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佐野祐願寺顛末

2013年09月12日 20:00

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/11(水) 21:04:40.21 ID:iG+KXh3w
佐野天徳寺の弟に、祐願寺という武者法師が居た。

この祐願寺、背が高く筋骨たくましい、大変な暴れ者で、弓、馬、長刀、槍と、
どれを取っても名人であり、ふだん、真紅の綱袋を腰に下げ、その中にいつも砥石を入れていた。
これは戦場で敵を2,3人斬ると、直ぐに武器を研いで次の戦いに備えるためであった。

彼は武者修行のため佐野を出て諸国を廻っているうちに、甲府に来て武田信玄の庇護を受けた事が
あったが、ところがこの時、祐願寺は自分の素性を明かさず、あまつさえ千貫の知行を望んだ。
信玄は面白い奴が来たと思い、近くに召して生まれた地を尋ねたが、祐願寺は

「ともかく一働きしてから」

と、姓名すら明かさなかった。
そのうちに戦があり、祐願寺は得物をとって走り回り、世人を驚かすほどの手柄を建てた。

信玄は再び彼を呼び
「もうそろそろ名乗っても良いのではないか?」
と聞くと、祐願寺もこれ異常黙っていることは出来ないと思い
「拙僧は、佐野の天徳寺了伯の弟で、祐願寺と申します。」
と、初めて名乗った。

信玄はこれを聞くと
「そうか、只者ではないと思ってはいたが、それにしても千貫を要求するのはいかがであろうか?」
「それに値する者だと思っていますが…」
「いや、千貫匁をどうこう言っているわけではない。わしにとって千貫は大した数字ではないのだ。
しかし、わが家譜代の者達に二貫、三貫、あるいは四、五貫程度で賄っているのに、例え名字正しき
ものとはいえ、他所者の、それも新参のそなたにいきなり千貫をつかわしては、旧来の家臣たちの
憤りをも招き、家の害ともなってしまう。

時に今、東国においてそなたのような覚えある者を大禄で抱え、ひと角の武将に取り立てうるものは、
この甲斐の信玄、そして越後の上杉謙信の他にはあるまい。急ぎ越後へ行って訪ねてみよ?」

そう言って信玄は彼に、太刀一振り、鞍馬一匹、更に旅費として黄金十枚を与えた。
祐願寺はその足で甲府を発って春日山に行くと、この事を吹聴した。
上杉謙信はこれを聞くと即座に彼に千貫匁の知行と与力の役を与え、自分も時々、彼から長刀の
指南を受けた。

ところが、この頃春日山に、やはり武者修行して上方より来たという何某という槍の名人が居た。
彼は越後にとどまり、直江大和守実綱、その嫡子神五郎を始め、上杉家歴々の者達に
槍の指南をしていた。しかし祐願寺は彼の腕前を見て、正面から堂々と、その未熟さをあざけった。

このことが謙信の耳に入り、二人は公開の場で真剣勝負を行うこととなった。
祐願寺はこれに勝ち、何某は御前にて屍を晒した。

しかし、これ以後何某に指南を受けていた直江を始めとした歴々の者達が折にふれて
祐願寺を悪しざまに言ったため、謙信も家中の和を保つために、結局祐願寺を殺した。

このことが関東の佐野天徳寺に聞こえ、かれは謙信に恨みをいだき、彼は佐野の幼主である
小太郎宗綱を説いて北条方へと寝返った。
(関八州古戦録)

佐野天徳寺の弟、祐願寺の顛末である。





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佐野祐願寺「戦国リクルート」

2009年11月27日 00:06

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:43:41 ID:nUmmbAP5
「戦国リクルート」

下野の唐沢山城を拠点とした、佐野昌綱という小豪族があった。
その三男は祐願寺という名で、新当流の達人だったという。
彼は素性を隠し、剣術修行がてら武田信玄に仕えた。
合戦では無茶苦茶に暴れまくり、途中で逃げ出したかと思うと、砥石で
長刀を研ぎ直してから再び突撃。
しかもそれを一回の合戦中に二度もやって信玄を驚嘆させた。
信玄に呼び出された祐願寺は素性を明かした上で、恩賞をねだった。
「俺、すごいでしょ。恩賞に一千貫文ください」
これに対して信玄は、
「お前には確かに一千貫文の値打ちがある。しかし、当家譜代の者でも
ニ百~五百貫しか与えていない。
それでも命令どおり命を投げ出して働いてくれるんだよ。
いくら手柄を立てようが、出自が正しかろうが、新参者に高禄を与えれば家中に害が生じてしまう」
と、やんわりと断った。その上でこんなアドバイス。
「関東にはお前を召抱える器量のある武将はいない。
いるとしたら越後の謙信だけだ。そっちにいってみたら?」
佐野祐願寺は信玄の転職アドバイスに従って越後で謙信の面接を受けた。
信玄の言葉をそのまま伝えたところ、即一千貫文で採用。
歩兵弓頭となり、剣術指南の一人となった。

越後上杉に採用された祐願時は、自分以外の剣術指南役の稽古にケチをつけまくった。
このことが謙信の耳に入り勝負させてみたところ、圧倒的に祐願寺が強かった。
口先だけでは無いのだ。
が、その勝負から数日後、祐願寺は甲斐武田のスパイだという噂が流れた。
いくら否定しても広まるばかり。彼には全く味方はいなかった。
ついに身の潔白を示す為に切腹したという。

今も昔も職場の人間関係はやっかいだという悪い話。




630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:53:21 ID:Vv/9T7oL

>>628
その後ちゃんと身の潔白は晴れて供養してもらったんだろうか…

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 23:09:13 ID:tJ0542fK
>>628
コイツに禄を与えたくない、しかし敵に回られてはやっかいだ、そうだ謙信に殺させよう

そこまで信玄が考えているんじゃないかと勘ぐってしまう


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 09:36:14 ID:eRljPu5T
>>628
面白い話だ 訴訟マニアの曲渕を飼いならすほどの人が手放すか

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 10:28:53 ID:WfpGq4HE
まんま道徳訓になるよな
実力があるからと思い上がって周囲のものを批判ばかりしていたら
立場が悪くなったとき誰も味方してくれる者がいないなりますよーという