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真壁道無、婿の使者が来て

2009年11月26日 00:08

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 22:46:48 ID:E/1rkV7F
佐竹配下の猛将、真壁道無は、新たに佐竹家に参じた太田資正の連れている若者が
気になり、何者であるのか、資正本人に尋ねた。
「ああ、あれは私の息子です。名門梶原家を継ぎ、梶原源太と名乗っております。」

名高い三楽斎の息子と聞き、ますます気に入った道無は、源太に申し入れた。
「わしの娘に、おぬしに似合いの年頃の者がおる。もらってはくれまいか?」
「せっかくですが、お断り申し上げる。」
「なにぃ!わしの娘が気に入らんと申すか!」
「…そういう訳では、ありませぬ。とにかく、お断り致す。」

その後、源太は手這坂の戦いで百人力を誇る道無の息子、氏幹に勝るとも劣らぬ手柄を
立てた。家中の賞賛の中、源太は道無のもとを訪れた。
「どうか、娘御を私に下され。」「はて、今のおぬしなら、嫁など家中に引く手あまたじゃろう。
なぜ一度は振ったわしの娘など欲しがる?」
「逆をお考え下さい。あの時、新参者の私が他国にも知られる道無どのの娘御を娶れば、
家中の者に何と言われたか。
私は道無どのの婿たるべく名を揚げるのを、ひたすら待っていたのです。」
大いに感心した道無は、喜んで娘を源太に嫁がせた。

ある日、鰯をオカズに食事を取っていた道無のもとに、梶原源太改め美濃守政景の使者が
やって来た。道無はあわてて鰯を膳の下に隠し、使者と会った。
それを見ていた道無の家臣は、政景の使者が帰った後に、あきれて道無に訊ねた。
「常陸にその人ありと知られる真壁道無ともあろうお方が、何故そのようにうろたえた真似を
なさるのですか?」
「まぁそう言うな。梶原美濃は、わが婿ながら見事な男じゃ。あの男は、鰯を食うなら半分ずつ
食って金を貯め、武具を買う。
この道無が、鰯をまるまる一尾食っていたなどと聞けば、『贅沢である』と言うに違いない。
わしには、それが耐えられん。」

姉妹スレの天庵様ブームに対抗してみますた。




640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:03:21 ID:NB8Ta7c3
>>639
真壁は内陸だし
当時いわしは大変な贅沢だったと思われ。

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:20:39 ID:F+Ax3MK9
鮮魚は日持ちしないからね。
この鰯も干物かも。

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:35:22 ID:9My1oxhx
天日干しなんじゃないかなぁ。
すでに地域によっては肥料としての干鰯の利用も
始まっている時代なので、高級品ではないと思うけど。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 23:37:26 ID:03JHB4CK
>>640
当時どころか、40年ほど前まで海の魚はご馳走だったw
普段は鯉とか鮒とか公魚とか、そんなのばっかり


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 07:31:03 ID:KhORnkew
>>639
当時の嫁取りってホントに家との結婚なんだな
吉川元春みたいに、相手の父親の武勇にあやかったり

凄いと思ったのは賤ケ岳で討死した中川清秀の息子が
父の仇の佐久間の娘を懇願して貰い受けたってのはハンパないと感じた
家中の反対は現代の比じゃなかったみたいだし

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