松平忠吉は、美男であり楽しい性格であった

2012年11月18日 19:06

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 20:41:54.80 ID:TrRLS7Sn
松平下野守忠吉朝臣は、後に薩摩守殿と申して、美男であり楽しい性格であったので、
天下の諸侯も、この君のためには一命をどうして惜しもうかと、争ってかしずいていた。
関ヶ原の合戦の際には一方の大将であり、福島正則以下の諸将、この君の下知に命をかけること
本望であると勇まれたとか。

この時、徳川家康井伊直政、本多忠勝に仰せ付けられ、「忠吉を良く引き回すように」と命じた。
これによって、島津義弘が丸備えを立てて撤退する所を、井伊直政は先駆けして食い止め、手痛い働きがあったが、
忠吉も手負い、井伊直政も鉄砲によって腕を撃たれたので、布で腕を縛り首にかけて、忠吉を誘導して
本陣へと帰った。

まず忠吉が家康の御前に出ると
「忠吉は手負いをしたか。初陣の働き、見事なり!」

と、ご褒美に所に井伊直政がまかり出た。家康これを見て

「兵部(直政)は手負いをしたか!薬箱!薬箱!」

と、自分の薬箱を取り寄せ、自身の手で膏薬を傷口に付けられた。

おおよそ人の親として、子供ほど可愛いものは無いこと、上下ともに同じである。
であるのに愛する子の初陣に、薄手ではあったが傷を被った事を驚く様子もなく、兵部が手負いをしたことには
慰め問わせられた所に、『名将の御こころざしは凡人の及ばざる所である』と、当時の人々は感じ入ったとの
事である。
(武野燭談)

関ヶ原の傷
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6932.html

これの、当時の人たちの感想なども入ったバージョン。
しかし忠吉、イケメンで性格も良くて諸侯からモテモテだったとか。
長生きしたら秀忠の脅威になったかも知れませんねw




390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 21:53:07.42 ID:VHL946FJ
>>389
井伊話じゃん。

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 21:56:04.07 ID:gBKKcuS2
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6932.html
同じ話でも感想が違うな

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 22:07:05.78 ID:fmNyxEsJ
同じ話でもこっちは忠吉のイケメンっぷりと神君の行動に対しての人々の感想に目がいくな

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 22:14:54.01 ID:ji8WLaz8
義親子でイケメンか

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 22:28:41.94 ID:ji8WLaz8
のぼうも後に忠吉に仕えたんだっけ?
スポンサーサイト

武勇を習うのではなく、鉄砲を習う者のために

2012年10月28日 19:21

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 00:31:27.45 ID:o3jiBe39
細川越中守忠興が徳川家康の上杉征伐に従軍するとき、大阪に留守として置いた侍の中に、
稲富喜太夫(祐直)という者があった。

忠興の内室(ガラシャ)が大阪で自害した時、留守居であった小笠原少斎以下の士が尽く討ち死にした中、
稲富はその場を落ち延び命生き延びたのを、忠興は殊の外立腹し、捜し出して必ず罪に問うと言っていた。

この事を徳川忠吉が聞き、忠興に直接に会ってこのように言った

「侍の死ぬべき場所を逃げ出したというのは、情けない侍というものであり。あなたの憤りは
尤もだと思います。ですが、稲富を助け置いてほしい。

彼は天下一の鉄砲の名人です。武勇を習うのではなく、鉄砲を習う者のために、命を助けてほしい。
臆病は、稽古によって身につくものではないでしょう?
鉄砲一流の断絶というのは、如何にも残念だと思うのです。」

この言葉に忠興は、「稲富にとってありがたい仰せです」と、彼を赦した。
これによって稲富は武士をやめ一夢と名を改め、稲富流を指南した。
そして彼の発展させた稲富流砲術により、大阪の陣の折、幕府軍の大筒は
大阪城天守の二層目に撃ち入れる事に成功したのだ、との事である。
(武野燭談)





104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 00:47:49.19 ID:6Fr+uPii
鉄砲と大筒じゃ全く別物だろ。。。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:24:07.44 ID:RaGpenIm
大鉄砲みたいなのを撃つ砲術もあるだろうし
火薬で飛ばすやつの放物線を測る技術なら延長線上じゃないの

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:48:36.72 ID:TRnvXtCj
稲富さんの臆病は天下に認められちゃっているんだな
そこだけ見ればカッコ悪い話

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:49:40.19 ID:Z8d0eTj6
世の中うまく出来てる部分もあるな
窮地でも必要な人材には助け船出す人がいる

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 04:20:56.30 ID:1TRjSzFU
武勇も臆病も大事にする名将のお話なのかな

家康の四男の松平忠吉は、関ヶ原東軍の大将格だった

2012年09月16日 20:58

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 15:19:06.54 ID:uHw9FAYx
昨日は関ヶ原合戦の日だったということで
家康の四男の松平忠吉は、関ヶ原東軍の大将格だったという話を。
実際に岳父である井伊直政の補佐を受けて初陣ながら敵の首級をあげる等の活躍もしている。

徳川殿御代官として薩摩守忠吉殿は、海道の大将を任じられ
井伊と本多を軍奉行として東軍の諸侯を引き連れて攻め上がった。
(『藩翰譜』)





487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 16:59:13.43 ID:9k5zyzCv
>>486

1時間半待ってるんだが
その中からどういうエピソードが語られるん?

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 17:15:51.53 ID:laZ2rNPL
ちょっと忘れられがちにされる忠吉が東軍の大将だったということだろ
忠吉の活躍が光ると関ヶ原に遅れた兄の威光が…と
意図的に目立たないようにされたとも言われてるし

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 17:39:51.04 ID:r9IjtD7W
>>486は忠吉さんにゆかりのある人な気がするw
それならば気持ちはわかるが、逸話としては物足りないw

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:20:22.39 ID:uHw9FAYx
いや、逸話っつうか>>488の言うように
忠吉が結果的にボロ勝ちした東軍の大将に任命されていたとうのがミソだという話で
一方の秀忠は?というさ

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:28:27.63 ID:OVd5hny2
忠吉って、会津征伐と関ヶ原本戦に居たのは確かだけど
何時ごろたどり着いたかよく判らんのだよなぁ

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:35:17.42 ID:P66boEXV
忠吉さんって聞くとなんかおおきな犬を思い出してしまう・・

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:44:24.40 ID:wUfnLzC3
忠吉は活躍如何で秀忠に成り代わって跡継ぎになれるとか思ってたん?

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:45:15.08 ID:aDytPG2O
賢いちよちゃん、と聞くとなんか山内一豊の妻を思い出してしまう…

松平忠吉の受領名

2010年03月01日 00:09

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 05:36:25 ID:NHHhVej7
松平忠吉の受領名は初め「下野守」であった。
ある日、父家康の前に来てこう言った。

忠吉「このところ体に腫れ物ができて困ります」
家康「そうか。ならばこの薬をつければ(薬箱を取り出す)」
忠吉「いえ、実は「下野守」という受領名のせいではないかと思っております。
   変えたいと思うのですが・・・」
家康「奇妙なことを言うが、本人がそう思っておるなら仕方ない。うーーーん、
   美濃か尾張でどうじゃ?」
忠吉「いけません。それじゃあ『身の終わり』じゃないですか」
家康「じゃあ薩摩にするか」

ということで「薩摩守」になった忠吉、関ヶ原では岳父井伊直政とともに
薩摩勢と一戦交える。

家臣「直政さま、忠吉さまが逸っておられます!いかがいたしましょうか!」
直政「武士の子よ。用心するにも限度というものがあるわ。
   討死したらしたでその時のことよ!」

これを聞き、馬の口を取っていた者がその手を離すと敵目掛けて一目散。
奮戦した忠吉、左手と兜の左耳上に斬り込まれ負傷したが、初陣で見事、敵の
首級をとることに成功する。忠吉をかばいながら進んだ直政も銃創を負った。

勝利の本陣にて
家康「忠吉は手に傷を負ったか」
直政「逸物の鷹の子は皆逸物でございますぞ」
家康「何の、鷹匠の腕が良いからよ」

(と、薬箱を取り出して直政の傷口に自ら薬を塗る家康であった)




松平忠吉の死と四つの棺

2010年02月11日 00:04

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 17:23:12 ID:PUIMc0pD
松平忠吉が若くして没した時のこと。

数名の殉死者が出たが、忠吉の遺骸を増上寺に納める際、付家老の小笠原吉次は
葬儀係の者にこのように命令した。

「殉死者の棺を四つ用意致せ」

葬儀係の者は、一旦は拝命したものの、気になって人数を再確認した。

殉死者は三名。

「あの、殉死者の人数を再度調べましたが、三名でございます。
棺の方もそれに合わせましょう。
こういう物を余計に用意するのも如何かと考えまする」

と申し出たが、吉次は

「余計なお世話じゃ」

と全く相手にしない。

さすがにむっとした係の者は、吉次に対してこう問い質した。

「はて、いま一つの棺はどなたがお入り用なのでございましょうや」

これに対して吉次、

「入る者がいなければ、このわしが追腹斬って棺を塞ぐわい!」
       _, ._
係の者「 ( ゚ Д゚)・・・・・・」


結局、棺は四つ用意された。空いた一つは増上寺の本坊の廊下の片隅に置かれた。

この時、吉次の息子である小笠原監物が奥州からやってきた。監物は亡き忠吉から
勘気を蒙り奥州松島で蟄居中だったのを早飛脚の知らせにより飛んできたのである。


「御供参りまする!!」


こうして空いた棺は塞がった。
吉次が「どうだ数が合ったろう?(AA略)」と言ったかどうかは定かではない。




松平忠吉に「子供は可愛いだろう」と問われ

2009年12月01日 00:01

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 23:20:07 ID:yxwbCFa0
松平忠吉は近臣に子供が生まれたことを知ると、近臣に子供は可愛いだろう
としつこく尋ねた。そのとき近臣は主君がいつも厳粛であることを思い、
殊勝な者と思われようとした。

「初めての子なら、さぞかし可愛いであろうな」
「いえいえ、特にそのようなことは」
「そんなはずはない。自分の子が可愛いだろう?」
「いいえ本当に可愛いと思っておりません。本当です」
「……」
(よしよし、これで俺の好感度も上がったな)
「なんと邪険な奴だ。貴様のような輩は忠義が疑われる。クビだ」
「え!?」

不興を買った近臣はあえなく改易された。忠吉はとても子供を欲しがって
いたらしく、初めて生まれた子はすぐに亡くしていた。そうした主君の境遇を
考えていなかった近臣は浅はかだった。




755 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [] 投稿日:2009/11/30(月) 23:21:41 ID:yJwswXJz
>>754
確かに浅はかだ。

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 23:49:58 ID:yuqhCGsd
「殿の方が愛しゅうござる」とでも答えておけば。

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 00:14:20 ID:nkLIiPuL
メンドクサイ三河武士ならここからあれこれ忠吉にケチつけ始めるだろうに

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 09:08:47 ID:iLObcMAW
家康なら同意したはず

759 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/01(火) 12:56:42 ID:oCBuofQ/
お前でも子が可愛いのかと言われそうで。

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 14:27:26 ID:OZe0btlO
>>756
某片倉さんGJ!