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蒲生氏郷と伊達政宗の、初対面にて

2009年11月27日 00:13

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:56:02 ID:xlxJDe4X
天正18年(1590)、会津を拝領した蒲生氏郷は、奥州、葛西大崎一揆への対応を協議するため
伊達政宗が陣する吉岡に出向いた。これが氏郷と政宗の初対面であり、
かねてよりその野心を大いに噂される政宗の元に赴くことに、氏郷に同行した
蒲生家中の面々は、あの鴻門の会もかくや、というほどの強烈な緊張下にあった。

両雄対面し挨拶、そして一揆の状況分析、ならびにその対応策を話し合い、
双方の作戦を決める。何事もなくすんだ。ここまでは。

会議が終わると政宗より、「少し時間は早いが」と、饗応が出た。
伊達、蒲生双方の家中、定められた座に座り、そこに膳が並べられた。

さて、この時、蒲生家中の末席に、あの蒲生郷舎もいた。

会食が始まらんとした時、郷舎、突然立ち上がると、政宗、氏郷の座のほうに
つかつかと歩み寄り、先ず政宗の前に据えられた膳を取り上げ、さらに
氏郷の前に据えられた膳を取り上げると、それぞれを取替えて再び置きなおした。
そうして政宗に向かって

「このような軍門における会見では、茶を飲み酒を酌み交わすことすら
互いに疑い深くなっているものです。
そういった疑いを晴らすためあえて、このような事をいたしました。
どうか私の出すぎた無礼とお考えになりませぬよう、お願いいたします。」

と、あくまで座の興を冷まさぬよう、朗らかに言った。

これに政宗

「ぬう!?突然持病が!!すまぬが、今日はこれで失礼いたす!」

と、その場を立ち去ってしまったと言うことである。




598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:02:13 ID:SLQraHzo
>>596
 流石は政宗……でいいのかな?


599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:32:08 ID:hJKQ2rJ5
>>596
政宗の行動は容疑を認めているようなもんだろw
こんな小物臭がするのに戦国生き抜いたのは凄い

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 23:36:28 ID:4v4PSgvW
>>596
王道を行く蒲生さんと比べると
腹黒いうえにやり方がせこいんだよな。

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 00:13:18 ID:0bjJYWl/
>>600
どっちも当時の武将のなかでは、かなり優れた人物といっていいと思うけど、
そのベクトルが全然違うというのが面白いなw

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 00:14:36 ID:7lTB7ILI
その話、大河の独眼竜でみた。元ネタ逸話ってあったのか。
大河じゃ、その後蒲生の人達が怒って帰って行って、政宗達が笑いながら
毒疑惑の飯喰ってたんだけど。
大河だと結局毒盛ってないのに、なんでわざわざ疑われる様な事したのか、未だに謎なんだ


604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 01:23:30 ID:QNEsUTh9
>>602
毒殺疑ってびびってろよpgrって感じの嫌がらせだとおもww
ほんとに毒盛ったりしてたら取り潰してくださいって言ってるようなもんだしね。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:03:41 ID:2gOcS1ec
>>596
似たような内容をどっかで聞いた事があるな
ただ、登場人物は伊達と蒲生じゃなかったと思ったけど

これも一種のテンプレかなぁ?

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:05:31 ID:bBvGnIKE
伊達が出てくるといい話でも必ず悪いオチがでてくるんだな。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:32:34 ID:0Uev2M0k
>>609
まーくんは、トンデモ話テンプレに、ほぼ必ず当てはめられてる気がする。
それだけ昔から、良くも悪くも人気があったということなんだろうね。

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:32:39 ID:Kf28vwj0
>>596
この話、本当かな?
毒を盛ってます、ってバレバレだし。

できれば出典を教えてほしい。

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:04:01 ID:7FiLlgLs
>>612
出典は「会津四家合考」です。

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蒲生郷舎の出奔→帰参

2009年11月25日 00:15

567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/24(火) 12:03:36 ID:fd3BhjP8
昨日のまとめで蒲生さんと相良さんの三回出奔の話で思い出したけど、
関ヶ原時に石田三成のとこにいた蒲生郷舎も蒲生騒動その他、蒲生家中で他の重臣と
うまくいかなくて出奔、放逐してるんだよね、蒲生家が代替わりする毎に出奔→帰参みたいな。
それでも何度も帰ってくる、なんか。
「べ、別に好きで帰ってきたんじゃないんだからね!あんた(時の蒲生家当主)が
頼りないから仕方なく戻ってきてあげたんだから!」
て、心の声が聞こえてきた。
最後は幕府の介入もあって蒲生家放逐となり没年が不明ということは
他家には仕えなかったのかな?寂しい最後だったんだろうな…。
殺された相良さんよりはマシかもしんないけど。




568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 14:55:39 ID:vL4A8Vji
>>567
渡辺勘兵衛みたいに奉公構までされときながら
銭湯経営して小金稼いで時々知り合いの大名の所に遊びに行く
なんて人もいるからニンともカンとも

まあ結局はその人の才覚に寄るんだろうけど