毒沢義盛とその子達、「毒か薬か」

2009年11月30日 00:22

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 03:02:30 ID:dJsY5hSG
ついでに一つ


毒か薬か


近畿では関ヶ原が終結した頃、奥州和賀の地でも一つの戦いが終わった
奥州仕置で没落した和賀氏が、領地拡大を狙った伊達家の支援を受け、
再興を図ったが夢破れたのである
その後、和賀の当主忠親や家臣の主だった者は仙台の国分尼寺で自刃することになる

その中には毒沢義盛の名もあった
毒沢という厳めしい名は、和賀氏没落の時に義盛の居城であった
濁沢城の井戸に自ら毒を投げ入れ
野に下ったことを由来とし、濁沢から毒沢に改名したと伝わる

義盛は前述の通り自刃して果てたが、子の吉広は名を毒沢から多田と改めて伊達家に仕えた

その義広は、後に子供二人を政宗の側に置く事に成功する

只野作十郎勝吉と勝女姫である

只野作十郎に関しては今更説明の必要が無いので省略するが、
三代全員が名を変えたのは興味深い
勝女姫は政宗との間に伊達宗勝と岑姫の二人を授かった

伊達宗勝は伊達騒動の中心人物で、以前は専横を極めた悪人とされていたが
近年においてそれは、旧来の地方知行制を維持したい伊達宗重派と、
中央集権化を図ろうとした伊達宗勝派の争いに
敗れた末の評価であり、宗勝は改革者であったという評価もされている

事件後の仙台藩において、地方知行制はその影響を色濃く残すが
毒沢の血を引く宗勝は伊達家にとり、果たして毒であったか薬であったのかは定かではない



勝女姫の娘・岑姫は伊達宗重の兄宗実に嫁いでいます
伊達騒動の頃には勝女姫も岑姫も亡くなっていますが、勝女姫は1665年まで生きていたので
片や息子、片や娘の嫁入り先が日々軋轢を深めていく様を
複雑な気持ち見ていたのではないかと思います




698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 08:53:17 ID:4N/wmRGO
只野はラブレターの相手かw
勝女姫はなんて読むの?

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/29(日) 11:03:39 ID:I0iZF+dC
盛重は実はかなり有能で出奔後は佐竹に仕えて
対伊達最上の最前線にもなる横手城を任されたほど。
単にDQN政宗にイジメを受けていただけだと言う…

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:11:11 ID:wSW6lPkk
実際はそんなとこだろうな

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:13:23 ID:RgBp5NEz
経営者一族で関連子会社任されたもののそこでは合わず、他社に移ったら実力発揮ってとこか

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:31:09 ID:cZ72HBqL
逆に、大内定綱は伊達に反抗していた時は散々だったが、
召し抱えられてからは手腕を遺憾なく発揮しているな。
後に一族の家格も与えられているし。
石川昭光も伊達家に戻ってからは、一門筆頭になっている。
まあ、成実はおもしろくなかったみたいだけど。

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 11:45:04 ID:jRrUVGb3
前からいた家老よりも有能な新参を待遇するのはどの家でもあるんだけどな
まぁ織田はそのせいで殺されたけど

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 13:13:58 ID:dJsY5hSG

>>698
スイマセン分かりません

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