金森可重の愛妻遍歴

2009年11月27日 00:08

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:33:03 ID:idBdSMEq
金森可重の愛妻遍歴

飛騨国高山藩主・金森長近の息子(養子)に二代藩主・金森可重という男がいた
二代将軍秀忠の茶道指南役を任されたり何気にスゴイ人物だが
一人の女にゾッコンになるとどうにもならない面倒くさい人物でもあった。

最初の正室は遠藤慶隆の娘にちょっかいを出して正室に迎え
気持ち悪いぐらいに可愛がりあまりにも溺愛してくるので側室も多く不安の身では
あったが室町殿はあまり機嫌は損ねず妻として平穏な日々を暮らしていたはずだった・・・
が、とある風の噂が可重の耳に届いてしまった・・・。

可重が聞いてしまった噂は文禄三年(1594年)に絶世の美女と名高い
高家名護屋氏の娘(名護屋高久の娘)が津田織部と離縁したとの事だった。

そして今は弟の名護屋山三郎を頼り伊勢で二人で暮らしていると聞きつけ
可重はさっそく伊勢へお忍びで偵察に向かいあっさりと一目惚れしてしまった。

だが、この弟は主君の蒲生氏が亡くなっていたので喪に服している最中であり
離縁したばかりの姉と慰め合って生活している真っ最中で、森家の当主と妹の婚儀ですら
両家の友人代表として媒酌人を務めた細川三斎忠興の必死の説得で何とか出席したほどで
主君の死で気落ちと苛立ちの波にあり下手に近寄れなかったので可重は手紙攻撃に出た。

「重頼の母堂ハ名護屋因州女也始ハ津田織部嫁せられしか文禄年中離別有りて後弟の
三左衛門が許に居られしに美女なる故可重の乞求て伊勢国より入興なり」
 ※金森家『家説類聚』より

ストーカーしまくったあげくに一切引く気がないので名護屋氏の方のほうが折れて嫁いだ
そんなこんなで名護屋氏の方の呼び名は、「伊勢のかみさま」「中段さま」と呼び名が上がっていき
慶長十九年(1614年)室町殿との間の長男・重近を廃嫡、続け様に次男・重次すら遠ざけ
遂には室町殿を離縁、名護屋氏の方を継室にし二人の間に生まれた三男・重頼を藩主にしたので
室町殿母子たちは山内一豊に嫁いだ室町殿の叔母・千代を頼って家から出ていくしかなかった。

元和元年閏(1615年)6月3日に可重は最終的に「慈弘院」という号となった継室
名護屋氏の方の死後1カ月もたたずに謎の死(死亡理由が一切不明)を遂げた。




624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 18:52:14 ID:/mYZM9Uc
>>613
ひでぇな、これw

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:19:57 ID:GyLFU62o
重近って確か有名な茶人になってたような気がするけど、彼の廃嫡にはそんな背景があったんか…

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:21:21 ID:Vv/9T7oL
嫁さんが格上の家の場合に良くある話と思って調べたが

名君3代目も森家の小澤さんから従妹ゲットで4代目にして
4代目も本多家から森忠政の孫娘にあたる姫をゲットして5代目にして…

金山家には奥さんの家の血をひく嫁しか許さんって遺言でもあったのよw
政略婚だとしても三代続けて近親婚とかこわいわw

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 19:54:20 ID:/mYZM9Uc
必ず森家の血も混じるようになってしまたから金森家に改易される運命が待ってたんですね、
分かります


630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 21:53:21 ID:Vv/9T7oL
>>626
金山家ってなんだよ金森家か そして遺言でもあったのかよだった

スポンサーサイト