305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/03(土) 01:07:32.75 ID:Huf6utXP
金森出雲殿(可重)が伏見から宇治へ行かれて方々の茶会に出席され。さらに当地奈良に来られ、
ここでも方々で彼を招いた茶会が有った。その時、拝殿右馬丞という春日若宮の禰宜が持つ茶入を
ご覧になりたいということで、私も相伴しての茶湯があった。
出雲殿はこの茶会を称賛され、「京より南には無い茶会であった。」と言われたので、私が
「当地においては、下手と言われます。」と答えると、「他はともかく、都にもまれな掃除の良さであった。」
と仰られた。
侘数寄は気遣いを専らとするが、侘びであっても出来るのは掃除である。
名人というものは相手によって褒めどころが有るのだと思ったものだ。
その右馬丞の茶入というのは、現在は尾張大納言様(徳川義直)の元にある小肩衝の事である。
(長闇堂記)
金森出雲殿(可重)が伏見から宇治へ行かれて方々の茶会に出席され。さらに当地奈良に来られ、
ここでも方々で彼を招いた茶会が有った。その時、拝殿右馬丞という春日若宮の禰宜が持つ茶入を
ご覧になりたいということで、私も相伴しての茶湯があった。
出雲殿はこの茶会を称賛され、「京より南には無い茶会であった。」と言われたので、私が
「当地においては、下手と言われます。」と答えると、「他はともかく、都にもまれな掃除の良さであった。」
と仰られた。
侘数寄は気遣いを専らとするが、侘びであっても出来るのは掃除である。
名人というものは相手によって褒めどころが有るのだと思ったものだ。
その右馬丞の茶入というのは、現在は尾張大納言様(徳川義直)の元にある小肩衝の事である。
(長闇堂記)
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