだろうw

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 23:45:04 ID:7+VpcI3Y
氏治は劉備みたいなもんだろ

晩年の劉備みたいに他を圧倒するような謀臣や武将がおらんかった

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 23:55:20 ID:+Q7cUxT+
>>408
すいません。
最後から五行目の手子丸城は手子生城の間違いです。

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 00:15:53 ID:jyXk6zye
>>418
下二人の殿は、それなりに有能だろ。

私生活はあれだがw

426 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/21(土) 00:26:10 ID:aTJyDsrv
以前自分が読んだ光栄の武将本に上杉憲政は百戦百敗の武将と書いてあった覚えがあります。
もしかしたら小田氏治ばりの武勇伝もあるかも知れないね。誰かご存知ないだろうか・・・

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 00:36:57 ID:e9WL7EbM
俺が住んでる近くで死んだわ
最後は宿敵・北条の息子と一緒に、あの世逝くとは想像してなかったろうな

432 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/21(土) 11:38:40 ID:/eZCR66M
三楽ちゃんは伊達を出し抜いて蘆名へ佐竹義広を養子に送り込むのに成功したり
佐竹に内緒で直接に秀吉にレターしてたが、
佐竹も三楽ちゃんま~た内緒で勝手にやってるけど、三楽ちゃんならまあいいかってな感じだったな。
もっとも肝心な時に息子の梶原が北条に内通しちゃったりw
最晩年に小田原攻めの際に秀吉に「小田原城あまく見ちゃいけないんだから」って言って
不興を買っちゃった。

小田氏治、その特徴の発揮

2009年11月20日 00:25

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 03:52:14 ID:YtbKjVbz

永禄12年(1569年)11月、
常陸統一を狙う佐竹義重は、いい加減にしぶといっつーかうざい小田氏を滅ぼそうと
ちょうど佐竹に転がり込んでいた客将・太田資正に命じて小田氏治を挑発させた

早速資正が配下の上曽と小幡が逆心を抱いているという流言を流すと
単純な氏治は信じて両者を討伐するため兵を出す
まず氏治の特徴がここで発揮される
あまりものを深く考えないのだ
実は資正、佐竹に転がり込む前は半年ほど小田の世話になっていたことがあり
小田氏治の考え方ややりそうなことを大体把握していた

氏治は手勢3770騎を率いて手這坂を越え、小幡に向かった
この間、上曽・小幡の両名より弁明の便りが届くが、
氏治は思い込んだら基本的に考え直さない男であるから黙殺した
同時に佐竹側も太田資正が同じ上曽・小幡を攻め始める
更に敵に真壁久幹の援軍がここにやってくるという情報が小田軍に入る

「もしかして、は……謀られた!」

氏治はここで敵に乗せられたことに気がついた。そしてキレた
一旦は手這坂を下り退却しかけたが、このまま退却などカッコ悪いと思ったのか
小田軍はいきなり引き返すとそのまま太田軍を迎撃し始めた
いやもうgdgdである……が、これがもっと酷くなるのが小田クオリティ

佐竹軍は三丁の当時はまだ珍しかった鉄砲を小田軍に撃ちかけた
ジリ貧田舎侍な小田の兵は誰もそんなもの見たことがなかったから、
その鉄砲に将が一人討ち取られると一斉に恐慌をきたして混乱した
そこを更に坂の上から太田資正、小田軍の背後から真壁久幹が挟撃したのだからたまらない
そのまま総崩れになり300騎以上が討ち死にすることとなった

真壁軍はそのまま小田城に向かうと城に残った将兵に
「お屋形様が無事帰ったよー!」と偽の連絡をしたのだが
守将達はそれを聞くと氏治の帰還だと喜んで城を開けてしまい
小田城もあっさりと落ちる

潰走した氏治は例によって菅谷氏の勧めを受けて藤沢城に逃亡し、
再び小田城奪還を固く心に誓うのだった



……数年後1573年元旦、色々あって氏治は小田城奪還には成功していたのだが
毎年恒例のものとして開いていた新年祝いの宴会中にまたまた資正に攻められ
祝い酒に酔っていた所、再び小田城を攻め取られてしまう
以降彼は小田城奪還を固く心に誓い……
果たせずに終わるのだった




298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 04:03:16 ID:+DJgSvOv
アホだ……w

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 08:57:46 ID:eVihP0dx
上も下も真っ直ぐだな

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 09:02:56 ID:jqefHWkw
これだけ負けまくって人生全うしてるのが逆にすごいw

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 09:22:08 ID:tFJTu4pL
討ち取っちゃったら復讐に燃える家臣が襲ってくるかもしれないし
後継いだのがボンクラじゃなかったら困るじゃないですか。

こんなチョロい相手そうはないよ

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 10:10:10 ID:MooIy1GP
というかこの有様で、秀吉が来寇するまで滅びなかったてのが凄まじすぎるw

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 10:14:40 ID:MU+gsZkk
>>297
>>280じゃないが面白い話をありがとう。
この男こそ文字通り不屈の闘志の持ち主だなw

負けては復活したり、忠勇な家臣がいたあたり、
ちょっと劉邦の面影を感じてしまったわ…。

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 10:26:21 ID:MU+gsZkk
連投スマン。
小田氏治に興味が湧いてちょっと調べてみたら、
wikiの経歴が敗れた敗れたの連続だったw

これはまだ面白い話がありそうだな…。

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 12:12:46 ID:xvtQ2M/I
1556 北条軍の太田資正らに攻められる
1558 太田資正に攻められる
1566 太田資正帰服…もあっさり佐竹に鞍替え
1569 太田資正らに攻められ小田城陥落 >>297
1573 太田資正の奇襲で小田城陥落
同年 太田資正に逃げ込んだ先も攻められるも何とか撃退

太田資正殺しとけばよかったんじゃねw

小田氏治の小田城奪還物語最終章

2009年11月20日 00:23

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 13:23:55 ID:QKDDGCHs
面白いって程でもないが、
小田氏治の小田城奪還物語最終章。


文字通り不屈の闘志で小田城奪還を試みた小田氏治。
寄せては返す波の如く落城→奪還を繰り返したが、
ついに精魂尽き果てた1583年、人質を差し出し佐竹義重に降伏した。
名門ということもあってかそのまま仕えることを許されるも、
すでに家督を嫡男・守治に譲っていた氏治は、
義重より与えられた藤沢城にてご隠居生活を送った。

時は流れて…。

九州を平定した豊臣秀吉は、
北条氏政を討伐すべく大軍を集結させ、今まさに関東へ向かおうとしていた。
天下の耳目がことごとくこの戦いに向いている最中、一人の男が立ち上がった。

小田氏治その人である。

突如藤沢城で挙兵した氏治は息子の守治と共に、
梶原政景が守る故郷・小田城へ猛進した。

「げぇっ、氏治!」

と言ったかは定かではないが、小田父子はそれなりに奮戦し政景を困らせた。

が、そこはやっぱり小田氏治。
お約束通り敗走し、さらには藤沢城までも追い出されてしまった。

放浪の身となった小田父子は、
関東にやってきた秀吉に旧領復帰を嘆願するも、
惣無事令違反とみなされたのかいともあっさり却下。
浅野長政のとりなしにより、結城秀康の食客となりなんとか一命は取りとめた。


結城秀康移封の際、彼はどのような心持ちで越前へ向かったのだろうか…。




307 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 13:57:15 ID:iXD0001X
越前では氏治は秀康の養父の結城晴朝とも仲良くやれたのかな?
結城を継いだ結城直基のお陰か晴朝は茨城県に帰ってから死んだらしいけど。
里見も結城へ飛ばされたら寂しくなかったのに?
小野寺「伯耆国の里見さん、たまには石見国を訪ねてくれ!萩に出向いて倒幕の密議しようよ」
そういや山野辺と一緒に最上家臣だった里見一族と安房の里見の傍流は
一緒に水戸藩に仕えてたな。

308 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 13:58:22 ID:iXD0001X
訂正
里見も越前に飛ばされたら寂しくなかったのに?

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 14:44:40 ID:RnJ3PnLF
視点を小田城に移して見てみると、軍事拠点としてはちょっと脆すぎないか?
小田氏の根拠城なら砦レベルじゃないだろうし、それにしては戦国一の落城回数だったりしないか?

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 14:52:20 ID:YtbKjVbz
>>309
そうなんだ、それが氏治の戦下手たるゆえんなんだよね
実は小田城は戦国初期には珍しい純然たる平城で物凄く脆い
しかしなぜか氏治は生涯ここを奪還することだけにこだわり続けるんだよ

しかし脆い城ではあったんだが最後に太田資正に攻略された後は
資正の築城スキルが火を吹いて凄まじい魔改造がほどこされ
氏治が入っていた頃とは比べものにならないくらい堅固に城になっちゃうんだw
で、奪還できなくなっちゃう


311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 14:59:46 ID:GF7wSR97
しかも攻め寄せると例の伝で情報を得た資正が隣城から援軍に現れるという難易度の高さ

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 15:00:12 ID:YtbKjVbz
>>306
周囲の豪族が北条か豊臣かと去就に揺れているなか
目指すのは未だに小田城奪還なんだもんなw
しかも負けてるし……

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 15:09:15 ID:q2fLs0JL
関東は北条流と甲州流の、二大築城術がせめぎあった土地なのに、
小田氏の小田城は、鎌倉以来の「屋形」の発想から、あまり抜け出せなかったようだ。

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 15:18:10 ID:nlkeNbzi
なるほど、小田氏治の逆につけば必ず勝てるわけだ。

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 15:37:40 ID:ZR9jr9xU
もしかしたら小田原って住みやすかったんじゃないかな。w

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 16:33:28 ID:wXh5VNjh
落ち目の逆を張れ、ですねわかります

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 16:45:37 ID:9eGDPdOv
3000余騎を破った太田軍は600ほどだったらしいw

討ち取られた先鋒の将が出陣を諌めたのに聞き入れられず
小田氏治に頼られ先乗りし、只今討死!!と叫んで死んだという話もある

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 16:57:07 ID:Z1P9KXhY
Q もし小田家中に富田さんがいたらどうなるか

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 18:17:47 ID:RnJ3PnLF
>>310
あんなに愛した小田城は、見違えるような変貌をとげて攻め寄せた自分を拒み続ける。
小田氏治、何思う・・・・


゜゜・(/□\*)・゜゜ セツネェ

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 18:47:01 ID:HhQcppts
>>319
A 即座に寝返る


損得には敏感な生き物です

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 18:47:05 ID:wXh5VNjh
反乱起こして小田氏治殺してのっとって北条と佐竹ととにかく周辺に噛み付きまくって滅亡してるんじゃないか?

323 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 18:52:26 ID:Y60o4/wH
>>321,322
そして菅谷ら家臣団と、小田領民による一揆に遭うんですね、分かります。

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 18:53:31 ID:RYB1GaWP
小田氏治は猫好きなんだよね。
肖像画に猫が一緒に書いてあるんだそうだ。

先祖代々の城を奪われ、慣れない土地で
猫だけが話し相手のさびしい老残の日々…(´;ω;`)ブワッ

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 19:02:13 ID:t9wdpUsQ
>>324
でもそれでも秋田さんよりはマシ、たぶん・・・

小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴

2009年11月20日 00:22

326 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:30:16 ID:Y60o4/wH
余計なもの書いた感もあるが、時間掛けてしまったので投下させて下され。

『小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴』
wikipediaで『名君』と書かれても問題無いほどの、名君・小田政治の跡を継いだ
氏治だが、先に投下された様に連戦連敗。
軍神・上杉謙信の襲来や、鬼義重こと佐竹義重が登場と、随分積んだ状況になって
いたが、家臣と領民の助けによりなかなか滅びない。
小田の所領は、それほど小さくなかった。

常陸=佐竹のイメージを付けられているが、政治全盛期では佐竹に継ぐほど
(超すほどかは不明)の所領を持っていた。
正確な石高の対比などの資料が手元に無いが、大雑把に言って、佐竹領は常陸東北、
小田領は南西といった所で、佐竹領と言われがちな中央、水戸の周辺は江戸氏(佐竹には
臣従しきっていない)が、他の常陸各地では大掾氏の一族が広く分布していた。後に佐竹
にて謀殺される鹿島三十三館(霞ヶ浦・北浦の隣)もこの大掾氏で、バリバリの現役。
※一部の真壁氏幹らの様に、早くに佐竹へ臣従した大掾氏もおり、必ずしも大掾氏が
一族団結して勢力を張っていた訳では無い。

取りあえず小田領は、氏治が継いだ頃はそこそこ広く、居城は小田城だけど、持ってる
城は土浦以外にも結構あったという事を軽く覚えておきつつ、以下を御読み下さいな。


勢力説明はこの辺で、氏治様の鮮やかすぎる戦歴へ(長いよ)

1556年 北条・古河公方・結城以下諸氏に攻められる。
    氏治救援に行く→負け。海老名城を取られる。
    おまけで小田城も取られ、土浦城に逃げる。
    氏治体勢を立て直し、小田城奪還。次いで海老名城も奪還し、旧領回復。
    →が、城以外の失地は回復不足。
1557年 氏治、多賀谷氏の下妻城攻め→佐竹援軍により大敗。土浦城へ。
1558年 長尾(景虎時代)・佐竹・多賀谷氏に攻められる。
    小田城→3~4回攻められ、氏治も3~4回土浦城へ。
1559年 土浦城主・菅谷政貞により小田城を奪還してもらう。
    氏治も旧領奪還の為、結城城を攻める→落とせず撤退
    →氏治の撤退に乗じて、北條城,海老名城がそれぞれ結城・佐竹に奪われる。
    また、他家(小高氏)の内紛に加勢してたら、
    大掾氏に所領を攻められて、どっか2城ほど落城してたでござるの巻。
    →加勢しに行った自分も、退陣中を追撃されて敗北したでござるの巻。
     →色々ともう無理なので、長尾景虎に降参するでござるの巻。
1560年 (和睦した)佐竹らと結城攻め。古河公方の調停で海老名城が小田へ返却に。
1561年 長尾景虎の小田原攻めに、関東諸侯と共に参加。特に何も無く無事帰還。
1563年 長尾景虎との約束破って北条に付く。
1564年 軍神襲来警報につき、海老名城落城。
    小田勢・信田頼範、岩槻(茨城の?)坂戸城を落とすがすぐ取り返される。
    氏治、山王堂で上杉・佐竹・宇都宮と戦う→負け。
    →小田城捨て、藤沢城捨て、また土浦城へ逃げ延びる。
    一時、小田城を奪還するも佐竹の攻撃にまたry。領地を30余ヵ所程奪われる。
1565年 佐竹当主・義昭死去。それに乗じ小田城を夜襲し奪還。更に木田余城も奪還。
    →…しかし、佐竹を継いだのは鬼・義重。
     →そして、この報を聞いた上杉謙信は大変怒り、本気になってしまった。
      →ここからが本当の地獄だぜ。

327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:31:55 ID:Y60o4/wH
続き。

1567年 佐竹と上杉、鬼と軍神による小田城総攻撃始まる。
   (>>265,297とかなり被ってきてるので、以下は城・所領の動きのみ)
    小田城落城。片野城、柿岡城も策略?により佐竹側へ。
1568年 上杉謙信への降伏により小田城・海老名城返還?
1569年 海老名城が佐竹に降伏。小田城は落城せず→だが、城下・近隣は火の海に。
    手這坂の戦いにより、佐竹の柿岡城は落ちずに、小田方の小田城が落城。
1570年 佐竹、筑波の小田領を占領。
1572年 小田城奪還
1573年 >>297の新年祝いにより小田城落城。が、その後1月20日までに小田が奪還し、
    4月11日までに再び佐竹に奪われるという異次元の動きを見せる。
    その後、小田方の戸崎城降伏→甲山城は放棄→藤沢城落城
1574年 佐竹により土浦城,宍倉城落城。戸崎城も降伏。
    が、>>266の菅谷範政により土浦城が氏治の手に戻る。
1577年 氏治、手子生城を奪還。所領も一部回復。
1578年 佐竹により、木田余城落城。小田方が一時取り返すも、いつも通りまた落城。
1583~89年 氏治、佐竹に臣従するが、勝手に旧領奪還の軍を起こしたりDQNぷり。
      この頃、我等が愛するDQN政宗が常陸に手を伸ばし初めており、
      義重もいつまでも氏治にかまっていられなくなる。
      →氏治に関する苦情・相談は、太田・梶原までお願いします。
1590年 太田資正らの強固なガードにより小田城落城せず。
    →小田原征伐終了につきゲームオーバー。『氏治 ~そして改易へ~』

以前調べた記憶じゃ自信がなかったので、こちら↓のサイトを見せて頂きながら書きましたよ。
ttp://www.rekishi.sagami.in/tukuba.html

おまけ:氏治様における、自分と友人の基本認識。

氏治「菅えもんー助けてよー、ジャイアンに小田城取られちゃったよー」
菅谷以下家臣団「仕方ないなあ、氏治様は」
領民「放っとけないもの」




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 19:47:17 ID:Z1P9KXhY
小田政治「こんなときどんな顔すればいいか分からないの」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:07:16 ID:rZFwAdi9
菅谷さんらの忠臣っぷりは頭が下がるなあ。 氏治さんの戦下手っぷりにも頭が下がるが。

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:09:38 ID:fXGy/8Qp
こういう、ちょっと間の抜けた、だからこそ人間臭い武将は大好きだw

331 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 20:15:24 ID:Y60o4/wH
余談ですが。

氏治様がこれほどまでに拘った小田城は、平成12年から復元計画に基づいて
復元がされており、10年後には復元工事終了予定だそうです。
(現小田城跡のパンプレットより)
wikiだと平成26年までの予定になっていましたが。

少し前に現地には行った事があり、
今の状態でも、かなり発掘されているのを見ているので、今後が楽しみだったり。

なお、小田城跡から土浦方面に少し行った所に、藤沢という地名(藤沢城のあった場所)
があり、そこの法雲寺には、小田政治・氏治の墓があります。
氏治様の墓は、どうも書かれてないので分かりにくいが、政治様の墓へ行く前、
石段を登ってすぐの所にあるようです。少し大きめ。
(またwikiでは、氏治様の墓は、新善光寺に越前の地より改葬されたとあります)

流石に、巡礼に行く程熱意ある人は、自分等くらいしかいないだろうけど、
小田城の城域に入った辺りは、基本的に道が狭く、車を擦らないようご注意を。

小田領民の家々が残っているせいか、それとも資正様が
築城術の術中にはめようとしているせいかは
分かりませぬがw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:28:55 ID:RYB1GaWP
>>326-327
いつも小田家単独で戦争してるから負けるんじゃないの?
北条じゃ遠すぎるから、近場の大名と軍事同盟結べばよかったのに。

・・・まあ、同盟結ぶのも大名の能力のうちだけどね・・・

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:53:54 ID:7Wt72KKr
転地人

哀を掲げた戦国武将



334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:57:52 ID:Ecga8uPG
大河の主人公やれそうだな。

小田城奪われる→奪還する→奪われる→奪還→(ry

無理か。

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:59:48 ID:HhQcppts
そんなドラゴンボール的な大河は困る

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:02:06 ID:hFAL+8ZA
敗れても敗れても、なお敗れても諦めない
不屈の精神を描く感動巨編、
「延々と」
ご期待下さい。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:04:07 ID:fXGy/8Qp
笑いあり涙ありの戦国大河か
悪くないかも

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:32:01 ID:uV+ifZAf
戦国の不死鳥(死なないだけ)

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:38:11 ID:5T6gMSnC
コメディ上手い脚本家だと、珠玉の出来になりそうw

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:43:25 ID:q2fLs0JL
:::: ヽ \\       ィユ,        /  / / /::::::::::::::::
:::: ( \ \\   ( ^ω^)      l  三 / / ):::::::::::::::
:::::::ヽ ヽ . ミヽヽ    | |       /   二 / /
::::::: ( \ ヽミ ヽヽ   | .|   +  /    二 ___/ヽ
::::... /ヽ ヽ ニ ヽヽ |,,,| ┼  //   ニ _______/
:::.   ヽ____  ニ ヽ`l  ヽ__//    ニ ____ノ
      ヽ___,  ニ l ::   ′    ニ ___ノ
        ヽニ -‐ ,l ::  小田 __ ≡ __ノ+ ┼ *    :::::::::
         ヽ---'''ヽ、  ,,,;''''='''''__ +  ┼  +  .::::::::::

私は不死鳥氏治。何度落城しても蘇る。
世界中にあふれるさまざまな2流武将を知っている。
不幸にも私に討たれてしまい
死んでいった武将達のことを私は忘れない。
私の名は不死鳥氏治、藤原道兼の末裔。

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:48:48 ID:/F9oFrcr
小田さんには是非配下に四天王をつけてあげたい

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:50:40 ID:dRFGDL5h
嫌な火の鳥だなw
まぁ生死を左右する場に何度も身を投じる(何度負けても)ガッツと
それでも家臣や領民が付いてくる人徳は現代人も少し見習ってうべきではなかろうか

それはそれとして海老名城であってるんだろうか?

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:55:34 ID:D0BH21Ed
ずっと日陰の存在だった小田氏治、四百年の時を経て2chスレで初めて主役に躍り出る。

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:59:38 ID:q2fLs0JL
ちなみに小田氏治の事を書いた軍記物である「小田軍記」「小田天庵記」、

この両方とも最後は何故か、小田氏治が「切腹」して終わる。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:04:59 ID:Z1P9KXhY
…。

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:07:26 ID:wXh5VNjh
また一人、いい悪いスレからアイドルが誕生した、の、か……?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:08:38 ID:Ecga8uPG
>>344
俺もそれ気になってんだ

江戸期にできたものらしいが、
居城を奪還できない=生き恥ってことで、
最後は切腹の方が武士らしいってことなのかな?

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:13:47 ID:YtbKjVbz
>>344
多分、土浦城落城時、小田親子の身代わりになって切腹した家臣・沼尻播磨守の死が
そのまま氏治の死として扱われたんじゃないかと思うんだけどなあ

本人は脱出して小田原に向かってるはずだし


349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:24:26 ID:q2fLs0JL
>>347
>>348
「小田天庵記」に出てるけど、筆者が、氏治の重臣である菅谷左衛門の子孫が名主をしている村に行くと、
小田を裏切ろうとして菅谷左衛門に討たれた信田重成がその村で祭られてて、しかも信田が、
菅谷の主君だった、って言う風に伝承されてたとか。

どうも地元でも100年以上たつと、伝承する主体がいない以上、小田氏関連の記憶は
かなり薄くなってしまったようですな。


353 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 22:56:07 ID:Y60o4/wH
>>342
海老ヶ島城かも。
書き間違えっぽい。スマンです。


356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 23:41:38 ID:dRFGDL5h
>>353
海老名城だと今の神奈川県中央にあった城だけど同名の城ってのも無い訳じゃねぇし
間違いとは言い切れないさ
俺の知ってる範囲だと山中城だけで3つ知ってるし


358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 00:01:15 ID:A0+Jd86t
>>340
小田嶋ww

[ 続きを読む ]

「天才的な戦下手」小田氏治

2009年11月19日 00:04

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:06 ID:/Ynn8Ghp
戦国の常陸といえば、大抵真っ先に鬼佐竹が出る人が多いと思うんだが
今回はそんな佐竹を背後からつついては殴られ続ける生涯をおくったとある名族の話

常陸の小田氏は、関東八屋形にも名を連ねる鎌倉時代から続く名門中の名門だった
ただ名門というだけではなく、室町時代末期までは、
370年の長きに渡り、常陸国筑波郡とその周辺を支配した大豪族であったのだ
ところが例によって関東の名族にありがちな没落フラグが、
小田氏最後の名君、小田政治の晩年に立ってしまう
河越夜戦で古河公方に加勢してしまうのだ
河越で討ち死にこそしなかったが、政治はその後程なくして死去した
そして嫡男の氏治が14歳で家督を継ぐことになったわけなのだが
これで氏治が佐竹義重のような名将だったら歴史が変わっていただろう

氏治は一言で言うと「天才的な戦下手」であった
どんなに動員数が勝っていようが、どんなに外交の状況が有利だろうが
氏治が指揮を取っている、というそれだけで大潰走を引き起こす
上杉謙信とは別方向の意味で天才であった

結城氏に攻められて敗北し、主城を落とされ落ち延びる
多賀谷氏を攻めるも敗北し、逆に主城を落とされる
佐竹配下の太田資正と戦い敗北し、主城を落とされる
氏治にはカッとすると冷静に行動せずに最悪の場所に突っ込む癖や
一つの目的があるとそれだけに固執し果たすまで諦めないきらいがあり
そんな性格を利用されては策にはめられてしまうという一軍の大将としては致命的な欠点があった

ところが奇妙なもので、こんな氏治には命を懸けて忠誠を誓う優秀な家臣達が少なくなく
400年近くに渡って小田氏に支配されてきた領民は、小田氏をよく慕っていた

譜代の家臣であった菅谷一族は、菅谷政貞・範治親子を始めとして
敵からも賞賛されるほどに優秀な武将達であったが、
氏治が何度敗北しようと、主城を落とされようと、敵に降伏しようと、
嫡男が討ち死にしようと、変わらぬ忠誠で氏治を支え続けた
領民達も、自分たちの屋形は小田のお屋形様を除いてはいない!と
氏治を退けてやってくる他国の武将にはなかなか頭を垂れなかった
彼らは新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた



265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:55 ID:/Ynn8Ghp
1558年、越後の上杉景虎が関東の戦国世界に介入を開始する
佐竹・多賀谷といった小田氏の敵対勢力は早速その助力を仰いでいた
氏治は数回小田城を落とされ、それを取り返し、また奪われと
彼にしては十分すぎるほど善戦したが、軍神と負け戦の天才の戦いである
結局最後には大敗北し、小田氏は上杉に降伏、後の鬼佐竹義重の父、義昭と講和した
その後はしばらく軍神率いる上杉軍の下で佐竹氏や宇都宮氏と共に
結城氏を攻めたり、小田原を囲んだりしていた氏治だったが
暴れ疲れた軍神が越後に帰るとすぐに、佐竹氏からじわじわと圧力をかけられ始める

1563年、佐竹の圧力に耐えられなくなった氏治は謙信を裏切り北条に鞍替えをした
この行動は当然上杉を怒らせ、早速小田は佐竹・宇都宮・上杉から攻められる
氏治はまた負けて主城を追われ、土浦城に逃げ込んだ
この時奪われた土地は大半が佐竹のものとなった

がしかし、しばらくして領地奪還のチャンスがやってきた
佐竹義昭が死に、息子の義重が家督を継いだのだ
「当主の代替わりがあった時に攻め込むのは関東じゃご祝儀みたいなもんだよね」
とばかりに氏治は佐竹に取られた旧領に攻め込み、小田城を取り返した

ところが、これが再び軍神をブチ切れさせることになる
「喪も明けてない内から、代替わりがあったばかりの家に攻め込む不義、捨ておけぬ!」
義人謙信に関東の常識など通用しない
小田城は怒りの総攻撃を受けまた落城、氏治はまた土浦城に逃れた
捕らえられた小田の人間は人身売買にかけられたという
謙信はそれほど怒っていたのだ
氏治は結局また、城を二度と修復しないことを条件に上杉に降伏した

しかし上杉に降伏しても佐竹が攻めてこないわけではない
佐竹は徐々に小田の領土を浸食し、たびたび焼き討ちにも現れた
こんな状況では他に方法も無いと謙信に頼み込んで佐竹討伐を願ったが
上杉にとって関東では大事な同盟国である佐竹を謙信は攻めてはくれなかった
小田はこの後、太田資正・梶原景国・真壁氏幹といった佐竹配下の猛将に、
何度もフルボッコにされながら、なんとか小田城を死守していたが
戦に勝てない大将が指揮しているわけだからそれも続かない



266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:01:55 ID:/Ynn8Ghp
1573年、佐竹の猛攻の前に小田城が最後の落城をする。
以降氏治は小田城を奪還できなかった
ここにきても氏治のどうしようもない運の悪さと戦下手は治らなかった
氏治は小田城の奪還にこだわって、それを知る太田資正の采配に踊らされ続けた
負け戦に続く負け戦で、いよいよ残る拠点は藤沢城と土浦城のみになってしまう
小田氏の家臣達は小勢ながらここが死にどころであると奮起し、最期の戦いに討って出た
まず、藤沢城が落ちる
主将・由良憲綱、戸崎長俊等多くの家臣がここに討ち死にした
更に最後の城、土浦城が佐竹軍に完全包囲される
そんな中でも裏切りは少なく、家臣達は沼尻播摩守を屋形の身代わりとし
氏治とその子守治を城から脱出させると城に火を放ち、
16騎の侍大将が佐竹軍に切りかかり討ち死にした
身代わりとなった沼尻播摩守は城内で切腹した

脱出した氏治にもう他に手はない
一路小田原を目指し、北条氏に息子を人質として差し出すと必死に懇願し助けを乞うた
氏治の懇願を北条は聞き届け、北条氏房が土浦城を攻めた
ところがこの土浦城には、佐竹に捕縛され降伏していた旧小田家臣、菅谷範政が入っていた
範政は喜んで再び小田に降り、城をそのまま明け渡した
彼はいまだに小田への忠義に生きていたのだ

なんとか滅亡を免れたものの、隣の佐竹は相変わらず強大だった
ある程度旧領を回復した氏治は、佐竹と相変わらず小さな衝突を繰り返しながら、
協調してみたり、逆らってみたりと、喉元の小骨のような小さな嫌がらせをしていく

この頃になると、佐竹は伊達氏の南下の動きの前に北部へ兵を集中させねばならなくなった
こういうチャンスを狙って、また氏治は旧領奪還を狙う
彼は未だに小田城を取り返すことにこだわっていた
そして今度こそは奪還できるかと思われた
が、しかしここで関東の戦国が突如終了する



267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:03:49 ID:/Ynn8Ghp
秀吉がやってきたのである
親豊臣の佐竹と敵対していた上に北条の勢力下にいて、
しかも秀吉の元に参じなかった小田氏はあっさりと改易された
小田氏治の生涯をかけた戦いはそれですっぱり終わってしまった

全てを失った氏治は娘が結城秀康の側室であったことから秀康の元で客分として迎えられ、
宿敵であった佐竹が関ヶ原で負けた西軍について大騒ぎになっているのを知ってか知らずか
1601年、越前で死んだ

戦国時代の最後の最後まで、弱小ながら戦国大名であり続けたとある主君のお話




268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:10:39 ID:FE+WyjWu
大作乙。いやあ、読み応えがあった。
しかし小田氏治は面白いよね。小田軍記や小田天庵記とか読んでも、確かに不思議なほど
慕われている。
まあ勝ち負けにかかわらず合戦の規模もしょぼいんだけどw

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:49:53 ID:XNsY/qDS
こんなダメな主君は俺が、俺達が支えなければならん、と思わせるような何かを持っていたんだろうか。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 02:05:37 ID:BtC+atVt
何百年も一所を統治している君主は、
のほほんとしてるだけでも家臣と領民の忠誠を得られるから
あれほど楽な殿様家業はないってマキャベリが言ってた。

271 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/11/18(水) 02:14:01 ID:32JWIOEX
総じていい話じゃねえか。

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 02:34:21 ID:u9QYrjY8
戦国という時代で戦下手というのはただそれだけで悪い話な気がする。
数々の名家名族が消し飛んでいく中で、ここまでしぶとく、かつ慕われた例も少ないだろうけど。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 02:37:51 ID:GmkDeUGL
敗北は不名誉にあらず、挑むことこそ誉れなれ。
いい話じゃない?


274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 03:26:22 ID:ccDW416H
まあ小田氏のダメっぷりは今に始まったことではないから
南北朝の頃から藤氏一揆で関東の南朝勢のgdgdにトドメ刺したり

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 09:01:50 ID:GmkDeUGL
第二次大戦のネタ、絶対勝てる戦争を思い出した。
日本の兵隊に
アメリカの装備を与え
ドイツの将軍に指揮させて
イタリア軍と戦う。

戦国版なら

三河武士に
織田軍の装備を与え
甲斐衆に奉行させ
上杉謙信を総大将に
小田氏治と戦う

とでもなるかな

276 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/18(水) 09:32:18 ID:mQDUpxEv
三河武士の装備は織田と遜色ないよ
というより三河武士の扱いにくさは甲斐衆や上杉謙信でも
手を焼くかと

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 09:48:51 ID:3TVozVSA
三河武士だと、大将も三河系じゃないと、めんどくさすぎるんじゃね?
それより、蒲生再生工場出身の軍兵のほうがいいんじゃないんだろうか。

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 12:22:41 ID:/Ynn8Ghp
>271
実はいい話と悪い話どちらに投下するか迷ったんだけど
さすがに氏治のgdgd負け戦に果てた家臣達の人数がものすごい多いのと
最後は改易って結果で、結局旧領には戻れなかったからこっちにした

ちなみに一応最後まで生き残った家臣達なんかは
こんなダメっ子氏治に熱い忠誠を貫き通したってことが家康に評価されて
徳川の旗本に取り上げられていたりする
こっちは完全にいい話だね


279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 12:41:27 ID:bQMvaD6R
某歴史本で言う所の「出ると負け軍師」こと郭図がそのまま大名になったかのようだ

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 14:16:58 ID:twxTWgPl
>>278
他に面白い話があったら聞きたいな、小田氏好きになりそう。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 17:57:56 ID:ivetgnbL
>>274
鎌倉……れっきとした清和源氏なのに平家について頼朝襲来、所領没収
室町……嫡流が絶えて後継争い
戦国……関ヶ原を西軍寄りの傍観で秋田に転封、所領半分以下に


ライバルだって結構やらかしてるのに何が違ったんだろうね

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 18:12:36 ID:pk8E8897
>>275
真宗門徒に武装させても強いかもしれん。
当時の奴らは死兵と化すからな。
ついでに参謀にクロカン

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 18:32:01 ID:KKXOzk1a
>>275
福島正則夫妻みたいな兵を集めて
三歳様プロデュースの鎧を与え、
富田長繁に指揮させれば戦国最強。

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 18:34:23 ID:r070R/2p
>富田長繁に指揮させれば
だが何故か敵ではなく味方の指揮官に殺されるという諸刃の剣

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 18:59:52 ID:M+8SLtzn
富田さんの体力が底なし過ぎて味方がついていけません

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 19:08:50 ID:KKXOzk1a
後の辻政信である。