信親忠死の跡なれば

2017年08月31日 16:58

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 14:48:51.99 ID:D/ZmCpnd
去る程に豊後の軍、仙石権兵衛が無法ゆえに寄手大きに打ち負け
十河・田宮を始め、軍兵どもあえなく討たれ、仙石・大友は豊前国へ逃げゆき
弥三郎(信親)は討ち死にし、宮内少輔(元親)は生死知らざる事が
追々都へ聞こえて来たので、秀吉公大いに怒りて仰せつけられるには

「権兵衛は元来強気無法の者であれば
 敵を侮るな、一人駆けはするな
 衆議一同の上進退せよと再三かたく示したのにその議を用いず
 宮内少輔の諫言を聞かず、我意に任せる事は上を軽侮し
同僚を軽慢するのと同じであり、曲言の専一である。
 察するに彼は、先年宮内少輔に手痛く当たられた事を深く心意にはさみ
 この度公議を借りて讐を返し、元親に恥辱を与えんとして
 かえって己に及んだのであろう。これは武士の本意ではない
 一方弥三郎は同列の罪逃れざるを知って潔く討死した。不便というにも余りある
 我、彼が不快を知らず、相将に列した事は甚だもって落ち度であった
 今更悔やむに益はなし、しかしながら元親がもし討死となれば
 土佐国の一揆供がその弊に乗って狼藉する事もあるだろう」

そうして信親忠死の跡なればとして
土佐国政の事を仰せつけられ
増田長盛、藤堂高虎を上使として土佐国へ差し下し
長宗我部家に慰問をなし、例え元親親子相果てたとしても
領地は安堵して次男香川五郎二郎に遣わすべしとの御朱印を下された。

(土佐物語)



88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/31(木) 10:50:37.09 ID:tjcfsPmD
十河家.....。
スポンサーサイト

土佐物語より、長宗我部信親はこんな人!

2009年12月05日 00:15

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:24:06 ID:rAiR0wW/
土佐物語より、長宗我部信親はこんな人!

・背丈は6尺1寸(約185センチ)、色白で容貌は柔和
・言葉は少ない。
・礼儀作法を心得ているが、だからと言って厳しくは無い
・馬鹿な話にも付き合うけど、猥雑ではない
・家臣たちを愛し、家中の者達も父母のようになついていた

・手習いは吸江庵の真蔵主、恩蔵主を岡豊に呼んで学んだ
・謡は藤田宗印を京から呼び寄せて学んだ
・鼓は勝部勘兵衛を泉州堺から呼び寄せて学んだ
・笛は京で玄笛の伝授を受けた小野菊之丞に学んだ
・太鼓は頭我惣右衛門親子を京より呼び寄せて学んだ
・蹴鞠は飛鳥井曾衣が下向された時に指導を受けた
・碁は京で本国坊の元に学んだ大平捨牛、森勝介に学んだ
・礼儀作法は京で小笠原家より伝授を受けた桑名太郎左衛門、大平市郎右衛門に学んだ

・馬術は産方休少に学んだ
・槍、長刀は真道流の大平市郎右衛門、また京より甲藤市之丞を呼んで学んだ
・太刀は須藤流、また伊藤武右衛門と言う精参流の名人に学んだ
・弓は大蔵才八に学ぶ。岡豊城の的場で毎日夕暮れに的を射た
・鉄砲は近澤越後に指南された。毎月1日に鉄砲揃をして射撃の腕を見た。

・和歌は小松谷寺覚桜に師事
・連歌は蜷川新右衛門入道道標を宗匠とする

・このような教育を受けた信親であったが、武道のほかは雑事であると、
 それほど熱心には学ばなかった。
 しかし生来器用だったため、なにをやっても見事にこなした。

・常に軍書を研究し、戦略戦術について議論をし、剣術、体術の習得に熱心であった。


まあ早くに、しかも悲劇的な死に方をしたせいでだいぶ理想化されすぎているきらいはあるが、
ともかく、長宗我部家中にとって信親は、大事に大切に育てられ、本人もそれに大いに答えて
成長し、家中の期待を一身に集めた、パーフェクト嫡男だったのです。




856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:47:43 ID:LxFIJ8o/
信親の母は奉公衆石谷光政の娘(斎藤利三の異父妹)だけど、元親が自ら上洛して
娶った女性なんだよな。近隣の豪族では無く中央との繋がりを考慮しての嫁取りに
元親の考え方が伺える。

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:48:24 ID:PR7Hnd6g
>碁は…森勝介に学んだ

「森勝蔵に学んだ」に見えたいい悪いスレに毒されたバカは俺だけでいい…

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:08:33 ID:mDZa7cBY
>>855-856
連歌は“あの”蜷川新右衛門さんの裔に学んだってか……
 斉藤内蔵助、石谷兵部は知ってたが蜷川氏も巡り巡って長宗我部の親戚だったんやねーなるほど

ttp://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1118

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:27:44 ID:wdfRKWyq
>>858
蜷川家の当主は代々新右衛門を名乗るんじゃなかった?

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 04:43:05 ID:E5eRvgjz
>>853
関東や甲信越、九州ならともかく、
土佐からなら「わざわざ京大阪まで」何て書き方するのは変じゃないか?
長曾我部は水軍だって持ってるし、大阪との交易も盛んだったはず。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 07:43:58 ID:BICm9q/l
>>855
あまりに完璧すぎて泣けた、生きてたら五大老も務まりそうだ
これだけの男を仙石ふぜいの指揮下に入れてたのが失敗だったか

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 08:32:06 ID:rfM1A1r9
後世に作られたから完璧なんだろ?



863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:31:41 ID:lDxo0nF3
戸次川で信親を守って死んだとされる死体の頭蓋骨を調べたら、
刃物で斬られ過ぎて何回斬られたか分からないありさまだったとのこと

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:36:00 ID:XXqInJgu
それって、なかなか死なずに奮戦したというよりも
敵兵がしっかりトドメをささず、倒れた相手を滅多打ちにしていただけでは?

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:45:45 ID:lDxo0nF3
かもね

どれだけ混沌とした戦場だったんだろう
信親隊の遺品とされる甲冑はぐちゃぐちゃでなんだかよく分からない事になってるし


867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 11:37:41 ID:qX/azpga
壊乱状態で、かつ完全に多勢に無勢
それでいながら島津は味方の負傷率が跳ね上がるのも無視して押し包み殺る
ってな感じ?

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:09:32 ID:NLC0CTdn
>>861
もとから潰すために仕組んだとかね
無能の下で壊滅してくれたら万々歳じゃん

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:34:00 ID:ieQFlP1g
まあ秀吉にしてみりゃ四国の弱体化は
かえって好都合かもしれんからな

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:28:08 ID:BICm9q/l
当時は四国の弱体化なんかよりも、秀吉軍が島津軍に負けてしまったダメージのほうがでかいだろう
長曽我部が四国の雄だといっても、すでに牙は抜いたんだし


872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:43:20 ID:kwW8ePUF
>>862
後世だったら山内だろう?
長宗我部のいい話など作るわけがない気がするぞ

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:12:03 ID:NLC0CTdn
>>872
領主の話題だからって作るのも領主って事じゃないでしょ
今のがアレだから以前のを持ち上げて~ってのは大昔からある話だし

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:32:18 ID:PR7Hnd6g
「判官贔屓」で亡んだ旧領主を顕彰する事は考えられるよね
「火のない所に煙は立たず」だから信親が勤勉だったのは確かだろうけど

まあこれ以上は検証スレでやらないか?

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:44:36 ID:pLyTOpW7
弟が酒井家に使えてるよね>長曽我部

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 15:27:22 ID:/+gjK+Xr
>>855
ちょっと関係ないけど、馬術弓術と並んで鉄砲が教育に盛られてくるあたりが面白いね

使者、片桐且元と長宗我部信親

2009年12月04日 00:13

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 22:25:51 ID:gz12Gg9j
天正13年(1585)6月、正二位内大臣に任官された羽柴秀吉は四国の長宗我部氏攻討伐を
決定し、宣戦を布告するため片桐助作且元を派遣した。
長宗我部の前線基地、伊予大浜城の前までわずかな供を率い、徒歩でやって来た且元は
「それがしは内大臣家の家人、片桐助作にござる。城の御大将に申すべきことあって
参上いたした。この旨をもって開門されたし!」と、堂々と言い放った。

城兵は敵の来訪に色めきたったが、城将の長宗我部信親は
「使者の作法、故実にかなって見事なり。失礼あらば『南海の田舎者、礼節を知らず』と
笑われよう。そうなれば、死後までの恥辱となるぞ?」と言い、門を開けさせた。

且元と対面した信親は、彼を上座へ導いた。
「貴殿は、仮にも内大臣のお使者。無位無官の信親と対座は、はばかりがあります。
どうぞ、こちらへ。」
且元は一礼してこれに応じた。
「ただ今、秀吉公と長宗我部殿と一戦仕る上は、まず互角の応対あるべきでしょう。
しかしながら助作は大臣家の家人である以上、長宗我部殿の上座など神罰が当たらぬか
恐ろしくはござるが、御免を被って口上を述べさせていただく。」

城兵みな、二人の礼節に感心せざるは無かったという。




851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 22:40:22 ID:HfqsS2Hr
短命だから逸話も少ないんだろうなぁ
まぁ四国自体逸話が少な(ry

それはそれとして礼儀礼節を理解出来るんだから城兵も大したもんだ
最近の若僧に煎じて飲ませたい

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 23:00:54 ID:K9HrDQes
秀吉の四国攻め前だから二十歳前後で最前線の城主が
勤まってこれだけの対応ができる息子に先立たれる
そりゃ元親もおかしくなるわ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 23:37:27 ID:MQ6313Ux
>>851-852
元親自身に田舎者コンプレックスあったのか、家中ですごい有識故実の勉強させてんだよな。
土佐一国の貧乏領主が、わざわざ京大阪まで家臣を派遣して習わせてんの。

四国内の最大敵手、三好一党が小笠原流の支族で教養人も多かったから、
阿波や讃岐の慰撫にもそういうソツのなさが必要だった、て実利もあっただろうけど。

んで息子も手塩に掛けて育てたからこんなだった戸次川の死に様も見事だし……
潔すぎるのは戦国武将としてはむしろ弱点なんだけどね、そこが若さだよな。

854 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/03(木) 23:59:27 ID:a9wwzpMk
信忠もそうだけど、若いときにはもがいて一縷の望みに掛けてほしかったな


勝頼の追い詰められた上での自害を見たばかりだから、ああいうのは
嫌だというのがあったかもしれないけどさ



関連
片桐且元と占いの結果・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-298.html

信親の遺品

2009年12月04日 00:11

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 01:20:38 ID:hjHTzJBv
豊臣秀吉による九州、島津征伐の緒戦、戸次川の戦いで大敗を喫し、
嫡男信親を失った長宗我部元親も、大将仙石秀久と共に伊予へと撤退する。

信親を失った事に痛切極まりない元親は、家臣谷忠兵衛を、かねてから親交があり、
戸次川の戦いでも戦いあった島津の重臣、新納忠元の元に派遣した。

忠兵衛、忠元に元親の言葉を伝える

『この度の豊後、戸次川合戦でのあなたの働き、古今に見られぬほどのもので、
どれだけ称えても、称えきれないでしょう。

そこにおいて、我が愚息弥三郎(信親)は戦死を遂げました。
これは武士の本意に適うものであり、また天下のお役に立ったものでもあり、
我が一家の誇りとするところであります。

そこでどうか、彼の遺骸をお引渡しいただきたいのです。』

忠元はこれを聞いて涙を流し、言った

「私は先年より不思議な縁があって、宮内少輔(元親)殿と親交を結ぶようになりました。
それからお会いする事は無かったものの、書状にてよしみを深めました。

然るに、去る12月12日の合戦において、ご子息弥三郎殿の部隊と出会い一戦に及び、
我が方も多くの兵が討たれましたが、武運が少しばかり勝っていたのでしょう、我々が勝利し、
弥三郎殿は戦死を遂げられました。
武士の習い、戦の習いとは申しますが、弥三郎殿の戦死は私にとっても最近に無く、
本意に無いことであります。
その御遺骸を直ぐにでも送るべきであったのに、忙しさにかまけそれを怠ったこと、
旧交を忘れた所業だと言われてもしかたがありません。

武士が合戦にて討死する事、元より望むものとは言いますが、親子の恩愛は不朽とも言います。
宮内少輔殿のご心底、お察し申し上げます。

弥三郎殿の奮戦は素晴らしく、その名誉は人々に語られております。
どうかこの事を以って、お心をお慰めください。』

そう伝えよと使者に言い含め、信親の遺骸は既に痛んでいたため火葬をし、
遺骨と、遺品である甲冑、太刀を持たせて、元親の元に返させた。



元親は、使者の持ち帰った信親の遺品を一目見たとたん、目を背け、嗚咽した。
余りの嘆きように近習たちは、すぐにその遺品を、元親の目に付かない場所へ運んだと言う。

その遺品、太刀は鍔元から切っ先まで隙間も無く敵の切り込みを受けた跡があり、
もはや太刀の形をしていなかった。
甲冑には矢弾の跡、太刀、槍の跡が数え切れないほど残っており、袖や草摺の部分は
途中から千切れていた。

これを見たものは皆、『信親様はなんと激しく戦ったのか』と、驚き、涙を流さないものは
いなかったと言う。




805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 05:54:14 ID:wLHU0Ls8
いい話スレに投下すべきじゃないか?
どこが悪い話かわからん。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 06:06:39 ID:Vo0sATNp
まぁ長曾我部にとっては、その後の滅亡の遠因にもなった悪い話ではあるな。
でもいい話スレ用だね、確かに。

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 08:02:56 ID:ouQkfAov
九州戦線で大敗を喫し、自家どころか長曽我部家まで衰退させた仙石家にとっての悪い話じゃね

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 12:54:52 ID:myrkjWlM
>>805
まあ、遺品の状態が悪い話ということで。

これは涙を誘う話。

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 16:36:01 ID:ZUMuJeLY
息子を見殺しにして逃げた悪い話?

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 17:55:20 ID:y7x7KVRJ
見殺しってか家臣に馬の尻引っぱたかれたんじゃなかったかね。
ま、四国勢壊滅させた仙石さんの悪い話に被害被った(運の)悪い話だな

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 19:38:11 ID:rPd1Wp+1
>>804
切ないな…



関連
新納武蔵守忠元と遺体の返還・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-11.html#comment3216