氏政公が飯へ汁を二度かけて

2016年02月23日 17:32

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/22(月) 22:17:26.49 ID:pY+DLWFU
 北条三代目の氏康公は御子の氏政公と御昼食の時、氏政公が飯へ汁を二度かけて召し上げられたのを氏康公はご覧名さなれ、
 「後に関八州は氏政が世で亡ぶだろう。わずか飯椀の中に汁を入れるということさえ、一度だけで行う加減がわかっていない。
そのようなひととなりではどうやって八ヶ国の人々の目利きをすることができようか」
と御落涙したという。
 その言葉の通り氏政公の御代で滅びました。厳密にいうと氏政公は滅びなさったときは御隠居で、氏政公の御子氏直公の御代で亡びましたということだが、
彼はひどいうつけ者であり、氏政公はその愚昧の氏直公へ御相続させられましたことから、汁かけ飯での氏康公のお目利きは神のごとしだと思われます。

 冷泉家は北条執権のころ無二の懇情でしたが、その後君の御憎しみがつよく遠流となられ、
程経て帰洛の後に、家の掟で武家と縁組等を無くし、今でもその通りであります。
先代の掟をこのように守りなされることは甚だ感心します。
 その他の公家方は時節につれてなされたように思われます。
心ある堂上方はこのことを恥と申されたという。清貧と申す事はとかくならぬ事と思われます。
(本阿弥行状記)



216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/22(月) 22:27:17.81 ID:+ttG42F8
本阿弥光悦の時にこの話が広まっていたとは驚き

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/23(火) 01:45:53.87 ID:nRXKJORI
氏政暗愚説っていうか、まぁ時流を読み間違えたのはそうなんだろけど

だからって汁かけ飯ごときで暗愚判定されるとは、氏政も草葉の蔭で泣いてるんじゃないかな…
もうちょっとこう…あるだろ

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/23(火) 16:51:20.67 ID:drP4ghCp
2度目に薬味も入れとけばこうもこき下ろされずに済んだハズ
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「あれを麦飯にして、早々にここに出すように

2015年05月06日 15:32

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/05(火) 21:54:29.55 ID:m744MYgG
永禄6年(1563)、上杉謙信方の太田資正(三楽)が守る松山城を、北条氏康と武田信玄の連合軍が
陥落させた時のこと。

その陣はとかくあって4月末になり、陣夫たちが馬の餌として麦を刈っているところを北条氏政が見て、
家老の松田憲秀に「あれを麦飯にして、早々にここに出すように」と命じた。
武田信玄はこの言葉を聞くと

「さすが氏政殿は大身であられるので、ご存じないのも道理です。あれは、先ず扱いて、こなして干して、
搗いてまた干して、その後まづきというものをして、食せるようになり、これに水を入れよく煮て、
ようやく麦飯と成るのですよ。」と言った。

北条家の松田、大道寺を始めとした家臣の者達は、『信玄が氏政を下げずんでいる』と、
恥ずかしく思ったという。

(甲陽軍鑑)




747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/05(火) 23:16:39.40 ID:efiNJHlg
太郎晴信と言われていたとき領内の米の収穫を見物した際に
老臣の板垣にあれで餅をつくって持ってこいと命じたらしいねw

748 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/05/05(火) 23:36:12.27 ID:bk8L788Z
甲陽軍艦て何でこんなに氏政を虚仮にしようとする逸話多いんだろう
第一次駿河侵攻で氏政に信玄が敗走させられた腹いせ?

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 00:24:06.76 ID:K/zNr46c
氏政は北条遺臣の書いた北条五代記でもディスられてるし
馬鹿殿氏政はこの時代の共通認識だろ

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 02:28:26.98 ID:88LFcJYm
秀吉と敵対した大身の大名の中で滅亡させられたのは北条のみだしね

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 03:46:49.18 ID:vxBWnKFh
実父からは「北条は俺の代で終わり」と嘆かれ
義父からは「婿殿は物を知らぬ」と蔑まれるバカ殿氏政

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 10:10:30.37 ID:NpPIqbQ/
>>737
謙信の影武者は戦国最強

信玄影武者との一騎打ち

北条の大軍が包囲する唐沢山城を僅かな手勢で突破

小田原包囲戦の際、鉄砲の射程圏内で平然と弁当を食う

本物は超用心深い

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 10:23:35.96 ID:4Ht9e4Kr
>>751
実際に終わったのは俺の孫の代でしたw残念!

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 11:56:05.84 ID:P49wh2UI
河内狭山藩ェ…

北条氏政妻、鳳翔院の事

2015年04月13日 18:47

830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/04/12(日) 18:50:57.84 ID:f4K0Om5X
北条氏政の妹が実家へ帰らず武田勝頼と運命を共にしたという話は有名だが、氏政にも小田原征伐の際に運命を共にした妻がいた。

氏政の継室である鳳翔院は一説では公家の関係者ではないかという話もあるがその出自は明らかにされていない。
彼女は小田原籠城中に氏政七男の勝千代を産んだらしいが、六月十二日に氏政母の瑞溪院と共に自害したと伝わる。

小田原市にある北条氏政・氏照の墓と共にある氏政妻の墓は前妻である黄梅院の墓と言われているが、北条氏と運命を共にした鳳翔院の墓という説も存在する。



北条氏政は人よりもきわめて酒好きであり

2013年06月14日 19:50

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/14(金) 17:54:17.88 ID:NdGSkZ+w
この(北条)氏政は人よりもきわめて酒好きであり、常に長座して大酒であった。

酒の途中で座を立つことにはおきてを用いたので大小便も不自由となり、
毎度見苦しいことが多かった。氏政はこれを見て快気したと云々。

――『当代記』




840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/14(金) 18:11:52.39 ID:quaWMlMW
スカトロマニアすか

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/14(金) 18:40:00.59 ID:u9TOWBaL
氏康さんがディスるべくアップを始めました

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/14(金) 19:09:06.03 ID:lGhj9vKP
花の慶次で常に酒瓶片手にしてたが、あながち間違いでもなかったの

三浦三崎はガチの名勝

2012年11月13日 19:57

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 18:40:46.46 ID:zTJiC/oF
北条と唐国との話が出たので北条五代記の該当部分をば
ただ逸話というほどの分量ではないので箇条書きでまとめるのはご容赦

・三浦三崎はガチの名勝
・名勝ってだけじゃなくて交通の要衝だし、水底は深いし、幾千艘つないでも余裕の良港すぎワロタw
・日本だけじゃなくて唐国にも知れ渡ってるマジスゲーwww
・氏政が三官っていう唐人に虎朱印判状渡して、唐国の黒船が来航したよ
・そいつら三崎の良港ぶりにめっちゃ驚いててワロタwww
・安藤豊前守が通訳交えて唐人と売買したよvv

八王子から外来の器とかそこそこまとまって見つかってるらしいし、
ある程度交易はあったっぽいね




393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 19:24:48.74 ID:12gephJg

>>392
三崎地図でみたら島と半島で囲まれてんだな
屋島とかあと鎌倉は人口島で同じような地形作ってるね
中世から近世の港の特徴なのかもな

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 19:29:47.40 ID:1hq8lkjn
湾内が広くて水深が深くて沖からの風波を防ぐ
山がそのまま海底につながってるような場所で沖を半島や島で囲まれてる所が天然の良港になるんだろうな

あるいは、とらねばならなかったと言うお話

2012年06月29日 21:01

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 13:20:32.73 ID:uHRpgtHv
天正十四年ころから「世間物騒の時分」につき、あれやこれやと上方対策を始めていた後北条氏だが、
天正十五年に入ると、正月に小田原城、五月には上野の箕輪城と松井田城、
一〇月武蔵岩付城、十一月箱根の山中城、足柄城と領国全土で普請を始めていた。
上杉、佐竹に加え、天正十四年十月に秀吉に臣従した徳川と、
全方面からの攻撃が予想されたからであった。

しかしそんな普請で忙しい最中のはずの天正十五年五月、
武蔵の各地では北条氏邦や氏房の命令で、堰や堤の構築が行われていたりもする。

実はこの時期、上記普請の連発のためか、北条領国内では退転欠落が続発していた。

「御国の御用につき」と言う理屈で百姓を動員していた北条だが、
一方で懐柔策もとっていたと言うお話。
あるいは、とらねばならなかったと言うお話。



230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 14:23:37.93 ID:itjA/vHi
無様だなぁ

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 16:37:21.52 ID:+6+KYZzv
「猿wwww」「成り上がりふぜいがwwww」とかいって
余裕ぶっこいてた連中よりはまし

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 16:59:21.95 ID:TJpXzbS6
一庶民に対して国のために戦えっていうのは、近代以降の概念だからなー
数百年ばかり速すぎた、北条は未来に生き過ぎた

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/29(金) 20:19:45.23 ID:aPDrTFXH
善政を敷いてたのが仇になったか

北条氏政「関八州無双の剛民である。」

2012年04月02日 21:31

497 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/01(日) 20:31:18.29 ID:Lws+kWvc
1571年、北条軍が対陣していた佐竹義重の軍勢による夜襲を受けた際、戦場となった地の農民の一人が
北条方として参戦し、敵の首を取る武功を立てた。そこで氏政は、この農民を

「関八州無双の剛民である。」

と称賛し、『岩井兵庫助』の名前と領地を与えて武士に取り立てた。またこの戦いでは、

「北条軍の武士に助太刀して敵を倒したが、その武士に首を奪われた。」

と訴える農民もおり、氏政はその農民にも褒美を与えるとともに、

「農民ですらこの様な心構えをしているのだ。諸士も自らを省みて恥じ入るであろう。」

と語って家臣を戒めたという。農民から首を奪った武士は恥をかく事となったが、戦勝で機嫌の良かった氏政は

「若輩の身に加え、初陣でもあるから褒めて遣わす。真っ先に切り込んだのは手柄である。」

と声をかける心構えを見せたという。 氏政が部下にプロ意識の徹底を促した逸話である。




498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 21:04:45.40 ID:e+pB7/I0
戦国の農民は怖いな

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 21:24:55.44 ID:i+qru6Cu
宣教師に戦闘民族と書かれたのも納得。

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 21:55:36.84 ID:8VnEpluP
合戦の度に落ち武者狩りが跋扈するからなぁ

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 22:10:07.17 ID:hZbxTPZh
秀吉の九州攻めの真っ最中に、たまたま少数でいた秀吉の兵を襲った命知らずな百姓たちがいた、と
フロイスさんが書き残している

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 22:28:52.09 ID:MKDuo9Yq
戦国期の百姓なんて山賊と紙一重だもんな

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 23:21:57.46 ID:WVnUks5a
七人の侍でも農家の床の下から武器も鎧も酒もどんどん出てくるもんな(笑)
あの映画の時代設定は戦国時代末期だったっけ?
久蔵と菊千代カッコいい
観てない人は是非観たほうがいいと思う
黒澤明の代表作とされるだけのことはあるから

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 23:25:29.73 ID:ZV3FBf7J
百姓に限らず、京都市民も合戦で没落した側に対し、隊列を組んで襲いかかることもあった。
まあ戦国期の日本人はみんな危険だということだw

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 23:33:49.03 ID:WHFrz//e
農民は日和見菌みたいなもんだし
普段は中立だが弱っていると牙をむく

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 00:24:13.71 ID:WdOtsat7
貴重な収入源だもの

北条氏政、徳川家康との会談にて

2012年04月01日 21:31

499 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/01(日) 02:45:07.29 ID:Lws+kWvc
北条氏政は1586年、三嶋大社への参拝の際に、同盟関係にあった徳川家康と面会の約束をした。
黄瀬川を越えて、わざわざ北条領まで出向く形となった家康だったが、対面の際は氏政を上座に据えて

「両家の領地の境にある城を破却して境界を無くそうと思います。また、そちらが東北地方に出陣する際には
 私が先手を引き受けましょう。」

と、北条方を喜ばせる事を述べた。宴席が始まると上機嫌になって深酔いした氏政は、家康の膝の上に
寄り掛かって脇差を抜き取り、

「若い頃から『東海一の弓取り』と呼ばれた家康殿の刀を取った。この氏政は大功を立てたぞ!」

とはしゃいだという。しかし、そんな中氏政は家中の状況を観察されており、宴席の後家康は

「北条の世も終わりだ。家臣の様子で察しが付く。」

と述べたという。




500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 02:50:53.47 ID:i+qru6Cu
肝心の家臣の様子が分からねぇw

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 05:44:55.01 ID:RahubMFT
確かに、そこが一番気になるところなのに

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 09:03:10.24 ID:p4WvLrAk
贈り物の価値がわからずに駄目だこりゃって言われた事もあったな後北条

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 09:07:14.71 ID:/Ezenwsk
家臣に緊張感が無く緩んでいたとかだろうな

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 10:07:40.46 ID:nCngcJAr
三河武士や黒田武士なら無言でフクロにしてるレベル

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 10:11:07.26 ID:HFvgWCYx
GOで家康と氏政が密会してた場面を思い出した

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 10:13:48.16 ID:1hBpg9gG
悪酔いした主君を止めたり嗜めたりする家臣が一人もいなくて
氏政の腰巾着ばかりだったんだろ。
三河者と真逆。

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 10:18:54.12 ID:HFvgWCYx
味噌汁エピに続き新たな氏政無能伝説の誕生である

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 11:06:35.88 ID:nmhyNvdo
氏政、これはアカンわ。無礼ってレベルじゃねーぞ

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 12:05:54.31 ID:B41cWuil
君主大名の類に属する人が
同盟相手のファイナルウェポン脇差を抜き取り大功立てた(ドヤァ
とか喜んじゃってる時点でもうね・・・w
東海一の弓取りに上座に座らせてもらったうえに領境の城を破却して
おまけに先手まで引き受けるなんて言われちゃったもんだから
家康が事実上の従属宣言でもしてくれたと慢心しちゃったのかな?
家臣も家臣だろ、なんつーかもう終わってるよな、しかも相当深刻なレベルで。

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 12:26:50.19 ID:6YxfzfBW
氏政「とったどー!」

511 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/01(日) 12:46:31.05 ID:GqwzcjnH
その話、猿の東北征伐に参陣せいつー謎かけかと思っていたがちがったか?

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 13:15:31.23 ID:kRaE2mQL
>>507
あのエピも氏康以来の椀(汁二回用)をそのまま使ってたら何故かdisられたという説もあるし、前例踏襲を
戒めたという見方もあるが

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 14:05:01.01 ID:j9rxbzsf
こういう話って、徳川が関東に入ってから捏造された可能性もありそうだけどね

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 15:05:55.50 ID:vV6t5JgB
>>513
そんな事を捏造する意味も無いし根拠も無いのに
都合の悪い事は何でもかんでも勝者の捏造かもとか決めつけるな

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 15:57:26.98 ID:cy34oPKK
根拠は無いけど意味はあるわな。両天秤にかけて婿の家を見捨てた立場だし
ほらこんな家じゃ見限られてもしょうがないですよね?ね?と
婿である当主じゃなく隠居が悪く言われる事が多いあたり怪しいっちゃ怪しいわ

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 16:20:04.69 ID:EQCEozjr
山岡荘八の小説にも同じような話あるけど作り話に決まってるだろうが
まあ逸話としては面白いが

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 17:11:52.98 ID:vV6t5JgB
>>517
先手を約束した席の後に「北条の世も終わりだ」と言ってんだぜ
そんなの捏造しても何の利益にもならんわ

>>518
別に大した話でもないのに作り話にする必要はないだろ

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 18:11:02.07 ID:nmhyNvdo
史実か作り話かなんて話は不毛だから余計に突っ込むの控えるべきでは
重要なのはこういう逸話が残ってるって事実だと思うなー

北条氏政の第二次国府台合戦

2012年03月10日 22:00

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 07:50:08.23 ID:SXHCuWTR
永禄6年(1563)1月、江戸城の守将、太田美濃守康資の上杉方への寝返りにより、安房の里見義弘が侵攻。
ここに第二次国府台合戦が起こる。

7日、大田の寝返りを察知出来なかった江戸城守備の同僚、遠山綱景、富永直勝らはこの恥辱を雪ごうと
無理な戦いを行い逆に百騎ばかりを討たれ大敗、里見軍はこの勝ちに乗じさらに攻勢を仕掛けた!

と、ここに立ちふさがったのが、この軍の大将である北条氏康嫡男・北条氏政である。
彼は遠山たちの軍の敗北を聞くと旗本に

「敵は勝ちに乗じてここまで攻めてくるに違いない!これを断固討つべし!」

そう下知し、少数であるにもかかわらず敵の来襲を待ち構えた。
案の定攻め寄せてきた里見軍を、氏政の旗本衆は勇猛に切り崩す!
その攻勢を止めただけでなく更に押し返し、首四五十を取る大勝を収めた。
この、勝ちに乗じた敵の大軍を、氏政の旗本だけで防ぎきった戦いぶりに、諸卒は
「氏政様は前代未聞の猛大将である」
と大いに感じいった。

さて、氏政は里見を追い返すと直ぐに、父氏康の居る本陣へと向かった。
本陣では未だ氏政の勝利を知らず、諸将を集め遠山たちの敗北にどう対処するかの軍議が行われていた。
そこに入ってきた氏政は先の戦いを報告し

「私は遠山たちが敗北した時、郎党2名を敵に紛らせ、向こうの陣中を見てくるようにと命じました。
彼らが帰って報告した所によると、里見軍は遠山たちを討ち取ったことに油断し、その諸軍勢を
国府台に悉く上げ、しかもそこで酒宴を行い千秋萬歳をうたっているそうで、その内の一隊たりとて
敵に備えようとする姿勢すら見えないそうです。

敵が来ると言うことを頭から考えず、主人は家来が何処に居るのか、家来は主人が何処にいるのかも
わからない有様だとか。全く、軍規は完全に乱れ、軍隊としての体をなしていません。
これでは義弘の運の末に、災を招かないわけがありません。
今御味方が彼らを急襲すれば、彼らの軍のうち正面の兵は国府台を降りて戦うでしょうが、中軍で
反応できるのは半分程度、後陣にいたってはこの戦いを見物することしかできないでしょう。

しからば、正面の敵は蟷螂の斧に過ぎず、これさえ切り崩せばそれだけで里見軍は崩壊します。
国府台を攻めましょう!私が先陣をつかまつります!」

これを聞いて氏康は考えた。早朝の遠山たちの敗戦は、日の出で朝の光が挿し込むところを、里見軍は
太陽を背にする形で攻め寄せてきた。それに視線が遮られ、それもあって彼らは敗北したのだが、
今は未の刻(午後1時頃)も過ぎ、これからは東にある敵こそ、太陽光線を正面に受ける。

「よろしい!国府台を攻めよ!」

この戦いに北条軍は大勝。里見は多くの重臣や名のあるものを討ち取られた。


北条氏政の奮戦と知略が光る、第二次国府台合戦のお話である。
(鴻台後記)




236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 09:33:19.45 ID:bk4aBLps
これは氏政のイメージが変わるいい話だな。
最後の最後で滅亡したせいでイメージ悪いけど、北条の版図を最大まで広げた
名将のはずなんだよな、氏政

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 10:06:46.39 ID:3jGOBb4k
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3042.html
まあ、一応、逸話そのものは既出
ちなみに翌永禄7年にも国府台で合戦があったとみられていて、
いままでは1年ほど開きのある両合戦をひとつの合戦として扱われてきた

時系列的には上杉の救援に来た里見勢を国府台で迎撃・撃退
康資の謀反失敗と里見によるその救援と失敗って感じなのかな

まあ、どっちにしろ里見はこれで房総に押し込められるんだけど
槍大膳の息子信茂が生き残っていたら、国府台以後の結果も多少違っていたかな?

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 16:33:42.91 ID:rxuTqEh7
>>236
武田の版図を最大まで広げた名将→武田勝頼
大内の版図を最大まで広げた名将→大内義隆

こういうのって版図を広げるために無茶をするのが原因なんだろうか。

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 17:06:52.61 ID:m286eOjF
~家の版図が最大になってる時って周囲の勢力も巨大になってることが多いからね

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 17:10:44.15 ID:4zSvJL0n
上の立花さんの話と関連付けるなら、版図の広さにも己の分というものがあるって面もあったろう
元就の訓戒例もあるけど

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 17:34:09.46 ID:lLG4Kp3L
>>238
この3人が投資トレーダーやったら一気に稼いで一気に破産しそうw

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 17:44:15.64 ID:F+QGeJxP
>>238
原因 もっと強い奴がいたから

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 18:26:50.98 ID:UE5C+ZI7
>>238
>大内の版図を最大まで広げた名将→大内義隆
大内の最大版図を築いたのは義弘じゃね?

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/10(土) 18:42:41.79 ID:79bp8Zno
義隆の時期は将軍家以上の権勢を誇ってるし

氏政・氏照の最期

2011年04月04日 00:00

474 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/03(日) 11:29:59.15 ID:LinmCTPt
氏政・氏照の最期

豊臣秀吉による小田原攻めは、北条家の領国を相模・伊豆のみとする条件で講和が成った。
秀吉は証として氏政をはじめとする北条一族に城から出るように申し付け、最初は渋っていた氏政らも、
榊原康政の説得により城下の田村安柄の館に移った。

当然、そこに待っていたのは講和の会談などではなく、北条家の取り潰しと氏政・氏照の死罪という通告であった。
秀吉は家康に
「我らが遥々ここまで来たのは、北条家を根切りする為である。ここで奴らを許してしまえば、前の言葉は無かったに等しい。
氏直は家康殿の聟であるので死罪は許そう。氏房・氏邦・氏規も同様で良い」
と告げ、家康も同意した。

北条家側への検使として中村一氏・石川正久らが向かったが、余りも痛ましい裁定に言葉を発せずにいたところ、
その様子をみた氏照は全てを悟った。
「これだけの方々が参られたのは、我らへの切腹の催促であろう。それでは沐浴の暇を戴きたい」


その後、氏照は家臣の、氏政は弟氏規の介錯で切腹して果てた。

左京大夫氏政
雨雲の覆える月も胸の霧も はらいにけりな秋の夕風
吾が身今消とやいかに思ふへき 空より来たり空に帰れば

陸奥守氏照
吹くと吹く風な恨みそ花の春 もみじの残る秋あればこそ
天地の清き中より生まれきて もとのすみかに帰るべらなり

その首は石田三成に下知して京都に運ばせ、一条戻り橋に架けられた。




476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 12:14:05.35 ID:27VEjGwZ
氏政さんは氏規さんの介錯なのか・・・;;
お互いどんな気持ちだったんだろ

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 12:45:07.04 ID:hO08aX5+
今度横浜に出張するとき小田原で降りて城を見るとするか
墓もあるんだよな確か

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 12:48:25.91 ID:RfRE4p6G
>>474
この2人の辞世の句好きだ

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 13:41:31.85 ID:CYe+9vZf
>>477
これがそうなの?ってくらい地味だった

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 13:59:54.15 ID:e4Uxizmp
>>474
大道寺を切腹させた件といい、尾藤を処刑した件といい、小田原合戦あたりの秀吉の逸話は
えげつないものが多いな。
それでも氏直は後に織田信雄の大坂の旧宅を宛がわれているし、督姫も大坂入りしているので
あるいはそこそこの大名として復帰する目もあったんだけどね・・・

>>479
鈴を結ぶと・・ってやつだよね?

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 14:51:50.71 ID:cEzvIEtO
>>476
正直なところ、介錯人が氏規で大丈夫なのだろうか…
斬首のプロか剣の達人でも無い限りは一撃で首は落とせないものだし
何度も木こりみたいにエッサエッサと首を斬ったんかな
戦国時代の介錯って時代劇で見るのとは大分違ってたとも言うし
氏規も別な意味でやりたく無かっただろうな

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 22:29:49.39 ID:fQBHq4jZ
>>479
気付かないであの辺の商店街ぐるぐる廻ってたw

甲州征伐の情報

2010年10月22日 00:00

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:02:30 ID:fmG5AzbJ
天正十年(1582)2月3日より始まった、織田信長による甲州征伐
織田家と同盟を結んでいるはずの小田原北条氏には、何の連絡も無い。

北条氏政が最初に異変を感じたのは実は早い。
信長の軍が美濃、信濃境に集結した2月3日、北条氏邦の支配する秩父谷から
注進があった

「武田家に何らかの動揺が見られる」

しかしその内容は不明確であり、氏政は「大したことではないだろう」と判断。
更に確かな「正説」を求めた。
この後も氏政と氏邦は毎日書状を交し合っている。

6日付書状
「このところ西国より人が下ってこず、西方の様子がわからない」
どうも織田徳川も、一種の情報統制をしていた模様である。

16日付の書状
「13.14両日の書状を見たが、事実を確かめないことには粗忽な行動はできない。
武田家の方から当方に駆け込んでくるものがなく、10日以降は武田家の情勢が全く
解らなくなっている。当方も何とかして情報を得る努力をしている。」

そして19日付

「京都からの情報が届いた。織田方の武田攻め、間違いない」

翌20日、直ぐに陣触れを出し軍を招集した。
22日付の氏邦宛の書状にはこうある

「織田軍が信濃の平地に展開したとすれば、武田は全く防戦できないだろう」

氏政の戦況予測は正確であった。


さて、このように織田方は北条氏との連携を全くとっていなかったのだが、あの
『信長公記』にはなぜかこう書いてある

『信長公は甲州攻めにあたり氏政に、関東口より攻めこむよう命じた』

信長公記の、特に信長後半期の描写は、織田家の「公式見解」「公式発表」を書き並べたものと
考えていい。
何故信長は、明らかに事実と異なるこのような見解を表明したのか、
色々と想像の出来る現実と信長公記との間の相違である。





895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:16:03 ID:0uY98ZBK
信長さんの北条家の舐め方半端ねぇwwww

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:18:29 ID:hJQec6XK
これ逸話っていうより、この前出た
「戦国合戦の舞台裏」森本昌広
をそのまま書き写してるだけじゃん

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:19:08 ID:BHSCcbN5
武田の領地を北条と分け取りするのが嫌だったとか?
武田潰したら次の敵は北条だろうし。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:28:01 ID:w2s6pPET
武田征伐成功おめでとうございます。って氏政が贈り物したら
この程度の物は腐るほどあるからイラネと送り返されたり
信長様の舐めっぷり半端ないでぇ

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 17:40:10 ID:Ng2lEcLl
>>896
この逸話結構有名だからそれ以外でも結構見る

まあ織田はすでに北條を仮想敵にしてたってことなんだろうな
のちの豊臣の北條に対する姿勢も、神流川の戦いの顛末もあるが
基本織田政権の方針で展開してるし

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 18:00:49 ID:caYaERoE
まあ、放って置く気はさらさらないだろうなぁ>北条
北条に公式通達すればそれによって武田への領土侵攻されれば、
織田からすれば邪魔以外の何者でもないし。

公式発表はするけどあっち側には伝えた
(ように見せかけて実質は情報統制かけて相手に情報を送ってない)
北条が気づいて用意するもその時にはもう織田は武田に相当な距離近づいてる。
結果織田は(信忠の超電撃侵攻もさることながら)北条のエンジンかかる前に武田を撃破し、
北条は「北条って行動遅いよね~」というマイナスイメージを食らうことになる。
機嫌をとろうとするも「そんなのはシラネ」と断られる。

つまり織田の「計画通り(キラッ」

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/21(木) 18:06:37 ID:Pu3i7ia+
>>899
北条氏政は天正8年時点で信長に鷹13聯を献上して服属の意思を表明し、10年3月には三嶋社に奉納した願文
で氏直と信長の娘との婚約を発表している。
信長は北条を従属的な同盟者と見て>>898のように見下すことあっても仮想的には考えていないよ。

北条氏政「初めての虎印判」

2010年03月08日 00:00

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 16:07:35 ID:wWdcoM6a

北条家で代々当主に受け継がれた「祿壽應穩」の虎印判。

家督を継ぐこととなり、氏康から譲与されたこの印判を
使って氏政が最初に発給した印判状の内容は、
瑞渓院殿の台所への肴の納入を用意させるものであった。

瑞渓院殿とは氏康の正室、つまり氏政の母である。
「当主としての初仕事はオカンのために!!」
初任給で母親にご馳走を買って帰る新入社員を思わせる
氏政の気概に、氏康が「これで北条家は安泰!」と
思ったかどうかは定かでないが、北条家の家族仲の良さを
垣間見ることができるエピソードの一つである。


474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 16:53:01 ID:JpNdemjC
黙れマザコン野郎 戦国にホームドラマしてんじぇねぇ
そんなんだから汁かけもまともにできねーんだよ! 


ってパパが言ってたよ




476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 17:22:48 ID:Vw3Q2try
>>474
子持ちの分際で親孝行も考えられない奴は正真正銘の人間の屑って伝えておいて。

ま、孝行かどうかはともかく、なんか納入させる場合は必ず印判状だす家だからなあ。
生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 17:30:46 ID:aHxWa1vS
>>476
> 生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。

毛利隆元「それは同じ城の中に住んでいながらいちいち書状で会話してた僕たち親子に対する」
毛利元就「批判と受け取ってよろしいか?」

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 17:33:28 ID:gjMhGE4X
教室の隅と隅でメール送り合うカップルじゃあるまいしw

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 17:33:38 ID:+a4GTZDg
いや元就さんあんたがちょっと変人すぎるからでしょう

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 17:34:40 ID:tmkXxz2W
交換日記や連絡帳や日誌みたいなものと思えば

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 18:29:42 ID:0bXOo6OI
細川忠利「生真面目にやらないと週二でお叱りが来たり、ハンコが薄いだけで手紙が突っ返されたりします。」

第二次国府台合戦の北条氏政

2009年10月19日 00:12

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/18(日) 09:25:58 ID:6QHr5jyQ
第二次国府台合戦、北条家と里見家や太田三楽が矛を交えた戦いである。
北条氏康がその機転により河越夜戦の再来とばかりに鮮やかに勝ちを決めた
戦いとしてしられている。
しかし実はもう一人、勝利の立役者が居たことはあまり知られてはいない。
そんな彼の珍しい武勇譚。

里見軍が夜中に後退した。
その情報を得た北条氏康は遠山・富永らを先手とし、がらめきの瀬を渡り陣を構えさせた。
そして要衝・国府台を占拠せんとそこに登らんとする北条の先手。
そこにわっと正木大膳が先頭に里見軍が立ち襲い掛かる、そう罠だったのだ。
待ち伏せにあった北条の先手は、遠山・富永両将をはじめ名だたる武士が次々うたれ
散々に打ち負かされた。
浮き足立つ北条軍に余勢を駆る里見軍が襲い来る。
「敵は勝ちに乗じて長途を走り疲弊している。まさにこれを討て!」と、団扇を振るい
手勢に下知をするは北条氏政。
氏政の旗本達は命は義によって軽しと、脇目も振らず一歩も引かず、
氏政勢だけでまっしぐらに攻めかかる。
思わぬ逆撃と連戦の疲労でこれ以上の深追いは危険と追撃を断念、兵を引いた。
里見軍が引いたそこには、钁湯無冷所と書かれた旗が堂々と翻っていた。

里見方は画竜点睛を欠いたとはいえ勝利は揺るがず、日暮れから小雨が降りだしたのもあって
英気を養いまた休息をとることにした。
明日こそは北条を悉く討ち果たさんと万全の体制を整えんとする里見勢、そう「明日」の決戦の為に。

里見の追撃をかわしたとはいえ、その日の戦いは先手壊滅の大敗北なのは変わりない。
北条方では緊急の対策会議が開かれていた。
氏康は遠山・富永を討ち取られたまま引くのは武士の面目が立たぬと即時の決戦を主張する。
それに賛同するもの、一旦引いて体勢を立て直すべきと主張するものなど、
意見は様々まとまる気配もなくまさに小田原評定の態であった。
その時、北条氏政が口を開いた。
「先の戦いの最中、郎従二人を敵勢に紛れ込ませその動向を探るように命じておきました。
 その報告によれば敵は国府台の陣を構え、我が軍を破り遠山・富永を討ち取ると
 諸勢入り乱れて酒宴を催しております。 千秋万歳と謡い、今が戦という覚悟も忘れ、
 夜襲あるを弁えず、主は従者の所在を尋ね、従者は主人の在所も知らぬ有様。
 軍法の秩序もなく勝ちに酔って算を乱したこの体たらく。
 北条勢が急襲すれば敵の前方は台を下りて向かい来るでしょうが、次の手は立ち尽くす他なく、
 後の勢は国府台にとどまるしかありません。
 敵は分散し、前陣の戦いを他の者共は見物するほか術はなし。前の一手も秩序なく
 蟷螂の斧に等しく、それを切り崩したその時は後陣は言うに及ばず。
 この度も氏政前陣」
これを聞いた氏康はついに決戦に決断。
軍勢を二手に分け、一方は氏康、一方は氏政がそれぞれ率いる事となった。
策を講じたその夜半、北条軍は粛々と動き出す。

雨がやみ、しかし霧がふかくふかく国府台を包み込んでいく。



敵を討つ 心ままなる 高野台 夕詠(ながめ)して かつ浦の里     北条氏康




704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/18(日) 18:52:59 ID:wfjPGwnh
>>703おー北条氏政の戦術眼と土壇場での強かさが示されているじゃないか。北条四代目のいい話。

これからすると本人は地味で普段あまり才知も感じさせないが、家のためなら即座に覚悟完了!
毛利隆元みたいな人柄だったんかね…

北条氏政、麦を刈り入れを見て

2009年09月28日 00:12

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:04:22 ID:PnnGojQG
まとめスレを見ていたら載って居なかったのでカキコ
有名な話なのでみんなが避けてたのかも知れないが


1562年(永禄五年)四月、北条氏政はとある合戦に出陣し、
兵達の勇敢な声や昂揚振りでにぎわう陣内を家老の松田憲秀と
共に視察していた。そんなある時…氏政は北条鱗の軍旗がはためく
彼方に、地元の農民が田畑より麦を刈り入れている光景を見た。

北条氏政>>おぉ。農民が麦を刈り入れておるな!!。゚+.(゚∀゚*)。+.゚
松田憲秀>>左様でございますな。(゜、。 )ンナニメズラシイカ?

北条氏政>>よし!今日の昼飯はあれで決まりだな。刈り立ての麦だ、
      きっと旨いに違いないぞ!!  。゚+.(゚∀゚*)。+.゚ワクテカ

松田憲秀>>…は。ゎ、若殿…?(゜、。;)ソレハヒョットシテジョークデ(ry

そしてこの話を聞いたのが御隣は甲斐国の戦国大名、甲斐の虎こと武田信玄。
その浅墓な様子を大いに酷評したという。

武田信玄>>(*>ヮ<) ははは、流石は北条氏政は大身の御家のおぼっちゃまだなァオイ!!
      言うことが違うわ、そこに痺れんし憧れもせんが!!

      麦っていうのは刈り取って直ぐに喰えるものではない。
      刈り取ったあと扱いで、こなして、潤して、搗いて脱穀して、
      天日に干して乾かして、また搗いて、水に浸してから煮る。
      そこまで手間をかけて、ようやく喰えるものなのじゃからな。』

他にも、北条氏政の食に関するエピソードに橙とオレンジの話がある。

一時期同盟関係にあった徳川家康が、海外より渡来した南蛮人よりオレンジを
手に入れた。当時は蜜柑の品種改良が進んで居なかったため美味ではなく、
そもそも手に入れようにも紀伊でしか栽培法が確立していなかったため
大変な珍品である。もちろん、家康はこのオレンジを北条氏政にも贈った。

しかし北条氏政、これを受け取っても眉をひそめるばかり。
北条氏政>>…――なんじゃ、これは橙ではないか。こんな煮ても焼いても食えぬもの、
      家康殿は何がめずらしゅうて贈ってきたのだ?。゚+.(゚皿゚#)。+.゚
松田憲秀>>…。(そこで考えるんだ、橙じゃないから贈って来たんだと。)(゜、。;)

なお、橙(だいだい)というのは正月を祝う鏡餅のてっぺんに乗っている蜜柑に
良く似たアレのことである。見てくれは蜜柑に似ているが酸味と苦味がひどく
食用には向かないが、『代々』に音が通じるため縁起物として扱われていた。
大坂冬の陣で遊郭に出かけて失態を犯した薄田兼相が『橙武者』と罵られたのは
『正月の鏡餅飾りにしか使えないような奴』という侮蔑に通じている。

そんな北条氏政の、(北条家五代で最大勢力を為した君主なのにろくな逸話しかない)悪い話。





796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:33:22 ID:hvB3zYXE
>>727
氏政は本当にいい逸話が無いんだよな
逸話自体少ないのに悪い逸話しかない


798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:04:09 ID:38wPH0Rn
>>792
その逸話(麦の方)自分の持ってる本だと
筆者がフォローしてたw
相模は甲斐と違って豊かだから
ボンボンの氏政には麦は身近な食い物じゃなかったんだろう的なw

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:55:33 ID:0Ags9n1x
>>798
豊かとかどうかって話でなく、単に創作だと思う。
中国の東晋の皇帝にほぼまんまな話があるし。


812 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/27(日) 05:35:32 ID:yW2+a2t1
>>792
芝の覇王の家だと、芳情過信^h^h^h^h北条家臣もそう思ったようにかかれてて、
駿河では橙が珍しそうだから、相模からも送るということやらかして、
ますます老廃国との印象をだしてたな

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 12:22:06 ID:PLclCwD4
>>812
司馬さんは徳川にも厳しいけど
それ以上に東国の武士に関してはかなり厳しいよな……
基本的に東側の人間からすると時々納得いかん書き方の時あるわ
滅ぼされるべき旧勢力以上の見方はしてくれてないイメージ

氏政は北条贔屓倒しの小田原北条記ですら
歴代北条家当主の中で一人だけ呼び捨てだったり
武勇をアピールする逸話が全然なかったりするし
フォローは難しいのはわかるんだが……


北条さん家の教養シリーズ・北条氏政

2009年06月28日 00:08

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 00:17:38 ID:i31hCh32
北条さん家の教養シリーズ


北条氏政の下に、都より勅旨が参られた時の事。
氏政は小よろぎの磯という所で、月見の宴を催した。

ここで歌合せが行われたのだが、氏政は最初の句として

『秋もなかば 我身もなかば こよろぎの いそがぬ年の いかでたつらん』

氏政はこの時三十歳。六十を一期として、「我が身も半ばとなった」と詠んだのである。

この見事な歌に勅旨は感じ入り、「今夜は、この上の詠歌はいらないでしょう」と、
その夜は、この一首のみの宴となった。

やがて勅旨が京に帰ると、その歌は勅旨の口から叡聞に達し、叡感の余り
御薫物五香を氏政に下された、ということである。

氏政の歌、帝も唸らせるの巻






北条氏政とその妻黄梅院・いい話

2009年06月17日 00:06

517 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/16(火) 22:01:25 ID:mY34sogt
北条氏政は武田信玄の娘の黄梅院を妻としていた。
この夫婦には後の当主氏直がうまれている。
さて、信玄が駿河を攻めたという知らせと共に、
甲相駿三国同盟は破棄となり、氏政夫婦は離縁と決定した。
武家のならいであるとは言え、当の氏政は最後の最後まで渋ったそうだ。
黄梅院の甲斐送還の時、氏政は16貫文という大金を与えた。堪忍料としてだが、
甲斐での生活がうまくいくようにとの配慮もあっただろう。
だが、黄梅院は甲斐に帰ってからすぐに、27才で亡くなってしまった。
数年後、父親の氏康が亡くなりもう一度、甲斐と同盟する事になった。
このとき、氏政が信玄に頼んだのは、黄梅院の遺骨を分けて欲しいと言う事だったのだ。
この願いは叶えられ、黄梅院の遺骨は早雲寺の黄梅院と言うところに
北条家正妻として葬られたという。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 01:45:42 ID:N7kwatHj
>>517
嘘か真か、
氏政は横梅院を国境まで見送ったっていうしね。

愛妻と離縁しろといわれ、いやいや離縁した直後、
幼い我が子を越後へ人質としておくれとして言われれば、そら出し渋るぜ。

というか氏康は氏政になんか恨みでもあるのかw


526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 02:13:56 ID:B4sjYwER
箸の上げ下ろしというかメシの食い方まで文句をつけるくらいだからね>氏康→氏政
ごはんに汁を何回かけようが構わないじゃんって思うよ

と、まあ例の汁かけごはんのエピソード自体が実話かわからんけど
そんな話が伝わっちゃってるのって
氏政の凡庸で悪い話ってことではなく
氏康の子育て失敗あるいは細かいこと気にしすぎの悪い話じゃないのかと思ったり

……おっと、ここはいい話スレだったw

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 02:47:33 ID:K5UUVEQL
ていうか、今に残るレベルの公的な飯の話をしたってことは、重臣クラスも前での話ってことだよな
今ですら恥の文化は重要なのに、そんなことを面前で話された息子の立場は?っては思う

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 02:54:07 ID:w2N/mc48
それ以前に、氏康ほどの人物が家臣たちの前で「我が家も息子の代で終わりじゃ」なんて言うとは
思えないんだが

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 02:56:15 ID:plHqbbKx
自分ではなく親父の子なんだな、きっと

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 03:03:49 ID:vKdMXfzQ
つーか、氏政は結果的に北條家を滅ぼしてしまったから、必要以上に悪く言われてるね。
今に伝わる氏康の叱責ってのも、氏康の口を借りて後世の人が言わせたものだと
考えるべきでしょ。
氏政は、実際にはかなり早い段階から北條家の軍事、政治に参画して、氏康隠居後は
外交などを除いて、ほぼ当主としての権限を行使している。関東からの謙信の勢力の駆逐など、
氏康の功績とされるものも、多くは氏政の手によるものだったと考えて良いと思うよ。


531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 04:17:57 ID:TVqZQ0W8
氏政、氏直親子は実績はかなり凄いのに割り食ってる部分があるね。
氏直はお祖父ちゃんが氏康と信玄で舅が家康とか胃に穴が開きそうだ。
親戚のおじちゃん連中も変なのぞろいだ。

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 08:17:38 ID:sl8nojpr
で、TERUがなんだって?

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 09:35:47 ID:WVzW1D1O
北条氏康も生涯無敗で相模の虎とまで言われたのに軍事面で影が薄い

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 13:26:37 ID:xrk8Fwl8
>>533
武田や上杉が進行してきたら小田原に引きこもっちゃうからな

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 15:32:02 ID:N7kwatHj
>>533
このスレは検証不要だから真偽はともかく、

・小沢原で初勝利
・第一次国府台に参加
・河越夜戦で大勝
・第二次国府台で逆転V
・第二次駿河進行で信玄を完封

と主だったものだけ見ても凄いと思うぜ
まあ軍事面の影の薄さでいったら氏政のが凄いけどな。
結構な回数、自ら軍を率いて各地を転戦してるのに、
引きこもりとか言われちゃってるしなw




夫婦話リンク
武田勝頼の妻、北条夫人の願文
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安藤豊前守良整、未来を予見する・いい話

2009年03月13日 00:26

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 20:14:22 ID:Go4QQ2HS
関東から時代を予見した男の話

北条氏政の家臣に、安藤豊前守良整という能吏がいた
彼は主に出納関係を担当していたが、ある日、伊豆の漁村へ書状を送った
同じ浦の漁村が、課役逃れのために虚偽の百姓逃散を申し立てていたことが判明し、
その処分を浦々に告知する内容だった
良整は、書状の中でこんな感慨を書き綴っていた

「もし、夜逃げした者が村に戻ってきたら、二度と欠落など考えぬよう言い聞かせよ
当世、どこへ行ったとて、人の主になどなれぬ世間になってしまったのだ
その侍といっても、やがては草鞋取りとなり、裸足で使い走りさせられる時代がくるだろう
思慮のない行動はよくない
やはり、百姓として精一杯働くことが賢明なのではないか」

書かれたのは天正元年、天下統一のなる18年ほども前のことだった




747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 22:21:27 ID:YhxT62VW
>>746

なんか秀吉、家康の時代というよりもホワイトカラーのリストラ、
格差社会、ワーキングプアーの広がる今の日本を見越してたのかな・・・

今、派遣切られて農村に行く人も多いしね。

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 22:29:10 ID:6UXT1RKR
>>747
農家の人、募集かけたけど人コネーヽ(`Д´)ノって拍子抜けしてたど>派遣切り関連採用

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:06:03 ID:YhxT62VW
>>748

九州四国では、離村による田畑、山林の荒廃、洪水の頻発、
大問題だよ。飛行機から見る豊後国東、肥後の山々は荒れ放題でござる。

食料自給率40%なんて、戦国時代より飢餓が身近なのにね。

戦国時代は、今よりもっともっと知恵があったような希ガス。

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:30:16 ID:beGomCQg
そりゃ常に精子が掛かってるんだから、必死にもなる。
今見たくぬるま湯に浸かっている時代の人間と同列で見ても意味は無いさ。
戦国時代と江戸中期でも、多分同じような比較があったと思うよ。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:33:20 ID:6UXT1RKR
>>750
単なる変換ミスだろうけど
男色大名スレからS玄公とか弾正公とかがウホウホ喜んで飛んできそうな文章になってる・・・w

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:37:44 ID:n60Z022n
O内Y隆「zip」

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:44:07 ID:hcarDziN
五右衛門「ワシも最初はぬるま湯だとおもっていた。」

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 23:59:21 ID:ZOReC9ZI
>>749
自給率の数字はそりゃ下がってるだろうが、
戦国時代の方が普通に飢えやすかったと思うw

派遣切りの農業募集は、TVの特集で月給が手取り15万くらいにしか
ならないから人が来ないと言ってたが、田舎だとそれより安い
フリーターがゴロゴロ居るし、金銭にシビアな農家の人にしては
出したな~って感じだが、まあいきなり農家ってふんぎりはつかないだろうね。

>>753
あんたのはぬるま油じゃねw


755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 00:01:06 ID:9m9Ggk79
>>754
まぁ、正確にゃそうなるなw

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 00:07:11 ID:BVrwbNlh
>>751
これは恥ずかしいミスをしてしまったww
ちょっとS玄公に掘られてくる。

北条家の裁判にて・悪い話

2009年03月10日 00:12

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 01:23:07 ID:l3alOe4m
ある時、市の所有を巡り、北条家臣同士が争論となった
一方が相手を訴え、裁判に持ち込まれたが、被告はその裁判官について必死の抗議をした

「ちょっと待ってくださいよ!
実は私、評定衆の山角さんとは仲が悪いんです
今回の訴訟も、原告が山角さんと談合したって聞きましたよ
山角さんとのいざこざは、求めがあればいくらだって説明しますから、
とにかく彼をこの裁判に参加させないでください!(涙」

が、この直後、山角はグルの原告に書状をしたためていた

「ご当主が出陣したので、ちょっと裁定は遅れるかもね
でも安心してね、君が勝つことは間違いないからね(笑」

数日後、やっぱり原告勝訴の判決が下った
こんな裁判記録が後世に残っちゃったのも、北条氏の生真面目な文書主義のおかげです




731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 11:24:26 ID:6TGLeQBL
>>731
鬼武蔵「俺だったら即解決!」

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 11:27:30 ID:WJiIOv/3
>>731
……あ、アウアウ!

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 11:35:36 ID:zVxp2b9E
>>732
そいつに触れることは”死”を意味する!

734 名前:自己レス?[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 15:17:05 ID:mK7+2di9
>731 ID:6TGLeQBLの所へ百段がスキップして行きましたよー


735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 19:04:51 ID:M4DMtA9C
>>734
   /ヾ∧
 彡| ・ \
 彡|  ヽ_) つ <長可様━━━━!!
 (つ   /
/   (⌒)   ズドドドド!
/ ___し


736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 19:33:12 ID:B+d2fH5D
実は転生してツインターボに生まれ変わっていたんじゃないかと妄想した。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 21:29:26 ID:M4DMtA9C
>>736
黒毛の軍用馬の百段ってのに乗ってる
先月戦働きの褒美として信長様から頂いた
カッコイイ、マジで
そして速い
鞭を入れるとと走り出す、マジで
ちょっと感動
しかも駿馬なのに調教が行き届いているから操作も簡単で良い
軍用馬は速さが無いと言われてるけど個人的には速いと思う
競走馬と比べればそりゃちょっとは違うかもしれないけど、そんなに大差はないって
信長様も言ってたし、それは間違いないと思う
ただ城の石段とか乗り越えると流石にちょっと怖いね
俺が乗ってるのに平気で駆け上がるし
速度にかんしては百段も松風も変わらないでしょ
松風乗ったことないから知らないけど逸話が多くあるかないかでそんなに変わったら
アホ臭くてだれも騎馬武者になんかならないでしょ
個人的には俺の百段は十分に速い
嘘かと思われるかも知れないけど京の市中でマジで天皇の行列を抜いた
つまりは天皇ですら俺と百段には勝てないと言うわけで、それだけでも個人的には大満足です

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 21:58:28 ID:ZygskCA5
>>737
まさかこのスレでGTO改変を見るとはw

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/09(月) 22:04:27 ID:9Te/TsOK
このスレの住民、マジ多才w

北条家、岡部権太夫の指物・いい話

2008年12月18日 00:07

357 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/17(水) 20:14:00 ID:Pv7ERzlu
北条と佐竹が、下野において争った折の事

北条方の武士、岡部権太夫は首を一つとって陣へと帰ってきたが、何かおかしい。
よくよく身の回りを見ると、なんと自分の指物がなくなっている。

「しまった!落としてきたか!」

そう悟ると、「ゴメン、ちょっと行って来る。」
北条家の者達が唖然とする間もあればこそ。彼は首を引っさげたまま、再び
佐竹の陣へ向かって馬を駆けた。

敵陣近くまで来ると、岡部は大音声を上げた

「わしは下総の住人、岡部権太夫と申す!今日の戦において敵と組討し、首を一つ取ったが、
そのおり我が指物を落としてしまった。

この首はまだ、実験に入れてはおらぬ。出来ることならこの首と我が指物を、取り替えて
いただきたい!我が指物は猪の紋である!」

すると佐竹側から一騎が進み出てきた。手に、指物を持っている。

「戦場で拾い申した!これの事でござるか!?」

「おお!いかにも!」

そこで、指物と首を交換し、互いに分かれて自陣へと帰っていった。
このことは両陣において、ゆかしき振る舞いであると、評判になった。



358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 20:30:57 ID:Igwh8dyc
>>357
こういうの好きだなぁ
敵味方とはいえどお互いに敬意を払ってる感じが

上杉憲政と北条氏康の戦いで、負けて落ち延びる上杉方の難波田弾正(?)が、
追っ手に対して和歌を歌って、その心に感じ入った追っ手が追撃を止めた話とか、そういうの

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 21:08:27 ID:KsUiq929
互いに信頼感があるんだな。俺だったら指物持って帰るとき
後ろから撃たれそうで怖い。

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 21:18:26 ID:cmA7ZGqc
>>359
それを覚悟の上、自分の手柄になる首級を返すという気持ちを見せたからこそ、
佐竹側も気持ちで応えたのだろう。

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 21:20:42 ID:jHJ4Odue
武士道だな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 21:22:02 ID:7N5GHXU7
>>267-268と言い、関東にはまだ鎌倉武士の心意気が残ってたんだな…

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 21:51:14 ID:v5T2fIZh
これが中央に近くなると後ろから鉄砲で狙撃して「犬とも言え、畜生とも言え」になるわけですね、わかります

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/17(水) 22:27:07 ID:N0e4m/t7
でもあの言葉は響きよくて好き。

北条の制札・悪い話?

2008年11月29日 00:03

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:15:51 ID:WBe8c8bb
制札を嘆く

北条氏政の時代、ある僧侶が小田原に立ち寄り、制札を見てこう嘆いた。
「ああ、北条家も末か、滅亡の兆しが見えておる。」
僧侶の嘆きの報告を聞いた町奉行はこの言葉の意味が分からず、僧侶を奉行所に
呼んだ。
「実は貴僧がしかじかの嘆きをしたとの報告を受けたが事実か。」
「事実です。」
「制札の条文に誤りがあるのでしょうか。」
「いいえ。条文自体誤りはありません。」
町奉行は条文に誤りがないのに「北条家滅亡」を公言した僧侶の言葉にはよっぽ
どの理由があるに違いないと思い、
「愚かな私には制札が悪い理由が分かりません。ぜひ貴僧の道理でその疑問を解
消して下さい。」と頼んだ。
「実は、拙僧は30年前の氏康公の時代に小田原に立ち寄ったことがありました。
その時の制札は僅か5条でした。ところが、今日見た制札は実に30条も有りました

そもそも、名君の威には民は心服しますから、法度でわざわざ規制する必要は有
りません。逆に、主君の威が衰えると、民の心が離れ法律の威を借りる必要が出
ます。
だからこそ、制札の条文の多さに北条家の威の衰えを感じ、御家も末だと嘆いた
のです。」
それを聞いた町奉行は感服して、僧侶の言葉を記録したという。
(武将感状記)



729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:22:40 ID:deBa+BAm
>>726
氏政ががんばって法律整備した、と考えられなくないかな。
なんて弁護してみる。
でもこれ、四天王だったら僧侶首とんでそうだな。

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 00:33:56 ID:7fqsM08T
>>729
つーか、後北条氏は近世的な文書行政と法治主義の権化だからなあ。
そういうものが煩わしい、慣習法でいいだろ、と思う世論があってもおかしくはない。
この時代の僧侶って、主君に領民の不満を伝える役割も持っているから、こういう
逸話があっても、まあおかしくは無いね。

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 10:15:43 ID:EBP0y7lq
>>726
この逸話も、かの汁かけ飯話のように
氏政を貶める為の捏造話だと思ってた。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 10:58:56 ID:R8r+45k4
法ってのは最初は単純、後々になって抜け穴を通って悪さする奴が
出てきて複雑になっていくのが常だから、先代<次代になっていく
のは仕方ない。特に北条みたいなシステマチックな運営だと。

その坊主は威権主義者で氏政は法権主義者、それだけの違いかと。
法の中身がずれたものでないのならね。

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 11:01:54 ID:7fqsM08T
>>733
最終的に話を聞いている逸話は、貶めのための物ではない。
文句言うやつを問答無用で牢に入れたり殺したりすると貶め。